トリ会へず

透峰 零

あの「とり」には未だ会えず。

 私の家にはトリさんがいました。

 トリさんという名前は私がつけました。見つけた時に、真っ白で大きな鳥が側に立っていたからです。そして、トリさんの髪が同じように真っ白だったからです。

 トリさんを見つけたのは、あの大きな地震──そう、白亥はくいの大震のすぐ後でした。

 私の父は、いわゆる考古学者というものでして、その日も「白亥の大震で万象ばんしょうが崩れた」と聞いて誰より早く駆けつけたのです。

 万象墓はご存じですね? 医学の祖とも言われている、桜之宮さくらのみや万象の眠っているとされている墓の一つです。もっとも、千年前の人物なので彼の死や墓については諸説ありますが。とにかく、そのうちのもっとも有力なものの一つですね。

 話が逸れました。


 その万象墓が盛大に崩れたというので、父が喜んで出かけたのも仕方がありません。なにせ、今まで幾多の研究者や盗掘者が入ろうとしても出入口の一つも見つけられなかった遺跡でしたから。


 私には母がいませんでしたから、父が仕事に行く時は幼い私も連れて行かれるのが常でした。

 父が辺りを調べている間は、私も父の真似事をしては瓦礫の下を覗いたり、土をいじくったりしては暇を潰したものです。

 その時も同じように、父の邪魔をしないようにと私は一人で遊んでいました。すると、とても大きな、真っ白な鳥を見つけたのです。

 美しい、鳥でした。

 羽毛の一本に至るまで純白で、しかも新雪をいたように煌めいていたのを、今でもよく覚えています。

 とても目立つ鳥なのに、父はまるで気がついていないようでした。

 鳥も、父を見てはいませんでした。

 大きく美しいその鳥は、じっと私の方を見ていたのです。気になった私は、鳥の方へと近づいていきました。

 鳥は、私が寄っていくとそれを待っていたかのように、長い足を一歩後ろに引きました。

 その足下で見つけたのが、トリさんです。

 最初は生きているのか死んでいるのか、それすら分かりませんでした。ただ、痩せ細った手足や落ち窪んだ目元は、父の書物で見た「ガキ」によく似ていると思いました。鳥が蹴ると微かに吐息のようなものが漏れ、そこでようやく私は大声で父を呼んだのです。

 やってきた父は、腰を抜かさんばかりに驚いていました。自分達以外に、こんなところに人がいるはずがないと思っていたのでしょう。それから、トリさんの格好にも驚いているようでした。父の研究していた時代のものに、よく似ていたそうです。

 その日はもう仕事を放り出して、父はトリさんを家に連れ帰ることにしました。

 よく見つけたね、と言われて私は大きな鳥のことを話そうとしましたが、いつの間にか鳥の姿は消えてしました。


 それから、泥だらけだったトリさんを綺麗にして、温かくしたりして、様子を見ることにしました。トリさんという名前をつけたのは私です。名の由来は冒頭で述べた理由だったと思いますが、詳しいことは忘れました。

 長い髪の毛が、あの大きな鳥に似た真っ白な色だったことと、父に重湯の匙を運ばれる様が鳥の雛に似ていたからという安直な理由だったと思います。それから、身につけていた鈴の音が身動きする度に音を立てるのが、なんだか鳴き声みたいに感じたからというのもあります。


 しばらくして解ったことは、トリさんは目が見えなくて、言葉も通じないようだということです。目については、ずっと閉じていて開けようとしなかったからですが。

 のちほどお医者様に診せた際、精神的なものが原因だろうと言われました。

 よほど見たくないものがあったのだろう、と。

 お医者様が瞼をめくった時、トリさんが悲鳴をあげたのを私も知っています。チラリと見えたその瞳が、夜明け前の空と同じ、とても綺麗な色をしていることも。

 それから、私はトリさんが喋れるようにと、家にいる時はできるだけ本を読んであげました。体はトリさんの方がずっと大きかったのですが、まるで弟か妹ができたようで嬉しかったのです。

 けれど、父はトリさんが来てからずっと難しい顔をしていました。怒っているわけでも、悲しんでいるわけでもないけれど、とにかく一人で考え込む時間が増えたことだけは覚えています。


 ひと月ほどが経った時、父が殺されました。

 私は押入れに隠れていたので全員を見たわけではありませんが、殺したのは私の知らない人達でした。

 でも、今なら多分わかります。あれは父の仕事仲間の人達がやらせたのだろうと。

 だってそうでないなら、わざわざ父の記した本やら書き散らした資料を持っていくはずがないですから。


 ――父がなにかの事情で揉めているようだとは、幼な子の私でも薄々察していました。


 それがどうやらトリさんに関係があるだろうことも。

 私はトリさんの氏素性を知りません。本人も、恐らく覚えてはいなかったのでしょう。

 わかるのは、何も見たくないと両の目を閉ざすくらいには、この世は辛かったのだろうということくらいです。

 でも、父は知っていた。

 トリさんが来てから熱心に古い書物を漁ったり、時には寝ずに何かを纏めたりしているのを私も見ていましたから。


 その後、父を殺した男たちは、トリさんをどこかへ連れていきました。

 形も大きさも違うのに、細い首に手がかかる様は、鶏か何かを絞めるのに少し似ているな、と私は震えながらどうでも良いことを考えていました。


 ぐったりとしたトリさんが男の肩に抱え上げられるのを見た私は怖くなって、押入れから出たくなりました。

 殺されるかもしれないということより、これから一人で生きていくことへの恐怖がまさったのです。

 私が押入れの戸に手をかけた時、それを察したかのようにトリさんの目がぱちりと開きました。男達は皆、背を向けていて気がつきません。


 私の方をじっと見つめる美しい瑠璃の瞳は、あの白い鳥とどこか似ていました。

 射すくめられたように動けなくなった私の前で、男達が出ていきます。

 姿が見えなくなる直前、作りものめいたトリさんの目が不意に瞬きました。

 一瞬だけでしたが、その目にはひどく悲しそうな色が宿っていたように、私には見えました。

 それを確かめる前に、男達は出ていってしまいましたが。



 それから色々あって、私も何とか自分一人で生きていけるくらいには大人になりました。


 あの時のトリさんがどうなったのか。

 今となっては、また会いたい気持ちと果たしてこの記憶は本当のことなのか。幼い娘が、辛い現実に耐えきれずに作り出したありもしない夢だったのではないかと、不安になるくらいには長い時が流れてしまったので仕方ないのですが。




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