近代の渡世術 ⑦
常陸乃ひかる
じゅうにんのいろ
明治28年(1895年)、冬。
神族もどきのロス・ウースは、種族間の内戦に巻きこまれるが、かつて因縁の相手だったゴロツキに助けられ、一命を取留めた。
「――おめえが
「あ、ありがとう。ところで貴方、どうしてここに?」
猪突猛進の件は
「以前から聞き及んでたアウト・キヤストに向かおうとしてたんだ。そうしたら、農村に軍を見つけてな。仲間たちには隠れてもらって、オレが
「ふん。辺境を頼るなんて、随分と都合が良いこと」
ロスはいつもの調子で憎まれ口を叩くが、このゴロツキと出会っていなかったらと思うと、ぞっとする。
「アウト・キヤストの場所は誰から聞いたの?」
「おう、それならそこに居る――」
ゴロツキは言葉尻を匂わせ、
黒いベルトもまた小気味善く、スカートから伸びた色白の両足は、すねまである茶色いブーツの中へと消えてゆく。そこには
「久しぶり、ロスちゃん! 息災だった? 怪我はしてない?」
ロスが善からぬ妄想を広げていると、その人物はワンピースよりも丈の短いブラウンのコートを翻し、
「ち……ちえちゃん? 良かった、無事だったんだ……本当に良かった」
久方振りに顔を合せた人物は、友人――
「逃げ足だけは早いのよ」
「あれ、
ロスが初めに口にしたのは、もうひとりの元同僚の名前だった。が、ゴロツキが連れてきた集団の中には
「下宿屋も襲われて、彼は拘束されてしまったわ。私はいち早く逃げることができたけれど。そのあと、この集団と出逢ったのよ」
そうして、あっさり聞かされる事実が胸に
「そっか……」
「過ぎてしまったことは仕方がないわ。けれど意外ね、
ちえは初対面の時のように、ロスの容姿を上下ジロジロと見てきたが、今回は厭な気分はしなかった。あの時のように引目がないからだ。
「わたし袴が好きなの、動きやすいし」
「――おめえら、くっちゃべってる場合じゃねえぞ。まずは怪我人を手当しねえといけねえ。その辺に転がってる仏さんも埋めるなりして、
会話に入ってきたゴロツキは、口こそ悪いが
「んじゃ、アウト・キヤストから援軍呼んでくるよ。人手は多いほうが良いでしょ」
「それは助かる。なにかあったらいけねえし、オレもついてってやるぜ」
場が混乱している今、ゴロツキの善意を断る理由はなかった。ひとつの目的のために行動してくれる協力者はただ心強かったのだ。
「あら、ロスちゃんには優しいのねぇ? 態度を入れ
一方ちえは両方の口角を上げて、目を細めると、どこまでもからかう姿勢を見せてきた。
「茶化してる場合か」
「ふたりじゃ心配だから私も行くわ」
「お母さんかよ」
悪戯めいたちえの態度が微笑ましかった。
顔を背けるゴロツキの態度が可笑しかった。
なぜだろう。ロスは今、無性に『生』を実感しながら、『生』に対して虚無を覚えていた。アウト・キヤストの長屋にこもっている時よりも、町で仕事をしていた時よりも、農民と交流していた時よりも、ずっとずっと――
村長には救援を呼んでくる旨を伝え、両者を連れたロスはアウト・キヤストへ向った。道中の沈黙は苦にならなかったが、最初に口を開いたのはちえだった。
「けれど因果なものね。相談所の同僚と、その相談所で門前払いを食らってたゴロが手を取合うなんて」
「ゴロはもうやめてくれ。オレは
「ふふっ。そのよっちゃんも、私も
この先ずっとつきまとう
「ねえ。ふたりは、この一件が片づいたらどこに行くの?」
ロスの簡潔な質問。顔を見合せ、「私はもっと遠い
「オレも大久保と同じ考えだ。オレらと人間の区別なんてつかねえし、身分隠してひっそりやってりゃ文句は云われねえさ」
ゴロ――世吉も似たような考えを口にした。
「ふふっ。
「あぁ、日陰で暮すのが関の山ってこったな」
「そう……」
軽い相槌――ロスは
「だいぶ
「みんな代表の自邸に居るからね」
急く気持を抑え、ロスは一直線にブラインド邸の前へゆき、
「えっ、あっ……」
が、その景色は、再会の不安や満悦などの想像を超えており、言葉を失ってしまった。ブラインド邸の
