妖怪長屋の管理人 〜ヒャクメ〜
みかみ
読み切り
「おい
すぱーん! と障子戸を乱暴に開け放つと、時代劇のセットのような長屋の一室が、目の前に広がった。
その土間のはしっこでは、警備員の制服を着た禿頭のおっさんが、
「目がぁ~……目がぁ~……」
どっかのアニメで聞いたような台詞を言いながら、百目は必死に地面を撫でている。
何やってんだこいつ……。
「土下座すんなら俺にしろよ」
つるっとした後ろ頭に声をかけると、百目の閉眼していた目が一斉に開き、俺に注目した。
「あんれまぁ、
がばりと上体を起こした百目が、俺に背中を向けたまま、天井を仰いで『ムンクの叫び』みたいな顔を作る。
なまじっか目が多いだけに、普通なら面と向かってやる事を後ろ向きでやってしまうのが、こいつの悪い癖だ。
「はあ? また肩こりと眼精疲労を理由に仕事休もうったって、そうはいかないからな」
俺は、『ムンク』のまま静止している百目の顔をジロリと睨んだ。
百目の前のバイトは、監視カメラモニターをチェックする仕事だった。目が多いから適材適所だと思っていたんだが、いざ仕事を始めると、目に飛び込んでくる情報が多すぎるせいで脳が混乱し、モニターチェック開始三十分で耐えられずゲロを吐いた。その後は、目の使い過ぎによる疲労と肩凝りに悩まされ、バイトを休みがちになり、とうとう先週クビになったのだ。今度決まったバイトは、地下駐車場の警備員。せっかく続けられそうな仕事が見つかったってのに、初日から休まれてはたまらない。
引きずってでもバイト先に連れていこうと一歩踏み出すと、百目が勢いよく俺に振り向く。そして、額を指さしてこう叫んだ。
「だって目がねえんですよぉう。アタシの大事なお目目があ!」
百目の、額の真ん中にある目が瞼を開く。
確かに。その眼窩に眼球は無く、ピンポン玉大の黒い空洞が、ぽっかりと口を開けているだけだった。
★
ここは、妖精や妖怪といった、人の世とは波長が少しずれた者達が生活する世界だ。昨年、半妖の俺、
ちなみに俺には兄と姉が合わせて三人いるが、半妖は俺一人。三人の待遇は俺よりも良く、マンションの管理人や店舗のオーナーなどに就いている。
とにかく、問題児(妖怪)が多いこの長屋。顔合わせの初日から既にてんやわんやだったのだが、本日は全身に百の目を持つ妖怪、百目が騒動を起こした。騒動と言っても、虫干ししていた目玉の一つをいつの間にか失くしてしまった、というだけなんだが。
しかし、そんなくだらんハプニングでも、家賃の取り立てから逃れたい一心で、井戸の中やら、便所やら、ドブの中やら、屋根の上などに身を隠していた阿呆どもを、ひととこに集める程度には、役に立った。
長屋の住人は、すねこすり、河童、
百目の独身用長屋部屋は、野次馬精神旺盛な妖怪どもでいっぱいだ。
「もうさあ、ヒュウうう、目ぇ無いまま行っちゃえばヒュウウううう?」
煙羅煙羅が投げやりに言った。煙の妖怪なので、彼の声はいつも、風に揺られて若干ぶれている。
「でもその失くした目ってのがね、全体の情報を調整する親玉でしてねぇ。無いと困るんだよぉ。それでなくとも、今の人間社会は情報が多くて目が回りそうだっていうのにさぁ」
百目が答えた。
「別の目をそこにはめ込むってのはどうだい?」
今度はろくろ首が代替え案を出す。
「駄目ですよぅ。全部、微妙にサイズが違うんでぇ、おさまりが悪くなっちゃう」
「百個全部大きさが違うなんて、ああおかしい、ケラケラケラ」
ケラケラ女が笑った。別に何もおかしくはない。その証拠に、ケラケラ女以外は誰も笑っていない。
「なあ、皆で目玉を探してやってくれないか。でないと家賃を払ってもらえないんだ」
俺は目の前の長屋住人達に、協力を仰いだ。途端、ものすごく面倒くさそうに顔をしかめた妖怪たちから、「「「「ええ~」」」」というブーイングが起こる。
「大体さあ、家賃が高過ぎるんだニャあ」
