俺はマトリョーシカ

雲条翔

俺はマトリョーシカ

 ボサボサ頭に無精ヒゲ、あまり清潔とは言えない身なりの、三十代の太った男、瀬戸力せトリき。 


 居酒屋に一人ひトリで入るのは、今日が初めてだった。

 

(全然客がいないな。あ、昼アヒル間だからか……)


 まだ平日の明るい時間だ。

 客は瀬戸以外におらず、閑古ドリが鳴いている。


とりトリあえず、生ひとつ」


 覇気の無い小声でオーダー。


「はい、生一丁!」


 やたらと威勢のいい店員が答え、テキパキと注文のビールを運んでくる。


(おー、よく働くね店員さん。無職の俺に対してジョッキを運んどるはコンドル


 自嘲的に内心で毒づいたあとは、冷えた生ビールをごくごくと飲み干し、瀬戸は深くため息をつく。


 ◆ ◆ ◆


 塗装業をしていたが、太りふトリすぎたせいか、塗料トリょうの缶を持ち上げるにもひと苦労。


「きっと力士トリきしになれるかもカモしれませんよ」と、仲間からは「関取せきトリ」とあだ名される始末。


 肥満体をネタに笑いなんて取りトリたくないのに。格好カッコウがつかない。


 手取り足取りてトリあしトリ教えてくれた親方の服部はっトリさんは「今、ダイエット中なんで、もうちょっと続けさせて下さい」という俺の頼みを、もっと理トリ解してくれると思っていた。


 先日、塗ったばかりの壁を、出っ張った腹でこすってしまうというミスをやらかし、温厚な服部さんですら「もうトサカにきた!」と離トリ職を勧めてきた。


 入ったトキは「いい腕してるな、お前がワシワシの跡取りトリだ」なんて褒めてくれたのに、ただのご機嫌取りトリだったのだろうか。詐欺サギじゃないのか。


 瀬戸はしぶしぶ、離職の勧めに従ったのだった。


 ◆ ◆ ◆


 明日からどうやって過ごすか。仕事のアテはない。


 瀬戸は、若い頃は、大会に出るほどの陸上選手だった。

 一見、そんな感じには見えず、本人も自慢することはしなかったので「能あるタカは爪を隠す」感があった。

 砲丸投げの選手として「飛ぶトリを落とす勢い」だった瀬戸は、肩を壊して引退。

 現実と理トリ想。そのギャップが、壊れた肩に重くのしかかる。


 自暴自棄になり、暴飲暴食に走った。


 レストランに入り、メニューを片っ端から平らげたこともある。

「えーとリトリゾットとリトリングイネパスタとリトリガトーニとリトリーフパイとリトリコッタパンケーキ、あとリトリブロースとリトリードボーのセットとリトリーフサラダのレタスも! それとリトリンゴジュースと緑トリょくちゃ茶もお願いします」

 この日バリヒバリバリと食べたのは覚えている。


 食べに食べまくって、気づけば体重は百キロを超えていた。

 