「え、ちょっと? この人、死んでいるわよ!」
「不気味だぜ。ここの奴ら全員やられちまったんじゃ」
争った跡や、部外者が侵入した形跡はなく、先ほどの光景が、そっくりそのままなくなっていたのだ。
「そ、あっ……みんな家に戻ったんだ。ブラインドさんは用事でどこかに……」
「あぁ、そうなのかもな」
否定も肯定もしない、世吉の冷静な相槌はまるで慰めだった。また、なにも返答しないちえの素振りこそ、すべての答だったのかもしれない。
「――誰か! ねえ、誰か居ないの!」
ロスは速足で一軒、また一軒と――戸を叩いては消沈を
「私たちの足跡しか残ってないわね」
「長屋からは、家具や食料がなくなってるな」
そうしてふたりは、不審そうに疑問と答を導いてくれた。
「あっ、そっか……わたし――」
見捨てられたのだ、と悟るほかなかった。
あまりにも急に訪れた孤独感により、
――アウト・キヤスト。今、そこは
音があるとすれば、
「おい、おめえ少し休んでけ。なんだ……日が沈んできたからよ」
無言の重圧をぶち壊してくれたのは、世吉のあからさまな気遣いだった。
「ありがと。貴方も適当な長屋を使って寒さを凌いで」
頷きながら世吉は、長屋へと消えていった。
「ロ、ロスちゃん……? あの、
それを見送ったちえが大きな一歩で近寄り、不自然な笑顔を見せてくる。
「それなら、代表の家のほうが広くて綺麗だよ。あぁ、転がってる死体なら、わたしが外に出しておくから」
ちえを突き放そうとした理由はわからなかった。いや――冷静に考えれば自棄だったと思う。けれど、突進してくるかのように強く抱きしめられて、人の温もりを感じた時、まだ自分の体には赤い血が流れているのだと実感した。
「
今のロスには、小さくも力強い一言を断れるだけの気力はなく、ただ感情なく頷いて――感情などなかったはずなのに、なぜだか透明の雫が両眼からこぼれて――ちえの御召物を汚してしまった罪悪に、ただの感謝が上書された。
ロスは黒いブーツを脱ぐと、汚れた袴も脱いで
「ロスちゃん、ひとつだけ……聞きたいことがあるのだけれど」
「なーに?」
「貴女は何者?」
「ふっ……人間だよ」
「そう、ね」
ふたりの短い問答は、どこか捨て鉢だった。
アウト・キヤストに漆黒が広がると、
ロスは
ひとりの女が覚悟を決めた時、絶望も一緒にやってきた。
思い描いていた終幕、新しい生き方の開幕。
否。もう
「貴女は……悪くないわよ」
それは寝言か、慰労か。ちえの心が耳に届くなり、身体は
翌朝。
眠気を引きずりながら戸を繰ると、眩しすぎる陽が昇っており、それを反射した
「よう、早いじゃねえか」
「おはよ」
世吉の存在で再認識した、己が置かれた状況。人を殺め、はたまた人に殺されかけ、挙句この男に助けられ、住民に見放され――
「ちえちゃんは?」
「散歩だろ」
「そっか。ねえ世吉、お腹減ってない? 一汁一菜で善ければ作ったげる。ちえちゃんも、お腹空いたら戻ってくるでしょ」
「おう。すまねえなぁ、いただくぜ」
溜めた水で顔を洗ったロスは、世吉を家に上げ、竈で米を炊き始めた。おかずは干物の炙りと、農民からもらった野菜をぶち込んだ味噌汁である。竈が足りないので隣の家の台所も借りて
もうすぐ朝食が完成しようという時分、戸口が叩かれた。
「はいはい、ちえちゃん――」
その姿を予想しながらロスが戸を繰ると、凛とたたずむ女と、その隣にちえの姿があった。客人はまるで見慣れない人物で――けれど人間ではなかった。そうかと云って、ロスたちのような人ならざる者とも立居が違う。
「はじめまして」と一言。女が
なにより眼を惹くのは鮮やかな
「あ、はじめまして……。どちら様?」
「わたくし、ラズワルドと申します。本来は山で平穏に暮す田舎者ですが、
ラズワルドと名乗った女が見せたのは自己紹介などではなく、こちら側に対する明瞭な
「え? 山から下りてきたって……貴女、もしかして本物の――」
たまらずロスが話をつなごうとすると、
「ロスちゃん……
