鬼の倅-おにのせがれ-

サラン_小説を考える人

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  ――《序章じょしょう》――



 本当の鬼とは何だろう。


 あまねく悪の起因に際し、

悪心に住まう無形むぎょうのおどろ。


本当の鬼とは、誰彼だれかれが持つ


そういった状態を表すとすれば。









 




 魑魅魍魎ちみもうりょう跋扈ばっこする革命の時代。

 

山村には、蝶や野鳥が『今や遅し』と萌え木や花芽をついばんでいる。


ここには、古びた政治の腐敗や、

新たな時代への過剰な期待なぞ、

全く関係なかった様な空間があった。


 よわい十に満たないわっぱがいる。

 ――― 名は、武虎たけとら

 これは彼らの昔話 ……。
















        鬼のせがれ







 



 



 

 鬼のせがれ《第一話》①



「あんだって、そう意固地いこじなんだい」


渋い顔したジッさまが、呆れている。

  

「や、身体の部位もどれが欠けても困るでしょ?それと同じで、必要ない人間は居ないんじゃないかって、俺ァそう言ってんですよ。」


 一見、将校しょうこうにも見える若い農夫が、

再び、ジッさまに食い下がったが、


「じゃあアレか、盗人ぬすっとも必要ってかい?」


「そりゃあ、クソはらねぇですがね。」


ちげぇねェや」

 

 ぶわっはっは、と豪快に笑うと

いつもの茶話ちゃばなしを切り上げ、

男達は野良のら仕事に戻って行った。









 やたら正義感が強い理屈屋りくつやの男。


 名を寅吉とらきちという。


 寅吉は村でも評判の働き者だ。


 農夫のかたわら、武道場の師範しはんね、のついでにと言ってはなんだが、自警団じけいだんの様な事もやっている。


 村の用心棒ってな具合だ。当人とうにんは“貧乏クジだ”とへりくだっているが、適役てきやくである。

 

 




 

 寅吉には、せがれがいる。

よわい十にも満たないわっぱだ。


 術に明るい吉の息子だから

 『武虎たけとら』と名付けた。


「武将にでもする気かい」とさとのジッ様らには、よくからかわれている。


 おもだったはないが、

親父に似て精悍せいかん面構つらがまえだ。

子煩悩こぼんのうの寅吉の事、先が楽しみだろう。






 妻のツヤ子は、はらに2人目の子がいる。

 

 夏時分なつじぶんには産まれるだろう子が、

 男子おとこなのかひめなのか……。

そんな事をうすらぼーっと考えながら、

 野良のら仕事にせいを出して、

 いつもより余計にはたねっていた。

 「去年より作付さくづけを増やそう。

育ち盛りの食い扶持ぶちも増えるしな。」


 至って平和な家庭を守る寅吉だが、

一つだけ子にすら言えない、

 ―― を隠している。 ――






 

 鬼のせがれ《第一話》②


 

 花桃はなももの春に作付さくづけした苗が若芽わかめを伸ばし、


楚々とした鮎の夫婦が、稚魚ちぎょを連れだち清流にそそぐ。


 

天竜川てんりゅうがわ支流しりゅう沿った、

水に土に豊かである里山にも、

間もなく田水張たみずはる夏が来る。









 遠山とおやま新緑しんりょくを胸いっぱい吸込すいこみ、


 もうあつ陽光ようこうはいす。



 こんなおだやかな村を愛する寅吉とらきちにも、

ヒトに言えない秘事ひめごとがあった。













 先々の墓にしまい込んだ“それ”は、

たとえ親でも言えない事情じじょうがある。


 長らく、共に夫婦の間だけで

悩み苦しみ隠し続けてきた“それ”は、


 しかし今更いまさら多忙たぼう多幸たこうによって、

忘れつつある事でもある。













 寅吉は農夫のうふだが、自警団じけいだん兼務けんむする。

 つとめて勤勉きんべんな性格と長年の功績や信頼により、村の長者ちょうじゃや、そのおかみからも、


『いづれ決まったら重責役じゅうせきやくを。』

 と、頼られている。


 大変な名誉だが、けてしまえば、

自然、労苦ろうくも増える。

 妻の事情を考えて負担になる事は避けたいと、ともなっていた。












 

 時代は変革期へんかくきに入り、

まちでは手荒てあら賊愚ぞくぐれも増えているとく。

 だがいまだ幸運にも山村は、

治安もおだやかで大きな問題は無く、


 それを理由に、

ズルズルと返事をばしている。

いつかは……とは考えているが。


 手を止めたクワ下影したかげが、

カゲロウの様にらめいていた。











 

 鬼のせがれ《第一話》③

 



