メイド、決断する

 それを決めるのにした質問だったのに。

 男爵はそれだけ私のことを「知った」ということだろうか。私は何も話したりしなかったのに。


「……迷っています」

「そう」

「男爵は、私にお暇をくださる気はあるのでしょうか」


 男爵は私に手の内を見せている。見せられたからと言って理解や対応できる類のものではないけれど、情報としてはいい値で売れるに違いない。そんな私を黙って野放しにするだろうか。


「まあ、残念だけど仕方ないよね。ただ、そうなった場合、僕も追う側に回ることになるんじゃないかな」

「……ですよね」

「個人的にはそんな面倒なことしたくないけど、子爵の命が下れば、やらざるを得ないからね」

「それは今も変わらないんじゃ?」

「今だってちゃんと調べてるよ。ただ、『オランピア』の行方は知れないだけ。僕はその人の情報をし」


 酷い理論だ。

 微かに笑った私に、男爵は能天気な笑顔を見せた。


「まあ、もう少し時間はあるから、好きなだけ迷うといいよ。そろそろお開きだ。子爵にお土産をもらって、ディタのところに帰ろう」


 最後の挨拶の場で、子爵は水色の宝石のはまった、細工の美しいブレスレットをくれた。

 手錠をかけられたようだと思うのは、穿ち過ぎだろうか。

 帰りの車の中で男爵が「いくらになるかな」と、売る気満々なのには笑ったけど。


 * * *


 特殊メイクを落としてもらってからシャワーを浴びたら、もうだいぶ遅い時間になっていた。娼館としては絶賛営業中なので、人の気配は多いけれど。

 腿から師匠のナイフを外す時、男爵から預かっていたモノクルも一緒に括ってあったことに気付く。返さなきゃ、と手に取りかけて思い直した。また腿に戻しておく。

 一応、男爵の部屋を小さくノックしてみる。返事はなく、すでに眠ってしまったのかもしれない。都会で大物貴族を相手にするのは、彼にはきっと疲れることだろう。


 メイド服に着替え、何気なさを装いながら地下を目指す。誰も疑問に思うことはない。

 地下に伸びる廊下の明かりは上階の半分ほどで、数メートルごとに闇がはびこっている。なんだか懐かしいなと思いながら、闇から闇へと歩みを進めた。

 突き当たり、地上へと続くと思われる階段に行きついて足を止める。ランタンを傍らに、男爵が座り込んで眠っていた。

 ため息と苦笑をひとつ。


「男爵、風邪をひきますよ?」


 肩を揺すれば、なにかむにゃむにゃ言いながらよだれを啜り上げている。


「……遅いよ。ピア」

「モノクルを取り返しに来たんですか?」

「いや? 質問の答えと、行くのなら挨拶くらいしてほしくて」

「アホ面で寝こけていたら、普通は起こさず行きますけどね」

「じゃあ、どうして起こしたのさ」


 私は三歩ほど下がった。


「試してみたいことがあって」

「なるほど?」


 取り出した銃に男爵はそれほど驚いた様子はなかった。


「ちょっと確認。撃ったことはある?」

「もちろん」

「じゃあ、あと三歩下がって」

「大丈夫ですよ。私もあんまり才能はないですから」

「僕よりはありそうなんだよなぁ」


 そう言いつつも、立ち上がろうともしない。

 私は男爵のモノクルをかけてみた。特に視界は変わらない。一度男爵に狙いを定めてから、傍らのランタンにターゲットを変える。

 響くかと思った銃声は壁に吸い込まれるかのように消えた。

 どこに当たったのか、カン、と金属音がしてランタンが倒れる。男爵は笑いながら手早くそれを起こして肩をすくめた。


「今のは、狙ったのかどうかわからないな」

「私がわかっていればいいんです」


 掴んでいた銃から手を離し、離れた三歩を一気に詰める。

 師匠のナイフは上手く男爵のモノクルだけを捉えた。やはり、私にはこちらの方が性に合う。

 弾き飛ばされたモノクルは、上段にぶつかって跳ね返り、階段を転がり落ちてきた。手を伸ばしてキャッチする。


「そもそも、本物がどれか判ってるのは男爵だけですよね? 預けられたのが偽物でも私には判らない。男爵はステージで能力を使っていたし、なら、やっぱりこちらが本物かも」