と、ちえが白い息を吐きながら、軽い足踏みで催促していた。
「――わたくしも頂いて
ラズワルドの特徴的な笑い声が、長屋を反響する。
「作りすぎたんで。てか賄賂とか言うな」
ほどなく四人が手を合わせ、「いただきます」と唱えると、食事に集中した。ある程度のところで、
「先刻この辺りをブラブラしていたら、こちら――ラズワルドさんに出逢ったの。世間話をしているうちに、色々と濃厚な話も聞いてね」
「山に人影があったので驚倒いたしました。あゝ、彼岸の者なのだと」
「勝手に殺さないで頂戴……。でも、山で人に逢うと本当に怖いわね」
木立に立っている不気味な着物姿の女を想像し、ロスは鳥肌を覚えながら、「先生、質問です」と話を分断した。「どうぞ」と笑い声を重ねるラズワルド。
「この近代。浮世で神と呼ばれてる連中は、本当は神じゃない。少し特殊な力を持った、人ならざる者――要するに人間と変わりないって聞きました。では貴女は? もしかして、
元代表との『話さない』という盟約は、もうなんの意味も義理も成さない。ロスはいとも簡単に神の存在を否定し、皆の反応を窺った。が、元
「ふむ。時に御三方は、人間がなぜ戦争をするか御存知?」
ラズワルドは質問に答えず、むしろ自分の質問を放り投げたまま味噌汁をすすり、「温かい」と染み渡る感覚に浸っていた。
三人は顔を見合わせ、「民衆をアジテートしやすくなる」とロスが真っ先に答えた。「誰かが得をし、経済が動くからよ」とちえが続く。「バカだからだろ」と世吉は皮肉めいて笑う。一方ラズワルドは大根を頬張りながら、「おいひぃ」と目を細め、無言で何度か頷いていた。
「――あぁ、全員正解。それはあなたたちの存在と善く似ている。人界に『神族もどき』が居ると、その三つが発生するの、くふふ」
程なく箸と椀を置いたラズワルドは、親指、人差し指、小指を立てると、三人に向けてきた。
「要するに信仰宗教?」
「のちに一種のビジネスになるのね」
「そしてバカは、カモになるってワケか」
なんだか話を上手く逸らされた気がして、ロスは首を傾げた。対面で手を引っこめたラズワルドは、ふたたび食事を始めてしまう。だいぶ美味しそうにしているが、普段なにを食べているのだろう。――やはり
しばらく無言が続き、
「では、わたくしはどうして人界に姿を見せないのでしょーか?」
ラズワルドが、要領を得ない質問を繰り返してきた。
「そりゃ、ややこしい奴が増え――あーぁ……」
が、即答したロスは自らの答えに納得を示した。ややこしくなった結果が、現在の内戦である。神を語る者がビジネスをすれば破滅の一途を辿る。そんな典型的な例を有頂天が見せてくれたではないか。
「くふふ。さてさて、くだらない話はこの辺にして――せんだっては、
斜向かいで、ちえは頷いていた。世吉は目を見開いており、ロスは「いつ!」と大きめの声で迫ってしまった。ほどなく山神は
開いてみると本日の日付。大見出に『神族との戦い、終戦へ』と書かれていた。
「いや、今日の新聞なんてどこで……?」
「企業秘密でーす。さあ、これでひとまず安泰になりました。が、これからどうしたいの? ロスさんは」
「いや、アウト・キヤストの再建を――」
「再建ったって人が居ねえじゃねえかよう」
ここで世吉の指摘が入るのは先刻承知していた。だからこそ「ふん」と、ロスはわざとらしく鼻で笑う仕草を見せた。一夜を越し、もうロスの腹は
「居るじゃん。ここに優秀な人材が三人も」
ロスの自信に満ち溢れた返答に、ふたりが顔色を変え、ひとりが笑っていた。
「って、おい! オレは遠くで――」
「ちょっと……私も入っているの? せっかく内戦が終わったのに」
「みんなで賄賂を食べたから、もう決定みたいですね。くふふ」
呆れた表情で天井を仰ぐ者、厭気がさしたように溜息をつく者、まるでロスの意見を悟っていたようにニヤニヤする者。
「私もブラインドみたいに逃げようかしら……」
「おう。あす逃亡するとして――まあ、一応聞くぞ。再建ってどうすんだ?」
