近代の渡世術 ⑦

常陸乃ひかる

じゅうにんのいろ

 明治28年(1895年)、冬。

 神族もどきのロス・ウースは、種族間の内戦に巻きこまれるが、かつて因縁の相手だったゴロツキに助けられ、一命を取留めた。


「――おめえが猪武者いのししむしゃだと知ってりゃあ、ちゃんと止めたんだがな」

 いながらゴロツキの男は、農村に広がる戦禍を見渡した。

「あ、ありがとう。ところで貴方、どうしてここに?」

 猪突猛進の件は聞流ききながし、ロスはこの再会を言及した。

「以前から聞き及んでたアウト・キヤストに向かおうとしてたんだ。そうしたら、農村に軍を見つけてな。仲間たちには隠れてもらって、オレが斥候せっこうしてたわけよ」

「ふん。辺境を頼るなんて、随分と都合が良いこと」

 ロスはいつもの調子で憎まれ口を叩くが、このゴロツキと出会っていなかったらと思うと、ぞっとする。

「アウト・キヤストの場所は誰から聞いたの?」

「おう、それならそこに居る――」

 ゴロツキは言葉尻を匂わせ、襤褸ボロを着た集団に目を配らせた。そのうち人垣の中に後光が差し、掃溜はきだめに舞降りた鶴のような人物は、『景色』から『物体』と化し、靴音を鳴らして、しゃなりしゃなりとロスに近づいてきた。

 雪風ゆきかぜになびく茶色い長髪。着衣した上下一体の洋装ワンピースは全体が淡い灰色ライトグレーをしており、白い襟がついている。膝丈ひざたけあわせたスカートの裾の内側には、白い縁飾りフリルが縫いつけられ、程善い対比効果が出ていた。

 黒いベルトもまた小気味善く、スカートから伸びた色白の両足は、すねまである茶色いブーツの中へと消えてゆく。そこにははばかるような女子おなごの秘め事を感じてしまう。決して他人には見せてはいけない感じをもって、けれども恥部とはまったく異なる場所であって――

「久しぶり、ロスちゃん! 息災だった? 怪我はしてない?」

 ロスが善からぬ妄想を広げていると、その人物はワンピースよりも丈の短いブラウンのコートを翻し、なまめかしい声をもって、得物を差しているほうとは逆の手を握ってきた。瞬間的に花の香がふんわりと漂い、ロスの鼻をくすぐる。

「ち……ちえちゃん? 良かった、無事だったんだ……本当に良かった」

 久方振りに顔を合せた人物は、友人――大久保おおくぼちえだった。二年前、一緒に働いていた相談所の時とは異なる装いを、今はいとも容易く着こなしている。

「逃げ足だけは早いのよ」

「あれ、島津しまづくんは? 一緒じゃないの?」

 ロスが初めに口にしたのは、もうひとりの元同僚の名前だった。が、ゴロツキが連れてきた集団の中には見当みあたらない。

「下宿屋も襲われて、彼は拘束されてしまったわ。私はいち早く逃げることができたけれど。そのあと、この集団と出逢ったのよ」

 そうして、あっさり聞かされる事実が胸に突刺つきささった。島津とは私的な付き合いがなかったが、元同僚の悲報を聞いて心が痛くならない者なんて居ない。

「そっか……」

「過ぎてしまったことは仕方がないわ。けれど意外ね、貴女あなたのような異端児はすでに洋装ようそうだと思ったのだけれど」

 ちえは初対面の時のように、ロスの容姿を上下ジロジロと見てきたが、今回は厭な気分はしなかった。あの時のように引目がないからだ。

「わたし袴が好きなの、動きやすいし」

「――おめえら、くっちゃべってる場合じゃねえぞ。まずは怪我人を手当しねえといけねえ。その辺に転がってる仏さんも埋めるなりして、きょうでも唱えてやんねえと薄気味悪くて仕方ねえぜ」