 「おとぅ、竹トンボ!」


 向こう土手どての方から、

 武虎たけとらが幼子のように甘えて来なすった。

野良のらの手を止め、禿かむろでてやる。


「なんだ自分でつくったのか、どれ。」


 おとぉが飛ばした竹トンボは、

 ヘンチクリンな軌道を描いて

 見事にボテッと落ちた。












「ありゃ、こりゃあ駄目だ」

 羽の部分がチグハグで、バランスが悪いらしく、これでは上手く飛ばせない。


「駄目なの ?」

 曇り顔になったせがれを「ヨッ」と抱き上げ、お父は破顔はがんした。


「ハッハ、いやよく出来てるよ」

クルクルと指先で様子を見、

「家さけぇったら教えてやる」













 お父にとって目に入れても痛くない程、武虎たけとらを可愛がっている。

 実際、年の割に幼い息子は、

性格も優しいし、素直さがある。


 男でこの溺愛ぶりでは、

女の子が産まれたら推して知るべしだ。

 よわいで言えば、そろそろ武芸や学問もしっかり学ばねばならない。

 だが、あと少し、おさなさを見ていたい。











 

 

「かかさん、どうした 」


 いつも武虎べったりのツヤ子は、

今日は付いて来ていないようだが。

「おっかァ、向こう山のねえやんといる」

“向こう山の姉やん”とは、付き合いが長い。隣村の行商娘ぎょうしょうむすめで、よう働く果報者かほうもんだ。出入りは寅吉が少年の頃から、ツヤをめとった後も、ずっと。


「向こう山のひしお漬け」とは、

この村でも名物になるほど、美味い古漬ふるづけで、めしを借りなきゃ足りん人気ぶりだ。













 寅吉の親父が、これを大の好物で、

こうじて、毎日作って貰うように

 寅吉の嫁に来るよう頼み込んでた程の。


 まあ、向こう山の姉やんの方は、

せんなくサッサと同村の男に嫁いだが。


 若気わかげにも、

「俺ァ、漬物にも勝てんのか」と

落ち込んだものだ。














  ンなもんで、家族付き合いは深い。


ツヤ子の姉役のように面倒を見てくれる。

母を早くに亡くした寅吉には出来ないような、母替わりの気配りをしてくれる。

 

 嫁ぎたてだったツヤ子も彼女を慕い、

向こう山の姉やんのおかげで、

難なく村にも受け入れられた。


 武虎たけとら産湯うぶゆをとったのも彼女だ。

 名はお菊と言う。












 お菊ちゃんが来ると、

決まってツヤ子は上機嫌じょうきげんになる。

 食道楽くいどうらくだけでなく、ツヤと菊が会うと、おしゃべり仲間よろしく、まれに日がかたむくまで話にきょうじる。

 


やれ「畑に猿が出て半刻はんこくも追いかけた」、

 

やれ「隣村の村長に将棋しょうぎで勝った」。

 

 井戸端いどばたと笑いが尽きない。


 







 



「こりゃ、夕飯ゆうめし豪勢ごうせいだな、今日は。」


あれやこれやと、地産名品を買い込んでいることだろう。

 お菊の品物はどれもだ。

とても楽しみである。


たけやい、はらすかしとけよ。美味いモン、たらふく食おうな !」


 バッタを追い回していた武虎はうなずき、

嬉しそうに次はモグラを探し始めた。


 










 





 鬼のせがれ《第一話》④


 

 


 毎度おなじみ馬鹿話で御座い。


人のご縁たぁ、不思議なもんでしてハイ。


 出会おうと思うと相手は逃げちまう。

じゃあ待つってんで、すると待ちぼうけ。


 こちらをとれば、向こうが立たない。

 向こうをとれば、こちらは立たず。


 水の中のドジョウの様なもんです。












 ――珍しい、落語のもよおしだ。


 皐月さつき、晴れの日、花日和はなびより


 年に一度の花祭りがひらかれた。




 この日を心待ちにしていた妻が、


 あと ふた月み月の福腹ふくっぱら抱えて


 七福神みたく笑い転げている。













ツヤと出逢であった日も、

 この花祭りだった。


 あん時のツヤのべっぴんりは、

今でもまぶたに焼き付いている。


 ゾクッとする位、あやしげな美貌びぼう



 に祭りへ行こうと楽しみに、

 一緒に連れ立った男連中みんな

かくしもせずベタァと見惚みほれてたっけ。












 小洒落こじゃれ小袖こそで花簪はなかんざし

可愛い瞳に唇がなんとも色っぽい。

丸顔なのに、妙にスラリと大人っぽくて、

 

