第23話 「Segno(セーニョ) 3」

 月曜の朝、教室はいつもより少しだけにぎやかだった。皆、二日間話せなかった分たくさん話したいんだろう。

「あ! 弦華おはよ〜!」

「おはよっ!」

 友達のカレンの挨拶に、私——一ノ瀬弦華いちのせいとかは手を軽く振って応える。見ると、私以外の三人はもうカレンのもとに集まっていて、例に漏れず、月曜の会話を楽しんでいるみたいだった。もっとも、私たちは昨日も会っているのだけど。

「弦華、昨日は大丈夫だった?」

「なんか緊急事態だったんでしょ?」

「えっ! あ〜……。うん、なんとか大丈夫だった! ごめんね、突然帰ったりして」

 そう言って笑いながら顔を上げると、視線の先の秀叶に気づいた。秀叶は窓際の自分の席に座ったまま、校庭に面した窓の外を眺めている。

 私はグッと拳を握りしめて、唇をキュッと引き締めた。

「……あのさっ! ちょっと話したいことがあるんだけど!」

 思っていたよりも大きな声が出た。

「ん? なになに?」「なんかあった?」

 私の言葉に、彼女達が反応する。そんな悪意のカケラもない彼女達の顔が、私にはなんだか怖く感じられてしまう。

 ——けど大丈夫。たとえ受け入れられなくてもいい。人に理解されなくても、苦しくても、怖くても、

 ——いいから突き進め! って、そう彼が示してくれたから。


「私さ……、シンガーソングライターを目指してるんだ!」

 私の言葉に、リョウもカレンも、マミもホノカも皆んな目を丸くしている。だから私は、彼女達からの言葉を待たずに次の言葉を紡ぐ。

「——だから必ずまた曲を作る! MVも作る! 動画をあげるから……、その時はまた見てね!」

 自分の中で決心を踏み固めるように——たとえこのあと何を言われても、もう迷わないように——私はまっすぐに立って、言葉に宿した覚悟をそのまま表した顔で言い放った。


     *


「——だから必ずまた曲を作る! MVも作る! 動画をあげるから……、その時はまた見てね!」

 俺——野中秀叶のなかしゅうとは、視線を窓の外に向けたままその言葉を聞いていた。

 胸の中に、言葉にならない喜びがあった。

 ——あの歌が、彼女に届いた。俺の歌が、弦華の何かを変えたんだ。

 そう思えることが、たまらなく嬉しかった。


「……いいじゃん、私は応援するよ」

 少しボーイッシュな、リョウと呼ばれていた女子生徒が口を開く。

「え〜イイじゃん! 紅白とか行きなよ〜! 私めっちゃ自慢する〜」

 頭の悪そうな軽口ばかり口にする、何が本心なのかわからない軽薄けいはくそうなチャラチャラした女子生徒、マミが笑いながらそう言う。

「……いいね。夢があるって、すごく素敵!」

 五人の中では比較的おとなしめの少し抜けてるところがある女子生徒、ホノカがそう言う。

「え〜、朝から突然なに⁈ 弦華らしくないじゃん!」

 五人の中のリーダー格、少しサバサバした気の強そうな女子生徒、カレンがそう言った。

「……うん、確かに私らしくはないかも! でも女の子なんて簡単に変わるものでしょ? たった一つの恋とかで、さ……!」

 彼女達の言葉に、弦華は笑ってそう応えた。弦華が笑っていると、その声で分かった。

「——え! なにそれ! ひょっとしてビッグニュース⁈」

「アハハ! なんか言い方がロマンチストなんですけど〜」

「その話、詳しく……!」

「え? え⁈ 弦華、好きな人できたの⁈」

 瞬間、色めき出す彼女達を前に、弦華はイタズラっぽい笑みで応えた。


「——そう、恋したの。私の憧れ、歌を愛するシンガーソングライターにね!」


     *


 キーンコーンカーンコーン、キーンコーンカーンコーン。

 ——ガラガラ。

「いた……。秀叶くん、私もお昼ここで食べていい?」

「絵梨歌……。もちろん」

 絵梨歌はすっかり出しっぱなしになっている空き教室に並べられた三つの机と椅子のうち、一つの椅子を引いてそこに腰を下ろした。、

「……昨日はありがとな。あと、終わったあとそっけなくて悪かった……」

「ううん、大丈夫だよ。私もちょっと、感極かんきわまってたところあったから……」

 それはそうと——と、絵梨歌が続ける。

「弦華ちゃん、ちゃんと見てたみたいだね」

「ああ、絵梨歌も見てたのか、朝のあれ」

