第20話

 


 来栖のことを警戒している男の首に、包丁が突き立った。

 何が起きたのか分からず、男は何かを話そうとしている。だがその口からは、ごぽっと水と空気が吐き出される音がするだけ。

 見下ろせば、自身の首に突き立っている包丁と、それを握っている千里の姿。そこでようやく男は自分が刺されたのだと理解した。


 あと数分もすれば男は死ぬだろう。しかし、まだ死んだわけではない。


 せめて誰か道連れにしようと銃を持つ腕を動かすが、その前に更なる衝撃が男を襲った。

 男の首を貫いた包丁が引き抜かれ、更に胸へと突き立てられたのだ。

 その一撃がとどめとなったのか、男は持っていた銃を落とし、そのまま前のめりに地面へと倒れていった。


「ごめんね。私が下手打ったから心配かけちゃって」


 倒れた男を冷ややかに見下ろした千里は、その直後には笑みを浮かべて来栖へと声をかけた。


 こんな仕事をしていれば人の死はすぐそばにあり、慣れるものだ。

 そして、人が死んだ、自分が殺したとしても、そのことは引きずらずにすぐに意識を切り替える必要がある。そのことは来栖も理解しているし、実践して来たつもりだ。


 だが、千里の切り替えはあまりにも早すぎる。それに、千里は来栖達のような戦士ではないのだ。鍛えているとはいえ、それだって始めたばかりで仕事自体はまだまともにこなしたこともない。

 にもかかわらず人の死に頓着しないその様子は、どう考えてもおかしい。異常だと言ってもいい。


「……いえ、いいのよ。仕方ないわ」


 来栖は千里の態度のおかしさに動揺しながらも、それを表に出すことなく一瞬だけ間を置いてから応えた。


「いやー、やっぱりこういうのは経験なのかな? 見えていても見えてないっていうか……うん。次からは気をつけないとね。私だったからいいけど、これで来栖さんが不意をつかれた、なんてことになったら大変だし」

「何言ってるのよ。私じゃなくてあなただったとしても大変なことでしょ」

「ん、あー……うん。そだね」


 一瞬だけ、千里は来栖の言葉に首を傾げたが、すぐに笑って頷いた。


「……それで、怪我はあるの?」


 色々と思うところはある。だが、なんにしても今は怪我をしていないのかを確認しなければと頭を切り替え、来栖は千里に近づいて状態を確認すべく問いかけた。


「あ、そこは平気だよ。流石に自分から突っ込んで返り討ちにあうようなポカはしないって。あ、これも全部敵の血だから安心して」

「でも……大丈夫なの?」

「大丈夫って、何が?」

「それは……人を傷つけたでしょ?」


 初めて人を傷つけたのであれば、多少なりともショックを受けるはずだ。そのショック


 どうにかフォローしなければならない。それは千里を〝こちら側〟に引き込んだ者としての役割であり、パートナーとして自分の役割だから。


「……あー、うん。まあ大丈夫だよ。そりゃあ多少なりとも抵抗があったのはそうだけど、これが初めてってわけでもないからね」


 だが、千里はまるでショックなど受けていないかのようにそう言いながら苦笑した。


 実際、千里は人を殺したことに対して、特にこれといった感情は持っていなかった。ただ事実として人を殺したんだ、と理解をしているだけだ。


 苦笑とはいえ人を殺しておきながらも笑いながら軽い調子で話す千里の言葉に来栖は眉を顰めるが、そんな来栖の様子を見て、千里は一瞬だけ迷った様子を見せてから話し始めた。


「来栖さんは知らない? 多分天野さんとかは調べてあると思うけど……」

「……一家心中未遂事件」

「そうそう。それそれ。やっぱり調べてるよね。まあ当然だと思うし、そんな気はしてたけど」


 千里がおかしいことなど天野達はとうに気づいていたし、気づいていなかったとしても組織に新しく入ってくる存在なのだからスパイを防止するためにも調べていただろう。加えていえば、貴重な千里眼の持ち主を守るためにもその周辺の事情を調べる必要があった。


