人魚の恋 後編
ペリリュー島と呼ばれる島があります。
パラオ本島の南、全長10キロに満たない小さな島です。
第二次世界大戦。
この島でも激しい戦闘が起きました。
守る日本軍は歩兵約1万人。
対する攻撃側のアメリカ軍は、艦船、航空機も含め約5万人。
戦力差は歴然です。
アメリカは、数日で容易に攻め落とせると考えていたそうです。
しかし日本軍は、劣勢の中で善く戦い、2か月以上、この島を守り抜きました。
ここで敵を一日足止めすれば、本国にいる家族や友人も一日長く生きられる。
そんな強い気持ちで、弾薬どころか食料も水もない極限状態の中。
蒸し暑い洞穴に潜み、ゲリラ戦を仕掛けました。
そして文字通り、全滅するまで戦ったんです。
この激戦でも、パラオの民間人に死者は出ませんでした。
パラオの人たちは、日本の窮地に、自分たちも一緒に戦いたいと申し出ました。
しかし守備隊長のナカガワ大佐は、帝国軍人が貴様ら土人と一緒に戦えるか!
と一喝し、申し出を却下したそうです。
土人。
これは土地に根付いた土着の人、という意味です。
決して、その土地の人を見下した言葉ではありません。
その証拠に、開戦前、島民が避難を終え、最後の船が離岸した瞬間。
それまで見送りにも来ず、冷たい態度だった日本兵たちが、一斉に砂浜に走り出して、帽子を取り手を振って、笑顔で別れを告げたそうです。
2か月間の激闘が終わり、土人が島に戻ると、そこら中に日本兵の死骸が散乱していました。
それを見て涙を流し、戦没者を埋葬して神社を建てました。
私たちもペリリュー神社を参拝し、手を合わせました。
そこには、このような石碑があります。
私も旅人として、この話をどうしても伝えなければいけないと思いました。
今でもパラオの人が日本を好きでいてくれるのは、こういう理由があるからです。
それでは、友人と過ごした楽しい時間の話をしましょう。
パラオの海は、とても綺麗で澄んでいて、実は私ども人魚が忌避するところです。
人間から隠れて、海の底でひっそりと暮らしていますからね。
このような海では、すぐに見付かっちゃいます。
ですから私は、周辺の無人の島々や、普段は波間に隠れている岩礁を、よく知っています。
夜、人目を避けて、月光を浴びながら歌っているんです。
今回の旅行でも、滅多に人が近寄らない無人島へ赴き、3人の友人に初めて人魚の姿を見せました。
思ったよりも人間だね。
そう言ってくれたのは真魚ちだったと思います。
つるつるの頭を撫でてもいい?
って言ったのは、アイラだったでしょうか。
みんなに人魚の姿を見せたのは初めてで、何を言われるか、とても不安でした。
でも、みんな以前と変わらず。
本当に優しくて。
友達で良かったって、心から思いました。
それで気が抜けちゃったのかも知れません。
私はここで、恋をしました。
たくさん泳いで、焚き火の炎を囲んで。
海に潜って貝を拾ったり、獲った魚を焼いて食べました。
人魚の姿のまま、みんなと騒いで、そのまま微睡んでいたんです。
滅多に人を見掛けない小島に、人間が来るなんて夢想だにしませんでした。
その人間は、現地の、とても若い男性だと思います。
正確な年齢は知りません。
みんなは15歳とか、もっと幼いとか、18歳は超えているなどと、好き勝手言いました。
焚き火の灯りを発見して、何だろうと不審に思い、遠目に私たちの様子を観察していたそうです。
楽しそうな声、食事の様子。
私の本当の姿も、見られちゃいました。
パラオにも人魚伝説があります。
少年は、すぐに私が人魚だって気付いたみたいです。
大半の大人は、人魚伝説はジュゴンを見間違えたんじゃないか、って説で納得しています。
ですが少年は、人魚はいるって信じていて。
私を見て、その、自分で言うのも恥ずかしいですけど、見惚れてしまったと。
それで、ずっと私たちの様子を、陰から眺めていたんだと。
そう言っていました。
私たちが少年に気付くと、彼はクニオと名乗りました。
偶然でしょうが、パラオ守備隊長だった
クニオは私を見て、伝説の人魚を発見したと、興奮した様子で語りました。
真っ直ぐで純粋な感情が、私の心に刺さったんです。
ではここで、もう一つミニクイズです。
人魚が恋をする時って、どうなると思いますか?
