童貞死すべし

月井 忠

一話完結

 漆黒の暗殺者と呼ばれる俺には三分以内にやらなければならないことがあった。


 先を歩く、あの男。

 ムラタという名の童貞野郎をこの世から消すことだ。


 童貞は一定の年齢に達すると、魔法使いとして覚醒すると言われている。

 そうなった者は、例え一人とはいえこの世界に破壊的な影響を及ぼす。


 それは全てを破壊しながら突き進むバッファローの群れを街に解き放つようなものだ。


 幸いムラタが魔法使いとして覚醒するには、まだ時間がある。

 しかし、ヤツを消す機会はそうそうない。


 三分以内に方を付ける必要がある。


 俺はここ数日、ムラタの行動を追っている。

 五日前には住宅の内見を終え、ムラタのアパートの向かいに住んで、機会を窺っていたのだ。


 毎日欠かさずヤツの尾行を続けた。

 そして、今日がその日なのだ。


 千鳥足でフラフラと歩くムラタ。

 会社の飲み会帰りで、しこたま酔っていると思われる。


 俺はダンボール箱をすっぽり被って、ヤツを尾行している。

 これは、とあるゲームからヒントを得た、最強の尾行法だ。


 ターゲットが不審に思って振り返っても、俺は立ち止まるだけでいい。

 そこには、ちょっと大きめのダンボール箱があるだけだ。


 バレることは決してない。


 待ちゆく通行人には白い目で見られることもあるが、要はターゲットに気づかれないことが重要なのだ。


 先を行くムラタはまたよろけた。

 そろそろ頃合いだろう。


 暗い夜道に、他の人影はない。


 俺はダンボールから出て、ダッシュの姿勢を取る。

 この瞬間はいつも緊張する。


 右の拳を強く握る。

 中指にできたささくれが痛む。


 ザッ。


 俺は強く地面を蹴った。

 ムラタは気づかない。


「でやあああああーーーー」

 勢いのままに俺はムラタを殴る。


「ぐはっ!」

 そう言うとムラタは倒れ白目を向いた。


 やった、また成功だ。

 俺はぐっと拳を握る。


 俺は漆黒の暗殺者。

 いつもこうしてターゲットを気絶される。


 そして、ポケットからコンドームを取り出す。


 べちゃ。


 それをムラタの目の前に落とした。

 コンドームの中には白濁液が入っている。


 もちろん、それは疑似白濁液だ。

 AVで良く使われる片栗粉を水でといたアレだ。


 本物の使用済みではもちろんない。

 そんな無慈悲で不衛生なことはしない。


 俺は漆黒の暗殺者だからだ。


 これでまた一人の童貞が死んだ。


 俺はその場を立ち去る。


 童貞の心は脆く、その高潔な精神を手放さないでいることは難しい。

 目覚めたとき、目の前に使用済みコンドームが落ちていたら、それだけで自らの存在意義を見失ってしまう。


「えっ! まさか寝ている間に卒業しちゃった!?」

 そう思うものなのだ。


 もちろん、そんな荒唐無稽な物語は信じる者は少ない。


 しかし、揺らぐことのない信念を欠いた者は、魔法使いにはなれない。

 体は童貞であっても、心は魔法使いになれないのだ。


 俺は一仕事を終えて自宅のアパートに帰ってくる。


 ムラタは死んだ。

 このアパートもすぐに引き払うことになる。


 俺はノートパソコンを開いて、小説投稿サイト「カクカクシカジカ」にアクセスする。

 トリあえず、今日の出来事を投稿する。


 俺は漆黒の暗殺者だが、ワナビでもある。

 俺の暗殺を物語にして作家になるのが夢だ。


 ドンドンドン!


