物語の普遍性と時代の判断基準

久々にまっとうすぎる文学論を読んだ気がする。

西洋と日本の文学の違いは、日本の文学は恋愛について書かれた物語がはじまりと考えることができる。
源氏物語。

時代によって、人の恋愛の考えかたは変わる。

小説はリアルな現実の模倣と考える人もいるかもしれない。
しかし、現実と真実は微妙にズレている。
真実は人が心や想像力で現実とらえ直したものであり、単純な模倣ではない。
最初の読者とは作者自身である、というロラン・バルドの至言がある。
人は読んだことがあることしか書けないといえるが、書くために必要なことは実際の体験ではなく、読むように書くこと、あるいは、書くように読むことだといえるだろう。

そうした意味で小説は倒錯的とさえ言われるジャンルではあるが、時間芸術とも呼ばれもする。

10年が過ぎた。
という一文があったとして、10年かけて、この一文を読む人はいないだろう。
単純に現実の模倣ではないこと。
むしろ真実としてとらえ直す機微について教えてくれるものかもしれない。

恋愛は一瞬か、それとも永遠か。

その答えの正解を、私たちは今も探している。読むことで、あるいは、書くことによって。