空を飛ぶものよ

九十九

空を飛ぶものよ

 星はとうの昔に汚染され切っていた。

 外に出るならば、生身のままではまともに息が出来ず、防護マスクを付けなくては肺が焼かれた。

 星に残った人間は地下の底、汚れた土の中で生きている。


「会えたか?」

 穴倉、と呼んでいる地下の底、酒を片手に煙草をふかす男に、防護マスクを付けた青年は首を振った。

「会えなかった」

「そうか」

 青年の背後で重い扉が閉まる。

 男は一度、穴倉の扉を見てから、青年の元へと視線を戻した。

「今日も、トリ会えず、か」

「うん」

 再び、そうか、と呟いて、酒のグラスを掲げた男を横目に、青年は長い間着けたままだった防護マスクを脱ぎ捨てた。己の身体を守る物だと分かってはいるが、やはりどうにも邪魔くさく、機能以外は改良を重ねた訳では無いから着け心地が悪い。マスクの中に熱が篭らない事が唯一の利点だった。

 がぽり、と独特な皮の音を発してマスクを脱ぎ捨てれば、何となく息がしやすい感じがする。息苦しいと言う事は無いのだが、多分、気分の問題なのだろう。

 外す事が出来た解放感に大きく息を吸えば、男のふかす煙草の匂いが青年の鼻を掠めた。焼けた草と土の匂いだ。十数年前に嫌と言うほど嗅いだ匂い。それで生き物は大分減った。

 そんな焼けた草と土の匂いを男はずっと、己に纏わせている。彼の居場所を焼いた時の匂いが故郷を思い出させるから、と言って。

「お前も飲むか?」

 入り口の棚に防護マスクを押し込んでいれば、男から声が掛かった。

 振り返れば、無骨な手で酒の入ったグラスが差し出されている。飲むか、と言う意味合いで男がグラスを軽く振れば、黄金色の酒がグラスの中でくるりと光を反射した。

 懐かしいかつての黄金色によく似た色。畑一面に輝いていた黄金色は、今は灰色で塗り潰されている。

「貰う」

「ん」

 受け取って、呷る。とろり、とした甘さが舌の上で転がって、アルコールが喉を焼いた。味の割に度数の高いこの酒を、青年は一杯飲む事が出来ない。いつも男が飲んだのを分けて貰っている。

 酒を飲み干せば、じんわりと身体が熱を持った。その感覚が心地良い。

「トリは今どこに飛んでるんだろうな」

「近付いている筈だがな。後、一年してこの地に現れなきゃ、次の場所に行かねえとな」

 仲間に託された計算式をなぞってトリを追っている。それもあくまで可能性の話でしか無い。

 どこかの科学者が立てたトリに遭遇出来るとされた当初の予測からは随分と時間が経っていた。託された計算式は、仲間が再び計算し直して割り出したものだが、可能性は可能性としての値でしかなく確定ではない。

「俺たちが生きている間に、トリに会えるだろうか」

 酒が入れば口が軽くなった。確実では無いと言う不安が口から転がる。

 男は、そうだなと呟いて、顎髭を摩った。

「まあ、後は俺たちしか残っていないんだ。やれなければ、このまま星が死ぬ」 

 人が置き去りにした文明が、そうしてその残火が、未だじわりじわりと星を蝕み続けている。今の所、星の循環装置は働いておらず、そう言った自浄作用が出来上がる前に星が死に絶えるとの計算が伝えられていた。

「まあ、いずれ会えるさ。あまり気負うな」

 へらりと笑った男が煙草を吸いかけて、酷く咳き込んだから、青年は男の手から煙草を奪って、自分の口の中に押し込んだ。

 

 トリは青年と男、それとかつて居た仲間達の間だけで交わされる愛称だ。一番年上だった爺さんが正式名称など覚えられぬと呼び始めて広まった愛称。トリ、空を飛ぶもの、だから鳥から取って、そう呼んでいる。

 人間が星を汚染しきった時から気まぐれに空を飛んでいるそれは、終末装置であった。焼け残った文明を終わらせるための存在。大地を一度眠らせ、新たな命が芽吹く迄、星を閉じておく装置。

 けれどもトリは故障している。故障したが故、どこかへふらりと飛んでいき、そうして装置として機能を開始できずにいる。

 トリに直接、コードを打ち込む人間が必要だった。生き物の気配の消えた汚れ果てた星に残る人間が、限られた物資の中で生きていく人間が、トリ起動までの長くて三年の生を納得する人間が、必要だった。

 トリに直接、コードを打ち込む事、それは、トリの起動と同時に心中をしてくれ、と言われているに等しいものだ。

 星に残ったのは二十数人の人間で、多くが老人だった。当初の予定では長くて三年、老い先が短い者であっても何ら問題のない年数だったが故に、どうせ老い先は短いと志願した者が多かった。

 寄せ集めの集団だ。既に前線を退いた技術者や科学者だったり、医者だったり、若くとも既に命が短い者だったり、身寄りが無い者だったり、そう言う人間達が寄せ集められて、皆望んで星に残った。

 けれども、長い年月を経て、今は青年と男しか星には残っていない。

 

 白く霞んだ空が広がり、灰色の地が続いているのを、青年は小高い山の上から眺めていた。山は木々が枯れ、動物は死に絶え、ただの高い土塊の様相だ。

 定位置の山の頂上から空を見上げ続けて既に数時間、恒星は傾き、空の白色は暗色に色を変えている。

 トリが地に降りてくるのは恒星が出ている時だけだ。夜は白い靄の向こう側で星と一緒に瞬いている。

 この時間であれば、既に空に浮かび上がっているだろうが、遠くの空へと目を凝らしても、トリの姿は見えなかった。

 青年は、息を大きく吐き出して、傍の岩へと背中を預けた。首を回せば、じっと周囲を見ていたがために固まった首から嫌な音が鳴る。

 防護マスク越しに大地へと視線を落とせば、燻った炎で生まれた黒い煙が、あちらこちらから上がっていた。もうずっと各地で燻り続けている炎、そこから上がる黒い煙が空気を染めていく。今は、地下には届かないそれも、いつかは地下すらも呑み込むのだろうか。そうなれば、まともに生きる事が難しくなる。

 青年は設置していた望遠鏡を仕舞い込み、暗くなった空を見上げる。トリは見えない。どこまでも見慣れた何も居ない空が続いているだけだった。

「トリ会えず」

 手帳の中に書き込まれた記録。

 既に長年書き込まれた同内容の文字が果たしていつまで続くのか青年には分からない。

 昔、仲間が言っていた。

 トリは俺達を最後までこの星で生かしてくれてるんだろう、と。だから最後には会いにくるさ、と笑っていた。伸びる年月への慰めの言葉でもあったが、その言葉通り仲間は皆んな天寿を全うした。最期は笑っていたように思う。

「空を飛ぶものよ。トリよ。俺達二人が生きている間に会いに来てくれ」

 空に向かって乞う。

 男が言っていたように、いつかは会えるだろうと気負わずにいるほかないか、と青年は苦笑して、山を後にした。 

  

 星に残り、探し続ける者達は、残り二人だけ。

 どこかの空で、トリは気まぐれに飛んでいる。

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