「そもそも、『神』なんて胡散臭い肩書があるからダメなの。初めから人間を取締役の地位にアサインして、新しい名前で起業すれば良いだけのこと」
「おめえ、会社作んのか?」
「わたしたちは畢竟、浮世に馴染まなければ生きてゆけない。それは、この
ロスは、ボロボロになった『神族ノ行イニ関スル留書』を袂から取り出し、それを開いてみせる。どこの誰が書いたかもわからぬ
「オレらが人間と手を取合い……?」
「事業に尽すってこと?」
「当然、賃金は払うよ」
「どっから出てくんだよ、そんな金が」
「世吉には言ってなかったけど、わたし親の莫大な遺産を受け継いでるんだよ。だから働かずに、酒飲んで、ダラダラここで生活してたんだから」
「ダメ人間かよ!」
今さらなにを云っているのだろう、この男は。ロスは立ち上がり、四畳半の奥――枕屏風と布団をどかして半畳を剥がすと、その下から千両箱を取出した。そうして重量のあるそれを自分が座っていたところに置いて、
「何円あるか数えてないけど、それなりにあるよ」
と、現金な圧力を放ってみせた。
「ボンボンなら、その遺産で暮せるだろ。なんで、こんな僻地に?」
「それがわからないから、こうして近代まで流されてきたんだよ。それに人間の寿命ならまだしも、わたしは長生きするしさ」
「ロス、おめえ……」と世吉が云いかける。横で、あごに手を当てたちえがずっと考える素振りをしている。ラズワルドは無表情で場を
ロスは姿勢を正し、わざとらしく咳払いをすると三人の視線を集めた。
「世吉、ちえちゃん、ラズワルドさん、わたしに力を貸してください。冥途に遺産は持ってけないし、このままじゃ酒代に消えて終わるだけ。三人ともイロモノばかりだけど、わたしは――御三方を信用いたします」
口調も声質もがらっと変えたロスは三人を見下ろし、
「わたしはアウトキャスト代表――ロス・ブラインド。それで良いじゃないですか」
託宣のごとく、凛として云放った。長い長い沈黙が訪れ、ロスはひたすらキッカケを待った。
「オレはロスの一喝で、初めの一歩を踏み出したのかもしれねえ。だったら、仲間の新たな一歩くらいには……まあ、付き合ってやるか」
先に世吉が、普段の何倍も優しい口調で首肯してくれた。
「やれやれ。元同僚が、今度は上司になるなんてね」
皮肉めいて、ちえが続いた。
「くふふ。わたくしはどうせ
最後に暇人の山神が笑い――ひとまず意見はまとまった。一見すんなりと、また珍妙に創業メンバーが極まったが、内心ロスは三名の反応を聞くのが怖くて仕方がなかった。今でも胸がドキンドキンしている。
とはいえ、農村に残っている農民とゴロツキたちが、ロスにつくとは限らないし、事業内容だってフワフワしている。課題はこれから山積みだ。
「ではお祝いに、少しだけ開拓して差し上げましょう」
そうした中、ラズワルドが妙な一言を口にすると、指を軽くパチンと鳴らした。
「え? なにを――」
ロスが聞き直すよりも早く、一帯に地響きが起きた。ぐらぐらと揺れる長屋で、茶碗が小刻みに動き、箸が転がり、ロスはよろめいた。
大地震にでも見舞われたように世吉とちえがパニックになる中、ロスは慌てて戸を開けると外に出た。長屋の目の前――木木が立ち並んでいた山の一部は、
これが開拓――
「う、嘘でしょ?」
「おい、出鱈目にも程があるだろ……」
「元来、わたくしの山ですから」
ここで完全に時が止まった。会話の主導権が山神にあるのは明白だった。
「さて。ロスさんは、わたくしになにをお望みですか? くふふ」
「むしろ、ラズワルドさん……貴女はなにを望んでいるんですか」
「美味しいご飯。あとは――あなた次第です」
山神の薄笑いが恐ろしくて、ロスは奥歯を食いしばった。
とんでもない人物を仲間にしたのかもしれないと、後悔とは異なる感情を背負い、これから移り変ってゆく浮世に、
近代の渡世術 ⑦ 常陸乃ひかる @consan123
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