後編
時は移ろい、慶長五年九月二十七日。大坂城への
(あぁ、疲れた……)
リーフデ号の船員との対面から約半年、家康の置かれた立場は劇的に変化していた。
堀秀治の通報や藤田信吉の証言などから“上杉家に不穏な動きがある”と判断した家康は会津へ帰国している上杉
六月十六日に大坂から出陣した家康だったが、畿内を留守にしている間に事態は急変する。これまで
しかし、百戦錬磨の家康は動じない。“幼君・秀頼に自ら判断する能力はない、三成が秀頼の名を
そして迎えた、今日。主君である秀頼やその母・淀の
一応まだ“豊臣家の家臣”なので秀頼を立てているものの、先日の戦で名実共に
寝間着に着替え、
ところが……今日に限っては様子が違った。なかなか集中出来ず、文字が頭に入ってこない。
物思いに
(思えば、
好奇心
異国の地のものだからと拒絶したり怖がったりするのではなく、受け入れるだけの器がある者こそ天下人になれる第一の条件なのかも知れない。それは言い換えるならば、時代の潮流を読む事に繋がる。家康はそう考えていた。
(
八歳の秀頼は
使い古された言葉ではあるが、“物は使い
あの信長も秀吉も、人を物同然に見ている節があった。あの者達の下に居る頃は「恐ろしい人だ」と思ったが、同じ立場になってみてよく分かる。人は“役に立つ”か“役に立たない”か“害を
家康の中で、幾つか悩んでいる事がある。思案を巡らせていく中で、一つ解決した。
(時代の流れを読めないものに過大な扱いは無用。そうだ、天下人なのだ。天下人らしく威厳を見せないと)
踏ん切りがついた家康は、燈明の火を消して床に就いた。思っていた以上に心も体も疲れていたみたいで、すぐに深い眠りに落ちた。
後日、豊臣家は『今回の事態を止められなかった』責任を取り、全国各地の直轄領・
家康とすれば、“時流を読んで徳川家の臣下に入る”ならば鎌倉幕府における鎌倉殿のような特別扱いにする考えもなくはなかった。しかし、時流を読もうともせず“徳川家は豊臣家から天下を奪った不届き者”と思うならば……その時の対処も覚悟していた。
さて、家康の眼鏡に
透鏡の先に見据えるは 佐倉伸哉 @fourrami
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