第13話 英雄の末裔(5)
私は実施試験を途中棄権した。クロックとの約束を果たすため、娼婦ネイシャを救うべくすぐさま行動にうつる。といっても救護教官がそばにいて身動きがとれないため実家の兄上を頼ることにした。
表向きただの手紙に魔術伝言を忍ばせ伝書鳩をとばす。返事はすぐに帰ってきた。兄上から突きつけられた容赦ない条件に絶句したが、もうしかたあるまい。交渉する時間も惜しいのですべて呑むことにした。
まもなくネイシャは実態のない商会に買いとられ、籍を転々と変えたのち、メアリという名で別人としてカンテラへ移された。これは私が強く要望したことだった。実際にその目で確かめ、裏の人間の影はないか、また彼女がクロックを謀ってないか確認するためだった。なにより、もうひとつ重要な目的があった。
あの日以降、めっきり私に寄りつかなくなった薄情な男に声をかける。
「まったく腑抜けたな」
「……そんなことはない」
目を逸らし覇気のないクロックは彼女の消息について私に一度たりとも訊いてこなかった。彼女のその後を知るのが怖かったのか、あるいは私に迷惑をかけた罪の意識からか。いずれにせよ裏を返せば、私の実行力を疑っていることになる。こっちは多大な労力にくわえ実施試験の棄権ペナルティ、天下り計画の下方修正、兄上に借りまでつくってと大損害を被ったのだから、そのよそよそしい態度が余計に腹立たしかった。
私はクロックをなかば強引に中庭へと連れだし、木陰のもと言った。
「敷地の外を見てみろ」
クロックはふと顔をあげた。鉄柵の向こうには華奢ながら愛らしい少女が立っていて、くしゃくしゃの笑顔に一杯の涙を浮かべクロックを見つめていた。
クロックはなにも言わず、ただ彼女のそばにいった。柵の合間から手を伸ばし彼女を抱きよせた。彼女も抱きしめかえした。柵ごしにふたりは唇を重ねた。つまりはそういうことなのだろう。まったく恋という幻想はどこから始まるかわかったものではない。
本件のほどぼりが冷めるまでふたりは公に逢えないし、所詮は一時の熱だ。今後も相応のリスクがつきまとうだろうが、これはこれで悪くない顛末だとその時は思っていた。
まさかふたりの熱がいつまでも続き、また上官リリシアが私を囲うためにネト=コールマンという存在を勝手に抹消したことで兄上のただならぬ怒りを買った結果、元娼婦メアリが忽然と姿を消さなければ、の話であるが。
◇
炭鉱都市コークスはすでに日が傾きはじめていた。残された時間は一日もない。私は少々手荒な真似に訴えることにした。片っぱしから街の情報屋に聞きまわったのである。
情報屋の大半は裏の世界に身をおき、そういう輩は見ればすぐにわかるから彼らに接触すれば本件の黒幕につながる者が複数いることだろう。
明日に大がかりな八百長を控えたなか耳障りな存在を知った黒幕はなんとしても事前処理しよう躍起になるはずだ。
案の定、場を派手にかきまわしてやれば、さっそく尾行がついた。私をさらい、拷問し、徹底的に吐かせてから始末するつもりなのだろうが、足運びひとつ見てもじつに歯ごたえないの素人連中だとわかった。
私の同期にはクロック並びにクレアという桁外れのバケモノたちがいて、そんな彼らに真っ向勝負しても勝ち目のない私が、彼らを出しぬき対等とはいえずとも渡り合うため、不本意ながらも日々魔術の研鑽を積んできたのだから、魔術をまともに扱えない素人連中など造作もないこと。
私が路地に折れれば、彼らは好機とばかりに間合いをつめてきた。その間、私は上着を脱ぎ、帽子を裏がえし、魔術で顔をかえ、胸を膨らませて女の姿でくるり踵を返せば、それだけでもう私を尾行対象と気づかずに連中はすれ違った。
あとはすれ違いざまにがら空きとなった背を撃ってスタンしてやるだけでいい。路上に泡を吹いて気絶する連中の顔を水晶にかざし、映像越しのイザベラに問うた。
「どこの者かわかるか」
「モートン商会の下っ端ね。それより貴方ずいぶんズル賢いわ。少し見直した」
