「とりあえず」で綴る、日がな一日

ninjin

第1話

 うっるせぇなぁ・・・。


 僕は、適当に右手を伸ばし、そこに在るであろう目覚まし時計を探り当て、そのスイッチを切った。


 今日は休みだっていうのに、何でまた目覚ましなんか掛けちまったんだろう。

 仕方ない、起きて、シャワーでも浴びるか。


 、バスタオルとパンツの用意をして、っと。

 僕はバスルームに向かった。


 バスルームでシャンプーを洗い流した後、髭を剃ろうとカミソリを手にしてみて、ちょっと考える。


 今日は休日だ。

 髭剃り・・・、今日はいっか。


 バスルームから出て髪を拭き上げ、パンツ一丁、バスタオルを首から引っ掛けキッチンへ。


 、コーヒーでも淹れようか。

 いや待てよ、お茶にしよう。

 いやいや、やっぱりコーヒーかなぁ・・・。

 うーん、お茶?

 ・・・ココア?

 いや、それは無い。

 どれにせよ、お湯が必要だ。

 ヤカンに水を張り、僕はコンロの摘まみをひねった。


 結局は当初の思い付き通り、コーヒーを淹れることにした僕は、マグカップを2つ用意する。

 いきなり起き出してきた彼女から、「自分ばっかり狡―い」って責められることを避けるためだ。


 ん?

 彼女、ベッドで僕の隣にいなかった、よね?

 そういえば、彼女、あのあと、「今日は、帰るね」って言ってたっけ。


 何か、大事なことを忘れている気がする。


 ・・・・・・・・・。


 考えても思い出すことが出来ない僕は、淹れたてのコーヒーにひとくち口を付けた。


 ぁっち。


 思わずその熱さに仰け反ってしまった僕は、もう少しコーヒーが冷めるのを待つ為に、一度マグカップをテーブルに置く。


 さて、何か音楽でも掛けるか。


 何を聴きたい訳でもない僕は、ラックから手に取ったCDをプレーヤーに差し込んだ。


 南国の風香る中に微かに哀憐の情を孕み、気怠さと甘やかさの絶妙なバランスで奏でるメロディ・・・


Bossa nova 「イパネマの娘」


 、これで良いや。


 何か、大切なことを失念していると思われる。


 ・・・・・・・・・。


 思い出す糸口も掴めそうにない僕は、スマートフォンのSNSのページを開き、今日のニュースを漁ることにした。


 そのうち思い出すだろう・・・。


《自民 議員処分に向け調整本格化》

 やってる感だけで、どーせお茶を濁す程度で済ますつもりだろ。

《近藤春菜 首の絆創膏に衝撃事実》

 、どーでもいい。


《マイナス金利解除 家計に影響は》

 良い面悪い面どっちもある。騒ぐな。


《北 18日八社は「超大型放射砲」》

 黒電話、何やってくれてんだ。腹立たしいことには違いない。


《第96回センバツ高校野球 最新情報はこちら》

 今年は推しのチームも無いので、スルー。


《タバコの不始末で島鉄の駅舎全焼、、、諫早市の男を書類送検【長崎県】》

 今時そんなことって、ある? あったんですね、そんなことが・・・。


《博多女子中学の出願ミス 高校側が3月中に受験機会を設ける救済措置 生徒に落ち度がないこと考慮》

 だけど、もう少し早い対応出来たんじゃない? でも、良かった。


《明日20日~強い寒気流入で冬の寒さ 週末から暖気 桜のつぼみもほころぶ暖かさ》

 あ、ところで今日の天気は・・・。天気予報、見とくか。


『今日の横浜の天気:晴れ時々曇り 最高気温15℃ 最低気温4℃ 南西の風5m/S 降水確率20%』


 雨の心配は無さそうだ。ちょっと風が強いかもな。


 何故かブルッと身震いをして、スワイプの手を止める。


 ああ、そういえば、何だ、この格好は・・・。

 シャワーから上がって、もう1時間も経つというのに、未だパンツ1枚に首からバスタオル。

 いくら暖房が効いてるとはいえ、そりゃあ寒気もするってもんだわなぁ。

 忘れていた大事なことって、このことだったのか?


