最低

かえさん小説堂

最低

「あのなぁ、ではその理論で言うのならば、君、意図して作られた子供は人工の人間かい」



 西田は半分、冗談めかして言った。丸々とした氷がグラスの中で揺れ、カランと湿った音を立てた。


「人工の人間とは、また奇妙だ」


 私が適当な相槌をすると、西田は赤ら顔をグングンと振って、呂律の回っていない口調で、


「馬鹿!」


 と怒鳴った。幸いにも、店の中は喧噪にまみれていたため、西田のしゃがれた声が響き渡ることはなかった。空回りしている罵倒の声を聞き流し、私も再びグラスを傾ける。


 何度か西田は声もなくしゃっくりを繰り返し、しきりに私を指さしてきた。何かいいたげであるが、酔いがそれを妨げてしまっているのだろう。グッグッと何かに突っかかられながら、ようやく息を吐きだした。



「はぁぁ。奇妙とはまた失礼だぜ、おい。言葉の綾ってだけでさ、人工の人間とやらはこの世にごまんといるわけだ。なぁ。そりゃ君、言わせてみれば、君でさえも人工の人間の可能性があるわけだ」


「そうだけども」


「な、この世の人間を分ける方法が一つ増えたじゃないか。人工の人間か、自然の人間か……」


 そこまで言って、西田は突然に噴き出した。大口を開けて、男らしい豪快な笑い声をあげる。私は若干反応に困りつつ、誤魔化すようにグラスを傾けて見せた。ウィスキーのツンとした匂いが鼻孔をくすぐり、嫌な歪みを脳に漂わせる。西田はそんな私のことも気にも留めず、未だ腹を抱えてクツクツと笑っていた。



「傑作、傑作……。自分で言うのもなんだが、こりゃ面白い。僕たちは人工の人間さ。どうだい、どう思うね?」


 笑みを残しながら、西田は私に尋ねる。


 機嫌の良い西田の笑みは、ひどく嫌味ったらしく見えた。別に本人が嫌味を言っているからそう見えるのではなく、西田の顔の性質上、どうしてもそう見えてしまう。いつものことであるのだが、その時は本当に嫌味を言っているように見えた。


「ああ、まあ、いい気はしないが」


 私が半ばぼんやりとしながら言うと、西田は不服そうに眉を寄せて、苦笑しながら乗り出してくる。


「何? いい気はしない? おいおい、僕と君の仲じゃないか。もっとストレートに言ってしまって構わないんだぜ」


「では言うが」


「ああ」


「最低の気分だ」


「アッハッハッハッハ」


 しかし今度の西田の笑いは控えめで、すぐに止んでしまった。ひとしきり笑い声をあげて満足してしまったのか、すぐに黙ってグラスを傾ける。グラスに付いた結露が、西田の左手を濡らした。



 それから、人のよさそうな店員の女がナッツを運んできた。小ぶりな皿に、ナッツ類が細々とちりばめられている。貧相だな、と思っていると、どうやら西田も同じことを思っていたらしい。


「安い店だからな」


 と、変な擁護をしていた。



 しばらく互いに黙って、皿に乗せられた少ないナッツをつまんでいた。乾いた食感がやけに空しい。噛む度に味がなくなっていく感触が不快で、すぐにウィスキーで流し込む。体の中に不健康の河が流れ込んでくるようだった。


「君の理論は」


 不意に、西田が話を蒸し返した。きりきりとした沈黙に耐えかねたのだろう。丁度私も何か話そうと思っていたところだった。こういうところでは西田と息が合う。


「こうだろう、つまり……。目的と行動が合致していれば人工、合致しなければ自然……。太陽が光るのは、太陽が光ろうと思ったからではない。花が咲くのは、咲こうと思ったからではない」


