優劣の檻

鋏池 穏美


 とりあえず──


 それがあなたの口癖でしたね。


 「とりあえず行こうか」「とりあえずやってみる」「とりあえず大丈夫」と、今もあなたの声が耳に残っています。


 出会いは中学一年の春でしたね。隣の席になったあなたは「とりあえずこれから一年よろしく」と、笑っていたのを覚えています。


 それから同じクラスで三年間過ごし、高校一年のクラスが一緒だと分かった時は、「とりあえずこれは……運命なのかもしれない」と、あなたは喜んでいました。


 そんな私たちが交際したのは、同じ大学へと進学し、二年生となった春でしたね。「君のことがずっと好きでした。とりあえず僕は君を幸せにしたいと思っています」と、ちょっと微妙な告白をしましたよね。


 私が「こういう時は『とりあえず』って使わない方がいいですよ?」と伝えると、あなたは「ごめんなさい。あ! でもとりあえず返事! とりあえず返事が聞きたいです!」と、焦っていました。


 そんな姿がとっても可愛くて、「告白するのが少し遅かったですね」と、意地悪した後のあなたの悲しそうな顔が、今でも忘れられません。もちろんその後は、抱きしめてキスをして「よろしくお願いします」と、伝えました。


 そうして交際した私たちは、とても楽しい大学生活を送りました。大学を卒業し、お互いに働き始めて同棲もし、大学卒業から四年。あなたがプロポーズをしてくれた日に──


 全てが変わりました。


 劣性能力者隔離法可決。


 「一定の能力よりも劣った人間を隔離する」という悪法が、可決されたのです。


 この日から全日本国民が大規模検査会場で、AIによる二百項目以上の検査を受けることを義務付けられました。その結果で一定の数値を満たした者は「優性」と呼ばれ、それ以外は「劣性」として額に烙印を押され──


 劣性の烙印を押された者は、住む場所を高い壁に囲われた隔離地区に指定され、「優性」と「劣性」が交わることはなくなりました。今でも「劣性」と烙印を押されたあなたの「とりあえず君は幸せになって──」という言葉が耳にこびり付いて離れません。




 それから私は、AIが選んだ遺伝的に有利な男性と結婚させられ、二人の子供を授かりました。


 とりあえず時間は進み、傍から見れば、とりあえず幸せそうな人生だったのだと思います。


 もちろん優しくしてくれる夫のことは大切に思っていますし、生まれた二人の子供も愛しています。ですが、私はとりあえずあなたに会いたいのです。なんにも考えず、とりあえずあなたに会いたいのです。


 こんなことを思っていては、今の夫や子供たちに申し訳が立たないのだと思っていますが──


 とりあえず……


 あなたに会いたい。


 あなたと離れ離れになってから、もうすぐ七十年になります。たくさんの孫にも恵まれました。劣性能力者隔離法が施行されてから、確かに社会は穏やかに繁栄していっているのだと思います。


 ですが、私はこんな世の中は嫌いです。私とあなたを離れ離れにした、こんな世の中を呪っています。


 そろそろ私も寿命ではありますが、命を終えることが出来たのなら、あなたと天国で逢えるでしょうか?


 話したいことがたくさんあります。


 いいえ……


 言葉など交わさずに、とりあえず抱きしめて貰いたいのです。


 早く、早く死んでしまいたい。


 ですが、自死した者は天国に行けないと言われています。心が綺麗だったあなたは、きっと天国に向かうはず。ですから私も、あなたとまた会いたくて「とりあえず、とりあえず」と、生きてきました。


 こんな優劣に支配された地獄のような檻なんて、私には耐えられない。耐えられたのは、あなたとまた逢える天国を信じたから。


 とりあえず……


 頑張ったよね?


 とりあえず……


 今はただあなたに……


 逢いたい。 

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