「『秀叶』にここまでさせたんだから、あれぐらいやってもらわなきゃ困るよ!」

 そう言って絵梨歌は鼻をフンと鳴らした。どこか怒ったようなその態度がとても絵梨歌らしく、もうすっかり仲良しだなとこっそり思った。


 昨日の配信は、最大同接どうせつ三百人という予想を大きく上回る成果を出した。アーカイブは動画として今も公開されており、そっちもそれなりに再生されている。

 コメントの方には、多少厳しいことやキツいことが書き込まれてもいるようだったが、これから徐々に、それらとのうまい付き合い方を見つけていきたいと思う。

 ——大丈夫。今の俺は、ここで歌う理由を見つけることができたのだから。


 新曲『アノヒコノヒ』についても、それなりに反響があった。

 それらの多くは肯定的なもので、なんだか拍子抜けしてしまうほどにありがたいコメントがたくさんあった。

 意外なことに、「この曲が一番好きかも」とか「初めてみたけど、この人の歌好き」というコメントもとても多かった。

 ——もしかしたら、たった一人に届けと作り上げた熱い火は、予期しなかった誰かの心にも火をつけたのかもしれない。

 ——そうして炎は、どんどんと燃え広がっていくのかもしれない。

 俺はふと、そんなことに気付かされた。


『また歌ってほしい!』

 俺が思っていた以上に、そんなコメントも多かった。

 ——きっとまた戻ってくるだろう。そんな確信が、自分の中にあった。

 ——けれどそれは、今じゃない。いつかまた、自分の全存在ぜんそんざいを賭けて伝えたい、届けたいと願ったナニカに出会った時、

 ——その時、俺は再びここに戻ってきて歌うのだろう。

 遠い空を眺めながら、俺は心のどこかでそう思った。


「……そういえば、昨日の配信、ちょっと気になる人がコメントくれてたよ」

「気になる人? だれ?」

「高校生シンガーソングライターの『MIRAI☆』って人。本人のアカウントでコメントくれてて、コメント欄がざわついてた……」

「——んぐっ! ゴホッ、ゴホッ!」

 絵梨歌の言葉に、俺は喉を詰まらせ咳き込む。

「ちょっ、大丈夫?」

「大丈夫大丈夫! それ、ほんと?」

「ほんと……。ホラ」

 絵梨歌は昨日の配信のアーカイブについたコメントを見せてくれる。

 それは確かに、今徐々に人気を集めている注目の若手アーティスト、そして門咲凛音かどさきりんねの姉でもあるシンガーソングライター『MIRAI☆』からのコメントだった。


『熱い!(炎 炎 炎 の絵文字)』


 たったそれだけのコメントだったが、彼女と比べればはるかに知名度の低い俺の動画を見つけて、こうしてコメントまで残してくれたことに、俺はかなり驚いた。

 それは他の視聴者さん達も同じのようで、多くの驚きのコメントが残されていた。中には『いつかコラボしてください!』なんて無茶なコメントもあり、俺はハハッと笑った。

「……すごくない?」

「すごいな、ありがたいよ」

「どうする? 返事する?」

 絵梨歌が目を輝かせながらそう言う。俺は少し考えてから、ゆっくりと首を振った。

「……いや、今はいいや。俺は俺で、自分の『歌』を歌い続けるさ」

 俺はそう言って微笑ほほえんだ。それを見て、絵梨歌も小さく笑った。


 ——ピロン

「おっ、ちょっと失礼」

 スマホの通知オンに、俺は断りを入れてからスマホを開く。

「いいよいいよ。私、その間ちょっとトイレ行ってくるから」

「ありがとう」

 ラインを開くと、そこには『堂前凪月どうまえなつき』の名前があった。もっとも、正確には『なつき(ドーナツの絵文字)』だが。

 今朝、あの朝の時間の後、色々相談に乗ってもらったお礼も込めて、凪月に——

『迷いは晴れた

届けたい想いも無事届けられた

ありがとう』

 ——とメッセージを送っていたのだった。

 凪月から送られてきたのは、それに対する返信。


『ほら、やっぱり君は大丈夫』


 たった一言。その一言の返信を見て、俺は小さく笑った。

 いかにも堂前凪月らしい言葉。だから彼女は、唯一無二なのだ。

 ありがとう——俺はそれだけ打ち込んで、送信ボタンを押した。


 ——ピロン

 その時、別の人からメッセージが届いた。

 俺は凪月とのトーク画面を閉じ、それを確認する。

「——っ‼︎」


『今日、一緒に帰ろ!

