第12話 英雄の末裔(4)

 ※軽度の性描写あり

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 俺が俺であるための価値とはなにか。英雄の幻影を背負い、『時戻り』なんて力をもち、生き続けなければならない俺の人生にはたして価値などあったのか。


 物心つき始めたころから俺を見る他人の目は奇異だった。恐れこびへつらうか、嫉妬し貶めるか、利用し甘い蜜を吸おうとするか。大きく分ければいずれかであった。


 俺は周囲と距離をおいた。心の距離だ。うわべではそうとわからないよう取り繕ってはいたが、他人との距離はどんどんひらいていった。


 十二のとき、そんな俺は女を知った。

 初めての相手は二十歳そこらのメイド。

 誘われるがまま俺は女を貪った。夢中になった。

 だが、心までは開かなかった。たんに都合がよかったのだ。

 

 玉の輿に乗って俺を利用したいだけの浅慮な女ならば、俺も同じく利用してやるだけのこと。案の定、その女はほどなく父に解雇された。名前も覚えてなかった。

 

「なあクロックよ。誰を抱こうが口は挟まんが、貴族と娼婦だけはやめておけ」


 父はそう俺を説いた。権力のしがらみを嫌と言うほど知っていたから貴族に手を出す気はなかったし趣味でもなかった。娼婦は病気もちかもしれないからと理解した。


 以降、俺は身分を隠し、身体だけの関係でいられる相手を市中で見つけては快楽を貪った。剣や魔法の稽古に座学、くだらない貴族パーティーに明け暮れるなか、奇異の目から逃れるように見知らぬ女と抱き合った。そのときだけは自分が自分でいられた気がした。そんな甘やかな幻想もやがて終わりがきた。


 騎士学校への入学だ。


 厳格な寮生活にくわえ、周囲には好かない子息令嬢ばかり。俺によってくる連中は下心まるだしか、夢見がちなメンヘラばかりで辟易した。フロレンスという少しは見込みのありそうな男はいたが、実力でいえば俺ほどでもないし、奴もそれを知ってか互いに距離をおいた。なにより俺好みの女といえば貴族を毛嫌する市民ばかりで取りつく島もない。完全に詰んでいた。


 途方に暮れ、苛立ちが募るなか、その男は現れた。ネト=コールマン。奴はこともあろうにガリア英雄譚を手にもってサインしろと言った。後頭部をなぐられたような衝撃だった。俺がもっとも忌避する元凶、読んだことすらない本だ。こうまで俺に舐め腐った態度をとる人間ははじめてで、しかもそれは初版本で、サインするに値するか試させろという。どこぞの金持ちか知らないが、俺は怒り心頭に発し、思わず剣を向けていた。


 冷静さを欠いたその時点で俺は負けていたのだろう。


 振り下ろした剣は結界に阻まれた。高度な多層結界を斜方に重ね、認識阻害魔術でそれをカモフラージュし、俺の渾身の一撃をいともたやすく逸らしてみせたのだ。


「悪いがサインは要らない。時間をとらせて悪かった」


 返す言葉がなかった。そして奴の意図をたしかに受け取った。こびへつらうことなく、英雄の子孫と畏れることなく、ただ俺を対等に見ているのだと。そのうえで利用価値があるから利用させろと。まったく不思議な奴だった。そんな男に興味を持たないわけがなかった。


 奴と関わってまっさきに思ったのが、とにかく極めつけの阿呆ということ。


 頭が回り、機転が利き、内包魔力量は平凡の域をでなかったが図抜けた魔術制御技量をもつにも関わらず、いたって謙虚で目立とうとしない。一方で自身の邪魔をするクズともには手練手管ありとあらゆる絡め手で蹴散らしていくさまは、見てるこっちが痛快なほどであった。


 だが、その目的はすべて「安泰な省庁に入って天下りたい」である。


 その言葉に嘘偽りがないのだから始末に終えなかった。そんなくだらない目的のために俺に近づき恩を着せているのだと面と向かって言われたときには開いた口が塞がらなかった。奴は生粋の阿呆だった。しかし内心では心底惚れていた。これこそが俺の求めていた理想の友と気づき、俺の心にはじめて他人が入りこんだ瞬間だった。


