黒竜を駆る

烏川 ハル

黒竜を駆る

   

「ブレント! そっちへ行ったぞ!」

 耳にかけた魔導通信具を介して、隊長の指示が飛んできた。

「はい!」

 短く答えた僕は、青い空の真ん中にとどまりながら、敵国の竜たちを待ち構える。

 すぐに、左側の岡をぐるりと迂回するようにして、三匹の竜が現れた。背中にはもちろん、敵軍の竜騎兵を乗せている。

 その姿が見えるや否や、僕の竜は業火のブレスを吐き出した。


「馬鹿な!? まだブレスの射程距離には入っていないのに……」

「見ろ、黒い竜だ! 例の『黒き流星ブラック・スター』じゃないのか!?」

「ぎゃああっ!」

 敵兵たちの騒ぎや戸惑いが、風に乗って聞こえてくるが……。

 それも長くは続かなかった。あっというまに炎に包まれて、彼らは地上へと堕ちていくのだから。


 一仕事終わらせて、僕は小隊の合流ポイントへ。

 仲間の竜騎兵たちは、既に戻ってきていた。

「さすがは『黒き流星ブラック・スター』のブレント。また手柄も独り占めだな……」

「あいつの竜、自分で手懐けた野生の竜なんだろ? 俺たちみたいな、支給された竜と違うのも当然だよなあ」

「フン。訓練生時代は、グズでノロマのブレントだったくせに……。たまたま竜を見つけた、ってだけで……」

 素直な賛辞だけでなく、やっかみのような言葉も混じっていた。訓練生時代から一緒のジャクソンだ。


 あの頃は、他の訓練生たちの何人かを従えて、大きな顔をしていたジャクソン。しかし、こうして正規の竜騎兵として配属された今では、そんな態度もとれなくなっていた。

「よせ、ジャクソン。竜を扱う才能、それこそが竜騎兵にとって最も大事ではないか。他の少々のマイナスなんて、問題にならん」

「そうだぞ。だいたい『たまたま竜を見つけた』と言うが、重要なのはその先だ。お前だったら、竜に出会っても飼い慣らすどころか、逆に返り討ちにあっておしまいじゃないのか?」

 小隊の先輩たちから、注意されている。

 それらを耳にしながらも、僕は聞こえていないふりをして、隊列の最後尾に並んだ。

 同時に、心の中では「ジャクソンの言うことも、あながち間違ってないかも」と考えてしまう。

 僕と黒竜との出会いを、改めて思い返してみれば……。


――――――――――――


 訓練の一環として、深い森の中を進んでいた時の出来事だ。

 当時の僕たちは、竜騎兵の候補生。将来は竜に乗って戦うのがメインのはずなのに、歩兵みたいなサバイバル訓練にも参加させられていた。乗騎の竜を撃墜されて、一人脱出して逃走中……みたいな状況を想定していたのだろう。

 四人ずつのグループが、最低限の装備で森を一日行軍するという訓練だ。舞台となるのは『キャロリーナの森』と呼ばれるところで、木々の葉っぱが大きく、広々と生い茂っているのが特徴だった。最初はのんびりと「ちょっと珍しいな」程度の気持ちだったけれど、すぐにその意味を理解する。

 大きな葉っぱのせいで森の中には日の光が届きにくく、天気の良いはずの昼間でも鬱蒼としているのだ。

 その上、木々の間を縫うようにして敷設された林道は狭く、人が二人並んで歩くだけでも窮屈なほど。自然に出来た獣道けものみちと交わると、どちらが人の作った道なのかわからず、間違えて入り込むこともあり……。