 会話に入ってきたゴロツキは、口こそ悪いが云分いいぶんは至当だった。脅威が去った今、やるべきことはひとつである。

「んじゃ、アウト・キヤストから援軍呼んでくるよ。人手は多いほうが良いでしょ」

「それは助かる。なにかあったらいけねえし、オレもついてってやるぜ」

 場が混乱している今、ゴロツキの善意を断る理由はなかった。ひとつの目的のために行動してくれる協力者はただ心強かったのだ。

「あら、ロスちゃんには優しいのねぇ? 態度を入れかえるのかしら?」

 一方ちえは両方の口角を上げて、目を細めると、どこまでもからかう姿勢を見せてきた。

「茶化してる場合か」

「ふたりじゃ心配だから私も行くわ」

「お母さんかよ」

 悪戯めいたちえの態度が微笑ましかった。

 顔を背けるゴロツキの態度が可笑しかった。

 なぜだろう。ロスは今、無性に『生』を実感しながら、『生』に対して虚無を覚えていた。アウト・キヤストの長屋にこもっている時よりも、町で仕事をしていた時よりも、農民と交流していた時よりも、ずっとずっと――


 村長には救援を呼んでくる旨を伝え、両者を連れたロスはアウト・キヤストへ向った。道中の沈黙は苦にならなかったが、最初に口を開いたのはちえだった。

「けれど因果なものね。相談所の同僚と、その相談所で門前払いを食らってたゴロが手を取合うなんて」

「ゴロはもうやめてくれ。オレは世吉よきちってんだ」

「ふふっ。そのも、私もおわったってことね。神族の居る時代はこれで幕引き。力を示そうとした結果、返り討ちに遭う種族なのだから、これは自然淘汰よ」

 この先ずっとつきまとう内憂外患ボトルネックが、長い沈黙を生み出した。誰が口を開くかという我慢比べになっていたが、ロスはふたりとの繋がりリンクを忘れかけ、云い知れぬ隔たりを感じた。

「ねえ。ふたりは、この一件が片づいたらどこに行くの?」

 ロスの簡潔な質問。顔を見合せ、「私はもっと遠いところくらそうかしら」とちえ。

「オレも大久保と同じ考えだ。オレらと人間の区別なんてつかねえし、身分隠してひっそりやってりゃ文句は云われねえさ」

 ゴロ――世吉も似たような考えを口にした。

「ふふっ。畢竟ひっきょう、誰も私たちのことなんて認めてくれないわよ」

「あぁ、日陰で暮すのが関の山ってこったな」

「そう……」

 軽い相槌――ロスは振返ふりかえらず、木木きぎの間を縫ってゆくと、丸太で作った門が見えてきて、住家に何日も帰っていない錯覚を覚えた。寒空の下、雪が少しつもり、一面は白と地表の色が混じったまだら模様が広がっている。

「だいぶ閑散かんさんとしているわね」

「みんな代表の自邸に居るからね」

 急く気持を抑え、ロスは一直線にブラインド邸の前へゆき、二三度にさんど戸を叩いた。が、物音は生れず、得体の知れない胸騒ぎを抑えられなかった。はてなと思ったロスは、断りもなく戸を繰るのに抵抗を覚えながら、「開けますよ」と強い口調で虚栄を張り、戸に手をかけて中を覗いた。

「えっ、あっ……」

 が、その景色は、再会の不安や満悦などの想像を超えており、言葉を失ってしまった。ブラインド邸の有様ありように目を疑ったのは、なにもロスだけではなかっただろう。数刻前まで同族が暖を取っていた囲炉裏いろりの火は消えており、自在鉤じざいかぎにかかっている鉄瓶からも湯気の気配がなく、冷たくなった農民が転っているだけなのだから。死に物狂いで急告してくれた農民に、手当のあとはない。