「そうだヨ。江戸時代から進化してないボロ長屋の家賃が、月四万円て、ボッタくりだヨン」
猫又とすねこすりが小さな顔を見合わせて、文句を言いはじめる。それに乗っかるように、化け狸と河童も不満を口にする。
「そうさ。坊ちゃんのお父上は、もっと寛大でござんしたよ」
「ぬらりひょん様が大家をされていた頃は、ホント楽しかったッパなあ」
一体、何百年前の話をしてんだゴクツブシどもめ。
「払うもん払わねえで要求だけ一丁前にぬかすとは、いい度胸だなぁ。テメエら」
俺は腕を組むと、普段は眠らせている妖怪の血を解放して、クレームをつけてきた阿呆どもに凄んだ。強い妖気が俺を中心にして、部屋中に旋風を起こす。
妖気にあおられた煙羅煙羅が、「あはぁぁぁっ、消えるひゅぅぅぅ!」と薄れゆく体から細い悲鳴を上げた。
「坊ちゃんやめてくれ! 煙羅煙羅が死んじまう!」
お友達のジャンジャン火が炎の体を伸びたり縮ませたりしながら、俺の周りをぐるぐる回る。
住人を消してしまうわけにもいかず、俺はまた、妖気を閉じ込めた。いつもの口うるさい中学生大家に戻り、ビビって身を引いている長屋住民どもを指さす。
「いいかお前ら。何度も言うが、ここは賃貸だ。駆け込み寺でも、避難所でもない。家賃の支払いは義務。等価交換! 払えないなら出てってくれ!」
最後に、だん! と掌で畳を叩いた。畳と言っても、板間に
「じゃけどアッシら、妖怪でござんす……」
「そうよ。妖怪にとって人間社会は煩いし明る過ぎるし、私達の事を見て笑う奴らだっているし、凄く生き辛いのよ」
化け狸の暗い呟きに続いて、ろくろ首がさめざめと泣く。三日前、くしゃみをした拍子にうっかり首をのばしてしまい、小学生に爆笑されたショックが尾を引いているようだ。
こいつらの気持ちは分らなくもない。なにせ百年前は、こいつらは畏怖の対象だったんだ。人を化かし、驚かす事を楽しんでいた。それが今じゃ、逆に嘲笑される事もたびたびだ。
しかし、それとこれとは別である。俺は鬼でも悪魔でもないが、大家だ。月に一回、決められた額を、住人であるこいつらから、納めてもらわねばならない身なんだ。だから俺は、時に無慈悲にならなければならない。
すっくと立ち上がった俺は、「いい加減自覚しろ!」と、過去の栄光にしがみついている化石どもを、怒鳴りつけた。
「もうお前らは人間にとって、恐怖の対象じゃないんだよ。縁日のお化け屋敷で日給数千円が最高利益の、超貧困季節労働者なの!
「そんな吹き溜まりの元締めが、あんただニャあ……」
猫又が見せた小さな抵抗に、他の妖怪たちも揃って頭を縦に振る。
俺はもう、堪忍袋の緒がブチ切れそうだ。
「口で言っても分らんようなら、家賃を日払いに変更してやろうか、味噌っかすども」
腹の底から湧いてきた怒りを毒舌に乗せて脅しつけると、そこら中から悲鳴が上がった。
「坊ちゃん、毎日取り立てに来る気ですかッパ!?」
「学校が終わる時間を狙って、留守にするのは面倒なんだヨん! それを毎日なんて、ボクらの生活の質はどうなるんだヨ!」
「毎日坊ちゃんに怒鳴られたら、あたいストレス過多で死んじまうよ」
「可愛い顔してホント毒舌家なんだから! ああ可笑しいケラケラケラ」
「アタシ、もうバイト増やすの嫌ですよぉ」
「パチンコに行けなくなっちゃうでごんす!」
まったく、どいつもこいつも。
「やっかましーっ!」
俺は目の前のぼんくら妖怪どもに、渾身の怒声で雷を落とした。
「だから、はした金を毎日搾り取られたくなかったら、協力しろって言ってんだっつーの! 百目はたまに、お前らが滞納してる分も払ってくれてんだぞ! 助けてやろうとは思わねえのか! アホ・ボケ・カス!」
「うわ、全部言われたひゅううううぅぅ。傷ついたぁぁぁぁ……」
単純な罵倒後を三連発させた俺の前で、煙羅煙羅がショックのあまり離散した
★
「ほんとにあそこに目玉があるのか?」
「目を開けてみたらね、松の木の幹と、細かい枝で組まれた鳥の巣のようなものが見えたんです。だからきっと、あそこですよぅ」