「年は上かな」「いやわからんぞ」

「男はいるかな」「わからんて」


あーでもない、こーでもない、と

仲間で喋ってるうちにフッと消えちまって。


 火に突っ込んでいく虫みたいに、

慌てて追っかけちまったって寸法すんぽうよ。











 なんとか追いつき後姿うしろすがたを見つけた時、

仲間たぁハグレて俺一人だけでな。


 人群ひとむれにゃ足踏まれるわ

 蹴られるわ、ぶつかってにらまれるわで。



「で、散々だったが、なんとか口説けたんだろ、ほんで夫婦めおとになったって、オメェ一体何回その話したら飽きるんだ、俺の嫁に対する嫌味か、ええ?」


 隣んちのおさななじみがどくまくし立てる。













「あ痛え!?」


「あんたそりゃどう言う意味だい!?」


 ゴツンとたくましいゲンコツが

 幼なじみの丸眼鏡をしゃおどす。


「可愛い嫁はそんな事せんわ!」

「はいはい、いい加減にしろ茂吉もきち。」


 本当に毎度おなじみ馬鹿話、だ。

ツヤはさっきから笑いっぱなしだ。









 

 隣の幼なじみ夫婦は

所謂いわゆる、おしどり夫婦だ。


 寅吉がツヤと結婚したすぐ後、

幼なじみの丸眼鏡……茂吉しげきちも、

 すぐに今の嫁さんを連れてきた。


 寅吉とらきち夫婦にのだろう。


同郷どうきょうの嫁さんを貰い、

 ――(お世辞にも美人じゃないが)――

それっから毎日、夫婦漫才めおとまんざいだ。










 



「可愛くないとか言ってるがお前さん、

 そのと、

 すぐ子供4人もこさえただろうに。」

 

きっと茂吉は相当な助平すけべえなのだろう。

 

「あら、可愛いだって!!聞いたかい?」


 褒められて上機嫌の隣の嫁ごは、


貧乏子びんぼうこだくさんひまなしで、大変よォ」と嬉しそうにバシバシ茂吉をはたいた。

「いて、いてて、いてっ」











「あのなァ、可愛いよめごってのは

 ツヤちゃんみたく、人よし、器量よし、

 料理うまし、そうゆう娘でな、」



「おまけに“いろよし床上手とこじょうず”とりゃ、

 にくいねえ。最高のよめごだな、寅、な ?」



 そうゆう余計な事をいう。













「あっ、茂吉しげきちオメェ、このっ」


「ちょっと寅吉さん、

 またシゲさんにしたの?」



 ほら見ろ、今度はこっちに火の粉だ。


 茂吉は、ふくれるツヤの顔がたのしくて仕方ないらしく、クックと笑っている。











「怒るとハラさわるぜ、スマン、な。」


 こちらの亭主ていしゅと来りゃ、嫁さんのご機嫌きげんとりに忙しい。どちらも尻にかれてるってこったろう。



「あ、ホラ、ベッコ飴があるぜ。」


色とりどり並ぶ出店でみせで気を引く。

  

武虎たけとらに買ってこうか、ツヤ子も食べるだろう、ちょっと待っててな。」












「仲良いなァ、いいなあ、俺もツヤ子ちゃんと仲良くしてみたかったなあ。」


 嫁が子供らと祭り見物に行ったをいい事に、なにやら勝手な事を茂吉がほざく。


「……お前ツヤが好きなのか?」

「馬鹿言ってんな、嫁に殺されるわ」

「ツヤは絶世の美人だもんな、いやわかるよ。うん。スマンなだ。」


 惚気のろけがまだ続くのかと、

 丸眼鏡の茂吉は呆れている。











「あんたァ、ちょっと手伝っとくれ!」


 四人の子供がそれぞれ動くもんで、

てんてこ舞いの茂吉の嫁ごが呼んでいる。

 父ちゃんに手を振る幼子らと、

おもちゃが欲しくて泣き出す子。


 いや、子だくさんも 苦労だろう。

その分、幸福も子だくさんなのだろう。


「ツヤちゃん、られるなよ。

 じゃ、惚気のろけ程々ほどほどにな。」 











「けけけ」と揶揄からかって、

茂吉は家族んとこへ走っていった。

「またね」と手を振り見送った後、ツヤ子は寅吉の目をジッとみて、

「もう、床上手とこじょうずなんてしゃべっちゃいやよ?」

 おう、可愛いな、照れてやがる。

「恥じらいがない人、嫌いです。」

 今度は、プッとふくれた。


ごめんと黙って、手を繋ぐ。


 いまさら思い出した。

――今日は久しぶりに二人きりだった。









 鬼のせがれ《第一話》⑤


 


