痣を隠して隙隠さず

淡島かりす

ある日のやり取り

「ロックウェル。これ使いますか?」


 同僚たる若い魔法使いが差し出してきたものを見て、ラディッシュ・アグアス・ヴィタ・ロックウェルは首を傾げた。この些か長い名前は父親と母親の名前を等分に引き継いだためであり、当たり前だが本人の希望では無い。普段は「ロックウェル」または「ラディ」と呼ばれることが多い。

 同僚、要するにラディが属するラカノン国軍第十三隊の人間たちは、概ね家名でラディのことを呼ぶ。


「眼鏡か? 俺は別に目は悪くないが」

「それくらい知ってますよ」


 相手はラディの言葉に呆れたような顔をした。二十四歳のラディより少し年下の筈だが、口調や表情がやけに年季がかって見える。


「その痣を隠すためです」

「あぁ、そういうことか」


 ラディは自分の右目の下を触れた。途端に鈍い痛みが顔面を走る。朝方、鏡で見た時は目の周りを半分囲むようにして青と黄色の痣が出来ていた。白い髪に鮮やかな緑色の瞳を持つ風貌に、その色彩はあまりに目立つ。

 軍人ともなると怪我などは日常茶飯事である。特に十三隊は別名「王の杖」と呼ばれる、国王の勅命を受ける部隊であり、国内屈指の実力を持つ魔法使いたちが揃っている。当然危険な任務も多いのだが、ラディが目立つ怪我をするのは珍しく、今朝から行き交う人々が無遠慮に見てくる状態だった。


「傷は魔法で消せても内出血は難しいからな」

「無理に血流に魔法干渉すると悪化するから仕方ないとはいえ、晒して歩くこともないでしょう」


 手渡された眼鏡をかける。レンズではなくただのガラスが嵌め込まれているので、視野が歪むようなことは無い。だが眼鏡をかけたことなど無いため、鼻の上になにか乗っているという違和感は拭えなかった。


「学者みたいですね」

「鼻がくすぐったい」

「すぐ慣れますよ。うん、やっぱりそっちのほうが怪我が目立たなくていいです」


 相手は満足したように何度か頷いた。いつもは敵対心丸出しにしてくるのだが、今日は妙に優しい。それなりに怪我を心配してくれているのだろう。ラディはそう考えると思わず笑みを浮かべてしまった。


「なんですか」

「何でもない」

「そもそも、どこでそんな怪我をしたんですか? ここ最近、それほど危険な案件はなかった筈ですが」

「相棒に殴られた」


 そう答えると相手は「はぁ?」と言った。


「相棒って貴方の民間協力者ですか? なんで殴られるんです」

「すまない。殴られたというのは語弊があった。肘が入ったんだ」

「痛そうですね。またどうして」

「仕事をサボって酒を飲んでいたのを見つけて声を掛けたら、相手が振り返った拍子にうっかり」


 うっかり、と相手は繰り返す。


「なるほど。それは相手が悪いですね。ちゃんと謝罪は頂きましたか?」

「何故か言いくるめられて俺が謝る羽目になった」

「何でですか」

「わかったら苦労しない」


 そこでふとラディは視線を感じて振り返った。二人のいる部屋の外から、若い女たちが中を覗き込んでいる。ラディと視線が合うと短い悲鳴を上げて逃げていってしまった。ラディはその意味を少し考えてから相手に視線を戻した。


「やっぱり似合わないんじゃないか?」

「違いますよ……。ほんと貴方はよくここまで無事に生きてこれましたね」

「別に目を殴られたくらいでは人は簡単に死なないぞ?」

「逆になんで死なないんでしょうねぇ。腹が立ってきました」


 何やら呆れ果てている同僚を前に、ラディは困惑して首を傾げる。顔の幅に合っていない眼鏡が、鼻の上で少し滑り落ちた。

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痣を隠して隙隠さず 淡島かりす @karisu_A

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