⑤「謎と事件と犯人と、」

夜子さんの記憶——数秒間と四つの証拠。

たったそれだけで、おれの記憶を推理する。

あらゆる謎を余すことなく解き明かす。

あまりにも大胆不敵な物言いにおれが固まっている間も、夜子さんは話を続ける。


「さて、先に〈証拠〉を提示しておこうか。

あの日の出来事で見知った、キミに関する固有の推理材料ヒント


——


少しだけ、声が震えていた。


「ちなみに言っておくと、この証拠の正しさをボク自身が証明する事は出来ないよ。録画をしていた訳ではないからね。

あくまでも、ボクの記憶でしかないんだ。

そんなを頼りに、記憶キミの欠落を紐解く。


……それでも、良いかい?」


——ボクは、記憶ボクを信じてない。


言葉だけじゃ、ダメだと思った。


「おれの目を見てほしい」


伏し目がちだった視線が、上を向く。


「夜子さんなら?」


——それでもキミには、記憶ボクを信じて欲しいんだ。


「ぜんぶ、信じるよ」


くっきりした目が、じっとおれを見つめている。

大きな瞳のなかに、初めて出会ったときの怯えた記憶おれが映りこんで、

まばたきと同時にかき消えた。


「…………では、列挙していこうかね」


こころなしか、声が張りを取り戻したような気がした。

あとは証拠を受け入れるだけ。


「一つ――キミは旧校舎の旧保健室に訪れた。

二つ――キミは腫れた左側頭部を手で押さえていた。

三つ――キミは入室の際に左手を使い、一度引き戸を開けそびれている。


四つ――、『


「うん……うん……うん……、

……………………へ?」


最初の二つは理解できた。

三つ目はぱっとしないがまだわかる。

しかし、四つ目が意味不明すぎだ。

泥だらけで、熱中症?