「波が岩を穿つのも、岩を砕きたいという目的からではない。津波が人を攫うのも、人を攫いたいという目的からではない」


「そう……。だから目的と行動が合わなければ自然だと、そう言いたいんだな?」



 私は黙って頷いた。西田は少し首を傾げ、不満げに顔をゆがめている。



「納得できそうで、できなさそうだな」


「どうしてだ」


「そりゃ、だって君……。人工の人間じゃないか」


 西田はヒック、と大きなしゃっくりをして、気だるげに頬杖をついた。


「本来、子孫を残すということは自然界における必須事項、つまり当然のことじゃないか。だから例えば、人間がここまで文明を発展させることがなかったとして、ほとんど野生の状態で、生殖行為をしたとすれば、それは人工か?」


「人工だろう」


 私はためらいなく頷いた。それでも西田は気に入らないようで、首をかしげながら唸っている。


「それだと、動物がそうしたとしても、人工になってしまうじゃないか」


「ああ、もちろん、人工だとも」


 私の肯定を、西田は唖然とした表情で見つめる。しばらく黙って、いや、と言いながら、答えが出ないようで、必死に考えを巡らせているようだった。



「自然界の常識を果たし、しかもそれが人工とは!」



 ようやく放った言葉がそれであった。


 しかし西田の表情は無に等しい。感情を出すことに疲れたとでもいうような様子で、瞳を宙に浮かせていた。



「分からんね、君の言うことは」


「よく言われる」


「だろうなぁ。むしろそれが普通だ。君のような奴がたくさんいちゃ、社会的な問題になるだろうよ。カルト教団? それこそ反社? 知らんがね」


 失礼だな、と口にするも、実際のところ失礼とも何とも思ってはいなかった。今は私も西田も、情緒を動かすことすら億劫となってしまっている。



 飲み始めてからもう随分と経過していた。互いにすっかり酔いが回りすぎてしまい、多すぎるアルコールによる、なんとも嫌ァな、疲れ果てたような精神になっていた。


 もはや何を話そうが構わない。そういった了解が瞬間的に出来、何も言わずしてこの席を満たしていた。



「前から思っていたが、君は碌な死に方をしないだろうよ」



 ぼおっと顔を上気させながら、西田は吐き捨てる。


「人間、いつか死ぬだろう」


「いや、だが、君は最低じゃないか」


 最低。飲み始めたときまではきちんと抑えていた言葉だが、とうとう西田の喉はそれを通した。言ったな、と私がうっすらと気にしていると、それを西田も察したようである。


「言ってしまって悪いが、しかし、僕にも擁護しきれん」



 と、あやふやな謝罪を述べて、弁明をした。私はどんな表情をしていいか分からず、咄嗟にへたくそな苦笑をして見せる。


「自覚はしているが」


「いいや、してないね」


 そう言う西田の声はひどく眠たそうである。寝るなよ、と私が声をかけると、また、馬鹿、と無愛想に返した。



「人工の人間にしては、随分とひどい出来だ、君は。あるいは社会か。社会は人工かい?」


「自然だろうね」


「は、そりゃ結構。……どうでもいいのだが、人工の人間がいるのならば、当然、自然の人間もいるはずだな?」


「ああ」


 私はその瞬間、西田が言おうとしていることを察した。サッと顔が青ざめるのが分かった。背中に嫌な汗が伝い、流しこんだナッツと酒類が込み上げてくる。酸っぱい匂い。


 だが西田は生々しく優しかった。



「……かわいそうに」



 私から目線を反らし、頬杖をついてそう呟くだけだった。その一言が誰に向けられたのかは瞭然である。一瞬だけ馬鹿になりたかった。西田の背後で大騒ぎしているおじさん連中を見て、少しだけため息を吐く。