百目の目玉は、眼球の開閉に限って遠隔操作も可能だ。だから、無くなった額の目を開眼させて、それが今どこにあるのかを探ったのだ。すると、この松の木のてっぺんにあると言われている、カラスの巣らしきものの中が見えたわけだ。
「あのカラス、人間の世界から迷い込んできたらしいんですけどねぇ。……あ。今、黒い羽みたいなのだがチラッと見えた。これは本体じゃなくて抜け羽かなぁ。でも、間違いありませんわぁ」
百目はそう言うと、開眼させていた全身の目を閉じた。「夕陽がまぶしいやぁ」と言いながら、眼球が入っていない額の目をこする。
「飛行系の妖怪でなきゃ難しいんじゃないか?」俺がそう言うと、ジャンジャン火が「俺なら飛べるぜ」と名乗り出た。
「目玉燃えちゃうひゅうううう。おいらの方がまだマシだふゆううう。ひゅっひゅっひゅっ」
ここに来るまでの道のりで形を取りもどした煙羅煙羅が、ジャンジャン火を笑う。ジャンジャン火は口から「ケッ!」と火の粉を吐いた。
「煙の体で何を掴もうってんだよ。おめぇなんか現代じゃ、ただの公害じゃねえか!」
「言ったなひゅうううううう!」
「ケンカすんな!」
俺は、面倒くせえ火の塊と煙の塊を叱りつけた。
続いてろくろ首が、しゃなりしゃなりと前へ進み出る。
「要は、体のどっかがあそこに届けばいいんだろ? お姉さんに任せなよ」
腰まで届くワンレンヘアを、手早く後ろで一本結びにしたろくろ首は、小さな頭が乗った首を、にゅにゅにゅと伸ばし始めた。そのままどんどん、松の幹に沿って、昇ってゆく。
「おおお、すごいすごい!」
百目が手を叩いた。その他の面々も、やんややんやとはやし立てる。
「ほうらほら、どこまでだって伸ばせるんだからぁ」
調子づいたろくろ首が、首をのばすスピードを上げる。頭の部分は、松の枝に隠れて見えなくなっている。
やがて
「ああ、あったあった。あったよー。カラスは留守みたいー」
松の枝の上から、ろくろ首の声が聞こえた。
「ああ、ろくろ首さんの顔が見えるよ!」
百目が嬉しそうに声を上げた。そして、さあ早く目玉をおくれ、とろくろ首に向かって両手を差し出す。
「……」
ろくろ首は黙ったままである。目玉も落ちてこない。
暫くの間、胸の前で手をもじもじさせていた彼女は、実に恥ずかしそうな声でこう言った。
「ねえ、手が届かないの。誰か手伝っておくれよ」
「こいつ馬鹿だニャ」
「ケラケラケラケラケラ!」
猫又が辛辣な一言を吐き、ケラケラ女が腹を抱えて笑った。
「しかたないニャあ。ヤツガレが行ってやるニャ」
今度は猫又の番である。松に向かって、てててと軽快に走った猫又は、続いてピョンと飛び上がると、両手両足の爪を幹に引っ掛け、するすると登り始めた。あっという間に松の枝の向こうまで上がり、見えなくなる。
「落とすニャあ~。キャッチするニャあ」
松の枝の向こうから猫又の声がして、その数秒後、百目の目玉が落ちて来る。
「おーよよよよ!」
百目は、フライボールをキャッチする野球プレイヤーみたいに行ったり来たりしながらも、目玉を掴む事に成功した。
「ああ、アタシの目玉だぁ。うれしい~!」
百目は全身の目から涙を流して喜んだ。さっそく額の眼窩に目玉を押しこむと、「よく見えるー!」と満面の笑みを作る。
よかったよかった。これで一件落着だ。
長屋メンバーが、和気あいあいと帰路につく中、俺は松の木を仰いで、猫又に声をかける。
「おーい、猫又ぁ。帰るぞー! 早く降りて来いよー!」
「……降りれニャい……。助けて」
猫又の涙声が降ってきた。
そうか、こいつも馬鹿だったのか。
★
「坊っちゃん、大丈夫でござんすよー。もしもの時は、アッシがちゃんと受け止めてやりやすぜー」
膨らませた睾丸で松の根元を囲って、即席の衝撃吸収マットを作った化け狸が、木登りをしている俺に呼びかけた。
絶対落ちるもんか。狸の○玉の上になんか、絶対落ちるもんか!
