花、咲かせて(8/8)
惣山沙樹
めがね
前話
https://kakuyomu.jp/works/16818093073982723146/episodes/16818093074099556499
あたしはキッチリと記録をつけていたので、妊娠はすぐにわかった。
一応、検査薬で陽性を確認して。産婦人科に行って確定して。計算してみたら、結婚式の日だったので少し笑ってしまった。
「桐久、お帰り。報告があるんだけどさ」
「……いいこと? 悪いこと?」
「いいこと。あのね……赤ちゃんできた」
「えっ……ええーっ!」
まだ何があるかもわからないのに、桐久は大いに浮かれて、名前をどうしようか悩み始めた。
「四月生まれかぁ。春っぽいのがいいかな」
「もう、性別わかるのまだまだ先なんだからね?」
妊娠、名付け、育児の本を一気にネットで買う始末。一方のあたしは冷静になってきて、会社に切り出すにはどのタイミングかな、どんな手続きが要るのかな、と調べ始めた。
「梓ぁ、お宮参りの時にスタジオで写真を……」
「気が早い!」
桐久はしっかりはしているけれど、子供っぽいところも残している。まあ、そんなのがあたしの夫なんだけどさ。
赤ちゃんは順調に育ち、念願だった母子手帳も貰うことができた。自分の名前と、桐久の名前を書いた。これから二人で親になるという実感をようやく持てた。会社では直属の上司にまず報告して、産休までのスケジュールを整えた。
とはいえ、あたしがやっていたのは事務。力仕事なんてほとんどなかったから、特別な配慮をしてもらうわけではなく。いよいよお腹が出てきたな、という頃に他の社員にも公表して、労わられながら妊婦生活と仕事を続けた。
おそれていたつわりもなく、体重の増えも問題なし。こんなにとんとん拍子でいいものだろうか、とかえって不安になり、夜は桐久の手をさすりながらそれをこぼした。
「なんか……夢みたいなんだよね。桐久と結婚できて、赤ちゃんまでできて。いつかさめないかどうかこわいの」
「梓。オレも赤ちゃんも現実だよ。梓は幸せになっていいの。自信持ってよ」
「うん……そうだね」
赤ちゃんは女の子だとわかった。名付け本に何枚もフセンを貼って、桐久と毎晩話し合ったけど、これだというものはなかなか決められなかった。あたしは言った。
「最後はさ、やっぱり顔見て決めよう」
「うん。似合う名前をつけてあげたいね」
産休に入ったあたしは、運動ついでにベビー用品を買い歩き、必要なものは大体揃えた。服にオムツにおしりふきにガーゼ。ベビーベッドは桐久が組み立ててくれた。抱っこ紐やベビーカーは、会社の先輩が譲ってくれることになった。
お腹をさすりながら、桐久と出会った頃のことを思い返した。あの日、遅刻しかけて、大慌てでメイクをしたっけな。そうして出会ったのが運命の人。いきなり同居することになったり、大恐竜展に行ったり、動物園に行った後にプロポーズされたり。
とにかく……頑張って赤ちゃんを産まないと。
そして、予定日を翌日に控えた夕方に、鈍い痛みが襲ってきた。あたしはすかさず、予め準備していた陣痛の間隔をはかるアプリに記録した。
「うん、大丈夫、まだ大丈夫……」
ソファに横向きになっていた方が楽だったので、桐久が帰宅するまで身を丸めて待った。
「ただいま梓……梓?」
「お帰り……きたかも。陣痛」
「わかった。病院に連絡は?」
「まだ早いと思う。十五分間隔になってからかな……」
夜の八時頃になって、間隔が短くなってきたので電話した。もう来てもいいとのことだったので、予め予約していた陣痛タクシーを使って、桐久と病院に行った。
「桐久、こわい……」
「オレが一緒にいるから。安心して、梓」
