麦茶色の夜。

西奈 りゆ

私たちの色。

年中冷たい麦茶を飲んでいる。


もちろん、冷たい麦茶が一番合うと思うのは夏なんだけど、

私の家(といっても、私しかいないのだけれど)では、年中冷蔵庫で麦茶を冷やしている。


小学生のとき。低学年だったはず。

「好きな色」を発表する授業があって、「茶色」と答えたことがあった。

「お茶の色だから」と言うと、お茶は緑だとか、いや茶色だとか、子どもながらにいろいろな意見が飛び交ったけれど、どういう流れか私が年中冷たい麦茶を飲んでいるという話になったとき、変だよ、という話になった。


「寒いのになんで冷やしてるの?」


私の家を訪れたひとは、今でもこう尋ねてくることが多い。

もちろん、お客さんには温めて出すか、別の温かい飲み物を出しているのだけれど。

冷蔵庫に3本並んだ1リットルの水だし麦茶を見て、素直に驚いたという友人もそこそこいる。元カレにいたっては、あからさまに眉をひそめられたこともある。


おまけに、これは家族にとっても、私の大いなる謎だ。

木造の実家で、冬に歯と歯をガチガチいわせながら冷たい麦茶を飲んでいると、「お腹に悪いからそこ(テーブルの上。つまり常温)に出しておきなさい」と言われることもしばしば。正論である(もっとも、冬の冷たい台所に置いた麦茶は、冷蔵庫に置いておくのとたいして違いはなかったけれど)。


でも、ダメなのだ。いや、ダメだとまでは言わないけれど、なんか違う。

最近近所にお茶屋さんを見つけて、店主の気さくなお母さんに惹かれてちょくちょく通っているので、急須なんか買ったりして、緑茶、ほうじ茶なんかを淹れてたまに飲むようになったけれど、基本は変わっていない。

極めつけに、とうに大人になった私が週末の一人呑みにあてているのは、緑茶でもウーロンでもない、「麦茶ハイ」なのだ。


驚くことなかれ。というか、私もお茶割りは緑茶とウーロンしか知らなかったから、そういうものだと思っていた。でも試しにちょびっとだけ市販の麦焼酎で割ってみたら、はまってしまった。香ばしい麦の香りが膨らんで、たまらないのだ。


ということをしみじみと語っていると、「麦茶愛、つよ」と、向かいの桜子さくらこが言った。そういう彼女は、緑茶割りである。


偏愛へんあいってやつ? そこまでくると、感心するわ」


新しい氷を砕いている私を見やって、コンビニで買ったつくねをつまみながら、桜子が言った。


「んー、なんか覚醒するっていうか。身体が喜ぶっていうか。もう自分的にはこれなわけよ」


小学生のときとほとんど変わらないんじゃないかと思うような、不明瞭な理由づけである。「変だ」「変わってる」といくらいわれようと、私のこの「偏愛」に至った経緯は、今でも自分でさっぱり思い浮かばない。


「相変わらず変わってるね、涼子りょうこ


「そういう自分はどうなのよ」


「私はいたって平凡な女だよ」


これ、温めすぎだよとつくねを転がす彼女は、忙しい中、私のためにわざわざ時間をあててここに来てくれている。あー、これ冷めてきちゃったねと、唐揚げをかじりながら、言う。


突然の雇い止め。

非正規雇用とはいえ、もう毎年度ごとの更新が当たり前に感じていたわたしにとって、それは寝耳に水どころか、顔に煮え湯の話だった。

理由はわからない。私なりに仕事には一生懸命取り組んでいたし、上司や同僚との関係も悪くないと思う。それなりに「役に立てている」実感もあったし、仕事が早くて丁寧と言ってもらえたことも何度かある。だからこそ、ここ年度ごとの更新が油断してしまうほど当たり前になっていて、もちろんそれは自分の油断以外何物でもないけれど、ショックなものはショックだ。ひとつ確かなのは、私より後に入ってきた若い非正規の女の子が、正社に格上げされるということだけだ。


別に好きで非正規になったわけでもないし、それに甘んじているわけではないけれど、胸に手を当てればごもっともな厳しい意見は周りのあちこちから噴出し、「計画性がない」「どうして資格のひとつでも取っておかなかったのか」「自業自得だ」と、面と向かってなじられたこともある。「目の前の仕事に全力で、精一杯だった」という私の本音は、「要領が悪い」「世間知らずだ」「言い訳」と、バッサリ切り捨てられるのがほとんどだった。


「まあ、実直なのは涼子の良さではあるんだけどね」


その話を初めてしたとき、幼馴染の桜子はそう言った。

笑おうとしたのに失敗した、あの通話のとき。

ろくに開くこともなくなったスマホに、「完全に解決するわけじゃないけど」と、職業訓練校のPDFパンフを送ってくれたのも、桜子だった。

平日の夜に、総菜の袋を持って訪ねてきてくれたのも。


「まあ、先のことは分からないし、保証もできないけど」


温めなおした唐揚げの皿を手に、桜子が言う。


「とりあえず今日くらい、お祝いだよ」


グラスの中で、氷がとけてカランと音を立てる。


いつも変わらない冷たい茶色を手にして、いつも変わらずにいてくれる緑色のそれに、わたしはグラスをあてた。









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麦茶色の夜。 西奈 りゆ @mizukase_riyu

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