【KAC20247】『君の世界を掴みたい』

小田舵木

【KAC20247】『君の世界を掴みたい』

 色覚がない。

 それが俺に下された所見で。

 要するに。網膜の色検出を司る錐体すいたい細胞3種が完全に機能してないらしい。

 幸運だったのは光の明暗の検出をする桿体かんたい細胞が無事だったということか。

 古い言葉では全色盲にあたる。新しい言葉で言えば桿体1色覚。

 お陰様で。俺は視力が0.1もなく。陽の光の元では常に眩しさを感じてしまう。

 

 遮光レンズ付きの野暮ったいメガネで世界を眺める俺。

 俺のような色のない世界に生きるヤツってのは10〜20万人に1人。

 女は滅多に色覚異常を起こさない。遺伝的にX染色体の異常であって、X染色体を二つ持つ女性は色覚異常を起こしにくいからだ。

 

 こういう目を持っていると。

 昼間に空を眺める事すらできやしない。圧倒的な光源が真上にあるからな。

 見上げた瞬間、強烈な光の奔流ほんりゅうに眼がやられちまう。

 自然と俺の世界は地面に縛り付けられる。

 

 季節は春。

 だが。俺はその色彩を取り戻し始めた世界を味わう事は出来ない。

 足元には花びらがある。

 小さな小さな小片。色が分からない俺には何の花かよく分からないが。

 恐らくは桜で良いのだろう。

 

 桜。

 春の象徴みたいな花だ。

 だが。俺は。色彩がなくて。せいぜい明るい花びらが見えるだけ。

 そこに何の物語を見い出せば良いというのか?

 

 人ってのは。

 案外に色覚に頼った生き方をしている。俺はそう思う。

 色がある世界を当たり前に享受し、色どりから世界を推し量る。

 俺は生まれながらに視覚情報の一つを奪われた男なのだ。

 視覚世界の半分以上を切り取られていると言っても良い。

 

 モノクローム。

 それが俺に与えられた世界で。

 光の強弱で物事を推し量らねばならない。

 これは案外にキツい。お前が想像する3倍はキツい。

 遮光レンズと度のキツいメガネをかけようが、俺にはほとんど何も見えていないようなものだ…

 

「ユーウツな顔してどうしたのさ?」後ろから声が聞こえる。

「そりゃユーウツな顔にもなる。世界は色づいているというのに。俺の目はそれを知ることができない」

「ま、その辺りは散々なげいてきたでしょうが」

「そりゃそうだが―春になる度に思い出すハメになる。ずっと冬ならいいのによ」

「そりゃ君のワガママってもんだ。冬なんて寒いだけじゃん」

「だが。色の事を意識せずに済む」

「…そうかあ」

 

 彼女は俺のかたわらに居て。俺は彼女の顔を見るが。

 俺の目は。彼女をぼんやりとしか捉えられない。昼間の光が、俺の視覚の邪魔をする。

 だがまあ。この声は。俺の幼馴染の明香里あかりだ。

 俺は学校からこっそりと下校して。春の憂鬱を味わっていたというのに。

 

「部活はどーした?明香里?」コイツは陸上部に居るはずなのだが。

「外周行くって嘘吐いて抜けてきた」

「ああ…だから。制服じゃない訳ね」

「そ。しかし。あまり下ばかり見てると事故るぜ?」

「お前。分かってて意地悪言ってるだろ」

「…まあね。眩しくて視界をうえげれないんでしょ?」

「そ。上を向いて歩こうもんなら、俺は死ぬ」

「それは言いすぎじゃないかな」

「そうでもない。マジで眩しすぎて、頭がクラクラしちまう」

「色の奔流みたいな4月は光太にとっては地獄か」

「マジでそれ。さっさと過ぎ去って欲しいもんだぜ」

「ま。とにかく。事故に遭わないように家に帰ってよ?」心配そうな声で明香里は言う。

「それは保証できんな。マジで」

「何なら家まで送ろうか?」

「頼みたいところだが。お前も部活中だろ?ダメそうだったらオフクロ呼ぶわ」

「ん。おっけ。じゃあね。光太こうた」明香里は。足元の桜の花びらを踏み潰しながら走ってく。

 

                  ◆

 

 光の奔流たる春の外から帰る。

 いやあ。キツイ戦いだった。後少しでオフクロにヘルプを頼むトコだった。

 

 俺は家に帰ると。

 速攻で自分の部屋に戻る。

 この家の中で。一番居心地が良いのが、薄暗い俺の部屋だからだ。

 蛍光灯を僅かに灯した俺の部屋。

 そこだけが俺の視覚が安定する場である。

 俺は部屋の本棚を漁って。適当な文庫本を手に取る。

 

 文庫本は良い。色がないから。

 真っ黒なインクの文字なら、この部屋の中でなら追う事が出来る。

 文字から俺は世界を組み立てる。

 色のない世界だが。俺はそこでは眩しさを感じる事がない。

 唯一、安心して視界を動かす事が出来る…

 

