鳥会えず。とりあえず、

森陰五十鈴

アリィの好奇心

 波打ち際から少し離れたところにしゃがみ込み、アリィはじっと海面を睨みつけた。深い青の水溜まりの中を見透かそうと、赤い目に力を篭める。しかし、白い泡ぶく以外に何も見出だせるはずもなく、息を吐いて砂浜に作業着の腰を下ろした。


「いないかぁ……ペンギン」


 がくり、と頭が垂れる。そのまま傍らに視線をやった。そこには、アリィと隣り合うように座り込んだ、雪だるまのようなフォルムのペンギンのロボットがいる。

 ペンギンは、丸い頭をくるりと動かし、瞬きすることのない黒い目でアリィを見上げた。


「ミロ。ペンギンの生息地は?」


「ぴ」と鳴いて、ペンギン――ミロは正面を向く。真っ平らなプラスチックのレンズに、反射光とは違う光が灯った。視線の先に浮かんだのは、ホログラムのモニター。青い画面に世界地図が映し出された。中央左上の大陸沿岸に、黒い点。南の大陸の沿岸部に沿って赤いラインが引かれている。


「けっこう南じゃん。なんだぁ……」


 アリィは肩を落とす。まあ、海の生き物というだけで、海辺に行けば見られると安直に考えたのがいけないのだが。


 寄せては返す波。潮騒は意外に大きく、しかし辺りは静かだった。空は曇天。しかし雨の気配はない。剥き出しの腕に湿っぽい風が当たる。海を全身に感じながら、膝を抱えたアリィはぼんやりと水平線を眺めた。ホログラムの画面を消したペンギンロボットも、ちょこんと座っている。


「……何をしているんだ、お前は」


 呆れ声に、アリィは振り返った。アリィの傍にはいつの間にか、ゴシックドレスの美少女が腕を組んで立っている。冷ややかな眼差しは緑色。銀の髪が潮風に靡く。


「んー……ペンギンいないかなーって」

にいるだろう」

「違うよ。本物の――生き物のペンギン」


 首を動かしてアリィと美少女を交互に見つめる造り物のペンギンを、アリィはこつこつと指先で叩いた。再び正面を向いたミロは、ホログラムの画像を出した。黒い頭に黄色の差し色のある、ずんぐりむっくりとした体の鳥が、『コウテイペンギン』の文字を添えて映し出された。


「なんだ。別物じゃないか」

「そりゃ、こっちは簡略造形デフォルメだからね」


 機能性をまるで感じられない、こんな雪だるまみたいな獣がいるはずもない。


「だから――本物見てみたいなーって」


 コウテイペンギンの画像を見つめるアリィの目に、憧憬が宿る。資料でしか見たことのない生き物。彼らが見てみたい。

 この崩壊した世界で、今も生きているかどうかを、確かめたい。


 むかしむかし。どれほど昔のことだったか。

 世界は、滅びてしまった。

 正確には人間の文明社会が滅びたのだが、数多の生き物たちも巻き添えになったので、命は大きく数を減らしている。

 その中でも生きている人間は、非常に少ない。アリィが知っているのは、この美少女エカと、今アリィたちの下にやってきた兄リオと、ほか何処かに居る数人だけ。

 そんな世界で、アリィたち三人は、他にも生きているヒトがいないかを探す旅に出ていた。

 これは、その途中のことである。


「……見てどうするんだ?」


 エカがアリィの隣にしゃがみ込む。アリィがミロとエカに挟まれる形だ。

 ドレスの裾が砂に汚れるのも気にしない様子に、アリィは内心で苦笑した。後ろで服の心配をした兄がハラハラしているのが見えた。


「う~ん。具体的にどうしたいっていうのがあるわけじゃないんだけど……」


 アリィは言葉を探した。一言で片付けてしまうと、それは好奇心だった。しかし、エカが求めている答えはそうではない。何故好奇心を抱いているか、その理由を問うている。


「そうだな。昔からの生き物が生きているってなんか安心するっていうのが、一つかな」


 世界は確かに昔に滅んだけれど、完全に壊滅したわけではないということを、アリィは確かめたかった。


「で、そんな生き物が、今のこの世界をどんな風に生きているのか見てみたい。知りたい。そしたら――」


 アリィはそこで言葉を見失った。そうしたら? なんだというのだろうか。胸の中にある感情を表す言葉を必死に探す。この索漠とした気持ちを表す言葉を。


「……そしたら、この世界に残った私たちが、どう生きれば赦されるか、分かるかもしれない」


 アリィの言葉に、エカは怪訝そうにした。


「赦されなくとも、私たちは生きているだろう」

「そうだね。でも――」


 言い募ろうとするアリィを、エカは真っ直ぐに見つめた。アリィを貫くような、意志の強い眼光で。


「赦されるために、ものを知りたいのか。そんなものは不毛だぞ」


 アリィは目を瞬かせた。自分の好奇心が〝不毛〟だと断じられた。そのことに、怒りや苛立ちは覚えない。むしろ腑に落ちた。

 となれば、言葉選びを違えたのか。

 アリィは再び思考する。潮騒が余計なものを洗い流す。残ったのは――渇望。


「知りたい。ただ知りたい。だって、この世界にまだ希望が残されているのなら、私はそれを目にしたい」


 アリィは海を見つめる。今探していたのはペンギンだったが、あの海の中には他にも生き物がいるはずで。

 海だけではない。この砂の下にだって、何か生き物がいるはずで。

 滅びた世界には、今もまだたくさんの命が溢れている。

 その証を一つ一つ拾っていくことが、アリィの望みだった。

 世界の再興。それをこの目で確かめたい。


 そうか、とエカは頷いた。今度こそアリィの言葉は、彼女を納得させられたらしい。


「アリィは、両親に似たね」


 だんまりで二人の話を聞いていた兄が、ミロの隣にしゃがみ込んだ。優しい薄青の眼差しで、アリィを窺う。

 リオとアリィの両親は研究者だった。そして子どもたちの教育に熱心で、アリィはその影響を強く受けていた。アリィの好奇心は両親の教育の賜物だろう。


「そうかもね」


 素っ気ない答えを返しながらも、嬉しくなって小さく笑う。そしてミロの頭を撫ではじめた。このペンギンのロボットは、母がアリィのために作ってくれた、大切なものだった。


 結論は出た。すっきりした気分で、アリィは水平線を見つめた。いつかあの先に行ってやるんだ、と決意を持って。

 ……それなのに、エカがまた首を傾げ出した。


「……で、それはペンギンである必要はあるのか?」

「う」


 言葉に詰まった。必要性の有無は、たぶんない。生き物であれば、なんでもいいはずだから。

 エカから目を逸らすと、今度はミロと目が合った。そのペンギンはロボットなのに、何故かアリィに期待を寄せているように感じた。気まずい。なんとなく、なんて答えて良いような気がしない。

 リオが声を上げて笑った。

 唇を尖らせて拗ねる妹を見て、兄は笑みを消せないまま立ち上がる。


「どうせ俺たちの旅に行く宛てなんてないんだから、とりあえずアリィが見たいものを見に行こうか」


 アリィたちの旅の目的は、人間を探すことだった。だが、肝心の居場所が分からない。手がかりもない。このまま放浪の旅を続けていくなら、いっそもう一つ目的を持とう。

 それがリオの提案だった。


「とりあえずペンギン?」


 笑いながら尋ねてくる辺り、まだからかいの要素を感じるが。


「ペンギン」


 アリィもはにかむように笑った。

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鳥会えず。とりあえず、 森陰五十鈴 @morisuzu

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