とりあえず、書こう。

月代零

物語ること

 森山昴もりやますばるには、三日以内にやらねばならないことがあった。短編小説の執筆である。


(……いや、別にやらなければいけないことってほどじゃないんだけど……)


 否、諦めるのは簡単だ。これは自分との戦いであると、昴は自分を鼓舞する。


 SNSで見かけて利用を始めた小説投稿サイト「ヨムカク」。そこでは、毎年周年祭イベントとして、ヨムカク・アニバーサリー・チャンピオンシップ、通称YACが開催されている。およそ一ヶ月間、出されるお題に添った小説を書いて投稿すると、換金できるポイントがもらえるというものだ。


 今は大学も春休みで時間はあるし、小説を書くリハビリにちょうどいいかと思って参加してみたが、なかなか楽しい。そりゃあ、締め切りまでのわずかな時間で作品を書き上げるのは大変だけれども。

 それでも、例年はもっとお題の数が多く、その分締切りも二、三日とより過酷だったらしい。それを思えば、今回のお題は週に二回、締め切りも三日から四日とだいぶ余裕がある。八百字以上の短編を書くくらい余裕だろう。そう思っていた。しかし。


(〝トリあえず〞ってなんだよ……)


 ノートパソコンに表示された新しいお題を前に、昴は頭を抱えていた。

 どうして〝トリ〞がカタカナなのだ。〝とりあえず〞とは違うのか。


「でも、なんで〝トリ〞なの?」


 自分のスマートフォンで同じサイトを眺めていた那由多が言う。昴がサイトに小説を投稿していることを嗅ぎつけて、ひやかしに来たのだ。

 気分転換にとリビングに下りてきたが、間違いだったかもしれないと、昴は思った。だが、昴は件のサイトの管理画面を見られないように細心の注意を払い、自分のアカウントを頑なに秘密にしている。


 彼女はこの桜華堂で一緒に暮らす仲間だった。大学生の昴より年上で、先輩風を吹かせているが、子供っぽくて手がかかるところがあると、昴は密かに思っている。


「このサイトのマスコットが、トリだからじゃないですか?」


 昴はサイトのバナーなどにちょくちょく登場する、デフォルメされた青くぽっちゃりした小鳥のマスコットを指す。


「青い鳥ねえ。幸せを運んでくれるのかしら?」

「青い鳥は幸せを運ぶんじゃなくて、見つけると幸せになれるんじゃないですか?」


 確か、青い鳥には探しに行っても会えなかが案外近くにいて、幸せは身近にあるのだ、という話じゃなかったか。そんなどうでもいいことを言いながら、昴は他の投稿作をいくつか読んでみる。

 やっぱり、トリに会えないというネタが目立つ気がする。それらを読んでしまった後では、被りたくない、被ってはいけないという意地が出てくる。


「それって、意味のない言葉で八百字埋めたりしてもいいの?」


 更に横槍を入れてくるのは、同じく桜華堂で暮らしている中学生の少女、晶だった。彼女は訳あって親元を離れ、ここで下宿生活を送っている。


「……駄目じゃないかな」


 というか、それは物書きのプライドに反する。


「だって、作品って何百とか何千とかあるんでしょ? その全部を、運営が内容をチェックするなんて無理じゃない?」

「いや、イベントのルールに〝投稿すること〞って書いてあるし……」


 それに、不適切な投稿をユーザーが通報する機能もある。投稿を初めて数日、少しずつだがPVやフォロワーも増えている。ここに来て誰にも読まれないなんてことはないだろうし、そんなものを投稿したら通報されるだろう。そうしたら、このアカウントが使えなくなってしまうこともあり得る。


「アカウント凍結なんて嫌ですよ、俺」


 人気ランキングに登場するでもない弱小アカウントだし、作って日も浅いが、それなりに愛着は湧いている。何より、物書きとしてのプライドがある。


「でも、小説八本書いて五百ポイントでしょ? バイトしてた方が儲かるんじゃない?」


 晶が極めて現実的なことを言うが、


「そういう問題じゃないんだよ……」


 確かに、それを言われたらぐうの音も出ないが、小説を書いて対価をもらえるということが重要なのだ。少なくとも、今の昴にとっては。

 そんなことを言っているうちに、那由多は小説を読むのに飽きたのか、近所のスーパーのチラシを眺めていた。


「ところで、晩ご飯何がいい?」


 唐突に、話題が変わる。

 夕食はカフェからまかないをもらうか、店休日は持ち回りで作っている。今日の当番は那由多なのだ。

 晶も横からチラシを覗き込んだ。


「今日は鶏肉が安いね」

「じゃあ唐揚げとか……親子丼なんかもいいわね。胸肉で棒棒鶏バンバンジーとか、梅肉和えとかもアリかしら」

「ささみ買おうよ。茹でたらスペランツァも食べられるし」

「それもいいわね。ささみは高たんぱく低脂質でヘルシーだし。チーズと大葉を巻いてフライにするとか」

「揚げたらヘルシーじゃないじゃん」


 そんな会話を聞いていたら、脳裏にまな板の上に乗せられたマスコットのトリが命乞いをする場面が浮かんでしまい、昴は頭を振ってそれを振り払う。


 夕食談議で盛り上がる二人から離れ、昴はマグカップにコーヒーを淹れて、二階の自室に戻った。

 改めて、何を書こうと頭をフル回転させる。


(とりあえず……とりあえず、か……)


 間に合わせの処置として。先のことはともかくまずは。

 例え昴が筆を折ったとしても、誰にも影響はないだろう。書くのをやめても、昴の人生は続く。

 それでも、昴は物語を書く人生を選びたいと思う。書くことは楽しいと、このイベントが思い出させてくれたから。


 先のことはどうなるかわからないけれど、とりあえず書こう。昴はキーボードに指を走らせるのだった。




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とりあえず、書こう。 月代零 @ReiTsukishiro

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