第24話 「Coda(コーダ)」

 校舎を出ると、さわやかな五月の匂いと共に遠くから野球部の掛け声が聞こえてきた。

 春の斜光しゃこうは一瞬で去り、けれど夏はまだ遠く。

 ひと月前よりも出番を増やした太陽が、西の空を茜色あかねいろに染め上げる。

 身を包み流れる優しい風に、俺は静かに身を奮わせた。

「——秀叶? どうしたの?」

 ふと、隣を歩く弦華が俺を見上げながら声をかけてくる。

 俺はハッと我に帰り、その愛らしい瞳に微笑ほほえみを返した。

「……これからが楽しみだ、って思ってさ」

 俺がそう言うと、弦華はニッと笑って頷いた。

「だね……! 私たちの一年は、始まったばっかりだよ‼︎」

 そう言って弦華は駆け出した。

 わけもなく感情のままに駆け出したその背中を、俺は少し遅れて追いかける。

「アハハ! 秀叶遅くな〜い?」

「うっせ! ハハ!」

 ただ走ることが、こんなに楽しいなんて初めて知った。

 俺たちはそのまま校門を駆け抜けて、駅までの道を二人で歩いた。


「——ねえ秀叶、私頑張るから」

 ふいに弦華が口を開く。

「必ずいつか、伝えるから。歌にでもして、届けるから。だから……、その時は逃げずに聞いてね!」

 前触れもないトーンの変化に、俺は冗談まじりに応える。

「ハハッ、なんだよそれ。まだ俺に言いたいことでもあるのか?」

「あるよ……。あの日、新しくできたの!」

 弦華はそう言って、ニカッと笑った。

「……わかった、聞くよ。っていうか、わざわざそんなこと言わなくても、弦華の曲は全部きくよ。当たり前だろ? だって俺は、弦華のサポーターなんだから!」

 俺が笑うと、弦華も笑った。

「ありがとう、秀叶」


 ——ありがとう、か。それは俺のセリフだ。

 弦華がいてくれたから、俺はもう一度歌を歌えた。

 弦華がいてくれたから、俺はもう一度立ち上がることができた。

 弦華がいてくれたから、俺は俺の知らなかった歌を知ることができた。


 ——初めて人に、歌を届けたいって思った。


 ずっと、歌は俺の中にさえあればいいって、そう思ってきた。

 けれど弦華と出会って、俺は初めて『二人の歌』を知ったんだ。

 想いを伝える、歌を知った。ココロを届ける、歌を知った。

 ——そしてそれは、一人では決して出会うことのできない、何よりも大きな喜びを俺にもたらしてくれた。


 ——歌は今でも、俺の半身はんしん

 けれど今、俺は二つの歌を知っている。

 ——その身に刻み、えがく歌。

 ——想いを託し、叫ぶ歌。

 それらはきっと、一つになれる。

 だから俺は、これからも歌う。


 あの日のこの火を歌にして。

 あの火をこの日、歌にして。

 あのは今日、この火となり、

 あの火は今日、このとなる。


 そう思えたのは全部、君がいてくれたから。だから——

「こちらこそありがとう、弦華」

 俺はまっすぐに、そう言葉を返した。

 栗色の髪をした愛らしい少女は、その愛らしさをそのままに笑顔で応えた。


 彼女と出会い、知ったこと。

 歌は届ける、人の想いを。時間も人も、乗り越えて。


 ——今どうしても、伝えたい。

 ——今どうしても、叶えたい。

 そう願う俺の目の前に、ただ一つ歌があったから……。


 だから俺は歩み出す。

 身に刻む歌はそのままに、これから新たに歌っていきたい。


 ——届ける歌を、歌っていきたい。


                                    (Fine)

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イドフリミエ 富士月愛渡 @aito24moon

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