トリのゆくえ

ナナシマイ

🕊

 うーん、うーんと、聡子さとこさんは困っていました。

 というのも、彼女が支配人を務めるホールの大きなイベントで、今日のトリが逃げ出してしまったからです。

 トリを飾る演者ではありません。トリそのものが、逃げ出してしまったのです。

 五日に渡って開催される大道芸フェスティバル。そのうち三日は大盛況に終わり、四日めの今日も大盛り上がりだった前半の空気を残したまま、休憩に入っています。

 だというのに、スタッフの一人が気づいたときにはもう、手遅れでした。お客が持っているパンフレットやら、舞台裏の香盤表やら、インターネットの情報やらから、綺麗さっぱり消えていては、どうにもなりません。


「ああ、もうおしまいだ! 僕は出られないんだ、あんなに練習してきたというのに!」


 シルクハットを被った頭を抱えて叫ぶのは、今日のトリを任されていたマジシャンです。

 彼はさまざまなものを動物に変えてしまうマジックを得意としていて、このフェスティバルの常連ではありましたが、トリを飾るのは初めてでした。決まったときは努力が実ったと大喜びだったといいますし、今朝もずいぶんと気合いの入ったようすで、いちばんに楽屋へやってきたほど。

 そんな彼が出られないと知ったならば、絶望のぐあいもわかるというものです。


「いったい僕になんの恨みがあるというんだ!」


 楽屋に集められた演者たちからシルクハットのマジシャンへ、さまざまな思いの視線が向けられました。


「誰がこんなひどいことをしたのかしら?」

「おいマジシャン! 心当たりはないのか? 恨まれるようなこと、本当にしてないんだろうな?」

「この大舞台を前に、するわけないさ。あるとすれば、トリになれなかった演者のやっかみくらいだろう」

「まあ! あたしたちの誰かだって言いたいわけ?」


 バレリーナの格好をしたお姉さんがそう言ったことで、楽屋はもうてんやわんや。このままでは、トリを探しに行くどころではありません。後半だって、ちゃんと始められるかわかりません。


 とりあえず、と聡子さんは楽屋に集まった演者たちを見回しました。


「私どもは、イベント開催に必要な人員だけを残し、総出でトリのゆくえを追います。ですから、その……前半に出番を終えた人で、もしお手伝いしてくださる人がいらっしゃるならば、お願いできませんか」


 深く丁寧に頭を下げた聡子さん。すうっと騒ぐ声が引いていき、入れ替わるように優しい声がいくつもあがりました。トリの居場所はともかく、これだけの人数と大道芸の技があれば、きっと捕まえられるでしょう。

 楽屋に前向きな空気が流れだしたところで、しかし、マジシャンだけは不満そうです。


「信じられないね。前半の人なんて、それこそトリの僕を羨んでいそうじゃないか」


 手伝いを決めた人たちは、いくばくかムッとしたようすでしたが、聡子さんはなにも言いませんでした。

 このなかに、トリを勝ち取った演者を恨む人などいないと信じていましたから。




 さて、そこからは大忙し。

 トランプのマジシャンはトリのゆくえを占いましたし、バレリーナのお姉さんやピエロのお兄さんはホール前の通りで子どもたちを喜ばせてはトリを見なかったかと聞き込みをしました。シャボン玉アートの夫婦は、作ったシャボン玉の中にトリが入り込んでいないか念入りに探しました。

 後半の出番の人たちだって、負けていられません。パンフレットの異常に気づいたお客たちが不安にならないよう、一生懸命に芸を披露しています。

 聡子さんはそうしてみんなから寄せられた話をまとめていましたが、捜査は難航。トリがどこへいってしまったのか、どうしてこんなことになってしまったのか、まったくわからないのです。

 シルクハットのマジシャンなんて、楽屋の隅でうずくまってしまったではありませんか。


 そんなときでした。ドタドタと足音が聞こえてきたと思えば、バッタンと楽屋の扉が開きます。


「ゆくえがわかったぞ!」

「テング丘のほうですって!」

「鳥になったトリを見かけたそうですわ!」


 聡子さんとスタッフは、顔を見合わせました。


「テング丘に?」

「トリが、鳥に……?」


 テング丘は、町はずれにある小高い丘です。誰も、トリがそんなに遠くまで行っていたなんて思いもしませんでしたから、そりゃあ、見つかるはずありません。

 それに、鳥になっていたとは。

 困惑する聡子さんたちでしたが、同じ報せを聞いた演者たちは俄然やる気が出てきたようでした。


「鳥とわかったならば、やりようはいくらでもあるぞ!」

「そうねそうよね、また出番がやってきたみたいで嬉しいわ」


 とくに目の輝きが違っていたのは、客席を巻き込んだパフォーマンスに大喝采を博した鳥使いです。

 いったんトリの捜索から戻ってきた鳩を撫でてやりながら、にやりと笑います。


「鳥を手懐けられずに、どうして鳥使いと名乗れましょう?」


 彼の両腕や頭に乗った鳥たちも、いっせいにホウカァグヮヮと鳴きました。


 ホールのいたるところにはエサを置き、ラッパ吹きが楽しそうな音楽を演奏して呼び込みます。人間だけでなく、鳥使いの鳥たちも歌いました。

 小道具から鳥が好みそうな物を選んで飾りましたし、彫像芸の演者はとまり木よろしく屋上に立ち、鳥になったトリが安心して戻ってこられるようにしています。

 それはもう、完璧に鳥たちの楽園といった雰囲気だったはずなのです。


 ――しかし結果は。

 トリに、会えず。

 はぁ、と、どこからともなく落胆の声が漏れます。

 すっかり青ざめてしまったマジシャン。もう本当に間に合わない――誰もがそう思ったかのように見えて、けれども鳥使いは違いました。


「これはおかしいぞ。鳥の姿になったならば、少しは鳥の本能を持つものです。なにか、意思があるように思えてならない」


 彼は、「本当はパフォーマンスでしかやらないと決めていたんですがね」と言いながらインコに「トリのところへ行って、『君の望みはなんだい?』と訊ねておいで」と頼み、放します。

 インコがまっすぐテング丘のほうへ飛んでいくのを、みんなは祈るような気持ちで見つめていました。


 それからしばらくして、インコが戻ってきました。

 くちばしを開いた彼――または彼女が言うには、こうです。


『オマエがトリじゃなくて大トリだったらよかったのに! 大トリだったらよかったのに!』


 バッと、シルクハットを被ってうなだれている、さまざまなものを動物に変えてしまうマジシャンに視線が集まりました。


「悪かったよ……だけど、今日のトリがなくなれば僕も大トリになれるかもしれないって、欲が出てしまったんだ、ああ」

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