「それはどうも。じゃあ次だ」
私は追跡者をことごとく騙し討ちにし、路地裏の隅に人の山を築いていった。イザベラはしだいに閉口し、まともに私と目も合わせず、口をきこうともしなくなった。
「どうだ、これだけのサンプルがあれば絞り込めるか」
「……貴方、さすがにアレは最低よ」
今回はちょっと艶女に変じ、連中の不意をついてから急所を潰しただけのこと。たしかに品のないやり方ではあったが、まあ好きに言えばいい。男相手にはじつに効果的な手法であることは騎士学校時代に証明ずみであるからして文句を言われる筋合いはない。とりわけクロック相手であったが。
「効率を求めただけだ。しかしここらが限界だろう。本格的に動きだされると私ひとりでは手に負えないし、魔力も足らない」
「そうわかったわ、落ち合うから指定した場所にきてちょうだい」
「了解した」
場を移し、地下の旧坑道トンネルで落ちあうとイザベラは不満そうに言った。
「あんなに片っ端からやらなくとも私の情報網があれば大丈夫って言ったのに」
「それで、どこまで絞れた」
「そうね、おかしな点があるとするなら、コークスの公営闘技場を牛耳ってる二大胴元がいずれも関わってることかしら。となると政府がらみとみていい」
「もう少し詳しく教えてくれないか」
「焦らないの。二大胴元どっちもっていうのがポイントね。両方に息がかかっているならレルロン子爵とみて間違いない」
「それは確かか」
「ええ、もちろんよ。二大胴元は互いが競合にあるわけだから、そのどちらにも幅をきかせ言うことを聞かせられる立場は限られる。それにはっきりいって明日の八百長の件は二大胴元にとって旨味がまったくないのよ。公営賭博って賭け金から場所代、手間代として一定額を抜くようにできてる商売で客の信用が絶対だから、本来なら公営胴元が八百長に加担するなんてありえないの。それが本件に関わってるとなると、過去の情報から照らしてもレルロン子爵一択になる。なにせ公営賭博の許認可を取りしきる部署の長官なんだから」
「なるほど、それなら確からしいな」
「で、貴方はどうする気? 言われたとおり政府中枢とレルロン子爵の屋敷の見取り図、あと隠し地下路の図面を用意したけれど、もしかして侵入する気? まちがいなく死ぬわよ貴方」
「心配には及ばない。それよりも済まなかったイザベラ」
彼女は真意をはかりかねたように首をかしげた。
「急に謝られたら驚くじゃない。あ、もしかして私の仕事ぶりに圧倒されて惚れたのかしら。悪いけど血の通ってなさそうな貴方は趣味じゃないの、ごめんなさい」
「いやそうじゃない。情報屋を手当たり次第にあたったのは、君の情報屋としての立ち位置を知るためでもあった。むしろそちらに重点を置いていた」
「ああそういうこと。ならやっぱり謝る必要はないわ。私だって貴方はたんなる取引相手でこれっぽちも信用してない。利用して用が済めば、のたれ死のうが知らないもの」
「じつに合理的な考えだな。互いに胸のうちを明かしたついでに、優秀な君にひとつ聞きたいことがある」
「ええどうぞ。答えられる範囲なら」
「一年半ほど前、ネイシャという娼婦の身請け工作をしたのは君か?」
イザベラの顔から余裕の一切が消えうせ、驚愕にゆがんだ。
「……なに、なんで、なんでそんなこと知ってるのよ貴方」
「やはりな。だから済まないと言ってる」
イザベラはしきりに目をさ迷わせ、考えを巡らせてから言った。
「え、なに、私に限って足がつくはずもないんだから、もしかして貴方が依頼主?」
そうだ、と首肯するまもなくイザベラは私の胸ぐらを思い切り掴んで「お前かぁああああああああああ!」と親の仇でも殺さんばかりに叫んだ。
旧坑道トンネル、壁に力なくもたれかかったイザベラはぽつぽつと語りはじめた。
