ペンギンのパン屋

佐久ユウ

ペンギンのパン屋

 鶏卵を冷蔵庫から出しつつ、僕は呟いた。


「そういえば、ペンギンがパンを焼き出したよ」


 パン好きの彼女は高級スーパーのイングリッシュマフィンを半分に割りながら口を挟んだ。


「ペンギン? あぁ北海道発祥のティアラを被ったペンギンね? 辺境のこの町にも出店したんだ」


 彼女は控えめに言ってミーハーだ。近隣の街に出店したパン屋を週末に巡るほどパン好きでもある。


「いや違う。もっとフィクション寄りの話だった」


「なんだ。それなら留守番中、ポップコーンを大量生産したペンギン兄妹のこと?」


「いやクレイアニメの話じゃない。交番の横にあった元コンビニの建物をリニューアルされてね」


「嘘……知らなかったわ。あの建物の前を通勤で通るのに……外観は変わらず、看板もないわよね?」


 彼女は隣町へ自動運転車で通勤する。僕は彼女ほどアグレッシブじゃないので在宅勤務をしていた。


「『100匹のパン屋』は平日の正午からの開店なんだ。スーパーに夜食を買い物に行く途中、車がいっぱい停まっていたから気がついた」


「それで? 買ったパンは?」

「ごめん、売り切れだった。お客さんがお店から出てきて『とうとうペンギンがパンを焼く時代が来たのね』『可愛かったわね。どの種類かは聞けなかったけど』って言ってたからさ」


 彼女は深刻そうな顔で僕をまじまじと見つめた。


他人ひとから聞いた話を信じただけで、実際には見てないの?」

「エコバッグの中からバケットは見えたよ」

「それでペンギンがパンを焼き出したと信じるのが信じられない。買いに行ってよ」

「この一週間の観察したら30分くらいで売り切れになるんだよ」


 いつも夜食の買い出しと運動を兼ねてスーパーまで歩く。徒歩5分の距離が運動になるのかはさておき、僕の説明に彼女はますます困惑した顔をした。


「一週間も観察したなら、早めに行ってパンを買ってきてくれたって良いじゃない?」


 む。観察と言っても、食事を家に持ち帰るのが面倒でスーパーのイートインコーナーで食べていた時に「本日売り切れ」の表示が目に入っただけなのだが。


「パン屋って何を買えばいいか迷うじゃないか」

「パンなら何でも好きだから良いわよ」

「いくつ買えば良いか悩むし……」


 僕はちらりと我が家の冷凍庫を見た。彼女が週末に買い込んだ様々な種類のパンがまだ主に食べられるのを待っているはずだ。


「最低3種類は欲しいの。本当は10種類は欲しいけど難しいでしょう? だから3個買って」


 そう言って「はい」と冷蔵庫からスーパーで買ってきたあじを僕に渡した。僕はトレーに袋入った太った鯵を見つめた。


「鯵2匹で、パンが3個、買えるかな?」


 彼女は呆れた顔をした。


「違うわよ。それは今晩のおかず。揚げやすいように三枚にさばいて。手に魚の匂いが付くのが嫌なの。パンを食べる時に邪魔するでしょ?」


 僕はクレイアニメのアザラシと違って魚をさばくのは上手くない。それでも何とかナイフで捌き、卵を溶いた。


 彼女は鯵に、小麦粉、卵、パン粉を付けてフライにするとマフィンにはさんで食べた。僕は素揚げの鯵を発芽玄米の上にのせて食べた。


 別に小麦粉にアレルギーがあるわけじゃないけど、彼女みたいに気取った食べ方をするより素材に近い形で食べたい。僕の本能みたいなものだ。




 翌週の月曜日、僕は早めに仕事を切り上げ、正午に家を出て、電動スクーターでくだんのパン屋に向かった。


 店の前にはすでにご近所の奥様方や、学生が並んでいて、僕は10番目だった。


 学生が頭上からスマホカメラを僕に向け「映える」と笑う。にらみを効かせたけど効果は無かった。こういうときなぜ身長だけは低いままなんだと運命を呪い、少し暗い気持ちになる。


 仕方なく僕は別のことを考える。


 しかし、パンが持てなかったらどうしようか……と真剣に悩んでいると、ドアの表示が「OPEN」になった。


 次々に自動運転車が停まり、客がやってくる。ペンギンのパン屋はよっぽど珍しいらしい。


 店内に入ると、小気味良い音楽が流れている。コウテイペンギンなら間違いなくタップダンスを踊るだろう。僕は映画を観るのが趣味で何の曲かが分かった。ディストピアの未来を撮った監督が、コウテイペンギンが主役の映画で流していた曲だ。


 入り口の側には自動配膳機もあり、低身長者への合理的配慮に関心する。スーパーや大型店では当たり前の配慮も、個人店ではまだ珍しい。


 そんなことを思いつつ店内を見渡すと、内装は至って普通のパン屋だった。「当店は鶏卵を使用していません」と書かれた紙が壁に貼ってある。

 かといって菜食主義ではないらしく、ベーコンエピはある。エピはフランス語で麦の穂という意味でまさに麦の穂と言った形なのだが、値札には「エビじゃないほう」と書かれている。


 エピパンでエビ? 甲殻類の?……ギャグのつもりかな。


 「パンダ!」と書かれたパンもパンダの形をしている訳でもなければ、白黒でもない。ただの丸いパンだ。

 ……パンだ……パンダ……。

 ちょっと、安直じゃないだろうか。


 少し凝ったギャグを探すと「ピザの斜塔」があった。

 ピザパンはイタリアのトスカーナ州ピサ県にあった斜塔の形をしている。大聖堂のための鐘楼を僕が知っているのはカトリック教徒だからではない。ちょっと前にネット番組「失われた世界遺産」で観たからだ。