「おい、ブレント。本当にこの道でいいのか?」

 リーダーづらのジャクソンが、後ろから声をかけてくる。

 今この瞬間、直接顔を合わせたくない気がして、僕は振り返らずに声だけを返した。

「どうだろう? あまり自信はないけど、たぶん……」

「自信ないだと!? 何言ってやがる! 地図はお前に持たせたんだぞ!」

「そうだ、そうだ。だからこそブレントに、先頭を歩かせてやってるんじゃないか!」

 ジャクソンに続いて、スペンサーも叫んでいるが、しょせん彼はジャクソンの腰巾着。真面目に相手する必要はなかった。

 でもジャクソンに対しては一応、一言弁明しておいた方が良さそうだ。誠意を示す意味で、今度はきちんと振り返り、彼の目を見ながら答えた。

「『地図は持たせた』と言われてもさ。ほら、地図だけじゃなく、他にも持たされてるから……」

 みんなの荷物を押し付けられることまでは、僕も耐えられる。だが、その状況ではいちいち地図なんて取り出して確認できないわけだし、それを責められるのはさすがに理不尽だと感じていた。


「なんだと!? ブレントの癖に、俺に口答えするのか!」

 ジャクソンはこぶしを振り上げて、今にも僕に殴りかかろうとする。それを制止したのは、一番後ろを歩くデニックの言葉だった。

「まあまあ。今ここで争っても、意味がないだろう? それより、いったん休憩しようじゃないか」

 ちょうど少し先に、森の小道がいくらか太くなって、開けている場所が見えていた。ちょっとした広場のような場所であり、そこで休もうという提案だった。

「それに、僕はそろそろ、おなかがいてきたんだが……。君たちはどうだろう?」

 とデニックが続けると、ジャクソンもスペンサーも頷く。言われてみれば、僕も空腹を感じていた。

 人間というものは腹が減ると怒りっぽくなる……という話もあるし、とりあえず何か食べれば、ジャクソンも少しは落ち着いてくれるかもしれない。

 色々な意味で、僕はデニックに感謝したのだが……。

 そんな気持ちをいだくのは、まだ少し早かった。彼は僕に笑顔を向けて、顔では笑いながら、口では厳しい言葉を発したのだ。

「というわけで、ブレント。僕たちはここで待っているから、食べるものを探してきてくれないかな?」


――――――――――――


 最初に持たされた「最低限の装備」の中には、携帯食も含まれている。だけど少しだけであり、とても「一日行軍」の訓練に足りる量とは思えなかった。

 そこは自給自足で補うのも、こうしたサバイバル訓練の一環なのだろう。この『キャロリーナの森』には、食用に適した木の実や野草が生えているし、簡単に狩ることの出来る小動物も生息している。それらをって食べなさい……と最初に教官から説明されていた。

 そんな話、すっかり僕は忘れていたし、ジャクソンたちも同様だったらしい。でもデニックに言われて、みんな思い出したのだ。


「何にせよ地図を持っていたのはブレントなのだから、道に迷ったのであれば、ブレントの責任は大きいだろう? その責任を取る意味で、食料探しは君の役目だよ」

 ジャクソンみたいに横暴に押し付けるのでなく、デニックは理詰めでさとしてくれた。

 だから僕もこころよく引き受けることが出来て……。

「十分な食べ物、絶対に見つけてこいよ! さもないと、お前の分の携帯食、俺たちで食べちまうからな!」

 相変わらずなジャクソンの言葉に見送られて、僕は仲間と別れたのだった。


 最初は道なりに進んでみたけれど、木の実も小動物も見当たらない。林道に沿ったあたりは人の通行もあるため、既に狩りつくされているのかもしれない。

 そう考えて、少し小道から逸れてみた。深入りし過ぎるとさらに迷ってしまうだろうから、あくまでも「少し」のつもりだった。

 左手で魔導ランタンを掲げながら、木々の間を分けって進む。

 背負っていたリュックはデニックたちのところに置いてきたので、現在の荷物はこの魔導ランタン、サバイバルナイフ、それに回復ポーションを少々のみ。ポーションは腰から下げた革袋の中で、サバイバルナイフはベルトから抜いて、右手で構え続けていた。適当な小動物を見つけたら、すぐに対処できるよう、準備していたのだ。