「え、ちょっと? この人、死んでいるわよ!」

「不気味だぜ。ここの奴ら全員やられちまったんじゃ」

 争った跡や、部外者が侵入した形跡はなく、先ほどの光景が、そっくりそのままなくなっていたのだ。

「そ、あっ……みんな家に戻ったんだ。ブラインドさんは用事でどこかに……」

「あぁ、そうなのかもな」

 否定も肯定もしない、世吉の冷静な相槌はまるで慰めだった。また、なにも返答しないちえの素振りこそ、すべての答だったのかもしれない。

「――誰か! ねえ、誰か居ないの!」

 ロスは速足で一軒、また一軒と――戸を叩いては消沈を繰返くりかえし、アウト・キヤストが廃村になった事実を受入れていった。

「私たちの足跡しか残ってないわね」

「長屋からは、家具や食料がなくなってるな」

 そうしてふたりは、不審そうに疑問と答を導いてくれた。

「あっ、そっか……わたし――」

 見捨てられたのだ、と悟るほかなかった。

 あまりにも急に訪れた孤独感により、涕涙ているいさえ忘却し、ロスの心に残ったのは憫然びんぜんたる儚さだった。


 ――アウト・キヤスト。今、そこは粛然しゅくぜんとしていた。

 音があるとすれば、深深しんしんという耳に届かぬ擬音だけで、地に落つ白雪しらゆきのように時間ばかりが積っていった。

「おい、おめえ少し休んでけ。なんだ……日が沈んできたからよ」

 無言の重圧をぶち壊してくれたのは、世吉のあからさまな気遣いだった。

「ありがと。貴方も適当な長屋を使って寒さを凌いで」

 頷きながら世吉は、長屋へと消えていった。

「ロ、ロスちゃん……? あの、かったら泊めてくれない?」

 それを見送ったちえが大きな一歩で近寄り、不自然な笑顔を見せてくる。

「それなら、代表の家のほうが広くて綺麗だよ。あぁ、転がってる死体なら、わたしが外に出しておくから」

 ちえを突き放そうとした理由はわからなかった。いや――冷静に考えれば自棄だったと思う。けれど、突進してくるかのように強く抱きしめられて、人の温もりを感じた時、まだ自分の体には赤い血が流れているのだと実感した。

いから……! 泊めて頂戴」

 今のロスには、小さくも力強い一言を断れるだけの気力はなく、ただ感情なく頷いて――感情などなかったはずなのに、なぜだか透明の雫が両眼からこぼれて――ちえの御召物を汚してしまった罪悪に、ただの感謝が上書された。

 ロスは黒いブーツを脱ぐと、汚れた袴も脱いで半纏はんてんを羽織った。ちえも同じように茶色い履物を脱ぎ、畳の上で膝を抱えた。

「ロスちゃん、ひとつだけ……聞きたいことがあるのだけれど」

「なーに?」

「貴女は何者?」

「ふっ……人間だよ」

「そう、ね」

 ふたりの短い問答は、どこか捨て鉢だった。


 アウト・キヤストに漆黒が広がると、夜雲やうんが切れていった。顔を見せた寒月かんげつが一帯を青白く染め、障子窓がない代りに、戸口から斜めに下りてくる月魄げっぱくの溜息が、四帖半よじょうはんまでギリギリ届き、ちえの蒲団ふとん陰翳いんえいをつける。友人の影法師シルエットが、掛蒲団越しにゆっくりと上下し、睡魔の波で揺れ動く。

 ロスはしんけず、つらつらと思い見る。

 有頂天セブンスヘブンの目論見が外れ、その指示で動いていたブラインドがここを捨てるのは、あまりにも至当な選択であった。彼はひとりの落ちこぼれを残し、ほかの仲間を救った。住民の心を離さないで――という約束は守ってくれたのだから、なにも云うまい。

