エピローグ
サオリ先輩との新しい関係は全てを解決してくれたわけではなかったと、わたしが思い知らされたのはその翌週、登校して自分の下駄箱を見たときだった。
中にあるはずの上履きがどこにも見当たらない。先週は家に持ち帰らなかったし、どこか別の場所に置いたままということもない。
考えられる可能性は一つしかない。誰かが悪意を持って隠したのだ。
こんなことをするのは久保さんを誘ったグループの誰かだろう。それにしたって上履きを隠すだなんて典型的なことをされるとは思わなかった。全然楽しくないのについ顔がにやけてしまうほどだった。
「バカみたい」
実際にバカだったし、そんなことで胸がちくんとしたわたしもバカだった。こんなのは心の底から笑い飛ばさなくちゃいけないのに。
いちいち探して回るのもバカらしくて、靴下のまま教室に向かう。きっと「あれ、草那さん上履きはどうしたの?」とわざとらしく訊かれるに違いないけど、無視してやろう。これから二年になるまでの十一ヶ月弱、ちくちくと虐められることになるわけだが、中学時代の報いが降りかかったのだと思えば我慢できるだろう。
そんなことを考えて廊下を歩いていたら「待って!」と後ろから声をかけられた。
振り向くとそこには石硯さんが立っていて、上履きを一足ずつ手に持っていた。
「これ、草那さんのでしょ?」
「回収しておいたから」
つっけんどんに差し出され、わたしはおずおずと上履きを受け取ってから地面に置いて片足ずつ履いていく。
「ありがと、わざわざ探してくれて。大変だったでしょ?」
「ううん、隠すところをたまたま見てたから」
「すぐに回収できた」
二人は顔を見合わせると、わたしの腕を片方ずつ掴み、強引に引っ張っていく。そのまま人気のないところまで来ると、二人してわたしをじっと見てくる。
「ああいうこと、ずっとされてきたの?」
「されてきて、ずっと我慢してたの?」
二人の顔には怒りが浮かんでいた。どうやらわたしへの虐めを腹立たしいことと考えているようだ。入学式の日からわたしを睨んでいたから二人には嫌われているのだと思っていたが、そうではないのだろうか。それとも好き嫌いより正義感を優先して行動しているのか。
「今日が初めて。まあ、色々あってね。こういうことされるのもしょうがないかなと思ってる」
「しょうがなくない」
「理由があってもしちゃいけないことだよ」
少しは事情を汲んでくれるかと思ったけど、二人の怒りが褪せることはなかった。
「先生に言おう」
「優しい人だし、きっと力になってくれるよ」
「いいよ、したいようにさせれば良いって。上履きを隠すなんてガキみたいなことをする奴らの悪さなんてきっと大したことない」
わたしは本当にそう考えていたのだが、石硯さんはいよいよ顔を赤くする。そんなに怒ってもらえるとは思わなかったし、わたし一人だけ冷静なのが逆に申し訳なかった。
「それに一人でも大丈夫だから」
少し前まで友達のことでくよくよしていたのに不思議と拘りはなく、軽い気持ちだった。サオリ先輩の泰然自若とした態度を見て人付き合いへの焦りが減ったのかもしれないし、色々あったせいで人間関係に若干の忌避感を覚えているのかもしれない。
石硯さんは顔を見合わせ、ピタリと固まる。細部までほとんど同じだから、まるで鏡写しのようだ。朝礼の時間は迫っていたが、ここで声をかけて二人の調和を乱したくなかった。
ふわふわして、柔らかくて、綺麗なもの。二人の間に埋もれたら気持ち良いかも、なんて変なことを想像していたら、石硯さんはわたしの手を片方ずつ握ってきた。
「あのさ、わたしたち」
「謝らなくちゃいけないことがあって」
「謝るって……ごめん、心当たりないなあ。というか二人とも、わたしのこといつも睨んでたけど、こっちこそ謝る必要があったりする?」
かねてよりの疑問を口にすると、二人は揃って首を横に振る。腰まであるふわふわの髪の毛がまるで生き物のように動いていた。
「違う、怒ってたんじゃない」
「見張ってたの」
「見張ってたって誰を?」
「加藤さん」
「わたしたち、脅迫されてたの」
ここに至ってまた加藤さんの影がちらつき、わたしは思わず息をつく。
「脅迫って、弱みでも握られてたの?」
揃って頷いたけど、具体的にどんな弱みなのかは話そうとしなかった。
「まあ、良いや。加藤さんはいなくなったし、秘密をばらされる心配はないし、好きにやって良いんじゃないかな」
「うん、だから好きにしてる」
「草那さんと話をしてるの」
「まさか、わたしに一切話しかけるなって言われてたの?」
「うん。話しかけるな、近づくな」
「友達になろうとするなって脅されてた」
わたしは入学式の日、加藤さんが何気なく話していたことを思い出す。
『あの子たち、あなたと友達になりたかったのよ』
