第32話 最強賢者、昇給を提案される

 その日の夜。

 俺は『栄光の導き手』の事務所で、エコーに今日の報告と、今後の攻略予定を伝えていた。


「というわけで、階層の更新は92層まで1日1層、93層から95層までは3日でやりたいと思っている。それでいいか?」

「いいっていうか……信じられないほどのペースだよ。本当に90層までを1日で攻略してしまうなんて……」


 エコーは俺の言葉を聞いて、そう呟く。

 確かに平時であれば、3日で1層というのは喜んでいいペースだ。

『深淵の光』だって、このペースでの攻略を続けられた期間は長くない。

 だが問題は、今が平時ではないということだ。


「解毒薬の生産ペースは足りそうか?」


 俺達が攻略を急いでいるのは、『冥界の毒雨』に対抗するための解毒薬を作る目的だ。

『冒険』としては階層を攻略できればそれで成功かもしれないが、『冒険者』としての仕事という意味では、必要な量の薬草を確保できなくては意味がない。

 だがエコーの答えは、意外なものだった。


「そのことなんだけど……『深淵の光』が頑張ってくれているお陰で、少し余裕ができたんだよ」

「『深淵の光』が……?」


 彼らは今日、俺達を襲撃し、ラケルの契約魔法に縛られてエコーの元へと行かされたはずだ。

 俺が彼らの処刑を頼まなければ、彼らはエコーの元で強制労働をさせられるという話だったはずだが……まだ初日だというのに、彼らはそこまでの働きをしているのか?


 契約魔法による縛りは強力だが、反応速度や柔軟な思考などといった冒険者にとって重要な能力を奪ってしまうため、冒険者としては使い物にならない……というのが定説のはずだ。

 もし潜らせるなら、かなり契約魔法の縛りを緩めて、自由な思考をもとに動かせるようにする必要がある。

 だが、あんな精神状態の人間を相手にそんなことをするのが得策だとは思えない。


『魔法の教科書』ラケル=ロンメルの契約魔法ともなると、そのあたりも変わってくるのだろうか?

 それとも、犯罪者だから死んでもいいと割り切って、強い縛りをかけたまま深層に潜らせた……?

 そう考えていると、エコーが口を開いた。


「あ、ちなみに彼らは迷宮に入ってないよ。契約魔法の縛りを緩めるわけにはいかないからね」

「それで解毒薬に役立ったってことは……調合のほうか?」


 魔法薬作りというのは当然、薬草を集めて終わりというものではない。

 薬草が持つ薬効を最大限に引き出し、魔法薬と呼べるものに作り変えるには、調合作業が必要になる。

 迷宮に潜らずに薬作りを進められるとしたら、調合のほうだろう。


 だが『深淵の光』のメンバーが薬を調合できるという話は、聞いたことがない。

 そもそも『魔法薬の調合』というのは、薬草に回復系の魔力を練り込む作業なので、戦闘系職業ができるような仕事ではないはずだ。


「……とは言っても、一般的な調合は治癒系の魔法を使うことになってるから、あんまりピンと来ないよね」

「他に方法があるのか?」

「実は魔力の代わりに、生命力を練り込む方法があるんだよ。しかも治癒術師による調合に比べて、薬草の利用効率がずっと高い」


 なんだか怖そうな話になってきたな。

 確かに人間の生命力は、一種の治癒系魔力と似たような効果を持っている。


 だが生命力とうのは当然ながら、スキルを使うために消費していいようなものではない。

 以前、賢者の戦闘力を補うために、生命力を消費して発動する巻物スクロールを試したことがあるが……正直なところ、まったく実用的なものだとは思えなかった。


 一度使うだけで、全身が冷えるような……というか、まるで自分の魂が抜けていくような感覚があるのだ。

 実際に削れている生命力は、俺が持っている生命力の総量に比べて1%にも満たないはずなのだが、そういった数字の部分を越えた本能的な恐怖が、生命力の消費にはあった。

 俺にはあれが、人間に手を出していいようなものには思えないのだ。


「生命力を練り込むって……安全なのか?」

「大丈夫だよ。人間は、生命活動に必要な分の生命力を放出できるようにはできてない。だから生命力を使いすぎて死ぬような心配はない」


 なるほど、犯罪者だから死んでもいい……みたいな扱いではないのか。

 彼らの犯した罪を考えると、そんな扱いでも文句は言えないような気もするが……とりあえず、すぐに死なせるような扱いではないようだ。


「まあ、ものすごく体調が悪くなるから、僕は絶対やりたくないけどね」

「……だよな」


 エコーの言葉に、俺は心から同意した。

 確かに、迷宮都市全体でもかなり高レベルなほうに入るベルド達であれば、使える生命力も多いのだろう。

 そのベルド達の生命力を薬に使えるのであれば、魔法薬の供給にとってかなり追い風になるのも納得がいく。


 しかし……もしベルド達だけでは足りなくなった場合、どうなるのだろう。

 迷宮都市で最もレベルが高いのは、俺自身なのだ。

 まさか解毒薬を使うために、俺が生命力を削ることになったりは……。


「あ、ちなみに犯罪者以外に生命力を使わせるのは禁止されてるから安心していいよ。というか生命力を使った調合自体、普通は禁止だ」


 まるで心でも読んでいるかのように、エコーが俺の懸念を払拭してくれた。

 生命力で薬を作るという話など、今まで聞いたことがなかったが……禁止されているのなら、聞き慣れないのも当然というものだ。

 そう考えていると、エコーが革袋を差し出した。


「……というわけで、これが君の取り分ね」

「取り分?」

「ああ。薬作りの管理は専門家に任せてるけど、収益の半分は被害者……つまり君の取り分だ。給料とは別だから安心して」


 なるほど、ベルド達が働いた収入の半分は俺に入るのか。

 そう考えながら受け取った革袋は、ずっしりと重かった。

 袋を開いてみると、中にはぎっしりと金貨が詰まっている。


「金貨50枚、つまり500万だ」

「迷宮に潜らなくても、そんなに稼げるのか……」

「ああ。生命力がなくなるまで薬を調合し続けて、気を失って、目が覚めたらまた薬の調合……そんな作業を繰り返すのに比べれば、迷宮に潜ったほうがマシだと思うけどね」


 それは……確かに過酷だな。

 迷宮に潜って新しい薬草を取ってくるほうがずっとマシだ。

 だからこそ、生命力での薬草作りは禁止されているのだろう。


「あの契約魔法で従わせてるのか?」

「いや、あくまで彼らの意思で仕事をしてもらっているよ。彼らはとても仕事熱心で、沢山の薬を作ってくれているみたいだ」

「あいつらが……仕事熱心……?」


 どうやらエコーは、俺が知っている『深淵の光』とは別の人々の話をしているようだ。

 それとも薬作りの管理をしている組織とやらが、よほどうまく彼らを扱っているのだろうか。

 そう考えつつ俺は、次の話題を切り出すことにした。


「ちょっと話は変わるんだが……仕事を増やせないか?」

「……給料に不満があるのかい? だとしたら、15億まではすぐにでも上げられるけど……」


 俺の言葉を聞いて、エコーは意味不明なことを言い始めた。

 彼は何を言っているのだろう?


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追放された最強賢者は自分が最強だと気付かない 進行諸島 @shinkoshoto

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