 その他のパンの名前も概ねギャグとノリで名付けられている。この調子だと『100匹のパン屋』の店主はペンギンの帽子を被っているんだろう。


 それをお客さんがペンギンだと言っていたに違いない。


 店内は暖房が効いてないのか、外と同じく寒かった。ギャグで体感的な寒さも感じてはいたが、暖房を付けないのは店主が全身ペンギン着ぐるみを着ていて暑いからかなのもしれない。


 帽子説ではなく着ぐるみ説が濃厚だな……などと思っていると、他の客に押しつぶされそうになった。幸いその人は良い人で「あら、ごめんなさい」と言ってくれた。だが店内も混んできたので人の間をぬうように自動配膳機を操作してレジに並ぶ。

 僕の番になると、コック帽を被ったコウテイが僕を見下ろした。


「おや昼間に珍しい。夜行性のコガタペンギンさんじゃないですか? お近くにお住まいですか?」


 コウテイは器用に手を使ってレジを打ち、パンを袋に詰める。着ぐるみではなく、ちゃんと生きているコウテイペンギンだった。


「は……い。本当に……コウテイペンギンだ……」

「あっはっは。よく言われるんですよ。わたしも省人化で導入された遺伝子改良型なんです」


 人類は人口減少にともない動物を人間化した。鶏や牛や豚など、彼らが食べる生き物はまだ家畜だし、犬や猫には手を付けられていない。それにキツネやタヌキは人を騙すというイメージが先行して避けられた。その点僕らペンギン目は鳥類で生産性が高く、今は廃れた水族館でも人間に親しみが高かった生き物の代表として改良対象に選ばれたのだ。


 それに僕らペンギン目は地球の寒冷化に伴う環境適応にも都合が良かったらしい。あとバイオロギングで長く研究対象になっていたことも影響していた。見た目は鳥類そのものなのに第二の人類……と呼ばれ、新しい労働力になったのだ。


「良かったら車までお持ちしますよ。コガタペンギンさんの身長じゃ、お車まで持つのもくたびれるでしょう」


 レジに「ペンギン対応中。少々お待ち下さい」の札を出したコウテイさんは僕の代わりに商品の入った袋を電動スクーターまで運んでくれるようだ。


「どうもありがとうございます」


 僕はコウテイさんの半分にも満たない背丈だし、改良後も古の血が騒ぐのかどうしても歩行が前のめりになる。僕の背丈の半分もある「エピじゃないほう」や「ピサパン」、まん丸な「パンダ!」はかさばるため、素直に甘えることにした。


「同族の方には取り置きや配達も承っていますので、またご利用ください」

「良いんですか?」


 電動スクーターまで運んでくれたコウテイさんの心意気に感心して首を伸ばすと、コウテイさんは微笑んだ。


「もちろん、ペンギンにも優しい世界一のパン屋を目指してますんで」


 さすが発言が皇帝だ。コウテイだけに……。

 

 僕がそんな馬鹿なギャグを思いついたのは少なからずコウテイペンギンに感化されたに違いない。


「すみません、記念に写真撮ってもいいですか? 僕の彼女はペンギンがパン屋をやってるって信じてくれないので」


 僕は手にあるウェアラブル端末を差し出した。


「良いですよ。喜んで。私の子どもにもコガタさんを見せたいので、撮影したらシェアしてもらって良いですか? 人間化した同族の中でもコガタさんは珍しいので」

「もちろんです」


 パパコウテイさんが背後に立つ。アングル的にそうしないとカメラに収まらないからだ。それでも背後を同族に取られるのは本能的にゾクッとなる。いや大きさが違いすぎるし、まるでひな鳥とパパだけどさ。


 バイオロギングを応用したウェアラブル端末(これに「カメラモード」と音声入力し、手をめいいっぱい広げると、シャッターが自動で切られる。


 コウテイさんのスマホにシェアしてお礼を言い、僕は家に帰る。


 玄関の前でふと思った。


 そうか、パパだから卵不使用のパン屋なのか。卵を一度でも抱くと鶏卵など食う気になれない、と同族の先輩パパが言っていたっけ。




 朝方、仕事を終えた彼女が帰ってきた。


「やったー!ありがとう、買ってきてくれたのね!」


 パンを見せるととても喜んでくれて、エピパンを分けてくれた。普段は発芽玄米党の僕もこの日ばかりはパンが気になって一緒に食べた。


 初めて食べた卵なしのパンは美味しかった。


 わざわざ、小麦を挽いて捏ねて焼かれたパンは人間の気取った食べ物だと思っていたけど、同族が作っているからか、どことなく親しみを感じる。


 あるいは僕の中にある人間のために家畜化され人間化された部分がパンへの評価を上げたのかもしれない。


 いや……多分僕はあのコウテイペンギンを尊敬しているんだ。本能的な部分で。


 それから僕は何だかんだで良い気分になって彼女とイチャイチャし、彼女が産んだ卵を足元に抱えつつ、24時間対応のお客様センターの仕事を続けている。


 食事は彼女が冷凍庫に溜め込んだパンを自動配膳機があたため直して運んでくれる。彼女が『100匹のパン屋』で注文してくれたパンだ。それに仕事がない週末は僕の代わりに子どもを温めてもくれる。

 彼女の愛を感じつつ、僕らは新しい生命の誕生を心待ちにしている。


 だから僕らの家の冷蔵庫から鶏卵が消え、彼女が作る鯵料理が、あじフライから南蛮なんばん漬けになったのは言うまでもない。



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