 実がなっていないか木の枝をチェックしたり、食べられそうな野草を木々の根元に探したり。いちいち魔導ランタンで照らしながら、僕は歩いていたのだが……。

 やがて僕の進む道は、行き止まりとなってしまう。大きな岩肌に突き当たったのだ。


 この『キャロリーナの森』の中には、小高い岡みたいな地形もあったようだ。

 目の前には、切り立った崖の斜面。それが左右に、延々と続いていた。鬱蒼とした森の中、魔導ランタンを大きく動かしながら照らしてみても、どこまで続いているのか見えないほどだ。

 これでは、迂回するのも難しいだろう。とりあえずは引き返すしかない。最初はそう思ったのだが、若干の違和感を覚えて、僕は考え直す。

 たった今「魔導ランタンを大きく動かしながら」照らした、その視界の中だ。違和感の正体を確かめるために、今度はゆっくり、少しづつ照らしていくと……。

「これだ!」

 行手を遮る壁のような岩肌が続く中、一箇所だけ、真っ黒な穴がいていたのだ。

 大きな洞窟の入り口だった。


――――――――――――


 近寄って、さらに詳しく様子を見てみる。

 本当に「大きな洞窟の入り口」であり、人間どころかトロールのような大型モンスターでも、立ったまま入っていけるくらいだった。

 洞窟の中を照らしてみても、明るくなるのは入り口付近の岩肌だけ。魔導ランタンの光は洞窟の奥まで届かず、はっきりと視認は出来ないものの、かなりの深さなのが直感的に理解できた。


 日の光が当たらぬ洞窟内では、植物の自生は期待できないだろう。しかし小動物が住処すみかにしている可能性はあるし、奥まで追い詰めてしまえば逃げられる心配もない。「ドジでノロマ」と言われるような僕でも、洞窟内ならば狩りやすいのではないか。

 そんな考えから、僕は洞窟の中に足を踏み入れた。


 土の大地だった森とは異なり、地面は固い岩盤に覆われているのだろう。一歩また一歩と僕が奥へ進んでいくのに応じて、乾いた足音が洞窟内に響き渡る。

 もしも獲物となるような小動物がいたとしても、これでは僕の接近を察知して、逃げたり隠れたりするのではないか。そうは思ったものの「せっかく入ってみたのだから、洞窟の奥まで確かめたい」という好奇心も感じていた。だから僕は、そのまま進み続けて……。


 しばらく歩いたところで、妙な気配を感じる。物音や匂いのような存在感とは違う、少し殺気にも近い気配だ。

 野生動物が発するもの……と考えるべきなのだろうが、それにしては「殺気」みたいな禍々しさが強い気がする。もしかすると、モンスターかもしれない。

 先ほど洞窟の入り口では「トロールのような大型モンスターでも」と思い浮かべたりもしたけれど、さすがにトロールほど手強てごわいモンスターではないはず。ここ『キャロリーナの森』は、サバイバル訓練の舞台になる程度には厳しい環境とはいえ、モンスター退治を生業なりわいとする冒険者たちが跋扈するようなダンジョンではない。あくまでも普通の森なのだ。

 モンスターがいるとしても、せいぜい最下級のゴブリンやウィスプくらいだろう。それならば僕でも何とか対処できる、いや、その程度も対処できないようでは先が思いやられるではないか。なにしろ僕たちは後々、竜騎兵となって、他国の軍隊を相手に、命懸けで戦わなければならないのだから。


