第11話 英雄の末裔(3)
初版本の一件以降、クロックはときおり図書館にいる私をたずねてきた。といっても横流ししていた試験問題を聞きにくるだけなのだが。
「悪いな、恩に着る」
「これを手に入れるのにどれだけ策を労したと思ってる」
「そうは言っても、他の連中にだって流してるだろ」
「当然だ。倫理なき報復でもある」
私はどの市民グループにも属しておらず、そんな私がこともあろうに貴族のクロックと交流をもつと知った複数勢力が、こぞって私を貶めるべく倫理なき嫌がらせを始めた。真っ向から潰してもよかったが、どうせなら彼らが一番恐れていることで報復することにした。試験問題を横流しして彼らだけには行き渡らないよう画策したのだ。自身の進級が危うくなることが彼らにとって一番恐れていることだった。
「しかしバレないものかねぇ」
「今回で三回目。バレているのならとっくに処分を受けてるだろうしバレても構わない。彼らの主犯格の顔と声に変えて教官に接触してあるからな。むしろバレろ。そして潰し合え」
「……え、えぐいな」
「ああいう輩は、人の足を引っ張るだけでまったく役に立たない。最近、背後に私が関わってるとようやく理解したか、それとも疑心暗鬼になったのか、何も仕掛けてこなくなった。まったく歯ごたえがないな。もっと私を愉しませて欲しいものだよ」
「……お前だけは敵に回したくないぞ」
とはいえこれは副次的な効用にすぎない。主目的は座学のあやういクロックに恩を着せつつ、貴族科の連中にもさりげなく恩を売ることにあった。
私の名で情報を流さずとも、その者が市民科の生徒であることはそれとなく伝えてある。これがいずれ両科に立ちはだかる厚い壁に打ちこむ楔となるように。
「そういやあの角で本読んでる女子、クレアっていったけか。お前のおかげて苛烈なイジメもなくなったぽいな。本当はそれも目的としてるんだろ」
「半分合ってて半分違うな」
「そうなのか、てっきりああいう地味目な女が趣味なのかと思ってたが。磨けばかなり光りそうだし」
「君の目は節穴か。彼女を追いつめたらどうなるか知れない。危機は前もって排除するに限るんだ」
「へえ、ものは言いようだな。ならそういうことにしておいてやる。ああそうだ。約束どおり『地獄の二十日行軍』はお前と組んでやる。まったく感謝しろよ。もし俺じゃなかったら、お前は貴族科の連中に袋叩きだ」
「わかってる。感謝する」
「まったくなにがしたいのやら。お、もしかして貴族科に好きな女でもいるとか?」
「しつこい。これ以上の結界維持は厳しいからもう行ってくれ」
「あーはいはい。なあネト。また明日もここに来てもいいか」
「ああ、構わない」
私は第一目標をすでに達していた。クロック=リーズリーと友人関係を築き上げていたのだから。
筆記試験を無事に終え、つぎに待つのは実地試験。
秋が深まり、紅葉狩りが風情なこの時節。
我々105期生は毎期恒例の『地獄の二十日行軍』に挑むこととなった。
中央都市カンテラより重い荷を担いで山あいをひたすら進み、目的地の同盟都市コークスの山麓にある旧鉱山跡地を折り返して、ふたたび徒歩でカンテラをめざす。
魔獣はびこる危険地帯は避けてあるが、まったく安全ともいいきれない山中を神経をすり減らしながら、大人ひとり分はあろうかという荷を担ぎ、二人一組となって二十日あまりの工程をひたすら突きすすむ苦行は、まさしく地獄といえた。
なぜこのような実地試験があるかというと、騎士学校卒業生は全員、予備兵として登録される。有事の際は徴兵され、カンテラを守る責務を負うことになるからだ。
体力面に不安のあった私は荷の重さを魔術でもってクロックに肩代わりさせた。彼は肉体強化と無尽蔵の魔力をもつから、なんら苦にしなかった。ときおりマジかこいつと恨みがましい目をこちらに向けてきたが無視した。試験問題を提供した見返りであったからだ。
紅葉ふる山道、手ぶらに等しい私は、彼に少し踏み入ったことを訊いてみた。
