ドレスアップ

神在月ユウ

デートの前に

「蓮山、明日、時間が欲しい」


 同級生男子からそんな風に声をかけられ、蓮山天音はすやまあまねは困惑した。

 まず抱いたのは、疑問だった。


 朝霧刀弥あさぎりとうや


 クラスでは、目立たない存在だ。

 根暗というか、周囲に無関心というか、とにかく他人と関わろうとしないので、必然的に誰も彼に声をかけなくなった。

 天音だって、クラス委員の立場がなければ声をかけることはなかったと思う。


 身長は一七〇センチ台半ばくらい。

 痩せているようにも見えるが、意外と体つきはがっしりとしている。

 以前天音が河川敷で変な犬に襲われたとき、彼に抱き寄せられた。その時に感じた胸板の感触と微かに鼻腔に届いた匂いを、まだ覚えている。

 はっきり言って、天音は刀弥を異性として意識してしまっている。


 時刻は一〇時丁度。

 現在位置は、女性向け衣料品店の前だ。

「さ、いざ戦場だよ、天音ちん」

 隣には、身長一四〇センチの、後頭部で髪を二つ縛りにした小柄な同級生――相城観生そうじょうみうがやたら高いテンションで息巻いている。

 天音は手を引かれ、開店直後の店内へと入った。


「いらっしゃいませー」

 明るい女性の声に出迎えられる。

 開店直後ということもあり、まだ他の客はいない。

 いわゆるアパレル店に入ったことがない天音からすると、鮮やかな衣類の森に迷い込んだような、関心と不安が半々の状態だ。

「おねーさんっ、天音ちんをかわゆーくねっ」

 観生はちょっとイケイケな女性店員(天音視点)へ向けて無邪気に告げると、

「はーいお任せください」

 打って響く、色よい返事で店員が近づく。

「好みはあります?」

「とにかく、この地味子ちゃんを着飾ってくださいな」

「誰が地味子よ!」

 どんどん勝手に観生が喋り、天音の抗議などどこ吹く風か。

 話は観生と店員の間で進んでいく。

「ちょっと大人目な感じ出したいですね」

 店員が天音を上から下まで視線を巡らせる。顎に手をやりながら、前傾姿勢になって。

 きっちりと纏めた三つ編みに、黒いフレームの眼鏡。

 ワンポイントの白いシャツの上に緑のチェック柄の長袖を羽織り、下はデニム。

 ちょっと汚れた白いスニーカー。

「今だと、ちょっと野暮ったいですしね」

 天音は強くは言い返せない。

 とにかく目に留まったものを深く考えずに着ていた結果だ。


「ちょっとふんわり感を出して…、う~ん……」

「お、これなんかどうよ」

「いやいや、やっぱり色はシックな方が……」

 なにやら店員と観生が盛り上がっている。


「フレアスカート……じゃなくて、こうもっと知的な感じが……」

「お、このぴっちりヘソ出しシャツで――」

「こっちの方が、おしとやかだけどちょっとかわいい感じも両立できるから……」

「お、これなんか見えそうで見えない感じになるんじゃね?」

 いや、実際は真剣に悩む店員と面白半分に服を漁っている観生の構図だった。


 結局、三〇分の検討と、一時間の試着時間を経て、上は白いボリュームスリーブブラウス、下は紺のフロントボタンスカートに落ち着いた。スニーカーも、今は紅葉もみじ色のパンプスに変わっている。

 こんな服、恐らく自分一人だったら選ばなかっただろうと、着慣れない格好に困惑しながらも天音は自分の姿を鏡越しに見た。


「さて、仕上げね」

 店員は天音を座らせると、「失礼」と三つ編みを解いていく。

「あの、何を――」

「ちょっと任せてみてくれますか?わたし、こっち方面もちょっと明るいので」

 慣れた手つきで三つ編みを解いた後、再度三つ編みに結わえた。

 ただし、さっきまでのきっちり固めたようなものではなく、ゆるくふわりと纏められ、右肩からその一房を垂らしている。

「うん、かわいい」

「……っ」

 店員の一言に、天音は言葉を詰まらせる。

 これまで言われたことのない言葉だった。

 少なくとも、学校では生真面目委員長であったのだから、『かわいい』なんて言われる機会は多くなかった。いや、なかったと言っていいだろう。

 どうせお世辞なのはわかっているが、それでも照れくさい。


「あとは……」

「う~む……」

 最後に、店員と観生の視線が天音の顔にロックされる。

 正確には、かけている眼鏡だ。


 黒いフレームの眼鏡。

 ちょっと十代女子にはどうかと思う、四角いレンズの、これまた野暮ったい印象を与えているパーツだ。

 悪いのは眼鏡の形状、というよりも、天音との相性の問題だ。

 大人しい雰囲気に対して、少し固めの印象を与えている。


「天音ちん、コンタクトにする気は?」

「恐そうじゃない」

「大丈夫だよ~、初めてはみんな恐いものだよ」

「うるさい。恐いものは恐いの」


 コンタクト案は瞬時に却下された。

 というより、コンタクトレンズは普通に処方箋が必要だ。これから眼科を受診して、となると時間がない。

 