 そんな決意をすれば、ナイフを握る手にも力が入る。歩くペースも自然にアップして、さらに洞窟の奥へ。

 すると、ようやく最深部が見えてきた。ただし、魔導ランタンのあかりに照らし出されたのは、行き止まりの岩肌だけではなかった。

 その手前でうずくまる巨体。不気味な黒竜の姿もあったのだ。


――――――――――――


 こんな洞窟の奥に、竜がいるなんて……。

 僕はすっかり驚いてしまう。

 竜騎兵を目指すくらいだから、僕も竜の基本的な性質は心得こころえていた。竜というものは、逃げ場のない穴蔵ではなく、広々と開放的な平地や空中を好む生き物だ。

 それに、肌の色は緑色。若草に近い薄い緑だったり、この深い森みたいな濃緑色だったりと程度の差はあるものの、それでも緑の範疇のはずだった。

 ところが、僕が見つけた竜は黒い色をしている。最初は、暗い洞窟の中だから黒く見えるだけかと思ったが……。

 かなり近寄ったところで、改めて魔導ランタンの光を近づけて、体色がはっきりわかるような距離で見ても、まだ真っ黒。漆黒とか暗黒といった言葉が浮かぶほど、完全な黒色だったのだ。


 そうやって観察していたのは、自分で思っていた以上に長い時間だったのかもしれない。

 黒い竜の方でも僕の存在に気づいたらしく、閉じていた目を開きながら、首を上げていた。蛇ではないけれど、ちょうど「鎌首をもたげる」と形容するに相応しい格好で、思わず後退あとずさりしたくなるような怖さも感じるくらいだった。

 そんな黒竜が、鋭い眼光でこちらをにらみ、僕に声をかけてくる。

『ほう、人間か。ちょうど良いところに現れたな』


「ええっ!?」

 びっくりして、僕は大きな声を上げてしまった。

 先ほど以上の、今度は腰を抜かすほどの驚きだ。比喩表現ではなく、実際その場に尻もちをついたくらいだ。

 でも頭のどこかには冷静な部分も残っていたのだろう。竜が話しかけたきた「声」に関して、強い違和感を認識していたし、それを言葉にも出来た。

 だから僕は、すぐに立ち上がりながら、落ち着いて問いただす。

「今の声……。『声』じゃないですよね? 僕の脳内に直接、響いてきたような感じ……。もしかして、テレパシーですか?」

 他人の頭の中まで言葉を届けられるというテレパシー。最上級の魔導士のみが使える、特別な魔法の一種だ。

 卓越したテレパシーの使い手になると、送信だけでなく受信も可能。つまり、相手が声に出さない脳内思考まで読み取れるらしい。しかし、それは他人の心に無断で踏み込む行為として、固く禁じられていた。

 もちろん「固く禁じられていた」は人間のルールに過ぎず、竜には適用されないだろう。いや、そもそも竜がテレパシーを使えるのだとしたら、それ自体が驚くべき話であり……。

 そこまで考えたところで、僕は大切なことに思い至る。とにかく最初から奇妙な点の多い竜なのだから、まず尋ねるべきは具体的なテレパシー云々ではなく、包括的な質問だった。

 そう考えた僕は、竜が答えるより先に、急いで質問し直す。

「いや、それよりも教えてください。あなたは一体、何者ですか?」


 竜騎兵になろうとする者には、竜好きな人間も多いと聞く。僕もそちら側であり、実物の竜を見たこともあった。

 その時は親しみを込めて「お前」と呼びかけたものだが、この黒竜に対しては違う。今回「あなた」呼びになったのは、僕の中で自然に敬意が生まれていたのだろう。

 そんな僕の気持ちを知ってか知らずか、竜は平然と返してきた。

『見ての通り、われは竜だ』

「それはわかります。だけど……」

 居場所や体色、テレパシーの件など。明らかに普通の竜とは違うからこそ、僕は尋ねたのだ。

『うむ、では名乗ろうか。われは……』

 人間にとっては十分な洞窟が窮屈そうに見えるほど、大きく翼を広げながら、竜は悠然と告げるのだった。

『……ゲイボルグ。お前たち人間が、魔竜と呼ぶ種族の一匹だ』


――――――――――――


「……!」

 何か言おうとしたけれど、言葉にならなかった。

 少しの間、僕は絶句しながらも、頭の中では色々と考えていた。


 ゲイボルグといえば、おとぎ話や神話に出てくるような、伝説の竜の名前ではないか。

 地上に跋扈していた悪魔を追い払うため、神々が人の世に遣わした竜の一匹だ。勇者と呼ばれる者たちを背に乗せて、彼らと共に戦い、悪魔を一掃することに大きく貢献したという