 アパートの薄いドアが乱暴に叩かれた。


「こんな時間に、なんだっ!」

 俺はノートパソコンを閉じると、ドアスコープを覗く。


 そこには女がいた。

 ナイスバディの女がいた。


 俺は胸のドキドキを抑えることができなかった。


 友人など一人もいない。

 ましてや女友達などいるはずもない。


 女が俺の部屋に……。

 中学生以来の出来事だ。


 いや、焦るな。

 まだそうと決まったわけではない。


 震える手で、ドアノブを回す。


「夜分遅くに申し訳ありません、私こういう者です」

 女は持っていた手帳を見せる。


「け……警察!」

 すっと女の後ろに影が通る。


 ガタイが良くて、むさ苦しいスーツを着た男だった。

 そんなヤツが二人もいる。


 数的不利は否めない。

 俺はすぐ部屋に引き返すが、そこは行き止まりだ。


 女を先頭に刑事たちが突入してくる。


「連続童貞暴行事件の容疑者としてアナタを逮捕します」

 女は言い放った。


「違う! 俺は何もしてない!」


「へえ~。そんなこと言うんだ」

 女はなぜか、甘い声を出す。


 上に羽織っていたコートをゆっくりと脱ぐ。


「そ、それは!」


 彼女はホルターネックのセーターを着ていた。

 しかし、彼女が少し角度をつけてポーズを決めると、それがただのセーターではないのが一目瞭然だった。


 胸の横部分が完全にあらわになっている。

 肩から腰にかけてざっくりと切れ目が入り、腕から腰にかけて肌を露出させているのだ。


 それは俗に言う「童貞を殺すセーター」と呼ばれるものだった。


 俺は無意識のまま横乳に向けて手を伸ばす。


「何すんだ! 童貞野郎!」

 女が鋭く言って、俺の手を叩く。


「えっ! ヤラせてくれるんじゃないのか? そのセーターを着ているヤツは、みんなビッチなんだろ!?」

「コレだから、童貞野郎はっ!」


 女は鼻であしらった。


 ヤラせてくれないなら、どうしてそんな服を……。


「はっ!」

 俺はそこで気付いた。


 試されたんだ。

 この漆黒の暗殺者が童貞か否かを試されたんだ。


「くっ、くっそー!」

 俺は両手を床に打ち付け、泣き叫ぶ。


 こんな屈辱は初めてだ。

 オヤジにも手を叩かれたことないのに!


 俺は魔法使いだ。

 童貞をこじらせ魔法使いになってしまった。


 だから、俺は最後の魔法使いになろうとした。

 他の童貞を消していけば、俺だけが魔法使いでいられる。


 この世で唯一の魔法使い、それは賢者と呼ばれる存在だ。

 永遠の賢者タイムを過ごす者。


 それが俺である証だった。


 俺は目を上げる。

 女は依然、俺を見下し、蔑む。


 やめろ、そんな目で見るな。

 ゾクゾクしちゃうじゃないか。


 俺は手近にあった色のついたメガネをかける。

 要は女を直視しなければいいのだ。


 こうして視界に色をつければ、心も落ち着くはず。

 そう思ったが、すぐに失敗に気づく。


 なぜか、めがねはピンク色だったのだ。

 童貞を殺すセーターを着た女がピンク色に染まる。


 あらわになった肌、主に横乳が俺を誘う。


「くっ! 逆効果じゃないか!」

 俺はめがねを投げ捨てる。


 劣情が俺の体を駆け巡り、ムクムクと膨張していく。

 主に下半身が。


「こんな卑怯な手が許されてたまるものか!」

 俺は女に突進した。


 今まで童貞どもを屠ってきた右の拳を食らわせてやる。


 俺の右拳は重い。

 なぜなら毎晩、俺の世話をしてくれるのはこの右手だからだ!


「童貞風情が!」


 瞬間、女の姿が消えた。


 女はかがむと俺の手を取り、投げる姿勢に入っていた。


 あっ!


 俺の腹が女の背中に当たる。


 初めて女に触れた。

 もちろん俺の下腹部も触れている。


 得も言われぬ心地で、俺は空に投げ出される。


 ドスン!


 背後の痛みより、先ほどまであった腹と下腹部の温かみを忘れられずにいた。

 だが、痛みは徐々に俺の意識を刈り取っていく。


 無念だ。

 なんだか、色々無念だ。


 この世には、ヤレる女とヤレない女がいる。

 結局、女刑事もヤレない女だったのか。


 あんな際どいセーターを着ているというのに!


 いや、こんなことを考えているから、俺は童貞なのだろう。


 わかってるよケンゾーさん。

 どうせまた、ソープに行けって言うんだろ?


 でもさ、それが俺なんだよ。

 童貞の俺が、俺を愛してやらずに、誰が愛してくれるのさ。


 男はみんな童貞だった。

 なのに、なんでみんな俺を置いて逝っちまうんだ!


 童貞だからといって魔法使いになることは難しい。

 だが、それ以上に魔法使いであり続けることは難しい。


 いや、これは他のことにも言える。


 作家になることは難しい。

 だが、それ以上に作家であり続けることは難しいのと同じだ!


 しらんけど。


 俺は童貞作家への道を諦めたわけではない。

 いや、俺はまだ作家としてデビューしていないから作家童貞なのか?


 だがいつか、女刑事に投げられたことすらも糧にして、色々とデビューを果たすつもりだ。


 それまで俺は童貞として生きる。

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