零れ桜
榊 雅樂
舞い散る桜
時は大正、のどかな村には少ないが人が住んでいる。これは、そこに住む一組の夫婦のお話。
❀
今年も桜が咲き誇る季節となった。僕らは毎年、たくさんの桜が咲き誇る場所で、花見をするのが定番だった。
「さ、早く行こう」
作ったお弁当を紫色の風呂敷に包み、持って妻である
遥香はこちらを振り向き、優しい笑みで返事をした。
ついた場所は、桜の木が何本も生えている、幻想的な所。風が吹くたびに、桜の花びらが散っていく。
「今年も綺麗に咲きましたね、
「うん」
隣に立つ遥香は、散る桜を見て嬉しそうにしていた。僕は思わずその姿に見惚れる。
「あそこに座りましょうか」
「そうだね」
茂みに座り、持ってきたお弁当を開ける。おにぎりや煮物、卵焼きなどが並べられている。我ながら良い出来だろう。
箸を持ってそれを食べ始める。味も上々だ。
「美味しいですか?」
「うん、美味しいよ。美味しい」
「なら良かったです」
おにぎりを食べていると、遥香がそういえばと手を叩いた。
「お隣のお家、娘さんが結婚したそうですよ」
「そうなの。たしかに、もう結婚してもおかしくない年齢だったしね」
「はい!」
赤の他人の結婚だと言うのに、遥香は随分と嬉しそうだった。そんな優しいところも、彼女のいいところである。
他にもたくさんの話をした。遥香は最近どうだとか、周りの人たちと仲良くできているかとか、そういった類の質問をたくさんしてきた。
彼女は昔から心配性だ。結婚する前だってそう。
遥香とは、両親が持ちかけてきた縁談で知り合った。初めの印象は、儚げな女性。桃色帯びた黒髪が美しかった。
何度か話を繰り返していくうちに、段々と彼女の優しさに惹かれていった。
付き合いを通して結婚を申し出た時も、本当に自分でいいのかと、何度も何度も聞かれた。
「––––ってこともあったよね」
「お恥ずかしい。でも、私は弥夢さんと結婚できて幸せでしたよ」
「来年も、来ようね」
「……いいえ、来年からは一緒に行くことは出来ません」
「…………何言って––––」
「弥夢さん」
受け止めたくないことを言われる気がしたが、そんなことお構い無しに遥香が名前を呼んだ。
彼女の方を見ると、彼女は優しく、寂しげに僕のことを見ていた。
「もう、気づいているでしょう」
「な、何を?」
聞きたくないと表すかのように言った。そのことは言わないで欲しい。聞きたくないんだ。
「私が、もうこの世にいないこと」
「……」
心臓がバクバクと飛び跳ねるのを感じる。
わかっていた、ずっと。年が明けて間もない頃、遥香は病気で亡くなった。
僕らの住む村は、とても小さい。病気を治すことのできる医者なんて、そもそも存在しない。
だから、神社で何度も神頼みした。だけど、そんな都合よく病状が良くなることは無かった。
その末、遥香は痩せ細って亡くなった。
『もっと、弥夢さんと桜を見に行きたかった……』
そんな最後の言葉が、僕の頭からずっと離れない。
「もう、はやく幸せになってもらわないと、成仏できませんよ」
彼女は一筋の涙を流しながら笑った。
「無理だよ、無理だ。僕は遥香とじゃないと幸せになんてなれない……」
つられて涙が出てきた。涙ぐむとかそんな程度ならどれだけ良かっただろうか。情けないことに、ボロボロと涙が出てきてしまった。
「泣きすぎですよ」
遥香は指で涙を拭ってくれているが、それでも涙はとどまることを知らない。
そんな様子を見かねて、彼女はぎゅっと抱き締めてくれた。僕も抱き締め返す。
だが、遥香の身体が段々と薄らいでいくのがわかった。余計に涙が溢れ出る。
「やだ……いかないで…………」
「ごめんなさい。でも、行かないと。最後にいくつか言わせてください」
「なに?」
「ご近所さんと仲良くしてください、ご飯はちゃんと食べてください、自暴自棄にならないでください。最後に––––幸せになってください」
こんな時まで心配事か……。
そう思うが、それが嬉しい。嬉しいから、更に涙が出てくる。
近所とは多分仲良くできる、ご飯は遥香に教えてもらったやり方で作れる。今日だって上手く作れたんだから。自暴自棄も多分大丈夫、幸せには……
「幸せには、なれないよ」
「なってください。なってくれなかったら、化けて出てきてやります。……いえ、そしたら幸せになってくれませんね」
遥香はふふっと笑う。
もうこの優しくて落ち着く声も聞けなくなる。花のような香りも、そこにいるという温もりも感じることが出来なくなる。
「やだ……やだよ…………」
強く抱き締めるが、現状は何も変わらない。遥香の身体は、どんどん薄くなっていく。
「ああ……もう本当にさよならです。弥夢さん」
「ん」
「愛してます、ずーっと」
「うん、うん、僕も、愛してる……!」
最後に、遥香はまた笑い、桜の花びらが散るように、サーッと消えていってしまった。
彼女を抱き締めていた腕が、まだ形を残している。僕は地面に額をつけ、声を上げて泣いた。
❀
翌年、もう隣に遥香はいない。今日は一人で、想い出の場所に来ている。
「今年も綺麗だなあ」
やはり、彼女なしで幸せになるのは難しそうだ。だけど、それでいい。僕の想いは、無くなることはない。そんな状態で他の女性と、なんて無理な話だ。
けど、どこかで恋愛でない出会いがあるかもしれない。それは友人かもしれないし、動物かもしれない。
「いつになるかな、それは」
そんなことを呟くと、少し強い風が吹いてきた。花びらがヒラヒラと舞う。
そんな中、一枚の花びらが僕の手元に乗った。
「……」
僕はそれにそっと口をつけた。
零れ桜 榊 雅樂 @utasaka
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