 そんな「神々が人の世に遣わした竜」は、現在この世界に生息する竜とはかなり異なっていたらしい。爪や牙、ブレスといった攻撃力、強靭な肉体など、現在の竜が持っている性質に加えて、魔法を操る能力まで有していた。人間の魔導士でも最高ランクの者しか扱えないような、それこそ伝説級の高位魔法を、当たり前のように使っていたという。

 その魔力の高さゆえに、彼ら竜たちは「魔竜」と呼ばれた。肌の色も緑ではなく、闇のような黒色で……。


『ほう、わかっておるではないか。そう、その魔竜。そのゲイボルグだ』

 ゲイボルグを名乗る黒竜は、口の端をわずかに吊り上げる。人間でいえば「ニヤリと笑う」みたいな表情だった。

 僕が何も言わずにこの反応なのだから、勝手にこちらの思考を読み取ったのだろう。優れたテレパシー使いの人間同様、やはりその気になれば僕の心まで読めるし、それを禁じるルールも竜には適用されないらしい。

『それにしても、人間はわれら魔竜を、ずいぶんと大袈裟に神格化しておるのだな。われらとて……』

 微妙に声の響きが変わり、苦笑いするような口調になった。直接脳内に響く声であっても、耳から聞こえてくる声と同じく、そうしたニュアンスの違いまで伝わるようだ。

『……自然界に存在する生き物の一種に過ぎない。お前たちと同じだというのに』


「どういう意味です? あなたみたいな伝説の竜が、僕たち人間と同じだなんて……」

 僕が声に出して聞き返すと、黒竜ゲイボルグは実際に「フン」と鼻息を鳴らしてから、テレパシーによる説明を続けてくれた。

『腹が減っては動けない、ということだ。お前も空腹で、食料を探してここへ迷い込んだのだろう? われも同じだよ』

 竜との遭遇でそれどころではなくなり、すっかり忘れていたが、そういえばそうだった。

 この洞窟に来た理由は、食べ物を探してくるよう、デニックに言われたからだ。あの時デニックの言葉で思い出したように、改めて僕は、おなかがいていることを自覚し始めた。


――――――――――――


「なるほど。竜の巨体ならば、さぞや大量の食べ物を必要とするのでしょうね」

 と発言しながら、僕は大袈裟に頷いてみせる。

 無言で考え込んでいたら心を覗かれるだろうし、出来ればそれはけたいと思ったからだ。

『うむ。しかし我にとって重要なのは、肉体的なエネルギー消費よりも、魔力の問題だ。木の実や野草、リスやウサギでは、いくら食べても魔力の補充は出来んからな』

 黒竜ゲイボルグは一瞬だけ遠い目をしてから、まるで僕を覗き込むみたいに、そのいかつい顔を近づけてくる。

『その点、人間は魔力をたくさん有しておるではないか。使いこなせてはおらんが、潜在的な魔力は膨大。勿体ないくらいだぞ!』


 確かに、僕たち人間には潜在的な魔力がある。

 例えば僕のように、それを魔法という形で具現化させられない者でも、いくらかの魔力が体内に自然にたくわえられているからこそ、魔導通信具や魔導ランタンみたいな魔法器具を、何の苦労もなく使いこなせるのだ。