「君が本気をだせば首席も余裕だろうに、なぜライグニッツに譲る」
「ん、ああ。俺はこれ以上重荷を背負いたくない。期待されたくないんだ」
言わんとしてることはわかった。彼の立場にならなければ本当の意味での理解はできないだろうが、たしかに英雄の末裔、ガレアの再来と呼ばれるのはさぞ息苦しかろう。そんな彼が弱音を吐く姿を私ははじめて見た。
「なあネト、重いは重いんだ」
「そうか」
「言っとくがダブルミーニングだからな。お前ならとっくにわかってんだろ」
「さてなんのことだか。はやくいこう。なんとしても一番で折り返したい」
「今でも余裕で一位なんだよ! ちくしょう!」
さて、私たちは予定通り八日という過去最短記録で往路を首位通過することに成功してみせた。なぜ首位にこだわるかというと、貴族科と市民科の生徒が手をとり結果を残したことを同期、ひいては未来の後輩たちに知らしめるためだ。それがいずれ私の最大利益に繋がると確信して。
その晩、私たちは旧鉱山跡地の山小屋でひとときの休息を得た。汚れきった身体を湯でながし、雨風しのげるあたたかな寝床につく。一日山道を歩くだけでもかなりの重労働で、節々がずいぶんと痛い。
一方でクロックは二人分の荷物を背負いながらもまったく疲れた様子を見せず、小屋の窓から外をぼんやり眺め、ぽつり言った。
「……なぁネト、女抱きたくないか」
「全然ないな」
私は眠けまなこを擦りながら言った。
こうなることは初めてから予期していた。彼は無類の女好きであった。騎士学校の規則により禁欲生活を強いられ、また、貴族令嬢に手をだすことがどのようか結果をまねくか、彼は自身の影響力の大きさをよく分かっていたから、手をだすことはしなかった。しかし、もはや限界だった。
彼は煌々と輝くネオン街をじいと見ていた。男の本能を刺激してあまりある妖艶なマゼンダ色。鉱山都市コークスは有数の色街でもあった。私は嘆息した。
「金もない、変装する服もない、実地試験中、それでとうしろと」
「……だよな。すまない。変なこといった」
彼は去勢された狼のように力なく床についた。死んだ目をして天井をうつろに見つめる彼をよほど哀れに思ったか。私はつい魔が差して言ってしまった。
「できなくはない」
「……まじかっ! それまじかっ!」
クロックは発情期の雄と化した。もしこれで冗談だと言おうものなから、私が襲われかねない勢いであった。こう見えて私はそれなりに中性的な顔をしていた。
「可能は可能だ。金なら闘技場が夜間もやってるから飛び入り参加して稼げるし、服なら鉱山に捨ててあるボロを着て、稼いでのち新調すればいい。もし見回りの教官がきたとしても、私が君に扮したうえで、私のほうは腹をくだして木陰にいると嘘をいって一人二役をすればいい。日が明ける前に帰ってくれば問題ないだろう。いけるはいける」
クロックはポカンと口をあけ、呟いた。
「……おまえ天才か」
「この状況で、その言葉はまったくいらない」
実をいえば、この話は前々から用意していたものだった。どう考えてもパッと思いつくような内容ではない。闘技場が昼夜営業していて、鉱山にボロ着が捨ててあり、飛び込み参加が可能なことも下調べしてこその情報だ。これで彼に大きな貸しをつくれるとその時は思ったが、しかし考えなおし、本当は言わないつもりでいたのだが。
「よし。そうと決まれば娼館デビューしてくる。じゃっ!」
まったくフットワークの軽い男はそそくさ闇夜に消えていった。果たして彼を行かせてよかったのだろうかと胸中、不安がよぎった。
クロックは無類の女好きで、自分の視界にあるものにしか興味を示さない主人公基質であったが、それでも一本筋の通った男だ。同期の中心人物でありながら、本来なら見向きもしない片隅の生徒クレア=ハートレッドのことを気にかけることもできる男であった。