 ひとりの女が覚悟を決めた時、絶望も一緒にやってきた。

 思い描いていた終幕、新しい生き方の開幕。

 うつつか妄想か。どちらが白で、どちらが黒か。

 否。もう拍子木ひょうしぎ打鳴うちならし、幕を閉じても誰も文句は――

「貴女は……悪くないわよ」

 それは寝言か、慰労か。ちえの心が耳に届くなり、身体は一匁いちもんめよりも軽くなり、すっと眠りに落ちていった。


 翌朝。

 眠気を引きずりながら戸を繰ると、眩しすぎる陽が昇っており、それを反射した一面フィールドが銀色に輝いていた。耳には多用な鳥の声と、サクサクと近づく足音。

「よう、早いじゃねえか」

「おはよ」

 世吉の存在で再認識した、己が置かれた状況。人を殺め、はたまた人に殺されかけ、挙句この男に助けられ、住民に見放され――

「ちえちゃんは?」

「散歩だろ」

「そっか。ねえ世吉、お腹減ってない? 一汁一菜で善ければ作ったげる。ちえちゃんも、お腹空いたら戻ってくるでしょ」

「おう。すまねえなぁ、いただくぜ」

 溜めた水で顔を洗ったロスは、世吉を家に上げ、竈で米を炊き始めた。おかずは干物の炙りと、農民からもらった野菜をぶち込んだ味噌汁である。竈が足りないので隣の家の台所も借りて朝餉あさげの準備をする間、男は黙りこくっていた。寡黙かもくというより、ロスに近い性格なのかもしれない。

 もうすぐ朝食が完成しようという時分、戸口が叩かれた。

「はいはい、ちえちゃん――」

 その姿を予想しながらロスが戸を繰ると、凛とたたずむ女と、その隣にちえの姿があった。客人はまるで見慣れない人物で――けれど人間ではなかった。そうかと云って、ロスたちのような人ならざる者とも立居が違う。

「はじめまして」と一言。女がかもすのは荘厳そうごんさ、また達観だった。眠たそうな垂れた目尻が特徴で、いやに黒目がち。蒼黒そうこくの巻き毛はどこか冷たそうで、表情はあまりない。背丈はロスよりも少しだけ大きく、しゃべるたびに口元のほくろが動いていた。

 なにより眼を惹くのは鮮やかな瑠璃色るりいろの着物である。それ以外――帯も下駄も、全体に散りばめられた雪の結晶も、また縮緬ちりめん肩掛鞄ショルダーバッグも純白をしていた。加えて素足なのだから、こんな山奥に来る衣装では絶対にない。

「あ、はじめまして……。どちら様?」

「わたくし、ラズワルドと申します。本来は山で平穏に暮す田舎者ですが、人界じんかいが騒がしくなったので山を下りてみれば斯様かよう有様ありよう。そうしてアウト・キヤストに来てみればもぬけの殻。くふふ、ついにあなたたちも終焉の時?」

 ラズワルドと名乗った女が見せたのは自己紹介などではなく、こちら側に対する明瞭な厭味いやみ、また問い掛けだった。不思議かな、厭な感じはしなかった。

「え? 山から下りてきたって……貴女、もしかして本物の――」

 たまらずロスが話をつなごうとすると、

「ロスちゃん……くわしい話は中で、ね」

 と、ちえが白い息を吐きながら、軽い足踏みで催促していた。


 九尺二間くしゃくにけんに四人も集まると、なかなかに窮屈だった。が、ロスは妙な興奮を覚えながら、出来上がった朝食を人数分よそった。

「――わたくしも頂いていのですか? くふふ、この美味しそうな賄賂」

 ラズワルドの特徴的な笑い声が、長屋を反響する。

「作りすぎたんで。てか賄賂とか言うな」

 ほどなく四人が手を合わせ、「いただきます」と唱えると、食事に集中した。ある程度のところで、

「先刻この辺りをブラブラしていたら、こちら――ラズワルドさんに出逢ったの。世間話をしているうちに、色々と濃厚な話も聞いてね」

「山に人影があったので驚倒いたしました。あゝ、彼岸の者なのだと」

「勝手に殺さないで頂戴……。でも、山で人に逢うと本当に怖いわね」

 木立に立っている不気味な着物姿の女を想像し、ロスは鳥肌を覚えながら、「先生、質問です」と話を分断した。「どうぞ」と笑い声を重ねるラズワルド。

「この近代。浮世で神と呼ばれてる連中は、本当は神じゃない。少し特殊な力を持った、人ならざる者――要するに人間と変わりないって聞きました。では貴女は? もしかして、本物マジの山神ですか?」

 元代表との『話さない』という盟約は、もうなんの意味も義理も成さない。ロスはいとも簡単に神の存在を否定し、皆の反応を窺った。が、元有頂天セブンスヘブンに所属していたふたりに驚いた様子はなかった。やはり知った上で、『神』という概念を借用していたのは明瞭である。