 そんな考えは、口を開いて発言するまでもない、ほんの一瞬の思考だった。

 しかし、その「ほんの一瞬」の直後、僕はハッとする。黒竜ゲイボルグの一番最初の言葉、つまり『ちょうど良いところに現れたな』を思い出したからだ。


『うむ、そういうことだ。お前はわれにとって、魔力の補充に適したエサだから……』

 気づいた時には、もはや手遅れだった。

 大きく開いた竜の口が、僕の目前まで迫ってきていた。

 上顎から生えた大きな牙は、したたよだれで、ぬらりと濡れている。それがはっきりわかるほどの距離だった。

 思わず目をつぶってしまうと、そこで僕の意識は暗転して……。


――――――――――――


「あれ……?」

 意識を取り戻した僕は、まず最初に、間抜けな声を発していた。

 魔導ランタンが、つけっぱなしなのだろう。周りは真っ暗ではなく、洞窟の天井が視界に入る。地面の岩肌も背中越しに感じられるので、洞窟の中で横たわっている状態なのは確かだった。


 この洞窟の最奥部で、ゲイボルグと名乗る黒い竜に遭遇。そのゲイボルグに、僕は食べられてしまったはずだが……。

 こうして生きているのだから、全て夢だったのだろうか?

「そうだよね。魔竜とかゲイボルグとか、そんなもの実在するはずないし……」

 ゆっくりと起き上がりながら、あえて独り言として口に出す。自分自身に言い聞かせたり、安心させたりする意味もあったのに、それは途中で遮られてしまう。

『いや、夢ではないぞ。現実に起こった出来事だ』

 脳内に響く声。

 慌てて振り返れば、そこに黒い竜がうずくまっていた。


 最初に見た時と同じ場所で、うずくまっている姿勢そのものも同じ。ただし、その身に纏う雰囲気は異なっている。ゲイボルグは最初よりも、元気になったように見えた。

『当たり前だ。お前を食べて、腹いっぱいになったからな。やはり人間というものは、魔力に満ちた御馳走だったぞ!』

 とても満足そうな様子で、でも恐ろしいことを言う。


「『お前を食べて』ということは、やっぱり僕、食い殺されたのですよね? ならば、今の僕は一体……」

 きちんと声に出して尋ねながら、僕は自分の手足に視線を向ける。透けて見えるような見え方ではないので、幽霊のたぐいではないと思うのだが……。

『安心しろ。確かに一度、われはお前を食べてしまったが……。そのあとできちんと、蘇らせておいたのだ。まあ、一種の恩返しみたいなものだと思ってくれ』

 さすがは伝説の魔竜。死者蘇生の術まで心得ているとは……。

 一瞬素直に感嘆したけれど、そんな僕の心を読み取り、ゲイボルグは照れるように否定する。

『いや、死者蘇生とは違うぞ。蘇生というのは元通りの身体からだに魂を戻すことだが、その肉体は、われが魔力で作った器に過ぎん』

「えっ!? 魔力で作った器……!?」


――――――――――――


 ゲイボルグが作ったというならば、魔導士が土くれを集めて作るゴーレムみたいなものだろうか。ゴーレムだったら、制作者の魔導士に使役される泥人形に過ぎないのだが……。

『そんな中身からっぽの存在と一緒にするのは、さすがにわれに失礼だぞ! お前の中には、きちんとお前自身の魂が宿っておる。その点は元通りだ!』


 ゲイボルグの説明によると。

 どんな生き物にも魂が宿っているのに、その肉体が他の生き物に食べられる際、魂は消化されない。食物連鎖の輪からは外れた存在が、魂というものなのだ。

 食べられた魂は未消化のまま、食べたがわが吐く息などに含まれて、空気中に放出される。普通は、そこで霧散してしまうのだが……。

 それは、食べたがわが魂を「形あるもの」として認識できないからこそ起きる現象だ。ゲイボルグのような魔竜ならば、魂の形も認識できるし、その形を一時的にとどめておくことも出来るという。

