光の消えたその先に
世界から光が消えた。
ただそれだけのことだった。しかし、『視る』ことに大きく依存してきた人類にとってそれは数えきれない悲劇をもたらすこととなった。
飛行機は地に墜ち、自動車は衝突し、鉄道を含めた交通網も麻痺した。
助けを求める声だけが闇の中に響いた。
人々はその場所にじっとしていることしかできなかった。どれだけ叫んでも誰も助けにこなかったし、すぐ側にいる大切な人のことさえどうすることもできなかった。
毎日、毎日、自分の身体の一部のように大切なお守りのように持っていたあの金属板も何も答えてはくれない。
いや、ほんの少しの間だけ「音声認識」によりさほど役に立たない情報を伝えてくれていた。ほんのわずかな間だけ本来の「通話機能」により誰かと会話することができた。でも、結局金属板はそれが正常に動作していたにも関わらず、やがてただの冷たい金属の板に成り果てた。
そして、生き残った人々はやがてそれを手放した。代わりに握られたのは信頼できる人の手、心を許せる大切な人のあたたかい手だった。
記憶を辿り、手探りでまわりの状況を把握しようと皆必死だった。
完全な闇が世界を支配していた。
絶望、恐怖、不安。そして言葉にできない様々な感情。それらに押し潰されそうになりながらある者は懸命に手を伸ばし、またある者は膝を抱えて小さく蹲った。
記憶にあった鮮やかな空の色、家族や友人、恋人の顔も曖昧になりかけた頃、その声は聞こえた。
『あ、あー。聞こえますかね。私です。私と言いましても名乗ってすらおりませんけど……』
直接頭に響いてくるこの不思議な声は、あの【神父っぽい中年男】の声だった。
『お、おぅ……、何というか。そんな感情を私に向けらても困るのですけど。それは、神さまにですね。痛っ! い、いや何でもありません。いかがでしたでしょうか? 半ば無理やりでございましたが、皆さん自らの【心】を見つめ直されたことでしょう。私、皆さんのことをずっと観察させていただいたのですけど、いいですね人間って。必死に生きようとなさっておられた。身分とか立場じゃなくひとりの人間として振る舞っておられた。もともと視覚に障害のある方が多くの人々を導いておられる姿なんて私、忘れられませんね』
『もう、お前は話が長いの。もっと端的に伝えればいいのにゃ』
『は、はい! 我が主人はちょっとアレですので。い、痛っ! 爪はダメです、爪は! い、いえ。こっちの話です。ではそろそろいいですかね。もう皆さまとお会いすることは無いかもしれませんが。では』
パンっと、両手を打ち鳴らした音がしたかと思うと、世界は再び元の姿を取り戻していた。
人々はまるで夢から醒めたかのように我に返った。
飛行機事故も起きていなかったし、大切なあの人は死んでなかった。捨てたはずの金属板はしっかりと握っている。
日付は西暦2XXX年、3月8日日本時間正午を表示していた。
世界に『箱』は出現していなかったし、空も海も普通に青かった。【中年男】も現れていなかったし、世界から光が消えたこともなかった。
しかし、全人類の記憶にはあの頃の記憶が鮮明に残っている。
どの国の政府もこのことに言及することはなかったし、科学者たちもこの全人類に起こった奇妙な現象を解明しようとはしなかった。
戦争も減ったし、犯罪も減った。以前よりも世界は優しくなり、人々は他人に親切になった。目にうつる【色】は以前よりも愛しいものに思えた、のにゃ。
了
空の色 海の色 卯月二一 @uduki21uduki
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