「元々、コークスでは情報屋というより娼婦の足抜け専門でやってたのよ。客は貴族や豪商相手で、一目惚れした女を買いたいって話ね。トラブルが起こらないよう念入りに娼婦本人の意向を確認したうえで実績を積みあげていたところ、一風変わった依頼が舞いこんだわ。駆けだしの女を買いたいって話。処女厨の変態もおおいからその類いだろうと記憶水晶で娼館の出入りを確認してみて、そしたらたまげた。まさかそれが英雄の末裔さまで、しかも実地試験中だとすぐに調べはついた。これはなかなかにヘビーな情報だから、今回に限り、依頼人が誰か分からずとも引き受けることにしたの。報酬がいつもの二十倍ですごく魅力的だったし、断ったら情報知っちゃってる私は始末されるかもしれない……でもそれがなにもかも間違いだった」
イザベラはがれきに腰をおとし、トンネルの天井を見上げた。
「仕事はちゃんとこなした。娼館の主人にそれと悟られないようカモフラージュのため似たような子を三人買ったりもしたわ。絶対バレない自信があった。なのに最近、界隈で英雄の末裔が娼婦を買ったとの噂が今さらになって流布されだした。ほどなくして例の依頼人から一方的な連絡がきたの。『こちらは代理人であって、本当の依頼主から契約を反故にされた。金は返さなくていいから女は返品する』って」
その時であった。どこか遠くで爆発し、ゴオオという地響きがトンネルを駆けた。
イザベラは頭を抱え、悲痛をもらす。
「今のは私の拠点が自爆した音。貴方が騒ぎすぎたせいよ……」
それからイザベラは叫んだ。
「もう訳わかんないっ! なんで地雷原みたいな女を匿わなくちゃいけないの! 私が娼婦専門でやってるのは周知の事実だから日に日に包囲網は狭まってくるし、せっかく築きあげた人脈も、地位も、固定客も、すべてパァ! ああもうっ! ていうか貴方どこの誰っ! なんで明日、八百長なんかやることになってるの! 誰得なのよ! 全然意味がわからないからっほんと!」
「……その、済まなかった」
あまりの剣幕に私はあらためて謝意を示すとともに、じつに兄上らしい入り組んで悪辣なやり口に嘆息した。
「それで彼女は今どこに」
「は? 言うわけがないでしょ。唯一の切り札なの。連中も血眼になって捜してる。けど誰にも売る気はないわ。娼婦本人が望まない相手には売らないのが私の矜持。問題はどうやって仲間全員つれてこの国をでるか。ひとりふたりならまだしも七人も所帯抱えるはめになるなんて。偽造身分証ひとつにしたって今となっては手を貸してくれる伝手もないんだから」
イザベラは本音を隠そうともせず、縋るようにこちらを見上げた。
私は言った。
「ならすべてこちらで用意する。身の安全の保障も、彼女の望むべき相手に売ることも、君の満足できる値段で買い取らせることもすべて約束したうえで。なんなら君がこの町で集めた無数の情報を買い取ってくれる相手も用意する。だから私に君の力を貸してくれ」
「……ほ、本当に? あなたの組織なら可能とでもいうの?」
彼女の目に希望の光がさした。
私は首を横に振った。
「いや、後ろ盾はいっさいない。なにせ君と組むために組織に反旗を翻したばかりだからな。私も君と同じくらいに崖っぷちだ」
イザベラは絶望的な目で私を見た。
つと立ち上がり、なんの前ぶれもなく私の右頬を張った。
「ああもうっ! なんでこんな男に賭けようと思ったの、私のバカッ! ホントバカッ! どいつもこいつも馬鹿ばっか! もちろんアンタもね! いいわやってやる!」
いくら後悔しようと時は戻らないものだ。
「だが、勝算はある」
右頬にはしる痛みをこらえつつ、自暴自棄となったイザベラをなだめ説き、ようやく道筋のみえた計画をつたえ、唖然とする彼女を連れ、この一件を終わらせるため行動にうつる。
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魔法省諜報課の文官はただ天下りたい わらびこもち @warabi_comoti
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