―――そう、今日は二人きり。

  数年ぶりの夫婦水入らずだ。―――



 誰より花祭りを楽しみにしてた武虎たけとらは、前日から興奮し過ぎで眠れず、祭直前に寝着ねづいてしまった。

「あら、どうしようかしら。」

「こりゃ、当分起きないな。」


わっぱらしい寝顔に、ほころぶ。











「おおい、おおい、起きろたけ!」

「あらま、可愛らしい」

………… 

「駄目だ、全く起きん。息はしてる。」


 

「天神さんで御籤おみくじひくの」だとか、

「やって、やって !」と散々に祭り当日の肩車の練習をさせられ、あんなに嬉しそうにしてたのになぁ。


 起きて祭が終わってたら、

……泣いてしまうだろうなあ。












 


「どうしましょうかねぇ、困ったわ。」

 

ツヤと顔を見合わせ云々うんぬんと悩んでいると、縁側えんがわからヨッコイショと顔を出したオジイが「なんだタケ坊寝ちまってるのか、いつまで待っても来やしないから。」と上がってきた。


 寅吉の家ははなれだ。親父は母屋おもやに独り。

同じ敷地には、小さな武道場もあり、寅吉はそこで子供らに武術を教える。隠居いんきょだが、忙しい寅吉に代わり、普段、稽古けいこをつけるのは親父さんだ。









 


 そも、年一度の一家総出そうで行楽こうらくだ。


孫と一緒に出かけられると、内心喜びいさんだった寅吉の父が、しびれを切らして迎えに来たが、眠りこけている孫を見て事態じたいさっしたらしい。

 寅吉と同じく、子煩悩ぼんのうの親父。

なにやらしばらく考え込むと、

ポンとひざをたたき、

「お前さんら、二人で行きなさい」

と言い出した。










 

 

  

 近隣の村からも、多くの知人友人が集まってくる、誰にとっても特別な日だ。


親父もここ阿智村に住んで長い。

久しぶりに、竹馬の友である武道仲間たちに会う約束もあったはずだが――――。


気を利かしたのだろう。

 

わしが見とく。

起きたら連れてくから、たまにゃ水入らずで楽しんできたらどうだ。」










 


 しばらくの押し問答もんどうののち、

結局ツヤと寅吉たちが折れる形で、親父さんのご厚意に甘えることにした。


 恐縮しつつも、久々の逢瀬おうせに心が踊らないわけがなかった。

 寅吉はそれと悟られずとも、

普段からツヤにゾッコンの骨抜きかんだ。



 あぁ、本当に久しぶりだ。

寝てしまってる武虎たけとらには悪いが、

 

さて、どう過ごそうか。――――








 鬼のせがれ《第一話》⑥


 


 ここに独りの男あり。


名を“飯田九兵衛豊一いいだきゅうべえとよかず”と称す。


 生業なりわいは商人。若き頃より家業継承を命じられ、多方面に見識が深く、早くに実力を得、一代で莫大な富を築き挙げる。


 武家から転向した商家であった親の面目躍如めんもくやくじょを信条に、元は善良な商人であった飯田だが、かねの魅力に取り憑かれ、いつからのだろうか。親亡き後、時勢じせいに応変し、密かに武器商人へと変貌へんぼうす。

 










 その頃から、悪い噂は絶えず、だがしかし、飯田を咎める者はおらず、独善的どくぜんてきな性質に歯止めはかけられなかった。


 

 それもそのはず。


 

――飯田に楯突たてつく者はことごとく悲運をこうむり、姿からである。












  

 幕末期、飯田一門の悪益あくえきは留まる気配を見せず旺盛おうせいを極め、武器不正取引を頼金よりがね外様末裔とざままつえいにあり、武器密造や違法取引、果ては偽貨幣にせがね鋳造にまで触手は及び、新たな時代の裏社会を確立するまでになっていた。


 飯田は、現代で言うところの

』として名をせていた。










 鬼のせがれ《第一話》⑦




 歴史は、大海の泡の如く人を惑わす。

時に其の力は抗うを許さず人を支配する。


 普段穏やかな小川ですら、

嵐が来ればその凶暴をあらわにして

あらゆるモノを押し流し遠く大海へさらう。


 ――木曽川水系は今日も揺蕩たゆたう。

 降り注ぐ風雪が、かたわらに立ち並ぶ奇岩群を風化させ、零れ落ちた欠片が川底に苔生こけむして沈積ちんせきしてゆく。


 その様は、まるで亡国の夢に然り――。









 

  


 薩長同盟が世間を賑わせてから久しい。



半髪頭はんぱつあたまをたたいてみれば、因循姑息いんじゅんこそくな音がする。総髪頭そうはつあたまをたたいてみれば、王政復古おうせいふっこの音がする。ザンギリ頭をたたいてみれば、文明開化の音がする」

