ダスキー・レッド
こやま智
ダスキー・レッド
15年前の今日、私は一人の赤ん坊を預かった。
ただの中年サラリーマンの私にそんな試練を与えてきたのは、当時世間を騒がせていたヒーロー戦隊の一人だった。
桃色のスーツを纏ったそのメンバーは女性だったが、ここ一年近くの戦闘には参加していなかった。残り4人で戦う他のメンバーたちの連携も悪く、苦戦が続いていたようだ。
私は彼らの活躍をテレビでしか見ることがなく、仕事帰りにこの女性メンバーに声をかけた時も、ヒーローの一人だとは知らなかった。素性を知ったのは、部屋に泊めていた彼女が失踪し、残された赤ちゃんの枕元に残された手紙を読んでからだった。
『親切なあなたを見込んで、この娘を預けます。
私はヒーローとしてメンバーに復帰し、また怪人たちと戦わなければいけません。私の色はピンクで、これからもそれ以外になることはできません。今回のことで、それを思い知りました。世界のためにも、他のメンバーとの関係を修復し、5人で協力し合えるようにならなければいけません』
メンバー間でどんな出来事があったのかわからないが、4人のうちの誰かが父親なのだろうことは想像がついた。
『私はヒーローとして生まれ、ピンクとして生きるよう両親に育てられました。両親の方針に反発し、荒れたこともありましたが、結局はこの人生しか残りませんでした。
ですが、この娘にはまだ色がついていません。
どんな人生も、自分の思うように生きることが出来るはずです。
私たちヒーローとは無関係のあなたに育てていただけるのであれば、娘はピンクに染まらずに生きていけると思いました。
大変なご面倒をおかけしますが、どうか娘をよろしくお願いします』
本当に大変なことになった、と思ったものだ。
独身で家族や親せきに頼るものもいない私が、赤ん坊を育てるのは到底無理に思えた。さほど貯えがあったわけでもなかったし、仕事も実のところ、熱を入れてやっていたわけでもなかった。行政にも相談したが、まさかヒーローが子供を見捨てて逃げた、と正直にいうわけにもいかない。
だが、アパートの大家や隣近所の住人が親切にしてくれたおかげで、何とかここまで人並みに育てていけたのだ。
娘は明るく、活発な女の子に成長した。
大きな病気をしなかったのは親譲りかもしれないが、時には高熱を出して慌てて病院に連れていくこともあった。服の選び方もまるで分らず、アパートの奥さん連中に頼り切りだった。
親のひいき目かもしれないが、顔だってアイドル並みだ。スタイルの評価は控えるが、クラスの男の子がたまにアパートの近くをうろつく程度にはモテている。よその父親のように反抗期を迎えて口をきいてもらえなくなる、というようなこともない。家事も一通り覚え、望めばどこの飲食店でも看板娘として迎えられるに違いない。
そんな娘とたわいない会話をしながら、TVをつけてビールを煽るのが、私の至福のひと時だった。
だが、そんな平穏な日々が今日、失われた。
『政府は18時より緊急閣僚会議を開き、今回現れた怪人への対応について協議を続けており―』
どのチャンネルも、夕方から緊急特番しか流していない。
12年ぶりに現れた怪人は、待ちゆく人々におかしな光線を浴びせて、言葉の自由を奪ったようだ。
被害者は敬語しか話せなくなり、かつ言葉の最後に「問題ありません」をつけるようになった。
怪人はその様子をみて高笑いし、
「みていろ!貴様ら日本人を全員いい返事しかできないようにしてやる!労働者は残らずホワイトだ!ホワイト企業しか残らないのだ!」
と言い残して姿を消したらしい。
私は興味津々でTVのニュースに見入っている娘からリモコンを取り上げ、ちゃぶ台をはさんで正座させた。残った缶ビールを一息で煽り、TVの電源をオフにすると、長い静寂が私たちを包んだ。
私は、初めて娘の生い立ちを本人に話した。娘は黙って聞いていた。
押し入れから彼女の母親の手紙を取り出して手渡すと、彼女はそれをゆっくりと読み、肩を震わせて泣いた。私は彼女が泣き止むまで、窓の外を眺めていた。
泣き止むと、彼女はアパートの大家のところに出かけて行った。
それが終わると、世話になっているアパートの住人の部屋をいくつか回り、長話をしていた。
本当なら極秘にするべき話なのだろう。だが大家も、アパートの住人も、家族のようなものだ。重い現実を聞かされて、一人では受け止めきれないのであれば、誰に相談するかなんてわかり切っている。
23時を回ったころ、彼女は住人たちを引き連れて部屋に戻ってきた。
「お父さん、私―あの怪人と戦うよ!」
私は黙って彼女の話を聞いた。
「お母さんは、私にヒーローになってほしくなかったかもしれないけどさ。私の人生自由に決めていいなら、私の色で戦えばいい、って思うんだ」
「そうか」
そんな予感はしていた。
私の娘だ。彼女のことなら、何でもわかる。
あの手紙を見せて、このニュースをみれば、この子がそう考えるのは火を見るより明らかだった。
「いい…かな?」
上目遣いで私の様子を伺うのをみて、思わず私は吹き出してしまった。
こんな女の子らしい仕草もするようになったのだ。
「もう!真面目に聞いてる!?」
「聞いてる、聞いてるよ」
私は、彼女の顔をまっすぐに見つめた。
「お前の決めたことだ。好きにしなさい」
その時、つけっぱなしにしていたTVから、ニュース速報を知らせる音が鳴り響いた。
TVをみんなが振り返ると、バラエティ番組からニューススタジオに切り替わり、アナウンサーが慌てた様子で速報を告げた。
「速報です。怪人が今度は歌舞伎町に出現しました。現場に中継がつながっています」
「はいこちら、新宿歌舞伎町からの中継です。怪人の放った光線により、繁華街の通行客や飲食店のスタッフが敬語になっています。繰り返します。歌舞伎町のゴロツキたちが揃って敬語になっています」
娘がこちらを見た。
「お父さん!」
覚悟を決めた目をしている。さすがはヒーローの血を引く娘だ。
父親は誰だかわからないが。
「よし、行ってこい」
「うん!」
何を着ていけばいいかわからなかったので、とりあえずジャージに着替えた娘を、みんなでアパートの前で見送った。
「あ、そうだ!お父さん」
「なんだ」
「お母さんはピンクのヒーローだったけど、私は――何色かな?」
「ん」
不意に聞かれて、戸惑った。
「無事帰ってきたら、教えてやる。行ってこい!」
誤魔化されたと感じたのか、娘は頬を膨らませた。
「もー…。行ってきます!」
踵を返して走り出し、あっという間に見えなくなった。
「あの子、本気を出せばあんなに速かったんかぁ…」
住人の親父の一人、シゲが呆れたように言った。
「シゲさん」
「あ?」
「シゲさんは、あの子を色に例えたら何色だと思う?」
シゲは顎をさすりながら、他の住人と目で会話をした後、こういった。
「ドドメ色だべ。あの年で、あんな下品な娘っこ、そうはいねえ」
住人達からドッ、と笑いが起こった。
「だよなあ…」
私は両手で顔を覆った。
やはり、早めに引っ越しておくべきだった。
ここの下劣な住人たちの言動に染まりすぎて、言うことなすことまるで品がないのが、彼女の唯一の欠点なのだ。
あの子、他のヒーローたちに馴染めるだろうか。
胃がキリキリと痛み出すのを感じた。
ダスキー・レッド こやま智 @KoyamaSatoshi
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