コレ、ただの脳震盪なんだけど……いや、そんなことよりも——


「——ボクを信じてくれる、と言った口はどこだい?」


不満げに口を尖らせる夜子さん。

脳内アラートがけたましく鳴り響く。


「夜子さんを疑っているわけじゃない!ちょっと混乱しただけなんだ!気にせず話を進めてほしい」

「本当かね?……次、同じ事をしたら即刻追い出すよ」


やると言ったらやる人だ。

おれは全力で首を縦に振る。


「ではこれらの証拠と、当時の状況を元に推理を進めていこう。

……と言っても、あとは消化試合なのだけれどね」


さっきまでの張り詰めた態度はどこへやら。

お腹まで包んだかけ布団をポンポンと手で整えると、「ふうー」と長い吐息とともに背中を倒す。

ささやかな体重を預けられた柵がギシリと音を立てた。

証拠を提示したタイミングで、夜子さんのなかでは峠を越したらしい。


……普通、逆だと思うんだけどな。


「言いたいことがあるなら口にしたらどうだい?」

「いや、夜子さんらしいなって……」

「随分と馴れ馴れしい物言いだねえ。たった二回の来訪でボクの何が理解出来ているというのかね?」


少なくとも、しゅんと萎れたような夜子さんより、えらそうな物言いの夜子さんの方がしっくりくる。


「まあ、好きに解釈すればいい。どうせ今日限りの関係性——次はキミのターンだよ。

ボクが紡ぐ言葉は最初から最後まで決まっている」



「最後は……練習試合中の脳震盪は、〈事故〉ではなく〈事件〉であり、〈犯人は二人〉いる……で、合ってる?」



「ほう、前のように慌てふためかないのかい?」

「これ以上驚きようがないというか……」

「だったら遠慮は要らないね。それに、少し前フリに時間を掛けすぎた。


——ここからはノンストップで謎と事件と犯人と、そしてその真相を語り尽くそうではないか!」


夜子さんは不敵に笑う。


このときの俺は、があるだなんて知る由もなかった——


+++++


「順番通りにいくよ」



①【キミは旧校舎の旧保健室に訪れた】



「まずキミは新校舎の保健室ではなく、この旧保健室に訪れた。

そしてそれは、キミにとって意図しない訪問だった」

「ああ、間違いない」

「ならばそれで、当時のキミは〈平衡感覚を消失していた〉という事が分かるね」

「……ん?どゆこと?」

「まあまあ、少し待ちたまえ」


夜子さんはスマホの画面に、指で地図を記した。


「皆空高校の新校舎と旧校舎は互いに隣接していて、その間には連絡通路[==]が走っている。

、右が新校舎[□]、左が旧校舎[■]だ。

この時点で分かる事は?」


□(新)--

通路==⇔====-グラウンド-

■(旧)--


「えっと……真ん中の連絡通路を右に曲がると新校舎に、左に曲がると旧校舎に入る?」

「その通り。

グラウンドから新校舎に入るには、当然ここで右に曲がらなければならない。

しかしどういう訳か、キミは左に曲がり、旧校舎へと迷い込んだ。

通常の健康状態であれば、この様なミスは決して起きないだろう。


――


更に付け加えると、古びた内装を見ても旧校舎だと気づかない程に重症だった、という裏付けでもあるよ」

「……わかりやすいな、ありがとう」


ずっと一人ぼっちだったと言うわりには、ずいぶん説明慣れしているように思えた。


「平衡感覚を司る三半規管は、耳の内側に存在する。

そこに何らかの衝撃が加わった、という可能性が浮上する訳だ」



②【キミは腫れた左側頭部を手で押さえていた】



「そして二つ目の証拠が、可能性を事実へと確定させる」

「ホントだ……」


おれの関心を気にも止めず、夜子さんは話を進める。


「ここで注目すべきは、どこで、どのようにして左側頭部に衝撃を受けたのかという点だね。

当時のキミは、ヘルメット以外の装備を着用したままだった。

つまり、どこでというのは……」


今度はスマホに大きく扇▽を描く。

次いでその内側に、一回り小さな菱◇を付け足した。


「野球のグラウンド、だよね」

「うむ。

次はどのようにして、だ。

このグラウンド内で側頭部に衝撃を受ける可能性は、おおよそ四パターンに数えられる」


画面に描かれたグラウンドの横に、今度は言葉が記されてゆく。


「グラウンドでの〈転倒〉、

選手同士の〈接触〉、

打たれたボールが守備選手へと直撃する〈強襲〉、

そして投げたボールが打者へと直撃する〈死球デッドボール

……いささ些か釈迦に説法じみているが、まず除外すべきは〈強襲〉だ。

理由は分かるかね?」

「えーっと……」


基本的に守備の人たちは、打者に対して真正面を向いている。

ボールがどこに飛んでくるのかを見極めるためだ。

だから万が一、飛んできたボールが守備の頭に直撃することはあっても、


「向き的に考えて、側頭部には当たらない……で合ってる?」

「ご明察だよ。

次にボクから言わせて貰うが、〈接触〉も同じく除外だね」


〈強襲〉と〈接触〉に、指でバッテン☓が引かれれる。


「……え、この時点で?」

「少し考えれば分かる事さ。

〈接触〉事故は

そしてキミの症状を考えると、ぶつかった相手にも相応のダメージが考えられる。

それで二人仲良く新校舎の保健室に向かっていたのなら、そもそも旧校舎になんて迷い込みやしない」

「流石にどっちか気づくだろうし……というか、ここに来たのはおれだけだ」

「故に、残された可能性は二つ。

単独でダメージを負う地面への〈転倒〉、

打者のみがダメージを受ける〈死球〉、

なのだけれど……喉が渇いた。先に頂くよ」

「…………」


たった二つの証拠から平衡感覚の消失を見抜き、その原因を〈転倒〉と〈死球〉に絞りこむ。

かといって話についていけないなんてことはなく、逆におれの理解度に合わせて説明してくれる。

これでおれと同じ高校生だなんて思えなかった。


「んっぷ、ふう……。

何を呆けているのかね?

これまでの話は軽いジャブのようなものだよ。まだまだ真相には程遠い」

「いやいや、めちゃくちゃビビってるんだけど……なんでも当てて、まるで探偵さんみたいだね」

「……チッ」

「なんで!?」


本当に、どこに地雷が埋まっているのかわからない。

おれは慌てて続きを促した。


「そうだね……一旦外に出て、それから入り直してくれないか。

きちんと戸を閉めて、だよ」


部屋の引き戸を指差すので、おれは指示に従った。

ガラガラ……コンコン……ガラガラ……、


「お邪魔しま~す……って、これになんの意味が?」

「まあ、聞きたまえ。

キミは外から戸を引く際、右手を使って〈右から左に〉開いただろう?