  


 明治に入り、開国の恩恵は各地を巡り、多くの国民に対し“自由な行動の権利”が法的に担保たんぽされるよう整備された。













 再び、新たな広告塔となる天皇とゆう個の奴隷どれいを大衆扇動せんどうに祭り上げ、天皇派という利潤りじゅんを交渉道具に確立し終えた時勢。

 ちまたでは、王政復古と自由貿易、国民という名の隷属民れいぞくみん賤民せんみんの解放を大義名分とした新時代を迎えた。

 

 未曾有の好景気を前に、国内を自由に移動させられる人員確保じんいんかくほの観点から身分制度をはい、士農工商しのうこうしょう果ては穢多えたに至るまで、“”としてくにに認められ、かくして新時代は大衆に受け入れられた。


中央集権国家、国民国家の誕生である。










 

 悠久ゆうきゅうを経て待ちわびた好機である。

  

 自由交易じゆうこうえきひっするに合わせて、インフラ整備や商工業の新規開拓。降っていたような巨額の商機しょうきが、うねりを伴い日本全体をにわかに浮き足立たせている。



 開国景気の到来である。――――







 

 


――西洋かぶれの日本家屋が鎮座ちんざする所。

 

 

 ここにも、その利潤りじゅんちりほども逃すまいと、相場情報に野心をたぎらせ、眼光紙背がんこうしはいに徹するモノノ怪がいた。


 木曽川水系の恩恵預かる美濃みのの國――

そこに根城ねじろを張る経済ヤクザ、 


 飯田九兵衛豊一いいだきゅうべえとよかずその人である。 


「おい。きんか。」












「へえ。からっきしでがす。開国前に欧米の連中に買い占められちまいやしたからね、もうどこもかしこも、ケツの毛むしったって、きんなんか手に入りやせん。」



「ほぅか。ほんなら、上物のぜに上も困ってたやな。」


 配下の古参こさん史左衛門しざえもんがそれに応えると、にんまりと飯田は笑みを浮かべ、手元の威鳴いならした。












きんものうて、本物ほんもんの銭も今じゃボソボソの鐚銭びたせんじゃ、価値もへったくれもあったもんじゃねえ。ウチの銭の方がよっぽどよう出来てたわな。ほんに欧米様様おうべいさまさまじゃ。」


「ですが、全部処分しちまいましたぜ。

 残りはダンナの手にある数枚だけで。」

 

「それでええ。時代はとうに変わった。」


 幕末期、飯田一門の主力産業は武器の密造密売みつぞうみつばいにせ貨幣鋳造かへいちゅうぞうだった。無論だが、秘密裏に幕府からとして。――真に公認の裏稼業である。











 偽金の儲けも莫大ばくだいだったが、それ以上に国荒れた山河は、“巨額な戦争マネー”を生み出した。


 全国津々浦々つつうらうら、どこに行っても密造武器は破格の高値で飛ぶように売れた。


“青は藍より出でて藍より青し”


 もとより親より受け継いだ正当な商売でも、地頭の良さと類稀たぐいまれなる努力により、

若くして其の頭角をあらわにし、

一代で一財築き上げたキレ者のおとこだ。そうなると、人間の欲は青天井あおてんじょうとなる。











 

 手段を選ばなくなれば、足枷あしかせはなく、悪に手を染めてからは終始盤石しゅうしばんじゃくの経営状態となった。


 賄賂、土地の違法取引、人身売買、詐欺、ネズミ講、恐喝、暴力、その悪行は多岐に渡り、莫大な蓄財に比例して、悪名は飛ぶ鳥を落とす勢いで広まった。


 当然、敵も多かったが、武器販売のツテから、強力な傭兵ようへいを雇うにやすく、飯田一門に逆らうものは徐々に減って行った。












 

「触らぬ神にたたりなし」


 当初からを持ち、“内偵目的での”として“に武家下がりの商人になった家系”であったため、そもそもの生い立ちから、飯田一門は強力な後ろ盾が確約されていた。


 そのため、実力もないのに正論せいろんだけ唱えるタイプの、青臭い正義を掲げるなど、

 

 できたわけだ。


 単なる個人の悲運として、役人には取り合って貰えず、何人死んでも

 “”である。








 鬼のせがれ《第一話》⑧




 遠く伊勢湾いせわんに注ぐ木曽川きそがわ水系は、

古くより、江戸と京都を結ぶ中山道なかせんどう沿いにある美しい河川で、また山越えの三大難所として有名であり、長旅の疲れを癒すために川沿いに多くの宿場しゅくばのきつらねていた。