「ふむ。時に御三方は、人間がなぜ戦争をするか御存知?」

 ラズワルドは質問に答えず、むしろ自分の質問を放り投げたまま味噌汁をすすり、「温かい」と染み渡る感覚に浸っていた。

 三人は顔を見合わせ、「民衆をアジテートしやすくなる」とロスが真っ先に答えた。「誰かが得をし、経済が動くからよ」とちえが続く。「バカだからだろ」と世吉は皮肉めいて笑う。一方ラズワルドは大根を頬張りながら、「おいひぃ」と目を細め、無言で何度か頷いていた。

「――あぁ、全員正解。それはあなたたちの存在と善く似ている。人界に『神族もどき』が居ると、その三つが発生するの、くふふ」

 程なく箸と椀を置いたラズワルドは、親指、人差し指、小指を立てると、三人に向けてきた。

「要するに信仰宗教?」

「のちに一種のビジネスになるのね」

「そしてバカは、カモになるってワケか」

 なんだか話を上手く逸らされた気がして、ロスは首を傾げた。対面で手を引っこめたラズワルドは、ふたたび食事を始めてしまう。だいぶ美味しそうにしているが、普段なにを食べているのだろう。――やはりかすみか。

 しばらく無言が続き、

「では、わたくしはどうして人界に姿を見せないのでしょーか?」

 ラズワルドが、要領を得ない質問を繰り返してきた。

「そりゃ、ややこしい奴が増え――あーぁ……」

 が、即答したロスは自らの答えに納得を示した。ややこしくなった結果が、現在の内戦である。神を語る者がビジネスをすれば破滅の一途を辿る。そんな典型的な例を有頂天が見せてくれたではないか。


「くふふ。さてさて、くだらない話はこの辺にして――せんだっては、有頂天セブンスヘブンが降伏したことにより内戦は終結いたしました。その話は御存知?」

 斜向かいで、ちえは頷いていた。世吉は目を見開いており、ロスは「いつ!」と大きめの声で迫ってしまった。ほどなく山神は肩掛鞄ショルダーバッグから四つ折りの新聞を取出し、それをロスに手渡してきた。

 開いてみると本日の日付。大見出に『神族との戦い、終戦へ』と書かれていた。有頂天セブンスヘブンが降伏したことにより、神族への攻撃は完全に中止されたという。

「いや、今日の新聞なんてどこで……?」

「企業秘密でーす。さあ、これでひとまず安泰になりました。が、これからどうしたいの? ロスさんは」

「いや、アウト・キヤストの再建を――」

「再建ったって人が居ねえじゃねえかよう」

 ここで世吉の指摘が入るのは先刻承知していた。だからこそ「ふん」と、ロスはわざとらしく鼻で笑う仕草を見せた。一夜を越し、もうロスの腹はきまっていたのだ。

「居るじゃん。ここに優秀な人材がも」 

 ロスの自信に満ち溢れた返答に、ふたりが顔色を変え、ひとりが笑っていた。

「って、おい! オレは遠くで――」

「ちょっと……私も入っているの? せっかく内戦が終わったのに」

「みんなで賄賂を食べたから、もう決定みたいですね。くふふ」

 呆れた表情で天井を仰ぐ者、厭気がさしたように溜息をつく者、まるでロスの意見を悟っていたようにニヤニヤする者。

「私もブラインドみたいに逃げようかしら……」

「おう。あす逃亡するとして――まあ、一応聞くぞ。再建ってどうすんだ?」

 此奴等こやつら、なにゆえ逃げる前提なのか。ロスはふたりを睨むように、口を尖らせた。

「そもそも、『神』なんて胡散臭い肩書があるからダメなの。初めから人間を取締役の地位にアサインして、新しい名前で起業すれば良いだけのこと」

「おめえ、会社作んのか?」

「わたしたちは畢竟、浮世に馴染まなければ生きてゆけない。それは、この留書とめがきにも書いてあったこと」

 ロスは、ボロボロになった『神族ノ行イニ関スル留書』を袂から取り出し、それを開いてみせる。どこの誰が書いたかもわからぬ留書とめがきだが、案外まともなことが書いてあるのだ。