原則的に日本で設計される片引き戸は、ほぼ全てがこの右開き仕様と言っていい」


右手を使って〈右から左に〉……そこまで言われて、三つ目の証拠を思い出す。



③【キミは入室の際に左手を使い、一度引き戸を開けそびれている】



「気づいたようだから言っておくけど、これは推理以前の、前提条件の話だよ。

ボクは当時のキミを『ヘルメット以外の装備を着用したまま』と言ったが


――そこにはグローブも含まれている」


夜子さんは言葉を止めた。

目を細める。

まるで自白でも促すかのように、おれを見つめる。

沈黙と、ピアノソナタ。

だんだんと早まっていく旋律に、なにかを急かされているようで。


「おれはグローブを


だから――左手で戸を開けようとした」


予感が、した。


「その時点で、キミが左手でボールを扱う選手だと判明した。

そして更に、左手で引き戸を開けそびれたという事実から


――


さしずめ、得意球は〈サイドスロー〉って所かね」


……〈サイドスロー〉というのは投球フォームの一つで、いわゆる横投げだ。


腕を地面と並行に振りかぶり、勢いが最も大きくなるタイミングでボールを投擲リリースする。

二つのメジャーな投球フォーム――

地面に対して腕を垂直に振りかぶる〈オーバースロー〉、

斜め四五度の〈スリークォーター〉

――と違い、〈サイドスロー〉を扱う投手はそう多くない。


そして、


本日何度目かもわからない、論理の跳躍。

はるか遠くに見ていたモノが、いきなり目の前へと迫って来るかのような圧迫感。

ちょっと心臓に悪くて、いつまで経っても慣れそうにない。


「……どうしてだ?」


夜子さんの言葉はすべて正しい。

それを受け入れて、次のステップへと進むしかなかった。


「最初に言っただろう。片引き戸はほぼ全てが、外側から見て〈右から左に〉引く右開きだと。

日本人は右開きに慣れきっている。

何度も何度もその動作を繰り返していれば、利き手に関係なく、否が応でも体が覚える。

もはや条件反射レベルの常識と言ってもいい。

それぐらいに当たり前の、右開きの扉を


――


流れ続けるピアノの音。


旧保健室ココに来た時、キミは今にも倒れそうだった。

失神直前――極限状況下における行動は、得てして無意識的なものとなる。

……であれば、尚更可笑しい。

片引き戸を〈〉引くという行為を、意識して行う者など居ない。

これは無意識に根付く行為だ。

極限状況下だからこそ、右開きの扉を開けそびれるなんて事は有り得ないのさ。


……もしも考えられる可能性があるとすれば、それは一つだけ。


キミの左手には〈〉という動作が深く刻み込まれていて、無意識の内にそれが発露した場合だ。




――直前までボールを投げていたなら、無理もないだろうね」




……もう、覚えていないぐらいに投げこんだっけ。


そうやって、ただひたすらに磨き続けた〈サイドスロー〉が、〈


――夜子さんは、それを見抜いた。


たった一度の、


戸の開け方、


それだけで。


ゾワゾワする。

薄ら寒いものを覚える。

おれのなかの天秤が、良くない方に傾いた。



、から――、へと。



「キミは左投げの投手である。

これを前提に、話を進めよう」


待ってくれ。


「待たないよ」


そう言おうとする前に、釘が刺される。


「約束したじゃないか。

キミの失われた記憶を、ボクが再構築すると。

今日だけはキミに尽くすと。


――それを反故にするつもりかい?」


ちらりと、蔑んだような眼差しが向けられる。


――始まりは、おれからだ。


おれが、夜子さんに、謎解きを望んだんだ。


……ここで止まることは、許されない。


「続けてくれ」


ごほん、と。

わざとらしく改めて。


「では最初に。

言うまでも無いが、『熱中症に罹った』というキミの言葉は……嘘だ」



❹【キミは泥だらけで室内に入ってきて、『熱中症に罹った』と自己申告した】



「何故このような嘘をついたのか、この時点では分からない。

しかし、ここにおいて

重要なのはという点だ。


――さすれば、〈転倒〉は除外される」


先ほど二つに絞られた〈転倒〉と〈死球〉。

その内の〈転倒〉に、夜子さんはをつけた。


「理由は明快、 んだ。

一人勝手に〈転倒〉して頭を打つなんて、どう考えても自業自得だ。

そこに他者は一切介在しない。

これを熱中症だと嘘を付いた所で、自分を守る事も、



――



「誰かを守る……?」

「嘘には二種類存在するんだ。

自分を守る嘘、誰かを守る嘘。

キミは……分かるだろう?


――ボクに罪悪感を植え付けないよう、あんなに腫れた捻挫を隠そうとした


――そんなくだらない嘘が、このボクに通用すると思うなよ?


冷たい目つきでそう戒めたのも、温かい目をして湿布を貼ってくれたのも、同じ夜子さんだ。


――可哀想だね。


二つの言葉が、おれのどこかで重なった。


「〈強襲〉、〈接触〉、〈転倒〉。これら三つを取り除いて残った〈死球〉こそが、キミの左側頭部に衝撃を与えた原因だよ。


……ここまでくれば、誰が〈死球〉を放ったか分かるだろう?



――即ちさ」

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保健室探偵と可哀想な人たち―さあ、アカツキをみにいこう?― 電磁幽体 @dg404

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