後編

 僕ほど恵麻のことを愛している男はいない。

 仕事以外の全ての時間は彼女に使っている。

 盗聴する機械だって、彼女の部屋に5カ所も付けた。

 安月給から頑張って捻出したんだ。

 彼女の部屋に忍び込むリスクだって侵した。

 世の中の男で好きな人のためにそこまでの危険を受け入れる奴がどれだけいる?

 その時点で僕は彼女にふさわしいんだ。


 彼女のためなら何でも出来る。

 顔は知らない。

 でも、彼女の全てを知っている。

 昼間以外は夜中の4時まで……いや、休みの日は昼間もだ。

 これって愛だよね。

 ヤバいな。


 入浴中の音を聞く度に毎回、やたらテンション上がってくる。

 これが一番幸せな時間だ。

 まるで一緒に入ってるみたいに感じる。

 機械を仕掛けるのも凄く楽しかった。

 画像付きに、とも思ったけど止めた。

 高かったのもあるし、バレるリスクも高い。

 何より、画像があると僕の中の夢が壊れるかも知れない。

 僕の中で恵麻はお気に入りのラノベのヒロイン、セーラなんだから。

 それを壊したくない。


 あっ、あぶなっ。

 考え事してて、うっかり恵麻の音を聞き逃す所だった。

 彼女はお風呂を出ると、着替えてからずっと鼻歌を歌っているようだ。

 今日は本当にご機嫌だな。

 ああ……ビールでも飲みたいな。

 幸せな恵麻の夜に乾杯したい。


 そんな幸福感に浸っているとき。

 突然彼女のラインの着信音が鳴った。

 無音。

 次に彼女の楽しそうな声が聞こえる。

 友達かな?

 前に恵麻は女友達であろう相手に向かって、彼氏が出来ないと愚痴っていた。

 大丈夫。

 君には僕がいる。


 と、思っていた時。

 彼女の声に僕は心臓が大きく鳴った。


「うん、うん……嬉しい! 早くお仕事終わったんだ? もちろんオッケー。もうご飯も作ってあるから。ごうくんの好きなウイスキーも用意してあるよ。……え? いいじゃん。私も一緒に飲みたい!」


 心臓が激しくなっている。

 耳にうるさいくらい。

 手足が冷える。

 耳以外の感覚が無くなったみたいだ。

 いや、違う。

 吐き気もする。

 気持ち悪い。


 恵麻の声が聞こえる。


「……もうお風呂も入ってるよ。え? やだ……そんな事言わないでよ。恥ずかしいじゃん……でも……うん、大丈夫だよ。一緒にお風呂入りたいもん」


 もういい。

 止めてくれ。

 彼氏出来ないんじゃなかったのか?

 あれは何なんだ?

 剛って誰だよ?

 分かんないけど、どうせチャラチャラした頭の悪い男なんだろ。

 そいつが恵麻に何をしてくれた?

 僕がしてるみたいな努力をしてるのか?

 君への頑張りは僕は……だれにも負けないのに。

 なのに何で裏切るんだ。

 それは間違ってるだろう。

 だったら、僕にどうして欲しいか言ってくれてもいいだろう?

 いくらでも直せたのに。

 それを言わずにそれかよ……


 次の瞬間、僕は持っていた受信機を反対の壁に投げつけていた。

 それはガインだかバコンだか分からない不快な音を立てて部品をまき散らした。

 それは僕の心が壊れた音のように聞こえた。

 

 納得できない。

 努力は報われる物だろう。

 愛は叶う物だろう。

 

 その時、ハッと気付いた。

 そうだ、冷静になれ。

 僕が悪いわけじゃ無い。

 僕は頑張ってきた。

 僕は何も間違っていないから自信を持てばいい。

 そう思うと、心が軽くなった気がした。


 そうだ。

 悪いのは恵麻だ。

 僕に調子のいいことばかり言って。

 人をその気にさせといて、脳みその無い男に騙されて裏切りやがって。

 人に夢を見させといて、裏切ってんじゃねえよ。

 責任取れよ。

 お前は僕を幸せにする責任があるだろう。


 そう思うと、僕はホッとため息をついてその場に寝転がった。

 迷いが晴れて気が楽になった。

 お陰でスッキリした。


 次の日。

 僕は自分の部屋のベランダを伝って、恵麻のベランダに降り立った。

 なんかスパイ物のドラマみたいでワクワクする。

 窓の中に見える彼女の部屋はまるでテーマパークみたいに見えた。

 これが女の子の部屋か……

 僕は興奮で手が震えるのを感じながら、窓ガラスを切ってロックを外した。

 手袋を付けてるとやりにくいな。

 

 そして中に入るとベッドを探した。

 この下に潜り込もう。

 そして彼女が帰ってきたら……

 その様子を想像して全身に心地よい鳥肌が立つのを感じ、深く深呼吸をする。

 やっとここまでの努力が報われる。

 僕の愛に正当な報酬が与えられるんだ。

 

 そんな事を考えて歩いていた僕は、フッと足が止まった。

 そして……身体が震えた。

 目の前には小さな鏡がかかっていた。


 僕は胃から何かが逆流してくるのを感じた。

 そこに映っている僕の顔。

 それは見たこと無いほど醜かった。

 醜悪な顔。

 僕は……こんな顔をしてたのか?

 

 これじゃあまるで犯罪者じゃないか。


 僕は泣きそうになりながら、ベランダから自分の部屋に戻った。

 そして、荷物をまとめるとネットで調べた夜逃げの業者に連絡し、逃げるように引っ越した。


 あれから1年が経つ。

 しばらくはいつ警察が来るかとビクビクし、パトカーを見るたびに酷い吐き気を感じていたけど、それもかなり落ち着いた。

 なぜって?


 今はもう大丈夫。

 だって、僕の心を支えてくれる新しい彼女が出来たから。

 彼女がいれば、僕はどんな辛いことも頑張れる。

 今度の彼女はきっと僕を裏切らない。

 そうならないようにする自信がある。

 今度こそ愛は勝つんだ。


 僕は家に帰ると黒光りする受信機を取り出した。


「ただいま。早耶香さやか


【完】

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京野 薫 @kkyono

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