 そうして調べた結果は、千里の監督役であり、パートナーでもある来栖にも共有されていた。


 過去、千里は自身の父親を殺している。

 当然ながら千里にそんなことをするつもりはなかった。殺すどころか、傷つけるつもりなんてない。そのはずだった。


 だが、父親が心中をしようと持っていた包丁を千里に向けて振り下ろしたところで、千里は咄嗟に包丁を避けた。その後は包丁を刺そうとする父親と、どうにかしようとする千里でもみくちゃになりながら争い、結果として千里が父親を刺してしまった。


「あの時の……お父さんを刺した時に比べれば、どうってことないよ。人を刺す感触も、刺す覚悟も。散々悩んで折り合いはつけたしね。ちょっとカッコつけるなら、『もう通り過ぎた道』ってやつだよ」


 両親が死に、祖父母の家で暮らすことになった千里だったが、あの日、あの時を境に、千里の心はどこか壊れてしまった。


 あの時自分を殺そうとしてきた父親の殺意を受け、一歩間違えれば自分が死んでいた状況に遭遇してしまったことで、自分の命を軽く見るようになったのだ。〝手違い〟で自分は生き残ってしまったが、それは偶然の結果。あの時自分は死んでいたはずなのだから優先して守る必要はない、と。


 それに加え、他者の死にも頓着しない。

 親しいものが怪我や病気になったとなれば心配もする。だが、死ぬ時はあっけなく死ぬのだから、それはそれで仕方ない。そう割り切るようになってしまった。


 今回のこともそう。他者から銃を向けられて殺されかけたがそこに恐怖など感じず、自身の手で人を殺したが後悔も罪悪感もない。

 ただ、そうなったという事実を認識しているだけ。


「だから、ね? ほら、私は大丈夫だって。来栖さんの方こそ、怪我はしてない?」


 そんなふうに壊れてしまっているからこそ、千里は今も笑っていることができる。学校で友人と話す時のように、家で祖父母と共に食事をとっている時のように、異常を異常と認識せずに日常の一部として受け入れてしまっているから。


「私は……私は、いまだに怖いわ」


 こんなことを言う必要はないのだろうと、来栖自身理解している。

 だが、それでも自然と口からこぼれ出てしまっていた。


 来栖は千里の事情を知ってはいたし、違和感も認識していた。だが、ここまで歪に壊れてしまっているとは思っていなかった。


 心の傷など、誰かがすぐに癒すことなどできない。長い時間をかけてゆっくりと埋めていくしかないのだ。それでさえ完璧に癒すことなど出来はしない。

 そう理解はしていても、このまま放置していいわけではない。


 来栖の言葉は、きっとそんなふうに思ったからこそ出て来たものなのだろう。


「え?」

「人を刺す時は怖いし、これから殺さなくちゃいけないと思うと体が動かなくなることもある。直接刺すんじゃなくて銃を使う時だって、その手に人を刺す感触はなくても、殺した後に手が震える」

「来栖さん……」


 突然かけられた来栖の言葉に、千里はキョトンと呆けた様子で声を漏らしたが、そんな千里を無視して来栖は話を続けた。


「誰かを殺すことに何も感じない人なんていない。いるとしたら、イカれた狂人か、何も感じないんだと自分に言い聞かせているだけ。あなたはどっち?」


 じっとせんりを見つめる真っ直ぐな視線に何を感じたのか。千里は苦しそうに顔を顰めると来栖から顔を背けて呟いた。


 自分がおかしいことは千里も自覚があった。だが、誰に迷惑をかけるわけでもないのだからそれでいいと思っていた。


 だが……


「……友達に狂人だなんて、思われたくはないかなー」


 以前として〝千里は壊れている〟という事実は存在しているのだ。どう答えたところで千里のおかしさが直るわけではなく、何が変わるでもない。そのことは千里も理解している。


 だがそれでも、千里は苦笑しながらそんなふうに呟いていた。


「そう」


 今の呟きは、千里が〝今の自分を変えよう〟と思って口にしたわけではない。ただなんとなく口から溢れた言葉なのだとわかっている。

 だがそうなのだとしても、来栖は千里の呟きを聞いて嬉しそうに微笑みを浮かべた。


「あ……えっと……」


 そんな来栖の微笑みが嬉しくて、恥ずかしくて、悔しくて、色々な感情が入り混じったわけのわからない思いが千里の胸の中で渦巻き、何かを答えようとするが言葉が出てこない。