『「一時的」というのも、保管場所がないからに過ぎん。代わりの器さえ用意してやれば、ずっと魂の形をとどめられる。つまり、元通りの魂として、その存在を続けさせることも可能なのだ』

 ゲイボルグは、胸を張るような仕草も示していた。これに関しては、誇らしい気持ちなのだろう。


『どうだ? 死ぬ前と意識や記憶は全く変わっていないだろう? ならば蘇ったも同然ではないか。しかも今度の肉体はわれの魔力で作ったものだから、その魔力が続く限り、つまりわれが生きている限り存在し続ける。いわば不老不死の肉体だぞ!』

 ちょっと強引な理屈にも聞こえるけれど、確かに自分を自分たらしめているのは、意識や記憶の蓄積なのだろう。それが変わらない以上「蘇ったも同然」なのは、僕にも納得できた。

『うむ、ではこの先の話だ。「その魔力が続く限り」とか「われが生きている限り」と言ったが、あまり距離が離れると、われも魔力を送り続けるのが大変なので……』


――――――――――――


 ゲイボルグに乗って、仲間のところへ戻る。もちろん竜に騎乗したままでは森の中を進めないので、空を飛んでいった。

 鬱蒼とした森とはいえ、ちょっと開けた場所からならば、空を見上げることくらいは可能だ。竜の翼が立てるバサッバサッという音に反応して、デニックたちも上空に目を向けており、僕が「おーい!」と呼びかけると、みんな目を丸くしていた。

 特にジャクソンなんて、洞窟内で僕がやったみたいに、尻もちをつくほどの驚きぶりだった。あの時の彼らの姿を、僕は一生忘れないだろう。


 食べ物を探すという本来の目的は遂行できなかったものの、空を飛べる手段があれば、上から森全体の地形を把握するのも簡単だ。もう迷う心配はなかった。

「その竜を使うだと……? そんなのインチキだ! そんな竜、今すぐ放してこい!」

「そうだ、そうだ。一日行軍の訓練なんだから、自分の足で歩かなきゃダメじゃないか!」

 いちゃもんをつけてきたジャクソンに、スペンサーも追従。しかしデニックが、二人を冷静に制止していた。

「いや、訓練の表面だけを見るのでなく、その本質まで考えれば……。ブレントの方が正しいよ。竜を利用するのは、確かに上策だろうね」

 そもそもが「乗騎の竜を撃墜されて、一人脱出して逃走中」という状況を想定したサバイバル訓練なのだ。ならば途中で別の竜を発見して、それを手懐けることが出来たら、使うのは当然……という意見だった。

 ジャクソンは普段リーダーづらをしているが、チームの参謀役がデニックなのは認めている。だからデニックにそう言われたら、反対の言葉もなく……。


 その後。

 ゲイボルグは、僕が見つけた野生の竜として扱われて、そのまま僕の乗騎となった。

 あの洞窟で僕に正体を明かしたのは、空腹で困っていたからに過ぎない。本来は存在を秘匿して、一般の竜に紛れて暮らしていくのが、魔竜の生き方だという。

 僕以外にはテレパシーも使わないし、みんなからは「ちょっと色が違うだけの、普通の竜」と思われているようだが……。

『いや、軍の上役の中には、われの正体を察している者もいるはずだぞ。だが気付かぬふりをしていれば、お前と一緒の手駒として使える……。そう考えているのだろうよ』

 ゲイボルグは、そう言って笑っていた。


 まあ周りの思惑がどうあれ、現在の処遇が続くのであれば、僕としては何の問題もない。

 こうして、立派に一人前の竜騎兵……いや、それどころか『黒き流星ブラック・スター』の二つ名で呼ばれるほどの竜騎兵になれたのだから、人生、何が幸いするかわからないものだ。

 おかげで僕は今、素晴らしい人生を送っている。厳密には「生きている」とは少し違うから、もう「人生」とは言えないのかもしれないけれど。




(「黒竜を駆る」完)

   

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