あれはほんの冗談だと思っていたけど、本当のことだったのだ。そして加藤さんは少しでも可能性があれば徹底的に芽を摘もうとした。
乾いた笑みが漏れる。加藤さんはそこまでしてわたしを独占したかったのか。
「わたしたちは見て見ぬ振りをしてた」
「あの女が悪いやつなのを知ってたのに」
悪いやつと言い切るのは強烈だったし、加藤さんの正体を知らなければ酷く面食らっていたに違いない。でもサオリ先輩から全ての事情を聞いたあとだと、むしろ生温いとさえ感じる。石硯さんも加藤さんが悪辣な妖怪だったと知ればさぞ驚くに違いない。
「二度とそんなことはしない」
「わたしたちが草那さんを守るの」
ふんすと意気込む石硯さんを見て、わたしは少し不思議な気持ちだった。ここまで親身になってくれるいわれがないというか、少なくともわたしには思い当たる節がなかった。
印象的な双子の美人だから、昔会ったことがあれば間違い無く覚えているはずだ。まさか、この子たちも加藤さんと同じで正体は人間じゃなくて、わたしが気付かないのは人でない姿で出会ったから、なんてことがあるんだろうか。
そうだとしても今ならサオリ先輩という相談窓口があるし、あんなことをされたばかりだというのに能天気かもしれないけど、表情も態度も言動も純朴で、悪意をもって人を欺くようには見えなかった。
それにもし含意があったとしても、わたしを助けてくれたことは間違いない。
「守ってくれるのは嬉しいけど、わたしは上履きを隠すようなやつのことなんて怖くないし、大丈夫だよ」
「じゃあ、守らなくて良いの?」
「わたしたちは必要じゃない?」
極端な結論にわたしは慌てて首を横に振る。
「守ってくれなくて良いというのは、仲良くしたくないって意味じゃないよ。何もなくたって良いってこと」
わたしは二人の手をぎゅっと握り返す。
「何もなくたって良いんだよ」
同じことをもう一度繰り返し、二人に笑いかける。石硯さんは躊躇いがちに手を離すと、左右からわたしに抱きついてきた。
ふかふかで良い匂いがして、思わず頭を撫でる。まるで二匹の大型犬にじゃれつかれてるようだった。加藤さんの時と違い、暖かくて心地良いスキンシップで、心がぽかぽかする。
思えば入学からの一月と少しはなんと目まぐるしかったことか。しかもその全ては苦いばかりの記憶として、遠ざかりつつあった。
でも、これから始まることもある。サオリ先輩との関係もそうだし、石硯さんとはきっと、仲良くなれるはずだ。配信だって荒らしの心配がなくなったいま、堂々と再開できる。
久保さんたちのグループはわたしを疎んじるだろうけど、怖くはない。一つだけ気がかりがあるとしたら、久保さんがついた嘘の後ろめたさに苦しみ続けることだろうか。
嘘をつかれたし憎まれたけど、悪いことに耐えられるような人じゃない。久保さんが辛くならない形で上手く落としどころが見つかれば良いのだけど、こればかりはわたしの力ではどうにもならない。
ふわふわしながらそんなことを考えていたら石硯さんはいきなりぱっと離れ、二人して恥ずかしそうな顔を浮かべていた。
「ごめんなさい」
「混乱して、つい……」
「気にしなくて良いよ。それより、もうすぐ朝礼も始まると思うし、そろそろ教室に行こっか……えっと、どちらも石硯さんじゃややこしいから名前で呼んで良い?」
そう提案すると石硯さんは揃って頷いた。
「わたしがヒナタで」
「わたしはヒカゲよ」
「わたしも……うん、モトコで良いよ」
自分で言っておいて少し後悔した。モトコという下の名前を呼ばれるのは避けたいことだったから。苗字なら全然問題ないのだが、一度言っておいて苗字呼びに戻してくれと言ったら、この双子はしょげてしまうだろう。
「これからよろしくね、モトコ」
「あっ、ずるい。わたしもモトコによろしくしたかったのに」
ヒカゲと名乗ったほうがぷうと頬を膨らませる。これまでずっとニコイチの喋り方をしてたからそういう個性だと思っていたのだが、そうでもないらしい。
「別に、今からよろしくすれば?」
「まあ、それもそっか。わたしのほうも末長くよろしくね、モトコ」
末長くというのは随分大袈裟だが、悪い気はしなかったし、二人に名前で呼ばれるのも抵抗感はない。
名前で呼び合う友達なんて本当に久しぶりで気恥ずかしさはあるけれど、きっとすぐに慣れるだろう。
これまでのことがあってどうしても不安は拭えないけど、サオリ先輩の忠告を守って、できる限りのことはしよう。
自己卑下はできるだけしない。
相手のことを品定めしない。
そして一番大事なこと。
友情に見返りを求めない。
心にそう言い聞かせると、わたしは今日という日を始めるために教室に向かうのだった。
終
よいこ、わるいこ、あくまのこ 仮面乃音子 @robert2nd
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