 何か言いたい。けど何も出てこない。何をいえばいいか分からない。そうして戸惑う千里に近づき、来栖は子供を優しく包み込むかのように千里のことを抱きしめた。


 なんでそうしたのか、来栖自身はっきりと言葉として言い表すことはできない。だが、こうしなければならないのだと心が判断していた。


「お疲れ様。嫌なことをさせてごめんなさい。あなたの日常を壊してしまってごめんなさい。できる限り今までの生活を守ると約束したのに……ごめんなさい」

「え、あ……そ、そんなこと……っ!?」


 そんなことはない。そう来栖の言葉に反論しようとした千里だったが、急に眩暈がして視界が霞んだ。


 来栖に抱きしめられていたからこそ倒れることはなかったが、そのよろめきは千里のことを抱きしめていた来栖にしっかりと伝わってしまっており、体を離した来栖は心配そうに千里の顔を覗き込んだ。


「あっと……その、やっぱり少し疲れてたかな?」

「当然よ。いきなりあんなことに遭遇したんだから。もう少ししたら迎えがやってくるはずだから、それまでどこかで休んでましょう」

「ういうい。りょーかーい……あっ! それだったらあの、ほら。あれだよ。この後行く予定だったカフェに行こうよ!」


 心配をする来栖に対し、千里は心配をかけまいと誤魔化すようにそう言った。

 その言葉が自分を不安にさせないように出て来た言葉だとは来栖にもわかったが、過度に心配をしすぎても逆に千里に気を遣わせることになるだろうと、その言葉に乗って話を続けることにした。

 もっとも、話に乗ると言ってもそれは千里の提案を受け入れると言うわけではなかったが。


「カフェって……そんなにゆっくりする時間はないわよ?」

「え、そうなの?」

「そうよ。事件が起きてから何十分も経ってから動くようじゃ、色々と不都合が出てくるでしょう? だから迎えや処理班くらいだったらもうこっちに来てるはずよ。事が起こったと判明して直後に連絡も入れているしね」

「えー……じゃあオサレなカフェはまた今度かぁ……無念」

「また付き合ってあげるから、その時に行きましょう」

「うーい。……。……っ!」


 ダラダラと普段の調子で話て千里だったが、来栖の言葉に答えてから数秒ほどして何かに気がついたのかその動きを止めて目を見開いた。


「また一緒に遊んでくれるの!? マジっ!?」

「え、ええ。今日も、その……楽しかったのは事実だもの」


 驚き、恥ずかしがりながらもはっきりと告げられた来栖の言葉に、千里は目を見開いて驚いた。

 だが、その驚きも数秒で収まり、徐に口元が弧を描いていくとニマニマと楽しげな笑みを浮かべた。


「何かしら、その目は」

「ううん。なんでも〜? ただ、ちょっとは仲良くなれたかなって」

「それは、まあ……パートナーだもの。仲が良いに越したことはないでしょう?」

「そーだねー。うんうん」


 日常と変わらない様子……それどころか普段よりも親しく楽しげな様子で千里と来栖は休む場所を探して歩き出した。

 だが、数歩ほど進んだところでふと千里の足が止まった。


(目が霞むなあ。これが来栖さんの言ってた副作用ってやつかな? ……まあ、きっと気のせいだよね)


 足を止めた千里の動きに気づいたのか、来栖が心配そうな顔をして振り返った。


「千里さん? どうかしたの?」

「ううん。なんでもない。それよりも〜……これからよろしくね、パートナー」

「こちらこそよろしくお願いするわ。……でも、パートナーを名乗るなら、せめて敵に捕まらないくらいにはなってちょうだい」

「うへ〜、手厳しいなぁ〜……。まあ、今後に乞うご期待、ってことで!」


 そうして千里歩という少女の長く短い物語りが始まったのだった。



――――――


これにてこの物語は終了となります。

気分転換のために普段とは作風を変えて書いたことで不出来な個所もあったことでしょうが、それでも楽しんでいただけたのなら喜ばしく思います。

一応この後の物語も考え付いてはいますので、続きを望む声がありましたらかくかもしれませんが、ひとまずはおしまいということで。

また私の作品でお会いできることをお待ちしています。

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千里眼はお見通し 農民ヤズー @noumin_00

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