世界から色が消えたなら

etc

第1話

 西暦2024年、世界は突如として色彩を失った。

 原因は不明だが、とにかくすべての物体がモノクロの影絵となった。

 世界は白と黒のモノクロになり、灰色の濃淡でしか立体を捉えられない。


 人々は混乱と恐怖に陥り、街は騒乱に包まれた。

 学者は太陽光の変動と言い、宗教家は世界の終わりと言い、政治家は新たな政党を立ち上げると言った。


 音楽家のアリアはポーランド第四の都市・ヴロツワフの広場で、目を閉じてかつての色鮮やかな家々を思い出そうとする。

 しかし、目を開けば広がっているのはまるで昔の白黒映画の世界のようだった。


 鮮やかな花々は枯れ、緑豊かな森は灰色に染まり、青空は白く濁っていた。

 人々はモノトーンの服を着て、無表情に街を歩いていた。

 色彩療法は効果を失い、芸術家は創作意欲を失い、観光産業は衰退した。


 濃い灰色の髪と薄い灰色の肌をしたアリアは白と黒のピアノの前に座る。

 ヴロツワフの広場にはピアノが設置されて、誰もが弾けるようになっているのだ。


「世界から色彩が奪われても変わらなかったのはピアノくらいね」


 鍵盤を彼女の年老いた指が撫でると、規則的に爪が引っ掛かってカツカツと音が鳴った。

 構え、目を閉じる。

 かつて見た美しい景色や色彩を思い出しながら、街角の音楽を奏でた。


 道行く人が足を止める。

 モノクロの世界で生きる人々に希望を与えようと奮闘する音楽は人の心を打ったのだ。


 その音楽を聴いた人々は、初めて感情を露わにし、笑顔を浮かべた。

 アリアはそこで色を感じ取る。

 共感覚だ。人の感情に色を感じ取れるアリアは、様々な旋律を用いて色を再現する。


「なぜだ、色がわかるぞ!」


 誰かがこう叫んだ。

 アリアの音楽を通して人々はなぜか色彩の記憶を取り戻す。

 色のない世界になって宿った不思議な力とも言えるし、元からあったものの気付かれていなかった才能だとも言える。


 とにかくアリアの演奏には『音色』といった文字通りの作用があった。

 この才能が分かったのは50年も前のことだ。

 二十歳過ぎの彼女はウィーンの音楽大学を出るものの、グランドピアノではなく小さな教会のオルガンを弾く仕事に就いた。


 華々しい道とは正反対の生活を10年過ごし、夫と出会い、子どもを授かった直後、世界から色が消える審判の日が訪れる。

 それから1年ほど経った頃、音楽に色が宿る才能に気付いたのだ。

 それから西はアメリカ、東は日本までアリアは各地を巡って、無償で色彩のある音楽を演奏し続けた。


 アリアは、各地を旅しながら人々に音楽を聴かせ、色彩の記憶を呼び覚ました。

 それに触発された人々は、音楽によって心を解放し、モノクロの世界に色彩を想像し始める。

 色を感じる睡眠方法や色を思い出す料理というような、人々の眠っていた感覚を刺激する発明がいくつも生み出された。


 モノクロだからこそ出来る建築物や衣服の装飾があり、新しい芸術もある。

 それらはアリアから始まった色彩想起の発明と組み合わさった。

 モノクロだった世界は、徐々に色彩を取り戻し始めた。


 アリアの博愛によって、世界は再び色鮮やかな場所となった。

 人々は、色彩の大切さを改めて認識し、より豊かに生きることを学んだ。

 世界はいま美しく彩られている。

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