 本だけが。文章だけが。

 俺の娯楽だ。

 どうにもアニメや映画の世界には馴染めない。

 なにせ。そこでは色があるのが当たり前で。

 色がない俺は戸惑うしかないからだ。

 

 書を友にする青春。それは湿っぽいのかも知れんが。

 俺は案外にその湿っぽい青春を堪能している。

 本の世界。他者の目を介する世界。

 そこでは俺のポンコツの目を意識せずに済む。

 

 俺がこのポンコツの目を呪い始めて14年…

 そもそも光がないような世界に生まれて14年。

 いい加減、色に執着するのは止めたいのだが。

 大好きな文章を読んでいても。色に関する比喩が出てくると意識せざるを得ない。

 

 色…

 色って何なんだろうな。

 そりゃ、科学的に説明するなら可視光線のスペクトルの780nm〜380nmの波長なのだろうが。

 それ以上の何かが。色にはあるように思える。

 そもそも。色を解釈する錐体細胞にも個人差はあり。視覚情報を処理する脳にも個人差はある。

 

 なのだ。

 ま、俺は明暗1色の分かりやすい世界に生きているが。

 

 俺は。色の世界を知らないから。あまり意識することはないが。

 色を持っている人間なら。色覚の共有できなさをひしひしと感じるだろう。

 

                  ◆

 

 空を小さな光が舞った。

 その光は重力に引き寄せられてユラユラと地面に落ちていく―

 

「なあ。明香里。アレは―何だ?光が重力に負けて落ちていった」

「…光太。アレは桜の花びらが舞い落ちたんだよ」

「ああ。なるほど。そうか…もう桜は舞い散るんだな」

「そ。やっと光太の目に優しい世界が始まろうとしている」

「そーでもない。葉桜も葉桜で目に鬱陶しい」

「君は。冬の枯れ木以外あいせないのかな」

「かも知れんなあ」

「ああ。この儚さを光太と共有できたら面白いのに」

「無情な事を言うんじゃないぜ?明香里。俺には色覚なんてありはしないのだから」

「色覚がないのなら…私が。教えてあげても良いんだよ?」

「あのなあ。色覚ってのは他人と共有する事ができないんだ」

「『赤色クオリア問題』ってやつかな」

「そ。クオリアは他者間で共有不可能。色が見えるヤツにも苦労はあるもんだ」

 

「私の色覚を光太にあげてしまいたいな」

「貰ったら。死ぬほどビックリするだろうな」

「言葉に出来ない感覚が多いんだよね、色って」

「…色でしか表現できない何か」

「そ。端的に示せてしまうが故に。言語化が不可能」

「俺としては。色の体験をしっかり言語化してほしいものだ。お陰で上手く推し量る事さえできん」

「君には。明暗の一色しかないもんね」

「そ。それでいて。色が見えるヤツってのは色に頼りっきりでさ。表現をサボりやがる」

「しょうがないじゃない。色ってそういうモノなんだよ」

「ったく。色が見えないってのは改めて不便だな」

「不便だねえ…ってしか言ってあげられない自分が嫌になるなあ」

「そこまで凹まんでも良い、明香里には世話になりっぱなしだ」

「大した事はしてない」

「いいや。色の見えない俺に…気を使わずに接してくれる。これだけでどれだけ助かっているか」

「なんのその。幼馴染だからね」

「いつか恩を返しておきたいところだが」

「別に。良いよ。私は光太と過ごすの嫌いじゃないから」

「そうか?」

「そうだよ」

 

 俺と明香里は。

 桜の花びらが舞い落ちるところで立ち止まって。

 小さな光が舞い散る中で過ごす。

 

 色がない俺の世界と。極彩色の明香里の世界。

 それはきっと重ならない。

 そこには埋めがたいギャップがある。

 だが。俺と明香里は。

 言葉を交わすことが出来て。

 少しだけでも。他者の世界は見える。

 見える…見えるのだ。光しか知らない俺にも。

 

 桜。どんな色をしているのだろう?

 俺は色を知らないし、明香里は言葉に出来ないと言うが。

 いつか。その答えを知ることが出来る気がする。

 このままずっと明香里と過ごせれば。

 

 …ああ。俺は明香里に惹かれているのだな。

 この日。初めて知って。

 俺は。色を知りたくなる欲求と、明香里を必要とする欲求を知る。

 まるで。モノみたいに明香里を扱うのが嫌になってしまうが。

 俺にとって明香里は…明香里は。

 世界を見せてくれる眼鏡のようなモノで。

 世界への道標のようなモノなのだ。

 

 この気持ちを。

 どう伝えたら良いものか。俺は悩む。

 

 舞い散る光の中。

 俺は傍らにいる明香里をじっと見つめる事しか出来ない。

 眩しい光の中に居る明香里。

 俺はその光を掴んでしまいたい。

 

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【KAC20247】『君の世界を掴みたい』 小田舵木 @odakajiki

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