 どこかで踏ん切りを付けて、新しい道に踏み出すか。

 それともずモズっと引きこもるか。


 瀬戸は前者を選んだ。


 知り合いを頼って、塗装業の就職口をきいてもらった。

 なんとかなると思っていたが。

 自分には向かない仕事だと、うすうす気づいていたが、認めたくなかった。


 ストレスから、食べることに逃げ、体重は更に増加の一途。


 そして、無職になった今、酒に逃げようとしている。


 元の給料が安かったせいもあり、辞めたとしても雇用保険など「スズメの涙」程度だろう。

 光熱費や水道代を節約するために、アパートのシャワーだって「カラスカラスの行水」で済ませているのだ。

 金も無いのに、「千鳥チドリ足」になるほど酔おうだなんて、どうかしている。


 店員がすすめてきた「焼き鳥三種盛り合わせセット」をつまみながら、二杯目のビールを飲む瀬戸。

 焼き鳥とビトビール。

 最高の組み合わせだが、食べている俺は、最低だ。


「小さい頃は良かったなあ、しりとりトリや、あやとりトリなんかしながら、悩みもなく過ごしていたっけ……」


 ここまで来ると、もはやブサハヤブサイクなオッサンのひとり愚痴大会だ。

 また、大きなため息をこぼした。


 三杯目はビールから切り替えて、マスカットリトリキュールを注文。


 酔いが回ってきたのと理トリ屈ではない感情がこみ上げてきたせいもあって、涙がぽとりトリと落ちそうになるのを、上を向いてぐっと堪える。


 カウンター席で飲んでいた瀬戸の隣に、三人組トリオの男性が座った。

 全員が白髪頭の老人たちだ。大きな声で元気に話し、笑っている。


「年を取りトリましたけどねえ、逝く時はポックリと逝きたいですなあ、立つトリ跡を濁さずって言うでしょう」

「周りはホント、烏合ウゴウの衆だったよ。でも、俺は、若い頃からの目タカの目で成功のきっかけを探していたんだぜえ」

「年齢のせいなのか鴉鵲うじゃく待つ、だけじゃ駄目なのかも、目カモメ一杯頑張ってほしいけどもう僕フラフラのフラミンゴフラミンゴ、僕のアタマはアホウドリアホウドリ


 よく見ると、老人たちの顔は赤く、呂律も回っておらず、話す内容もシラフとは思えないほど、噛み合っていない。

 この店で、既に三軒目か四軒目なのかもしれない。正気じキジゃない。


 急に、老人のひとりトリが、瀬戸に話しかけてきた。


「あんちゃん。陰気な顔して飲んでちゃいけねえよ、酒ってのは。笑って、明るく飲みなさい。人生の潤滑油、それが酒だ」


「笑って、明るく飲む、それが酒だ、か……」


 瀬戸は思わずオウムオウム返しで呟いてしまったが、声は浮かないままだ。


「それにしてもあんちゃん、カラダでっかいねえ。中に小さい人が入ってたりして」

「開けると小さい人がなあ。わっはっは。その人からは、また小さい人が出てきて。ほら、マトリトリョーシカみたいに」

「マトリョーシカってどんな鹿だっけな。ジビエで喰える店あるかな。そこで飲むか」

「ちょっとお前黙ってろ」

「へへえっ、口をつぐみツグミまーす」

「なかなか頼んだワイン来インコないよなー」

「頼んでねえよ。そもそもこの店にワイン置いてねえよ。いい加減にしろよっ」

「ちょいとお前さん、酒の席、冷セキレイ静に」


 うっせえジイサンたちだなあ、マトリョーシカは鹿じゃねえよ、と思いながらも、瀬戸はふと思った。


 マトリョーシカのように、入れ子構造で、「外側の自分」が不幸を背負っているとしたら。


 ダイエットして、「内側の自分」が顔を出せた時、「外側の自分」の不幸は、取り外せるのではないだろうか。


 瀬戸は、酔った老人たちに絡まれながら、人生を幸せに生きるコツみたいなものを、ふっ……と理トリ解した。


 心が、トリの翼が生えたみたいに、軽くなった。


「一緒に飲みますか。人生の先輩たち」


 瀬戸は、グラスを差し出す。


「お、マトリョーシカのあんちゃんが笑顔になったぞ! 飲もう飲もう!」


 老人たちもビールジョッキを突き出して、四人で乾杯した。


 昼間の居酒屋に、カチンと小気味良い音が響く。


「あんちゃん、トシいくつだい」


「三十八です」


「さっきまでの暗い顔、女に振られたか、仕事で失敗してクビになったか、どっちかだろう? 大丈夫だ、あんたまだ若い。これからだ」


 別の老人も笑う。


「そうそう。人生、四十からシジュウカラでも遅くねえよ」

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俺はマトリョーシカ 雲条翔 @Unjosyow

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