僕が眼鏡をかけるようになった理由

九十九 千尋

眼鏡をかける、とは


 僕、九十九 千尋は「眼鏡族」である。ここでいう眼鏡族とは「生活するにあたって眼鏡をほぼ常時かけている人」のこととしてほしい。

 現在の僕の裸眼の視力は両方0.1ぐらいしかないらしく、眼鏡なしでは文章は10cmぐらいまで近づけなければ読めもしない。なので、顔を洗う時やお風呂の時間、寝る時以外は常に眼鏡が必要としている。


 そんな僕だが、学生時代の眼鏡に対する評価はずばり……


「眼鏡ってダサくね?」であった……


 というのも、眼鏡をかけた自分の顔に違和感しかなかったからである。

 眼鏡をかける前と後では、顔に異物を付ける以上顔の作りが変わってしまうように思えてならず、眼鏡をかけていない方が自分はカッコいい、などと思っていたのである。

 また、コンタクトはランニングコストが大変であることは知っていたし、ズボラな僕にはコンタクトの管理に失敗する未来の予想がすごく簡単だった。つけたまま寝ていたことだろう。


 僕の視力が悪くなったのは中学生の頃。遠くの時計の文字盤が読めないことに気付いたが、当時の眼鏡に対する偏見は非常に色濃く、そも、眼鏡をかけているカッコいいキャラクターとかそういうのが居ない時代であったのも影響し、眼鏡に嫌悪感すら抱いていた。

 というか、当時はカッコいい眼鏡、無かったよね!?

 しかし、中学三年の折り、高校受験の際に眼鏡が必要なほどの視力であることが母にバレ、あえなく眼鏡をかけるように……ならなかった。


 初めての眼鏡のことを今でも覚えている。べっこう色のフルフレーム、レンズをぐるっと取り囲むフレームの、The やぼったい。学生なのだからある程度頑丈な眼鏡を、ということでフルフレームの眼鏡になったのかもしれないが、近所のショッピングモールにあった眼鏡屋の店員が何を試着しても「オニアイデスヨー」しか言わなかったのもよく覚えている。つまるところ、気に入って買った眼鏡ではなかったのだ。

 すると、せっかく買った眼鏡も授業中しかつけなくなる。授業中しか眼鏡をかけずに居たことで視力はさらに悪化していくことを、この頃はまだ知らなかったのである。だってカッコ悪かったし。


 語るまでもない詰まらなかった高校生活を終え、僕は大阪の声優の専門学校へ入ることになった。

 当初は、奈良に住んでいた兄と二人暮らしを始めたのだが、ある時兄が「お前の世話に疲れた」と言い残して、僅か半年で実家へ一人帰郷。

 そこから一年半、僕は大阪で独り暮らしをすることになる。あの一年半は僕の人生でとても色濃い一年半となった。……のだが、今回は眼鏡の話である。


 高校卒業当時、僕は実家飯が美味し過ぎてぶくぶくに肥っていた。

 体重が人生でMAX 79キロの頃のことである。おやつにカップ麺を食し(後追いご飯つき)、から揚げにマヨネーズをかける、晩御飯はお米お代わり上等な、ぽっちゃりさんであった。

 当時の専門学校の同級生からの第一印象はずばり「睨んでくるデ○゛」であった……ごめんよ。視力が悪いため常に目を細め、いや、万象を睨みつけて見ていた。

 しかし、半年して上記の理由から独り暮らし生活がスタート。なぜ兄が居なくなったかの理由を知ることになる。食費である。当時の親の方針で、仕送りは家賃を除いて月二万であった。にもかかわらず、声優の専門学校には舞台の小道具購入やイベント参加、打ち上げ費用などもあり、平然と月に五千円ぐらいは毎月飛んでいくのである。食べに食べていた男一人、月の食費一万五千。なによりも家ほど飯が美味しくない。

 そして、当時の演劇の稽古は体育会系であった。演劇だとか声優だとか、まさに文系オタクのそれであるはずなのに、怖い体育会系そのものな授業が展開し、肉体的にも精神的にも搾り上げられた。

 専門学校で初めての夏休みの際には、僕の体重は人生最大の痩せ期、54kgまで落ちていた……


 そんな急激な体重変化が発生すると、メンタルにも異常をきたし始めるものである。特に、ダンスの授業などは愛あるスパルタ授業であり、自己肯定感が無い今の僕より二回りも自信がない当時の僕のメンタルはずたぼろだった。めちゃめちゃに泣かされた。フォローしておくと「愛ある説教」とは何か、というのをそのダンスの先生から教わったので、決して悪い人ではないことを補足しておきたい。

 何もかもが辛くて、軽くホームシックにかかっていたあの頃。家に帰れば無機質で誰も居ない部屋。食事をとるには部屋は寒く。食べる食事も豆腐ハンバーグに茶和一杯の白米だけ。テレビ無し。ネット環境無し。スマホもなし。暖房費節約のために布団に入って自分の体温で暖を取る。

 専門学校へ行けば同級生と授業前の準備と予習。授業後には復習や自主練。年末の二年生の卒業公演の練習のために毎日ヘロヘロになって帰っていた専門学校一年生当時。

 気が付けば……僕は地面や床しか見ていなかった。

 しかし、極限状態が一つの良い失敗を引き起こしたのである。


 眼鏡を外し忘れて帰ったのだ。


 いつものように疲労困憊の状態で専門学校を出ると、妙に視界がクリアだった。

 大阪の夜景が、行きかう車の光に照らされたビルの反射が、夜の帳が折りてなお街を煌びやかに映し出していた。

 いつも通って来ていた道なのに、ラーメン店があることに気付かなかったし、おしゃれな創作料理店があることも知らなかった。柿渋が入ったラーメンだとかニンニクマシマシトマトラーメンとか、ナシゴレンにトルコライスなどの美味しさを知ったのはこの後だ。

 何より、空が美しかった。都会の空は星が見えないし空気が淀んで汚いなどと言われているが、そんなことは無かった。夜空というには明るいあの空の色は、文章に書き起こすのは少々難しい。紺色より薄く、紫がかった濃い群青のようで、赤福餅の餡子のような柔らかい色をして……星は確かに無くとも、ビルにより見える空の広さは狭くとも、あの空の色は今でも僕の中に残っている。

 文字通り、世界が変わってしまったのだ。


 以来、眼鏡は僕の顔の一部となった。

 確かに、眼鏡をかけることで顔がダサく見えてしまうかもしれないが、それを差し引いてでも眼鏡をかけていることで見える世界と、眼鏡をかけずに居ることで見えていた世界に差があり過ぎた。

 何より、劇的な瞬間や一瞬の光景など、見逃すのはあまりに勿体ないものがこの世には多すぎる。それを知った。


 ちなみに、今では眼鏡はむしろ“癖”の一つとなっている。当時より眼鏡でカッコいいキャラとか増えたし、そもそも市場にカッコいい眼鏡のフレームが増えたことも要因だと思う。他にも眼鏡が“癖”となる切っ掛けなどはあったが……それはまた別の機会に、書けたら書こうと思う。関係者の許可が下りたら。

 眼鏡が似合う人は本当に眼鏡がとても似合う。似合わない場合は、似合うフレームに出会ってないだけの可能性がとても高い。というのが、もっぱら眼鏡派の意見です。


 ともあれ、僕から言えることは一つである。


「眼鏡をかけずに居るなんて、もったいない!」

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