「試したいって、それ? 僕、ピアには嘘はついてないけどなぁ」


 やや不満気にそう言った男爵の手に拳銃が見えた。全身の毛が逆立つ。身構えようと思ったときには、手の中のモノクルのレンズが粉々に割れた。


「……え?」

「言ってるでしょ。それは当主の証。もう能力は継がれているから、誰が持っていても関係ないよ。ただ……そうだな。今ピアがかけてる方のレンズを割ってみなよ」


 手の中の枠だけ残ったモノクルと男爵を交互に見比べて、それからかけていたモノクルを外す。もう一度眺めてみても大きな違いはわからなかった。戸惑いながらも、床に置いてナイフを振り下ろす。ガツっと音も振動も手に伝わって、ナイフは床に刺さった。

 あれ?


「ピア」


 顔を上げれば、男爵の手の中にモノクルはある。

 どうして、と聞く前に彼はそれを放ってよこした。


「もう一回どうぞ」


 今度は壁に押し当てながらナイフの切っ先を近づける。それはレンズに触れる前にふっと消えた。

 振り返れば、男爵の手の中にしっかりと納まっている。


「言ったでしょ。返ってくるって。厄介だよね」


 あんぐりと口を開けた私の顔を見て、男爵は可笑しそうに笑った。


「ヨーカラ、という男……男だと思うけど、ピアは知ってるんじゃない? これは、その人が作ったモノクルじゃないかと思ってる。聞きたいことがあるんだ。ピア、紹介してくれないかな?」


 思わぬところで名前を聞いて、仮面をつけた男の風貌を思い出す。長い髪を後ろでひとつに括り、これまた長い前髪は仮面を覆い隠すほど。細身で戦闘技能は高くないが、武器や通信機器など身の回りの物の開発が得意で……

 気軽に知っているなどと言えるわけもないが、男爵の冷たい笑みは、好奇心や友好関係を結ぼうという類のものではないのはわかる。


「ご紹介できるほど、彼を知りません」


 嘘じゃない。任務で一緒になったのは一度だけ。あとは幼い頃に……今どこにいるのかも知らない。

 それに、組織を抜け出した私が会いに行けば、当然殺されるか連れ戻されるかの二択だ。


「そう。よかった。仲良しだったら申し訳ないなと思ってたんだ。じゃあ、やっぱりそのうち会いに行こう」


 よいしょ、と年寄り臭く立ち上がった男爵の腕を思わず掴む。


「なに? 実家に乗り込まれるのはやっぱり嫌?」

「違います! 無謀だって忠告です! だって彼……」


 言い淀む。男爵は知っているかもしれないけど。


「『オランピア』の『歌』でも死ななかった、かな?」


 ビクリと強張った手が男爵の腕から外れる。その手で、男爵は私の頭を撫でた。


「僕も何度か撃ってるんだけどね。手ごたえがないから、そうかなって。まあまあ、何とかなるでしょ。気にしないで行くといいよ。元気で、うまく逃げて」


 彼は身体をずらし、道を空ける。もう、障害物はない。

 一段、二段、男爵が座っていたところまで登って、足が止まった。


「……私が一緒に帰ると言ったら……男爵はどうしたんです?」

「うーん。お茶でも飲みながら、『トゥルフカルト組織』を解体しに行かないか誘ったかな」


 そんな、デートに誘うみたいに。しかも全然魅力的じゃないし。


「そんな口説き文句じゃ、ハナコだってついてきてくれませんよ? 全然ダメです。三食昼寝付き、おやつ付きくらいの条件出せないんですか」

「あのね。昼寝はつけてもいいけど、おやつがつく余裕はどこにもないんだけど」

「本当に? ちょっと出納帳見せてみなさいよ」

「……すいとうちょうって、なに?」


 思わず振り返った。

 マジか。

 きょとんとしたその顔に、膝から崩れ落ちそうなほどの敗北感を味わった。


「……帰ったら、説教します」

「えっ。あれ? なんで? 逃げるんじゃ……?」


 世間知らずの男爵のシャツの胸ぐらを掴んで、来た廊下を戻る。

 メイドなんてと思っていたけれど、実は天職なんじゃないかと思えてきた。




*男爵とメイド おわり*

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【KAC20248】男爵とメイド ながる @nagal

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