 放課後あの空き教室で待ってて!』


 それは、弦華からのメッセージだった。

 俺は息を呑み、『わかった』と入力する。送信すると、既読はすぐについた。

 ちょうどそこに絵梨歌が帰ってきて、俺はスマホをしまった。

 それきり弦華からの返信はなく、俺は妙にソワソワしたままその日の放課後を迎えた。


     *


 キーンコーンカーンコーン、キーンコーンカーンコーン。

 放課後になり、俺はひと足さきにこの空き教室に足を踏み入れた。

 いつも通り、最初の日からずっと変わらないことだ。教室をすぐに出れない彼女は到着が遅れ、俺はいつでも先にきて彼女を待っている。

 弦華との時間は、いつもここから始まっていた気がする。

 そう思うと、なんだかこの時間が愛おしく感じられた。


 ——そういえば、弦華と初めて話したのはこの教室だったな。

 俺は、多くの時間に覆い隠されて見えなくなっていた、出会いの日を思い出した。

 ——音楽の授業で初めて弦華の声を聞いて、それでなんだか歌いたい気分になって、この教室で歌っているところを弦華に見つかったんだっけ。


 俺はあの時と同じように、窓が正面にくるように廊下側に背を向けた位置に椅子を置いて、そこに腰掛けた。

 窓から見える鮮やかな景色は、あの頃よりも少しだけ夏に近づいている。

 俺は鼻からゆっくり息を吸って、ささやくように歌い始めた。


 ——「歌って不思議だね」僕思うの

 ——「歌って、好きだから」君が言うの


 弦華との想い出が染みついたこの教室に、新しい歌が流れ始める。


 ——真っ黒な空、僕と君のさ 二つの嘘、一つの部屋

 ——臆病な僕、不安な君 それでも笑って、くれたから


 ふと、廊下の方から誰かが近づいてくる音がした。

 今度は、気づくことができた。気づいた上で、俺は続ける。


 ——二人が始まり、僕は駆ける

 ——世界にまたひとつ、忘れたくないもの

 ——君が叫ぶから、僕も叫ぶ

 ——笑ってよ君、今、さあ! この歌うたうから


 そして、サビがやってくる。


「——炎がゆらいだ〜、君がつないだ聖火、消えることなき火よ〜」

 扉が開けられ、輝く少女の歌声が教室に飛び込んでくる。

 一瞬戸惑とまどう俺に、少女はニコッと笑った。

 それを見て、俺もフッと笑う。

「「僕は歌う、君の叫びのせいかな、僕も捧ぐ君に」」

 空き教室に、二人の声が響いた。


「……一ノ瀬さん、声綺麗だね。知らなかったよ」

 気づけば俺は、そんな言葉を紡いでいた。

 俺の言葉に目の前の少女は一瞬驚いた顔をして、それからイタズラっ子のように笑った。

「……うん。実は私、シンガーソングライター目指してるの!」

 少女は優しい瞳で俺を見つめ、俺より先に息をつなぐ。

「ただのシンガーソングライターじゃないよ! 圧倒的な歌声と熱いハートを持ちながら、実はとっても繊細で、人が思いもしないところで悩んだり苦しんだり傷ついたりするの……。でもその反面、誰よりも強くて、優しい。いざという時、自分を気遣うより先に人を気遣っちゃう人で、その姿で周りの人を心配させちゃうの。——でもその生き様は、周りにいる人に勇気をくれる。その歌が、生きる力になるの。……そんな、私を救ってくれたヒーローのような、そんなシンガーソングライターに私はなりたいんだ‼︎」

 そう言って、彼女はこれでもかってくらいニカッと笑った。

 俺はあっけに取られて丸くしていた目をフッと細めて、ささやくように笑った。

「……そっか」

「うん! ……だからね、私、野中くんにお願いしたいことがあるの!」

 彼女はニコッと笑って、その右手を差し出す。


「——私の二本目のミュージックビデオの作成を、手伝ってくれないかな?」


 スッと光が差し込んで、彼女と彼女を包む空間を明るく照らす。

 俺は立ち上がり、しっかりとその手を取った。

「——もちろんだ。またよろしくな、弦華!」

 俺が笑い、弦華も笑う。

「——うん! よろしくね、秀叶!」


 これは始まり? それとも終わり?

 きっと、その両方だ。

 俺と弦華、そして『秀叶』の第一楽章の終わり。

 そして同時に、始まりでもある。

 俺と弦華の新たな歩み、『秀叶』の新たな一歩。

 ——そうして世界は進んでいく。


 「始まり」は終わり、次の「終わり」に向かうための旅が始まる。

 だから、俺たちの物語はこれからも続いていく。


 ——まだ見ぬココロを追い求める音楽の旅路たびじに、「終わり」は存在しないのだから。

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