そんな彼はおそらく娼館のなんたるか、その本質を知らない。思えば彼は世間知らずの貴族令息でもあった。だから何事もないことを願いつつ、疲れ果てた私は彼の顔に成り変わり、結界を張り、そして眠りについた。
◇
自身をイザベラと名乗った女は、棚に所せましと並んだ水晶からひとつ手にとって、魔力をこめた。水晶より壁に投影されたのは高級娼館の出入口。二年近くも前の映像である。映っていたのはあの日私が手を貸し、行かせてしまった友の姿にほかならない。
「これを見て。実は彼、このころ騎士学校に通ってたはずなの。それがなぜかここにいた。まさかあり得ないって思ったわ。彼になりすました別人かもって。詳しく調べてみたらやっぱり。その日ちょうど実地訓練か何かでこの辺に立ち寄っていたのね」
「じゃあなにか、君がクロック=リーズリーが娼館通いだとの噂を撒いたと」
「勘違いしないで。そんな安い手、使わないわ。そもそも順番が違うのよ。私は彼に関する不穏な噂を聞いて、過去の記録を洗い出したに過ぎない」
「そうか疑ってすまない。それで不穏な噂とは」
「決まってるでしょ。彼を使って八百長をやろうって話。彼は弱みを握られていて、首根っこ掴まれてるって話よ」
「しかしそれじゃ弱いな。私が顔を自在に変えられるように、一定数その力を持つ者はいる。成りすましだとシラを切ればいいだけだろう」
「そうかもしれないけど、誰もがあなたみたいに合理的に考えるとも限らない。人って案外単純なものよ、心で動くものなの。どう、さすがに驚いたでしょう?」
したり顔の彼女に私はしばし黙考した。クロックが娼館に行ったことは裏の世界では周知の事実として扱われている。これは予想どおりでなんら驚きはないし、娼館通いの貴族などいくらでもいる。むしろ得られなかった情報にこそ価値は眠っているものだ。
イザベラはクロックの真相について入り口までしか語らなかった。情報屋ならその先まで調べるはず。これじゃ片落ちだ。単にこの先の事実を知らないのか、あるいは知りながら意図的にこちらに話さない理由でもあるのか。イザベラの情報屋としての能力や信頼性の審議はさておき、とりあえず話には乗ることにした。
「ああ驚いたよ。驚きついでで悪いんだが、君たちは私に何を望む」
「そんなの決まってるでしょう。もうここに長居できそうもないから、最後にそいつら全員の寝首かいて大金せしめてやろうって算段」
そういって彼女は上っ面に笑った。
利害が一致してるようで私は二つ返事したが、やはり釈然としなかった。私同様、彼女は彼女でなにかしら隠してるのだとの確信めいたものを感じた。
◇
地上に戻り、私はすぐさま指揮命令権をもつクロノに連絡をとった。
「こちらクロノ、ずいぶんと通信不可エリアにいたみたいですが何かありましたか」
「いや、ただの空振りだった」
「そうですか、すでに対象者が現地入りしました。追跡願います」
「了解した。座標をおしえてくれ」
表通りへ向かうと対象者はすぐに見つかった。パレードのような群衆の、その中央で立ち往生している黒塗りの礼式馬車に搭乗しているのはかつての友、クロック=フォン=リーズリーである。
精悍な横顔に威風堂々とした居姿は、それだけで見る者を圧倒し、英雄の再来といって差しつかえないカリスマ性をもっていた。彼は群衆の歓声にこたえず、ただじっと前を見据え、何か深刻に考えてる風であり、それがかえって様になっていて民衆をより惹きつけていた。
剣闘試合の開催は明日。
彼に許された選択肢は、脅しに屈し八百長に加担しようとしてクロノに撃ち殺されるか、それとも要求をはねのけ己が矜持をしめしてのち自死するかの二つのみ。
私は彼の目を見た。
その目を見れば答えは明らかだった。
「クロノ、すまない」
「――え」
私は通信を切った。同僚たちの目から逃れるように群衆にまぎれ、私は私のすべきことに全力を期すため、顔を変え、その姿をくらました。
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