 ネトはじつに愉快な男だった。貴族を貴族ともおもわず、ときに俺を便利な荷物持ち程度に扱うことすらある。ただ、その芯は頑として揺るがず、道理に反する者には一切の興味を示さず、「自己利益の最大化」が口癖であったネトの言葉にはいつだって嘘いつわりなく、俺の期待を裏切ることは一度たりともなかった。


 だから俺は見誤った。甘えてしまった。彼ならなんでも出来るとそう思いこんでしまった。道理に反してしまったのだ。今更後悔したところで赦されるわけもないし、その罪が洗い流されることもない。選んだのは俺自身だ。実のところ、ネトが俺のことをどう思っていたか未だにわからない。俺だけが一方的に友と思っていただけかもしれない。だが、いい。それでいい。


 今に至ってなお、彼のことを思いだせた自分がいるだけで充分なのだから。


 もう取り返しのつかないところに俺はいる。


 あとは己が矜持を示し、そして死ぬだけ。


 俺は、あの日の出来事を今日も思いだす。



 まったくアイツは天才かっ!


 言われたとおり炭鉱場にいけばボロ着はあるし、身分を示すものがなくともすんなり闘技場にエントリーできた。対峙した魔獣があまりに弱くて拍子抜けしたが、ま、そこまでネトに求めても仕方がない。ともかく金も入って一張羅も手に入れたことだし、よし、満を持して高級娼館へ行くとしようか。


 俺は浮かれ娼館に入った。とりあえずラックと偽名をつかう。


「初めてのお客様とお見受けしますがお名前は。ラック様ですね、どうぞこちらへ」


 案内された個室は甘く淫靡な匂いが立ちこめていた。これからの逢瀬を期待してあまりある調度品と上等なベッドがしつらえてあり、一体どんな男を骨抜きにする妖艶な女が来るのだろうかと今か今か待っていると思いのほか華奢で若い女が現れた。


「今宵はすでに更けてござますゆえ、姐さまたちはすでにお相手がおります。ふつつか者ではござますが、どうか私と戯れてくださいまし」


 言われてみればその通りだ。俺は一見客。いくら金を積もうと人気の娼婦を相手にできるわけがなかった。それでも女は女。今日の俺はとにかく飢えていた。


「そうか。よろしく頼む」

「ネイシャと申します、どうぞよろしくおねがいいたします」


 駆けだしと見えるネイシャという女は、それでも高級娼館に在籍してるだけあってじつに品のある所作で俺の横につき、酒をつぎはじめた。


「そういうのはいい。早くお前を抱きたい」


 いかにもがっついて女に嫌われそうな台詞であったが、なり振りかまってられない。一度きりの相手だ。未明までに帰らなくてはならないし、酒なんてもってのほか。俺は彼女の襟もとに手を入れ、その小ぶりながらも柔らか曲線に指を這わせた。


「その、恥ずかしゅうござますので、どうか灯りを消してくれませんか」

「ん、ああそうか。その方がいいのなら」


 若さと初々しさを売りにしているのだろうがまったく趣味ではない。娼婦としてはまだまだ男を分かってないなと思いつつ、半年近くもご無沙汰していた俺は女の味を思いだすべく、その軽すぎる身体をベッドにのせ、暗がりに着衣を脱がし、その唇を奪った。彼女はなすがままそれを受け入れた。


 緊張にこわばらせる彼女の肉感のうすい四肢に手を這わせ、なだらかな胸に顔を埋め、その身体をほぐしとき、控え目な喘ぎをきく。もうこの辺でいいだろう。


 なぜ客の俺が奉仕しなければならないのだと片隅に疑問をもたげつつ、飢えた身体を昂ぶらせ、ことに入ろうという時。


「……その、初めてなので優しくしてくださいまし」


 いわれ我慢の限界をこえた。こういう台詞が好きな男もたしかに多いが、駆けだしといえど娼婦の口にしていい台詞じゃない。言っていいのは本物の処女だけで、しかもまったくもって興味もない。俺はもう彼女にかまわず自分本位にはじめた。それからの記憶はない。ただ、本能に任せ快楽をむさぼった。


 ことが終わり、気がつくと、女は泣きながらベッドに横たわっていた。


「なぜだ、何を泣いている」

「……初めてって言ったのに。優しくしてって言ったのに」


 目を落とせば、痕跡がたしかにあった。俺は狼狽し口に手をあてた。どうして経験のない女がここにいる。


「……もういや、いやよぅ、こんなとこいたくないよぅ」


 女は布を被って幼い少女のように泣き震え、うずくまってしまった。俺はどうしていいか分からず、ただ彼女を後ろからそっと抱きしめて「すまない、すまない」と繰り返した。彼女はいつしか泣き疲れ、寝息を立てた。