「オレらが人間と手を取合い……?」

「事業に尽すってこと?」

「当然、賃金は払うよ」

「どっから出てくんだよ、そんな金が」

「世吉には言ってなかったけど、わたし親の莫大な遺産を受け継いでるんだよ。だから働かずに、酒飲んで、ダラダラここで生活してたんだから」

「ダメ人間かよ!」

 今さらなにを云っているのだろう、この男は。ロスは立ち上がり、四畳半の奥――枕屏風と布団をどかして半畳を剥がすと、その下から千両箱を取出した。そうして重量のあるそれを自分が座っていたところに置いて、

「何円あるか数えてないけど、それなりにあるよ」

 と、現金な圧力を放ってみせた。

「ボンボンなら、その遺産で暮せるだろ。なんで、こんな僻地に?」

「それがわからないから、こうして近代まで流されてきたんだよ。それに人間の寿命ならまだしも、わたしは長生きするしさ」

「ロス、おめえ……」と世吉が云いかける。横で、あごに手を当てたちえがずっと考える素振りをしている。ラズワルドは無表情で場を傍観ぼうかんしているが、なぜだか感情が伝わってくる。今、この瞬間を愉しむ心が。


 ロスは姿勢を正し、わざとらしく咳払いをすると三人の視線を集めた。

「世吉、ちえちゃん、ラズワルドさん、わたしに力を貸してください。冥途に遺産は持ってけないし、このままじゃ酒代に消えて終わるだけ。三人ともイロモノばかりだけど、わたしは――御三方を信用いたします」

 口調も声質もがらっと変えたロスは三人を見下ろし、

「わたしはアウトキャスト代表――ロス・ブラインド。それで良いじゃないですか」

 託宣のごとく、凛として云放った。長い長い沈黙が訪れ、ロスはひたすらキッカケを待った。

「オレはロスの一喝で、初めの一歩を踏み出したのかもしれねえ。だったら、仲間の新たな一歩くらいには……まあ、付き合ってやるか」

 先に世吉が、普段の何倍も優しい口調で首肯してくれた。

「やれやれ。元同僚が、今度は上司になるなんてね」

 皮肉めいて、ちえが続いた。

「くふふ。わたくしはどうせヒマなので、全然オーケーですよ」

 最後に暇人の山神が笑い――ひとまず意見はまとまった。一見すんなりと、また珍妙に創業メンバーが極まったが、内心ロスは三名の反応を聞くのが怖くて仕方がなかった。今でも胸がドキンドキンしている。

 とはいえ、農村に残っている農民とゴロツキたちが、ロスにつくとは限らないし、事業内容だってフワフワしている。課題はこれから山積みだ。

「ではお祝いに、少しだけ開拓して差し上げましょう」

 そうした中、ラズワルドが妙な一言を口にすると、指を軽くパチンと鳴らした。

「え? なにを――」

 ロスが聞き直すよりも早く、一帯に地響きが起きた。ぐらぐらと揺れる長屋で、茶碗が小刻みに動き、箸が転がり、ロスはよろめいた。

 大地震にでも見舞われたように世吉とちえがパニックになる中、ロスは慌てて戸を開けると外に出た。長屋の目の前――木木が立ち並んでいた山の一部は、巨鯨きょげいにでも潰されたかのようにゴッソリと抉り取られ、砂埃が舞い上がっている。

 これが開拓――

「う、嘘でしょ?」

「おい、出鱈目にも程があるだろ……」

「元来、わたくしの山ですから」

 ここで完全に時が止まった。会話の主導権が山神にあるのは明白だった。

「さて。ロスさんは、わたくしになにをお望みですか? くふふ」

「むしろ、ラズワルドさん……貴女はなにを望んでいるんですか」

「美味しいご飯。あとは――あなた次第です」

 山神の薄笑いが恐ろしくて、ロスは奥歯を食いしばった。

 とんでもない人物を仲間にしたのかもしれないと、後悔とは異なる感情を背負い、これから移り変ってゆく浮世に、青息あおいきが漏れてしまう。

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