 現在は、【木曽十一宿きそじゅういっしゅく】とよばれ、

雄大な景色と素朴そぼく里山さとやまを好む旅人に愛され続けている。


 人類の身勝手な歴史は、この素晴らしい自然にも悲しい爪痕つめあとを遺していた。

 江戸幕府が引き起こしたある事件だ。


 それは正に鬼の所業しょぎょうだった。











 その木曽川の途中にある美濃みのと、九州鹿児島の薩摩藩さつまはんは、ある事件により。江戸中期、江戸幕府により木曽川の治水工事ちすいこうじが行われた際、薩摩藩の独自なシステムをとりいれた軍事力及び経済力を大きな脅威きょういと恐れた幕府側が、薩摩藩を経済的におとしめるために、非人道的な事件を起こした。

 

 ――《宝暦治水事件ほうれきちすいじけん》である。










 幕府成立時から、遠方からの参勤交代を強要し藩の財政破綻ざいせいはたん誘因ゆういんするなど、江戸幕府による外様とざま大名に対する陰湿いんしつな嫌がらせは有名だが、その確執かくしつは江戸幕府討伐、明治政府成立後まで続く根深い怨恨となり、現在まで語り継がれる。


 幕府への反発を防ぎ国家安全保障のためという“大義名分”の元、あまりにも頻繁に非人道的な弑逆しいぎゃくが行われてきた。


――どの国でも同様の事件は散見される。








 宝暦治水事件ほうりゃくちすいじけんでも例にれず――。 

 

 治水工事の費用全額負担を薩摩藩に命じ、藩の優秀な人材を木曽川治水工事に派遣するよう強要した江戸幕府だが、その際、人・金を奪うだけでなく、、大きな失態を演じるよう仕向けたのだ。












 重労働で使役しても食事は罪人のような粗末そまつな物しか与えず、草履が破れても法外な値段をふっかけてけなくし、裸足はだしで岩場の工事をさせ、病死や事故死で薩摩藩の者が死ねば、追加で人を送るように強要した。


 薩摩藩の人間だけを徹底的に差別しイジめ抜く様、関係者に指令するという、卑劣ひれつ画策かくさくを実行したのだ。










 その結果、なんの落ち度もない真面目な人間を薩摩藩というだけでいびり倒し、


 多数の犠牲者を出したのだ。

江戸幕府への抗議で腹を斬り自害した者が、約55名。その情報は隠蔽いんぺいされた。

 イジメによる過酷な強制労働による病死、事故死の被害者も数十名に登り、やはり歴史から隠蔽いんぺいされた。


 さらに、藩の人間を死なせたとして、同じイジメを受けていた薩摩藩総指揮の家老に、全ての責任をなすりつけ、自害を強要し死なせたのだ。







 






 


 これを鬼と言わずして何とすべきか。


 

人間はここまで残酷になれるものなのか。









 鬼のせがれ《第一話》⑨



 

 信長の時代。

幕府と朝廷が武力で争った承久じょうきゅうの乱。その最初の武力衝突となった場所が、愛知県と岐阜県の県境にある木曽川きそがわだ。

 

 江戸時代、尾張藩おわりはんに属する木曽川と美濃国みののくにゆかりの深い土地だ。


 萌葱もえぎの気配にうかれた動物が躍動やくどうする卯月うづき。二十四節気で“小満しょうまん”の節目の日。

 ここ、木曽川十一宿じゅういっしゅくの宿場に、

飯田一門頭領とうりょう飯田九兵衛いいだきゅうべえ”はいた。

定例の談合だんごうで一門幹部も集まってる。









 上座かみざ鎮座ちんざする飯田に上奏じょうそうが渡される。 

 

「昨年の木曽のアガりは上々だな。」


 若頭補佐の史左衛門しざえもんが取り仕切る色街いろまち

木曽十一宿きそじゅういっしゅくの裏稼業は実質、飯田一門が牛耳ぎゅうじっている。



 1754年 宝暦ほうれき治水事件

この悲惨ひさんな、幕府からの一方的な薩摩藩藩士さつまはんはんしへの虐殺ぎゃくさつ事件がきっかけに、木曽川周辺の住民に薩摩藩派の協力者や有志ゆうしが集まり蜂起ほうき。その後、幕末期ばくまつきまで木曽川宿を中心に秘密裏ひみつりに集まるようになった。






 


 表向きは、幕府と尾張藩おわりはん薩摩藩さつまはんの共同治水ちすい工事が成功した事をプロパガンダとして、周囲の民衆に対してのアピールを含め、国家団結だんけつを図る目的だった。