 僕はネルシャツの袖に腕を通し、ジーンズを履く。


 しかし、まだモヤモヤするのは何故だろう。

 忘れていることって、服を着ることではなかったようだ。


 僕はまだ、

 何か、重大なことを忘却してしまっている筈だ。


 思い出さなければ、何だか酷いことになりそうな予感がするのだが、考えれば考えるほど可笑しな雑念「」が、思考と行動を制限的なものに変えていってしまう。



――ピン、ポーンっ


 突然、玄関のチャイムが鳴る。


「はーい、どちら様ですか?」

 返事をする僕。


 応答は無い。


 男の独り暮らし。

NHKの集金人だろうが新聞の勧誘だろうが、怪しげな宗教の布教活動だったとしても、怖いものは何もない。

 いや、寧ろ平々凡々とした日常にうんざりしている僕にとっては、喧々諤々のトラブルになりそうな事案は、歓迎すべき大好物だったりする。


 作りに作ったニンマリ笑顔で、僕は玄関の扉を開けた。


 おや? 誰も居ない? いたずらか?

 ふざけやがって・・・。


 ふと扉の郵便受け口に目を遣ると、何やらチラシみたいなものが挟まっている。

 引き抜いて手に取ると、


――私たちはあなたの想いを全力でサポートいたします。


 なぁんだよ、結婚相談所の広告かよ。生憎こちとら相手居るっちゅーの。

 もう間もなく婚約だぞ。

 チラシ差し込むのに、わざわざピンポン鳴らしてんじゃねぇよ、ったく。

 こっちは暇じゃねぇんだわ。

 いや、暇か・・・。


 暇か?

 結婚・・・。

 婚約・・・。


 今日って、まさか・・・。


 嗚呼あぁ――


 そうだったっっっ


 今日はここから軽く50㎞は離れた蕨市に、正午には着かなければならないのだ。

 、ではなく、必ず、だ。


 シャワー浴びたり、髭剃らなかったり、コーヒー飲んだり、Bossa nova聴いたり、スマホいじってる場合じゃなかった。


 慌てて僕は腕時計を確かめ、壁掛けのカレンダーに目を遣った。


 午前9時45分、今日の日付は・・・、3月19日・・・で良いのか?

 いや、20日?・・・、だったら、最悪だ。

ん、待てよ、スマホで確かめよう・・・。


 恐る恐る再度スマートフォンを手に取って、そして安堵の溜息を吐く。


 ヨカッタ・・・、19日だぁ・・・。


 焦ったぁ・・・。


 僕がヘナヘナとその場に崩れ落ちそうになると、いきなり手に持ったスマートフォンがけたたましく鳴りだした。

 彼女からだ。


 出なきゃ。


「あ、もしもし・・・」

――あれ、まだ寝てた?

「いや、起きてたけど・・・」

――なら良いけど、明日は予定通り、大丈夫かしら?

「あ、ああ、もちろんだ。 だ、大丈夫、うん大丈夫だよ」

――何か変よ、声、上ずってるし。 ホント、起こしちゃったんなら、ゴメンね。

「いや、起きてたから問題無いんだ。 けど・・・」

――けど? あ、もしかして、怖くなった? 心配ないって。 こっちもお父さんにはちゃんと話したから。 それでもやっぱり、不安? 怖い?

