白黒写真

キタハラ

白黒写真

 最近はいまどきの小説を読む気が全く起きないので、学生時代に読んでいた名作をさらっている。立て続けにある作家の本を読んでいて、流れでその作家についての評論にも手を伸ばした。

 ある本で、作者が自決する前に、著名な写真家が撮影した写真集について書かれていた。

 その作家は派手というかいろいろやっていたから、自分で映画に出たり、それこそアートっぽいヌードも撮っていたし、そういうものがあるのはべつに驚かなかった。検索してみると、通販でも売っている。どうやら数年前にやっと発売されたものらしい。割腹自殺する寸前まで撮影していたもので、多分当時に発売をしたら、しょうもないガヤに晒されるだろうという配慮もあったんだろう。

 せっかくなんで見てみたい。しかし写真集、洋書、値段も一万円近い。さすがに買うのもなあ、と思っていたら、新宿の洋書店で取り扱っているという。立ち読みできるかもな、と新宿まで出かけることにした。


 ちょうど二冊棚にさしてあり、一冊は中身を見ることができた。どれどれ、と見てみると、なるほど。作者は海の男とか体操選手とかまあ肉体は発達した職業に扮しており、ページを捲るたび、無惨な死に様を見せていく。テーマは「男の死」らしい。

 非常にぞっとすると同時に、エロスというより猥褻な感覚がある。「死」の景色がなければ、昭和のヌード雑誌のグラビアみたいだ。よくネタになるようなやつ。しかし遠い時代のヌードと違うのは、作者の身体に、無邪気なたるみのようなものがまったくないというところだ。非常に作り込まれている。脂肪がない。「こういう姿を遺しておきたかったんだろうなあ」と立ち読みしながら、少し醒めた気持ちになった。


 好きな作家だし、芸術的価値もあろう(なにせ超有名作家を超有名写真家が撮影しているのだし)。買っておくのも一興、というところだが、最近ぼくは本をだしていないので金がない。領収書をもらいただしを「資料代」とするのも気が引けた。


 色のない白黒写真から目を離すと、あたりの色がやたらと派手に映る。町中にさまざまな色があった。季節も、風は強いが春になろうとしている。人々も格好も、モノトーンのコートは少なくなりだしていた。


 にしても、と思う。モノクロ写真とは、どこか死者の視線を連想させる。ではカラーになる前は全部そうなのか? と問われたら言葉を窮するけれど、そうか、どこか強引に過去にされてしまうような強さがある。

 写真というのは、一瞬を永遠に留める装置だが、その永遠もまた、過去なのだろう。

 では、未来を見せるものはなんなのか。

 すべてのものが、過去を記録していくのだ。

 自分がなぜ生きなくてはいけないのか、という問いに、「未来の人が過去にどんなことがあったかを知るために。だから、いつだって未来の人間が、いまを観察している」といったのは、さっきとは別の作家の言葉だ。うろ覚えだけれど。


 過去の人間が夢見た時代に自分は生きて、未来の人間が懐かしむための装置として、わたしたちは生きている。


 四十五歳であの作家は死んだのか。

 自分の年齢を考えて、なんとなく、ぞわぞわする。



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