 裏では、幕府の政策に対して反対意識を持つ、国家団結のさまたげになる危険人物を、治水工事の人足にんそくとして強制労働させ、その危険人物達には何ら情報を与えずに強権政治の権力を誇示こじし、国家への服従を誓わせる為の、徹底した拷問ごうもんによる再教育が目的だった。







 

 

 その為、逆らう人物には自害じがいを強制し、空きが出れば、危険人物を薩摩藩から木曽川へと遠く引き離し、それを補充させ、幕府への服従をちかわせるという行為を繰り返す為に、大々的だいだいてきな治水工事を行わせた。

 

 主な目的は、裏事情の方だろう。


もし、幕府側が、純粋に単なる治水工事を成功させる目的であったならば、薩摩藩に対して、治水工事の情報を全く与えずに、金と人だけ出させただろうか。








 


 しかも、薩摩藩藩士のみ木曽川に呼び寄せ、藩士家族は一切、現地に着いてきてはいけないとの御触おふれだった。

 

 げんに、設計や現場監督に至るまで、薩摩藩の主な作業員に対して、全ての情報だけでなく、更に逆らう者には、工事に必要な道具全てに至るまで与えないようにとの命令が徹底された。


 草鞋わらじひとつ、法外な価格を提示し、それを薩摩藩藩士のみ買わせない。


 裸足で土木工事をさせ、その傷や過労や栄養不足が起因し、多くの薩摩藩藩士が命を落とした。事故に見せかけての殺害も多いと聞く。







 


 食事も、一汁一菜いちじゅういっさいのみ。労働者に対してそのように扱えとの命令だ。逆らえば自分も同じ目にあうと周辺住民をおどしての、薩摩藩藩士虐殺を意図した幕府の命令は、現地民俗みんぞく資料として、今も残されている。

 


 監視役の尾張藩から木曽川の現地住民全てに至るまで、薩摩藩に対して完全かんぜん非協力的な命令をあんに出すという行為は、裏事情が無ければ行わなかったのでは無いか。








 

 また、宝暦治水工事に関しての真実しんじつは、それ以降、歴史に残さないように紙1枚に至るまで処分するようにとの、徹底した箝口令かんこうれいにより、ほとんどの史実しじつに宝暦治水工事においての薩摩藩藩士虐殺ぎゃくさつについての事実は残されていない。


 現地住民の口伝くでんによる逸話いつわ、として残されているのみとなる。








  


「ヤス、宝暦治水ほうれきちすい事件は知ってるな。」 

 

「へえ。木曽川の人間なら知らねぇ奴はいねぇです。いまだに慰霊碑いれいひにゃ花が絶えねえくらいで。」


 飯田九兵衛豊一とよかずは、薩摩藩脱藩藩士が脱藩浪人ろうにんとなり、その後、美濃の豪商に奉公し、生計を独立させた家系の末裔まつえいである。

 脱藩に際して、飯田家と名を変え薩摩藩との繋がりが分からない様、綿密に画策かくさくされた。


 何故か?











 飯田家の主な任務は、薩摩藩のスパイ、つまり諜報員ちょうほういん達の、資金調達とつなぎ役を担う事だ。


 商人にふんして、各地の移動を可能にする為に、『脱藩だっぱん』という扱いで、薩摩藩から送り出された。


 その役目はすでに三代に渡る。


薩摩藩や幕府からの後ろ盾は強力で、資金力、人脈はすでに財閥ざいばつに引けを取らない。


 三代でここまでになっても疑問に思われない様に、飯田家にはさらに裏の使命があった。






 任侠にんきょう。つまりヤクザ者を取り仕切る役目があった。幕府にあだなす危険因子を引き取り、汚い仕事を与え、金の力でおさえ込む。


 いざ、幕府に逆らう動きがあれば、

組織内でつぶし合わせるように、派閥はばつ争いを起こす様、綿密めんみつに工作を練ってあった。


 飯田一門の資金力も手伝い、三代目に継がれる頃には、飯田家頭領とうりょうの命令は絶対的権力を誇示こじしていた。


 





鬼のせがれ《第一話》⑩



 

飯田久兵衛豊一の背景。


 裏家業である間諜かんちょう商人であった顔は、いつの頃からか欲深いしわが刻まれていった。

 あまりに金を盲信もうしんし過ぎたのだろうか。

過ぎたよくは人を狂わすには十分であった。

 名誉、承認欲しょうにんよく、そういったたぐい一度いちど手にした人間には、ある時期に、必ず岐路きろが現れる。

 

 それは、あくへの道とぜんへの道。

 

そのあくの甘い魅力から逃れられた者のみ、ぜんへの扉は開かれる。





 