 観生はよく回る頭をこんな時もフル回転させて、

「おねーさん、ひとまずお会計っ!あと天音ちん、眼鏡屋さん行くよっ!」

 自分の財布からクレジットカードを取り出した。

 どうやら観生が払うらしいと気付いた天音は「いいよ、そんな」と断ろうとするが、「餞別だよ~」と会計を済ませてしまった。

 高校生がクレジットカードを持っているのもなかなかだと思うが、それ以上にブラックカードを持っているという異常事態であることを、天音は気づかなかったりする。


 と、ここで観生が慌てて踵を返す。

「大事なこと忘れてたよ!」

 慌てて店内の一角へと走り寄り、何やら紫の布地を引っ張り出して天音に差し出した。

「はいよっ、天音ちん!」

 それは、微妙な布面積の、スケスケレース生地の下着だった。

「ほら、あーちゃんと良い感じになった時用にさ」

 ぷるぷると、天音の体が震える。

「備えあれば憂いなし!これであーちゃんとのチョメチョメも――」

「いるかっ!」

「あぅっ」

 瓦割りの要領で、天音の右手がニヤニヤ顔のちびっ子の脳天に直撃した。

 


 店を出て数分歩くと、眼鏡チェーン店に着いた。

「さささ、天音ちん」

 観生が天音の背中を押して店内に入る。

 いらっしゃいませの声を浴びながら、展示されている様々な形状の眼鏡フレームを見下ろす。

「お、これいいんじゃないかね」

 観生がひとつの眼鏡を指差す。

 今身に着けているものと同じような形状の、四角いフレーム。

 ただし、色は透明感のある赤いものだ。

 妙齢の店員が歩み寄ってきた。

「ちょっと当ててみますか?」

「お願いしまーす」

 観生がにこやかに返事をすると、柔らかな笑顔で店員は眼鏡を手渡してくれた。

「さ、天音ちん」

「あ、うん」

 身に着けている黒いフレームの眼鏡から、手渡された赤いフレームのものへと着け替える。

 度が合わないので少しぼやける――かと思ったが、見にくくはない。気持ち弱いかもしれないが、日常生活には支障がない程度には違和感がない。

 天音は壁にかけられた鏡で自分の顔を見る。

 フレームの色が変わっただけで、なんとなく『地味』から『知的』に印象が変わった気がする。

 なんだか気恥ずかしくなり、天音は黙り込んでしまった。

 その様子を見上げ、全てを察した観生は店員に向き直る。

「萌えたのでこれください」

 苦笑いしながら、店員は会計の案内をした。

 支払いはまたも観生のカードだった。

 今度こそ自分で払うと天音は主張するが、「萌えの対価だよ~」と言って観生は譲らなかった。



 

 昼下がり、公園のベンチに座り、天音はそわそわと待ち人の到来に備えていた。

 前髪に手をやり、なんとなく袖を見やり、スカートの皴を気にして、そよ風に撫でられながら同級生男子の到着を待つ。

 恐らく、心拍数は上がっている。

 自分でも、鼓動が早まっているのがわかる。

 今、クラスの男子と待ち合わせをしている。

 これから、デートになる。

(朝桐君と、デート……)

 そんなこと、想像すらしていなかった。

 でも、今自分はその同級生に会うために、全身を着飾り、眼鏡までかけ替えて準備している。

 恋する乙女。

 あまりにも自分に似合わない言葉だと、顔が熱くなる。

 

「待たせた」


 男の声に、天音の体がびくりと震える。

 黒いスラックスに白いシャツ、紺のカットシャツ姿の同級生男子――朝桐刀弥あさぎりとうやが公園の入り口から近づいてくる。


 時刻は午後二時五五分。約束の五分前だ。


「あ、ううん、わたしも、今来たところだから」


 自分で口にして、以前読んだ恋愛小説のフレーズそのままなことに気付く。

 顔が熱い。

 反射的に立ち上がり、待ち人と対峙する。

 身長差から、天音の視線は刀弥の顎先と並ぶ。

 少し見上げると、軽く結ばれた唇と、まっすぐ見つめてくる瞳。逆に下げるとシャツの間から覗く首から鎖骨のラインが目に留まる。

 確実に意識してしまっている。心臓が高鳴っているのがわかる。

 ここ数日ずっと顔を合わせているはずなのに、改めて見た刀祢の顔は、どこか違って見えた。


「行こう」


 そんな天音の様子など気にすることなく、刀弥は歩き出す。

「…うん」

 慌てて天音が駆け出す。

 横に並んだ方がいいのか迷うが、踏み切れずに結局後ろを歩くことにした。



 この後、天音は思いもよらない衝撃を受けて、未知なる経験を通じて大きく成長することになるのだが、当然、そんなこと知る由もなかった。

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