「そんなことないさ。 大丈夫、ちゃんと挨拶するよ」

――うん、分かった。 それでなんだけど、明日、約束してた時間より1時間前倒しって出来るかなぁ? いえ、無理だったら構わないの。 出来ればってこと。 外で一度合流してから、一緒に行きましょうよ。 私も家でジッと待ってるのはちょっと・・・。

「良いよ、それくらい。 たった1時間。 だってまだ24時間以上あるんだから」

――? なに? その言い方、ちょっと変。 確かに24時間以上ありはするけど・・・。

「あ、いや、何でもない。 じゃあ、明日、1時間前倒しの11時に待ち合わせで良いのかい?」

――そうね、それで。 場所なんだけど、うちの地元の駅前にドトールコーヒーあるから、そこでどうかしら?

「ああ、分かった。 じゃあ、そういうことで、明日」

――うん、明日。 あ、でも、また今夜電話かLINEするかも。

「ああ、分かった。 それじゃ、また」


 電話を切り、ふぅ、と小さく息を吐いた僕は、今起こった恐怖体験を思い返した。


 3月20日春分の日、結婚の許しを得るために、彼女のご両親に初めて挨拶に行くことになっていた。

 事前準備(事前打ち合わせ)の為にと19日も有給休暇を取得していたのだが、何でもかんでも「」なんてのんびりと行動をしていながら、心の何処かに不安と心配でストレスを感じていたのかも知れない。

 彼女の父親は陸上自衛隊の分隊長。

 現場では『鬼の分隊長』なんて呼ばれてるって、以前彼女が笑いながら言っていたもんだから・・・。

 だから、あんな結婚相談所のチラシを目にして、とんでもない勘違いを起こしてしまい、人生オワタ、みたいになってしまったのだ。

 しかしまぁ、結果として良かった。緊張も幾分解れた気もするし。


 僕立ち上がり、寝室のクローゼットに向かった。


 いや、待てよ。

 、なんて言ってる場合じゃないな。

 やめだ、止め。

 、は、止めだ。


 クローゼットを開け、クリーニングのビニールが掛かった一番良いスーツを取り出して、一番のお気に入りのネクタイと併せて壁のハンガー掛けにセットして、それから顎と鼻の下を指で触れる。


 もちろん明日も剃るのだけれど、今日もちゃんと剃っておこう。


 僕は目的を持って、再度バスルームへと向かう。


 髭を剃り、髪と身体を丹念に洗い、湯船に3分間計って浸かった後、僕は髪を整え財布とスマートフォンを準備して、街に向かった。


 明日の手土産を購入し、電車の時間を調べ、明日履いて行く予定の靴を靴磨きの店に預け、それを待つ間に万が一電車が事故などで遅延・停止してしまった場合の車でのルートも検索しておいた。(明日は祝祭日なので、首都高速は空いている筈だ)


 部屋に帰ってもう一度、明日の朝からのタイムスケジュールを頭の中で整理した僕は、やっと一息ついたのが、午後4時半を少し回ったところだった。


 明日の台詞はどうしよう・・・


『お義父さん、娘さんを僕にください』

 いや、今どき『ください』は無いなぁ。


『お義父さん、娘さんとの結婚をお許しください』

 こんな感じなのかなぁ。

 でも、『お義父さん』で良いのか?

 しかし、それ以外の呼び方も無さそうだしなぁ。


『娘さんと結婚します』

 これじゃあ強引過ぎるか?


『娘さんとの結婚をしたいのですが、如何でしょうか?』

 意志薄弱・・・。


 ええいっ面倒臭えぇぇぇ。


 、出たとこ勝負で良いじゃねぇかっ


 あっ、、って、また・・・


 ・・・・・・・・・。


 まぁ、いっか。


 僕はビールを求めて、冷蔵庫のドアを開けた・・・。



 Take time to deliberate, but when the time for action comes, stop thinking and go in.


       ―Napoleon Bonaparte―



 じっくり考えろ。しかし、行動する時が来たなら、考えることをやめて、進め。


       ―ナポレオン ボナパルト―



 明日、果たして「僕」の運命や、如何に・・・



           おしまい

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「とりあえず」で綴る、日がな一日 ninjin @airumika

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