俺は決意を固くして、次の枝に手をかけ体を引き上げる。
猫は木に登っても降りられないと聞いていたが、猫又も例外ではなかったらしい。それで、レスキュー役として白羽の矢が立ったのが、俺だったんだ。
下を見ないよう気をつけながら松を登り続け、猫又がいるてっぺんまで到着した俺は、枝の根っこで震えている猫又の首根っこを掴んで、自分の肩に乗せた。
「坊ちゃん、ありがとニャあ。恩にきるニャあ~」
「感謝するなら家賃払えよ」
「それとこれとは別なんだニャあ」
味噌っかす猫め。
ここから落としてやりたい衝動を堪えて、俺は松を下りはじめた。その時、猫又が悲鳴を上げる。
「んみゃああ! 坊ちゃん
次の瞬間、俺の左側頭部に貫かれたような衝撃が走る。痛みのあまり、枝を掴んでいた右手の力が緩み、掌がずるりと枝肌を滑った。
★
「坊ちゃん、一生のお願いお願いお願い! 手をはニャして!」
怒り狂ったカラスの鳴き声にあわせて、猫又の泣き声も聞こえる。
そこは『手をはニャさないで』の間違いだろう、とつっこみたいが、事実、猫又は俺の単独落下を願っているわけで、言葉としては正解だ。なにせ俺は今、猫又の尻尾を掴んでぶら下がっているんだから。しかも、巣の主に、四方八方からつつかれながら。
「
カラスに攻撃されて、俺の体が揺れる度に、松の枝にかじりついている猫又が悲鳴を上げる。
「ぼっちゃーん。そのまま落ちておいでー! アッシがちゃんと、受け止めてやるでござんすー!」
下から化け狸の呼び声が聞こえてきた。下に顔を向けると、松の枝の間から、茶色い睾丸マットを広げている化け狸の姿が見える。
やっぱり嫌だ!
「狸のキン○○の上になんか、落ちてたまるかー!」
叫び返した俺に、化け狸が「もう、仕方ないなあ」と肩を落とした。続いて、両手で印を結ぶと、「そいやっさ!」と気合の一声で色白巨乳の若い女に姿を変える。
「ほうら、四朗ちゃ~ん。やわら~いパイパイですよぉ~。早く飛び込んでらっしゃ~い」
乳の形をした衝撃マットをポンポンと叩いた女(に化けた狸)が、同じ手で俺を手招きする。
いやいやいや、余計キモチワルイし! そんな巨大な乳したヤツ、妖怪にもいねえし!
「ずぇっったい、いやだー! 身の毛がよだつー!」
俺は絶叫した。もしかしたら、涙くらいは出ていたかもしれない。
下から「はあああ~」という複数のため息と、「ワガママなんだから」という化け狸のボヤキが聞こえた。次に、「しかたないヨ。落とすしかないヨ」という、すねこすりの恐ろしい台詞が。
「よし、河童。頼んだぜ」
「任せろッパ」
ジャンジャン火に応えて進み出たカッパが、
これから何が起こるか悟った俺は、下に向かって「やめろ!」と叫んだ。けれど、下にいる連中には、俺の要求を聞き入れてくれる奴など、誰一人としていない。
俺の頭上では猫又が、尻尾が千切れると泣き叫んでいる。
眼下ではカッパが、松の幹に視合って仕切りをとる。
「はっけよーい……」
行事役は百目だ。軍配団扇の代わりに、左手を使っている。
「のこった!」
百目が、左手を上げた。
「お相撲、し・ま・せ・ん・かッパー!」
俺と猫又がぶら下がっている松に向かって、突き出しを繰り出しながら、河童が突進してくる。
「「「「「そら、どすこーい!」」」」」
カッパの体が松の幹にぶつかる寸前、下にいる全員の掛け声が揃った。忌々しい事にこいつらは、こういうどうでもいい時だけ団結力が高いんだ。
松の木が大きく揺れ、猫又の爪が枝からポロリとはがれ落ちる。
「勝負あり~」
百目の声と、他の連中の「わあ~!」という歓声が足元から近づく。
そうして俺と猫又は、仲良く化け狸の金○に包みこまれた。
~おわり~
妖怪長屋の管理人 〜ヒャクメ〜 みかみ @mikamisan
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