『ヤス、所帯はまだもたねえのか。』 


『自分はまだ未熟者ですから。』


 齋藤道安みちやすは、

飯田久兵衛一門の若頭筆頭である。

頭領とうりょうである飯田の次席じせきにあたる人物だ。


史左衛門しざえもんめかけがまた増えるそうやぞ。』


 その齋藤道安みちやすの下に着く史左衛門は、

一門の三番手となる若頭だ。







 

 非常に狡猾こうかつで抜け目のない史左衛門しざえもんと、若頭筆頭わかがしらひっとう齋藤道安さいとうみちやすは、ライバルとして競合きょうごう関係にあった。争いはしないが、お互いに牽制けんせいしあい、しのぎをけずっていた。


 賢く礼儀正しい齋藤道安さいとうみちやすは、次期頭領じきとうりょうとして、飯田九兵衛からの信頼も厚く、飯田一門の事務統括とうかつは、全て齋藤道安にゆだねられていた。又、一門の裏稼業である幕府お抱えの間諜業務やその技術継承、人事教育についても、主に取り仕切っているのは齋藤道安であった。


一門いちのキレ者である、齋藤道安こと、通称『まむしのヤス』に対抗する勢力のトップが、史左衛門しざえもんだ。


 

 





 



 この史左衛門が大変くせの強い気性きしょうの男で、目的のためなら手段を選ばない非道なやり方で一門の中でも一目置かれる存在だ。


 主な表の業務は、飯田一門の縄張なわばりである中山道なかせんどう六十九宿に点在する、歓楽街かんらくがい色街いろまちのアガリ(売上)を管理上納かんりじょうのうする事。


 貧しい村から女どもを買取り、教育を施し、身売りをさせる。里へ仕送りをさせる事で、金の繋がりで縛りほだすなど、情を扱う術も非常に長けている。












 一門の息がかった色街に綿密に仕掛けられたわなに引き寄せられた、地頭や役人などの有力者達に裏金を渡して接待し、その影で、独自の間諜技術で極秘の情報を集め、それを一門で共有し利用する。欲と情、奸計かんけいにまつわる謀略金ぼうりゃくきんを余すことなく使い回すその特殊な情報取得手段は、道安より史左衛門の方がはるかに得手えてであると言えよう。



 又、にもつかないゴロツキの食い扶持ぶちを稼がせ、幕府に逆らうくわだてをさせない為に、手段を問わない統制とうせい方法で裏社会の統治とうちをはかる役目を負っていた。









 


 その生まれ育ちの不運のために知性教養が足りずに、ぞくなどに落ちるやからどもを拾ってきては、飯田一門のけむたい仕事を与えてきた。

 時には暴力で反対勢力を抑え込み、恐怖と圧力で縄張りを統制する事も日常茶飯事である。


 その頭の役目を果たす史左衛門は、飯田九兵衛の悪意そのものであったとも言える。











  

 幕府に強い繋がりと信頼を保ち続けるためのあらゆる悪業は、全て史左衛門に一任されていた。幕府に逆らう者を秘密裏ひみつりに消し去る“暗殺稼業”を請け負う代わりに、一門の多くの違法が黙認もくにんを約束されていた。


 飯田一門の最も深淵しんえん部である“暗殺稼業”の責任が史左衛門に一任されていることから、飯田九兵衛の人となりがうかがいい知れる事だろう。いざとなれば、史左衛門一派の首を差し出すだけで、おのれの罪から逃れられる算段である。










 飯田九兵衛の主な仕事は、おのれ罪業ざいごうを武器として、それを金にすり替え溜め込み、もって威力とし、その金欲の求心力で人心をまわす戦術を策謀さくぼうする事にある。


 上奏される情報をもとに、飯田一門の大きな権力を確実なものとする為、権謀術数けんぼうじゅっすう駆使くしし黒い画策かくさくくわだてていた。



『ヤス。俺は国が欲しい。』



『戦わずして勝つが真の王者の証明よ。』

 



 欺瞞ぎまんの笑みを浮かべながら手元に残した偽金にせがねを愛でつつ、虚空こくうを見定める飯田に、齋藤道安みちやすが一通の文を手渡した。

 


 それを目にした瞬間、飯田の顔色が変わった。




『史左衛門、あいつは信用ならねェ。』

 


『今の所、大きくは妙な動きはないようですが、わかり次第すぐに。』



『奴はこちらが不利となりゃすぐ糸にかかる。そうなりゃ、一門の先の弱味が一目瞭然だ。そうなったらすぐに手を打てよ。奴の取り巻きには必ず影をつけておけ。わかるな。』


 

『へい。既に。』

 








 








 

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