人魚の、恋です。
難しいですか?
どなたか、勘で構いませんよ。
では、そちらの女性。
え?
人魚が人間に恋をして、恋に破れ失恋すると、泡になって消えてしまうですって?
常識的に考えて、そんなことが起きると思います?
え?
アニメで見た?
そうなんですね、そういう逸話もあるんでしょうか。
興味深いです。
でも、それも素敵なお話かも知れませんね。
正解は、人魚が恋をした時、身体が変化するんです。
受胎と出産の準備を始めます。
数百年に及ぶ人魚生で、子供を授かるチャンスは、数回から10回程度しかありません。
恋をした時だけです。
本気で恋をして、この相手と子供を作りたいって。
そう願った時、子供を授かるチャンスを得ます。
それは長い人魚生の中で、僅かな回数しか訪れません。
私はパラオの男性に、恋をしました。
人魚と人間の間にも、子供は生まれます。
でもそれは、人魚同士よりも、ずっと、ずっと可能性が低くなります。
人魚の長老でさえ、そうした実例を知りません。
僅かな口伝で、人間と人魚の間に子供が生まれたという話が残っているのみです。
人魚同士が恋に落ちれば、高い確率で子供を授かります。
人魚と人間の場合はどうでしょう。
正確な統計があるわけではなく、具体的には分かりません。
人魚同士で恋をした時よりも、10倍か20倍か、もしかしたら100倍難しいかも知れません。
ですから私は、初めて恋に落ちた相手を、絶対に逃すわけにはいきませんでした。
冷静になって考えれば、友人たちには悪いことをしたと思います。
その時の私は、クニオしか目に入りませんでした。
周囲から見たら滑稽なほどに、猛烈なアピールをしたと思います。
後で話を聞いて、顔から火が出る思いです。
醜態を晒しました。
本当に、必死だったんです。
この機会を逃してはならないって。
クニオは最初、少し戸惑っているようでした。
クニオにとって、恋愛感情ではなく、興味本位でしかなかったのではないかと、これはアイラに言われた言葉です。
それでも構わなかった。
クニオに私の愛を受け入れてもらえるかどうか、それが全てでした。
私の猛烈な求愛に、クニオも応えてくれました。
友人3人を放ったまま、私はクニオと夜の海へ消えました。
熱い南の海で、私たちは結ばれました。
やはり、と言うべきでしょう。
子宝には恵まれませんでした。
残念ですが、少しほっとした気持ちもあります。
冷静になって考えれば、半人半魚の子供をどのように育て、暮らせば良いのでしょう。
私も、長老たちも、もちろん人間も、誰も知らないのですから。
子供が出来たらどんなに嬉しいだろうと思う反面、どんなに大変かとも考えてしまうんです。
私はきっと、また恋をします。
その相手が人魚になるのか、人間になるのか、今は分かりません。
多分、次の恋をするのは、何十年も後でしょう。
もしかしたら百年後かも知れません。
でも、出来れば早いうちに、人間の、日本の男性と恋をしたい。
そう願っているんです。
私、夢を見ています。
人間の寿命は短い。
私は50年経っても、今の姿のままです。
でも人間は、そうはいきません。
智ちゃんも、真魚ちも、アイラも、80歳のお婆ちゃんです。
孫も、ひ孫もいるかも知れません。
温かい日差しの中で、3人が集まって、子供や孫に囲まれて。
みんな仲良く、お喋りをしていると思います。
乳母車に孫を乗せて、散歩をしているかも知れませんね。
すっかり足腰も弱って、乳母車を押しているのか、乳母車に引かれているのか分かりません。
ゆっくりと、みんなで一緒に近所の公園に行くんです。
その歩くペースは、人魚の私にはちょうど良いでしょう。
私も、その3人に交じって。
日本人の男性との間に生まれた子供を抱いて。
一緒に歩きたい。
そんな夢を見ています。
ご清聴、有難うございました。
人魚について誤解していること2~人魚の恋~ 武藤勇城 @k-d-k-w-yoro
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