いよいよ声を上げるのが我慢できなくなって、病院のベッドの上で弱音を吐いてしまったが、桐久が優しくあたしの腰をさすってくれた。分娩台に行ったのは日付が変わってから。立ち合い出産を希望していたので、桐久が手を握ってくれていた。助産師さんの声がかかった。
「はい、いきんでいいですよー」
「んんーっ!」
とんでもなく長い時間に思えたけど、後から聞いたら三十分ほどだったという。小さな命は、無事に産まれてきてくれた。
「梓……よく頑張ったね」
「うん、うん……」
赤ちゃんの泣き声はとても力強かった。それであたしもホッとしてしまって、ベッドに移ってからは、気絶するように眠りに落ちた。目覚めると、すっかり日は昇っていて、コットという透明な赤ちゃん用のベッドの中を、桐久が覗き込んでいるのが見えた。
「ああ、おはよう梓。よく休めた?」
「大丈夫。赤ちゃんは……」
「凄く元気。それでさ、顔見てて思ったんだけど。名前、
候補にあった名前だ。安直かもしれないけど、春生まれの女の子。あたしの名前と同じ木へんの漢字。あたしは立ち上がって赤ちゃんの顔を見てみた。
「いいと思う。響きもこの子に合いそう」
「じゃあ、これから桜って呼ぼう。桜、パパだよー」
桐久は一ヶ月だけだが育休を取っていた。それで、帰宅してからは育児に奮闘した。ミルクを吐き戻されて、桜も自分の服も全部洗う羽目になり。オムツが漏れて大惨事になり。何をしても寝なくて、桐久と交代で抱っこしてあやして。
そんなこんなで、目まぐるしい日々を過ごしていると、すぐにお宮参りの日になった。
「はーい、撮りますよー」
スタジオでの写真撮影。ピンク色の祝い着を着せた桜は、何が何だかわかっていないのだろう、ぽやんとした表情をしていた。そのまま神社に行ってお参り。御祈祷が始まると、梓は音でびっくりしたのか泣き始めたけど、他の赤ちゃんもそうだったので、一気に賑やかになった。
終わって桜を抱き上げ、境内を歩いていると、すぐに眠ってしまった。あたしは桐久に言った。
「桜、大泣きだったね」
「だね。今日はお疲れさま。梓だってまだ体調戻ってないのに」
「記念の日だもの。頑張るよ」
そして、桜はどんどんお転婆さんになった。桐久が抱っこすると、彼のメガネを掴むようになったのだ。
「あっ、もう、桜ぁ!」
「あはっ、パパのメガネお気に入りだねぇ」
「危ないし、コンタクトに変えようかな……」
「あたしは桐久のメガネ気に入ってたんだけど……確かに危ないよね」
そんなわけで、桐久はコンタクトレンズを使うようになり。五年の月日が流れた。
「ママ! 保育園でお花描いたの、パパにも見せるー!」
桜は運動もお絵描きも大好きで、お喋りな女の子になった。育児と仕事の両立は正直辛い。けれど、こうして保育園に迎えに行って桜の笑顔を見ると、やっぱりこの子を産んでよかった、そう思えるのだ。
「パパ、今日は早く帰ってこれるって。見せてあげようね」
「うん!」
今夜は昨夜桐久が作ってくれていたカレーだ。温めるだけでいい。鍋に火をかけていると、桜がキッチンに寄ってきた。
「ねえ、これ何?」
「あれっ? お宮参りの写真だ。しまってたのに」
「机の上にあったよ?」
あたしは一旦火を止め、桜を膝の上に乗せてアルバムを開いた。
「この赤ちゃんが桜ね」
「ちっちゃーい」
「可愛いねぇ」
「ねえ、パパ、メガネさんかけてる」
「うん、そうだよ。赤ちゃんの桜がパパのメガネとって危なかったから、外すようになったんだよ」
「パパ、メガネさんの方がカッコいい!」
「ふふっ……パパが帰ってきたら、そう言ってみようか」
あたしと桐久、それに桜。家族三人での生活は、これからも続いていく。咲かせていこう。家族という大輪の花を。
了
花、咲かせて(8/8) 惣山沙樹 @saki-souyama
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