「仕方ないじゃないか」


 ため息混じりに出たのがその言葉だった。



「仕方ない?」


 西田は鼻で笑った。


「どうやら人工の人間も悪くないらしいぜ。仕方ない自然の人間に比べれば……」


「この場合はね」


 これはほとんど負け惜しみだった。



「やはり君、安らかに死ねはしないな」


「安らかなら何かあるのかい」


「減らず口め。言っておくがなぁ、君に優しいのはこの世でたった二人だけだ。僕と、あの……かわいそうなカナエさんだけだ。それ以外、ないからな」


「増えるかもしれないじゃないか」


 そう言いながら、私はこらえきれず笑ってしまった。西田が嫌そうな目をしてこちらを見ている。しかしこらえきれず、笑ってしまった。



「サヨちゃんのことを言っているのか? それともキョウコか?」


「どちらも」


「馬鹿め」


「ああ、だから笑っているんじゃないか」


 言っているうちに、西田もつられたようで、口の端をニヨニヨとゆがめていた。


「フフフ……。君なぁ、馬鹿なこともいい加減よすんだよ……」


「フフフフ……」


「………………」


「…………………………」



 急に醒めて、笑えなくなった。しかもあの二人の顔を思い出すと、復讐かのようにウィスキーの嫌な酔いがぶり返してきた。



「どうして君のような奴がモテるのかね」


 西田は真面目にそう言った。非常に残念、とでも言いたげである。


「それこそ、自然だ。自然のモテだ」


 私は取り調べを受けている囚人のように、半ば自棄になって返した。



「自然、ねぇ……。どうやら自然というやつは、思っているよりも凶悪らしいな」


「ずっと前からそうだったじゃないか」


「ん?」


「いや、何でもない」



 カナエの口癖がうつった。彼女はいつも声が小さく、私が聞き返すと、決まってそう言うのだった。それを思い出して、泣きたくなった。



「君、そろそろ帰らなくていいのか」


 西田が恐る恐る言う。私の機嫌を伺いながら、ずっと溜めていた言葉なのだろう。少しのウィスキーの臭いがした。私は答えず、俯いた。


「もう随分経った。君がどうしてもと言うから、付き合ったんだぜ」


「なんだよ。乗り気だったじゃないか」


「僕は少しと言った」


「……そうかよ」



 俯いているうちに、だんだん涙が溜まってくる。体中のウィスキーがにじみ出たような、変な涙だった。



「……カナエさんが、心配するだろ……」



 ポタリ、と涙が落ちた。茶色い机に黒い斑点が浮かぶ。一滴に続いて、ボタボタと音を立て始める。西田はそれに気づき、ぎょっとしたようだった。



「おい、……」



 西田は一度口をつぐみ、だがすぐに耐えかねたようだった。



「それを君がやっちゃ、卑怯だろう……」




 絞り出すように吐き出し、西田は頭を抱えた。しばらく互いに黙り込み、鬱々とした夜の臭いに取り囲まれていた。


 不意に、人工の涙、という言葉が頭に浮かぶ。私のこれは、所詮は人工の涙に過ぎないのだと。そう考えると、急にあの不細工なカナエが恋しくなった。





「帰る」


 私はその一言と、今夜の飲み代を置いて立ち上がった。


「それがいい。……君に言いたいことはたくさんあるが、とにかく……君は最低だ。自覚しろよ」


 西田は説教臭く唱えてくる。


「特に今日はひどかった。サヨちゃんに謝れよ。……できるなら、カナエさんにも、キョウコにも……」



 私はめんどくさくなって、西田の説教を振り切って逃げるように店を出た。







 サカイ キョウコ。大人気の歌手だった。前代未聞、見る者すべてを圧倒するほどの美貌を持つ、大人気スター。彼女の持つジャズバンドの講演に、私たちは行った。




 ……街頭の光を浴びた頭に、今日の出来事が浮かんでは消える……。




 頭の割れそうな拍手の嵐に、スポットライトの魅惑な輝きに照らされ、キョウコはとても煌びやかだった。その美貌に魅せられ、ほとんど病気のように私は狂乱した。


 なんとしても彼女の視線が欲しかった。たった一度の視線、一瞥、それに狂おしいほどの欲求を起こした。



 しかし周囲はスタンディングオベーションの汚い蟻ばかり。



 ふと、私は狂乱しながら、生まれたばかりのサヨを抱き上げて、人々の頭上に掲げた。すぐにカナエに止められたが、その数秒は誰もが私を見ていた。




 あの、キョウコでさえも。




 それに随分満足したが、席に着いた途端、ようやく我に返った。



 サヨの黒々とした丸い目が、これでもかというほどに私を見つめている。





 ……頭が痛い。




 人工の頭痛だ。

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