第20話

「心配しなくていい。カイト先生は優秀な方らしいしな」

 なによりフィーリウが懐いている。あんなに人見知りをする妹が。

「ホントに…ホントに?」

「ああ。本当だ」

 今だって『カイト先生を辞めさせたりしないで』と、心配になったフィーが俺にお願いしに来るほどだ。


 フィーリウのために家庭教師を雇って2ヶ月。

 元々、勉強をしたかったらしいフィーリウは大喜びで、毎日、意欲的に、かつ楽しく授業を受けているようだ。

 家庭教師の先生については、度々授業に同席するキアイラからも報告が来ているが、フィーリウはことのほかあの先生のことを気に入っているらしい。

「初日からお嬢様が大きな声で笑われて…わたくし、お嬢様のあんなに楽しそうな笑顔、初めて拝見いたしましたよ」

 キアイラはまるで自分のことのように、さも嬉しげにそのようなことを言っていた。それには俺も同意する。何故ならたまたま授業中に、フィーの部屋の前を通ったら、中から笑い声が聞こえてきたからだ。

「え……この声…フィー、なのか…?」

 最初、誰の声か解らないくらい、それは屈託なく明るい声だった。気になってそっと覗いてみると、満面の笑顔で先生と話しているフィーの姿が見えて。


 正直、ちょっとだけ……いや、だいぶ……や、かなり面白くなかったんだけどな。


 でも、フィーがあんな笑顔を見せる先生を、俺が面白くないからって辞めさせるはずがなかった。

 なのにどうしてかフィーは、先生が辞めさせられるかも、と不安を覚えて俺に直接訴えに来たのだ。これはどう考えても、明らかにおかしい。

「……誰か、お前にそんな話をしたのか?」

「えと、あの……お、お義母様……が……」

 不審に感じて問い質してみれば、やっぱりあの女の仕業だった。

「し…淑女が、大声をあげてはしたなく笑うなんて…いけないことだから…って」

 だからそんな風に自分を笑わせるカイト先生を、義母上が辞めさせてしまうのではないか??と、そう思ったから、フィーはこうして俺に『辞めさせないで』と訴えてきたらしい。

 なるほどな。ということはつまり、俺に言えば『先生の解雇を阻止してくれる』という信頼感は持っていてくれてる訳だ。と、俺は現金にも気分が良くなった。

「大丈夫だよ、フィー。カイト先生を辞めさせたりしないし、俺が絶対させないから」

「………あ、ありがとう、兄さま!」

 ぱあっと明るくなったフィーの顔を見て、俺は俺自身の言葉がその表情を浮かべさせたことに満足する。が、もちろん満足しているだけではダメだ。フィーの望みを叶えるためにも、義母の行動に注視しておかなければと、ついつい緩んだ心をきっちり引き締めた。


 義母が次に何をしてくるか、だいたい予想は付く。


 フィーにはそこまで伝えなかったが、そもそも家庭教師の選定や解雇に関する権限はすべて俺にあるのだ。さらに、フィーの保護と教育についても、当主たる父上すら口出しできないことになっていた。もちろん義母にも、その権限はない。