 俺は彼女の寝顔を見つめ、涙をそっと拭き、ひとしきり考えた。なぜだ。今までの女たちとは決定的に違う、このうしろ暗く後悔ばかりの押し寄せる感情はなんだ。そこではたと気づいた。彼女はけっして俺を望んではいなかったのだと。たんなる仕事として相手をしただけで、微塵も愉しんではいなかったのだと。


 俺は急ぐように娼館をでた。その事実を認めたくて逃げた。俺を欲しがらない女など知らなかった。彼女のことがずっと頭から離れなかった。藪をかけ、かさかさと木蔭がゆれるたび、耳奥にきこえる彼女の喘ぎ声は救いを求める悲鳴なのだと知って吐き気がした。


 俺は救いを求めるように友のもとへ駆けた。小屋を見つけ、寝入っていた彼を起こそうとその身体を揺さぶる。


「ん、思ったより早かったな。どうだ満足したか」


 そんなわけがない。だが、俺は何も言えなかった。ネトはさもこうなることが分かっていたように「そうか」とだけ言ってまた横になった。


 ああそうだ。こんなこと言って何になる。どうにもならないじゃないか。娼館というものはそいういう場所であって、俺も頭ではわかっていたつもりだった。だが、実際目の当たりしたらこの体たらくか。


 俺は決定的なまでに、何もかもが恵まれているのだと思い知った。思い知ってからはもう彼女の涙にぬれた顔が、泣き声がずっと頭から離れなかった。この先に待ち受ける彼女の延延の地獄を知ってしまってはもう一睡もできなかった。


「どうした、ペースが遅いぞ」


 先を歩くネトは言った。俺は黙ったまま続いた。視界がやけに赤い。朝焼けに照らされ、はらはらと舞い散る紅葉が俺の罪を咎めているような気がしてならない。その一歩を踏みしめるたび、彼女から逃げだした臆病者に思えてならなかった。いつしか俺はその沈黙に堪えきれなくなっていた。


「なぁネト、彼女はどうなる」

「どうもならない。娼婦とはそういうものだ」

「ネイシャは、その、初めてだった」

「そうか。そういうこともあるかもな」

「俺はどうしたらいい」

「どうもしなくていい」

「……なあネト、ネトなら、なんとかできるんじゃないか」


 俺は甘ったれた言葉を吐いていた。けっしてそれを言うべきではなかった。その言葉は彼の期待する俺ではなく、もはや腑抜けでしかなかった。だってそうだろう。俺は侯爵家の次期当主で、英雄の末裔だ。その権力と財力をもってすれば娼婦の一人ぐらいかんたんに救えるし、先祖返りと称される『時を戻す力』だって宿している。


 救えるが、しかし実際は救えなかった。


 俺は実地試験中に娼館に出入りするという前代未聞の失態を犯した。そこで出逢った彼女を買い上げれば、おのずと彼女自身が証拠となって明るみになる。そんなこと父が、国がけっして赦すわけがない。かといってこの現実をなかったことにもできない。時をさかのぼっても俺の記憶はなくならないし、俺が相手をしなければ、彼女は他の男に抱かれることになって不快さだけが増す。彼女を救うのは不可能だった。


 頼れるのはもうネトしかいなかった。


 パキと小枝を踏み折れた音がし、こちらに振り返ったネトはすべて理解しているのだろう、冷めた目で淡々とこう告げた。


「その覚悟はあるのか。私を裏切るだけの覚悟が」


 そう、これは裏切り行為だ。将来の安泰と天下りを切にねがってやまない友にけっしてしてはいけない、道理に反した願いなのだ。


 俺は言った。


「……ある。でないともう俺は駄目になってしまう」

「わかった。約束は果たそう」


 ネトは手を天にかざし、救難信号を打ち上げた。


 ほどなくして救護教官がくると、ネトは体調不良を訴えて試験を棄権し、その場を離脱した。彼女をいち早く助けるために動いたのは明らかだった。そんな彼の背中をただ見つめるしかできない俺は、申しわけなさと後悔を口にすることすら許されず、たったひとり心許した友を自ら手放していた。

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