 それはフィーの乳母だったエルロアを断罪した時、父上や義母の使用人に対する監督不行き届きを皇王に訴えでた成果であった。


 俺は皇王から直々に、『兄として妹の養育をせよ』との命令と、それに必要なすべての権限を与えられたのである。

 もちろん、俺はまだ成人前の子供であるから、新しく乳母となったエルロアや、信頼に値する大人の助言や手助けを受けるように、とも言われていたのだが。


 つまり義母は俺の了承なしには、家庭教師を辞めさせることは出来ない。

 だとすれば次に義母が仕掛けてくるのは、先生に対する冤罪、もしくは悪辣な噂の流布などだろう。


 そうと解ってさえいれば、対策のしようもあるというものだ。

「シュート、頼みがある」

「は。なんなりと」

 俺は護衛騎士のシュートを部屋へ呼び出すと、彼にある重要な任務を依頼したのだった。



「先生を辞めさせたりしないよ」

 兄さまは私にハッキリそう約束してくれた。


 良かった。これできっと大丈夫だ。


 兄さまに任せておけば、絶対、逆行前のようにはならない。

 今度こそカイト先生を、不幸な目に合わせずに済むはずだ。


 ありったけの勇気を振り絞って、お願いしに行って良かったな。


 私はそう思いながら、軽い足取りで部屋へ戻った。



「ああ、なんてはしたない笑い声!フィーリウさん、四聖公の長女ともあろう者が、あのように声を上げて笑うべきではありません!!」

 ──2ヶ月前、カイト先生の初授業を終えて部屋から出るや否や、私はお義母さまからそう叱られてしまった。

「あ……の…ッ」

 思わず反射的に謝りそうになったけど、私は口を閉ざしてぺこりと会釈し、足早に義母の横を抜けて、どうにかその場をやり過ごした。お義母さまは、まだ何か言い足りなさそうだったけど、兄さまも『耳を貸すな』と言ってくれていたし、じゃあ良いかなって思って。


 後ろの方から舌打ちみたいなの聞こえてきた気がするけど、まさか『淑女』がそんな真似する訳ないよね??あと、大声で笑うの云々言ってたけど、じゃあ、妹のリアンナは良いのかな??だって彼女は、私以上に、よく笑ってるよ??


「……あ…私…ったら!?」

 もちろん、口に出しては到底言えなかったことだが、いつの間にか、頭の中でそんな反論を考えられるようになっていた自分にちょっと驚く。以前は責められたら『自分が悪い』と、いつも諦めてばかりだったのに。


 私も少しは強くなったのかな。

 などと浮かれながら、その日は終わったのだけれど。


 それからも、お義母さまの『苦言』は、毎日のように続いた。

 『女は何より先にマナーを学ぶべき』『女が賢しく知識を付けても無駄』

 『あの家庭教師は、身繕いもなってないし、なにより世間知らずだ』

 『わたくしがもっと有能な先生を』

 等々…偏った自論から、余計なお世話まで色々。

 

 私のことはどう言われても良い。


 だが、お義母さまの口撃の矛先が、先生にまで及ぶようになると、私はさすがに心配になってきた。


 お義母さまがカイト先生に、何かするのではないか、と。


「どうしよう……ッ」

 もしもまた、前の時のように、先生が濡れ衣を着せられたら。

 そう思うと居てもたってもいられなくなった。

 

 大丈夫。前回の生では防げなかったけど。

 子供の私は無力で、頼れる味方もいなかったけど。

 だけど今回は違う。私には味方がいる。私を助けてくれる大人がいてくれる。

 自分の手で先生を助けることが出来なくても、きっと兄さまや、キアイラが助けてくれる。


 そう、必死に心へ刻み込んで、不安を忘れようとしていたのに。


「きゃあああー!!誰かっ、誰か来て!!奥様が…奥様が!!」

 授業のある日の朝、屋敷内に金切り声が響いた。

 部屋で待っていた私は、慌てて椅子から立ち上がった。反射的に周りを見渡すが、先生はまだ来ていない。いつもはもう、来ているはずの時間なのに。

 とてつもなく、嫌な予感がした。

 背中が寒くなるほどの恐怖。

 まさか!?まさか、先生に何か!?

「…………ッッ!!」

「あっ、いけません、フィーリウお嬢様!!」

 キアイラは危険を感じて私を部屋に押しとどめようとしたけど、私はそんな彼女の手を振り切って、部屋から飛び出してしまっていた。ジッとしてなんていられなかった。先生の身にまた災厄が降りかかったのではないか。そう考えると、胸が苦しくて。目の前が真っ暗になる気がして。

「どうした、何があった」

「ああっ、旦那様…奥様が、奥様が…家庭教師の男に……ッ」

 はあはあと息を切らせながら、叫び声を辿って走った先には、お義母さまの部屋があった。

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