それはたぶんあんたの口癖

めんどくさいキラキラ後輩

 まだ朝というには早いような、そうでもないような。そんな中途半端な時間に毎日会社へ出勤する。こんな時間に出勤する必要はない。でもやる。それでもやっぱりあくびは出るので、隠さずにそのまま鍵を開けた。


「おはようございま~す」


「お、はよう……」


 ドアノブを持った手が冷たいのは、寒いからだけじゃない。ヒュッ、と喉が閉まる音がした。完全に気を抜いて、大口開けて入った先の部屋に人がいた。電気も点けずにデスクにも座らずに、ただただ部屋の隅にある観葉植物にコップで水をやっている。窓から入る淡い朝の光だけが、彼と観葉植物を照らしている。正直すごく不気味で変な光景だ。


「どうしました山本やまもとさん?朝の光を浴びて輝く俺にみとれちゃいました?」


「あんたが葉っぱにあげてる水が朝の光が反射して眩しいだけ」


「またまた」


 油断した。そういえばこいつがいるんだった。広報部2年目新川しんかわ。2年目にしてこの部署のエースで、他部署からわざわざ新川に会う為だけに女性社員が書類を渡す列を作ることでお馴染みいけ好かないイケメン。コップの水滴をハンカチで拭いて、ニコニコ笑いながらこちらへ近づいて来る。身長高ぇ~見下ろすな私を。


「それで、俺と付き合ってくれる気になりました?」


「ならんわ」


「粘りますねえ」


「あんたがね」


 はあ、とため息も出る。コートを脱ぎ、鞄をデスクに下ろしてイスに座ると、当然のように隣に座ってきた。そこは同期の石川いしかわの席だ。お前の席じゃない。迷惑です、と一応睨んでみるも効果なし。ニコニコ顔は崩せなかった。なんかこいつ、昨日見たなんとかってテレビの芸人に似てるな。


 電気を点けに一度立ち上がり、また戻っても、ニコニコ面は未だそこに健在。どうしてだか、先々週くらいから私はこの男に付きまとわれている。本当に何故だかはわからない。わからないけど、しつこいくらいに側をちょろちょろされている。


「今朝もまた観葉植物の世話?」


「という建前で山本さんに会いに」


「はいはい」


「いや嘘じゃないですからね?」


 パソコンの画面を一直線に見つめていても、真横からの圧に耐えられない。本当なら無視して仕事を進めれば良いだけだ。そのためにこんな早くから会社に来ているのだから。でも、新川という男は不思議で、変で、変わり者で、でも人気者で、無下にできないなにかを持っている。例えば寂しそうに眉を下げた柴犬のような。キーボードを打つ手は止めずに、たしなめるように言葉を放つ。


「そういうの良いから」


「どういうの?」


「先輩には敬語」


「すみません先輩」


 すみませんと思っているやつの顔じゃない。ニコニコしやがって腹立つ。あんた営業の方が絶対に向いてるよ。


 キラキライケメン新川とは、実は全く接点がないわけではない。2年前にこの男が入社してきた時の教育係が私だった。でも業務を教えていたのなんてたったの2ヶ月くらいで、優秀な新川はさっさと仕事を覚え部長に気に入られてデスク替えと相成った。ボンキュッボンの仕事ができる女こと部長は、見込みのある社員を自分のデスクのすぐ横に起きたがる。新川はお眼鏡にかなったというわけだ。


 ちなみに私のデスクはもちろん入り口のすぐ前。部長と話すのなんて、ドアから入ってきた他部署の男性社員から受け取った書類を渡す時くらいのものだ。別に部長が男尊女卑なわけではない。ただ単に私が仕事ができないだけ。だからこうして早く来ないと仕事が終わらないわけで。


 私だっていつまでもこのポジションに甘んじていたいわけではない。でも焦れば焦る程ミスばかり。基本的に残業禁止の見かけはホワイトな我が社だから、朝の誰もいない時間が貴重なのだ。どこで気に入られたのだか知らないが、新川になんて一番邪魔されたくない。


「とりあえず付き合っちゃいません?」


「嫌です」


「とりあえずですよ。とりあえず」


「とりあえずで付き合える余裕ないので」


「えっ真剣交際してくれるんですか?」


「ウザいポジティブ野郎黙りなさい」


「酷っコンプラ違反では」


「あんたのこれこそ業務妨害でセクハラでしょうよ」


 性格の割に明るくない、真面目な髪の色が目の端にちらつく。こんなことをしている間にも時計は進み、もうそろそろ早い人は出勤してくる時間になる。朝から必死に仕事をしていると思われたくないので、いつもこの辺で一旦切り上げて朝ごはんを食べに食堂へ行っている。朝弱くて寝坊しちゃうんで~で通しているので、この行動は地味に欠かせない。


 鞄からおにぎり1つと水筒を取り出して席を立つと、同時に新川も席を立った。さっきまでのニコニコ顔は消えて、真剣な目でこちらを見ている。やっぱり、昨日の芸人に似ている。センターマイクへ向かう前の、暗い舞台袖から明るいその場所を見つめている目。嫌だな。この目、苦手だ。


「とりあえずじゃないんです本当は」


「……なにが」


「山本さんのこと、とりあえずじゃなくて本当に好きなんです」


 好きなんです、だけどこか違うところで鳴っているのかと思った。静かな部屋なのに、なにかがうるさく体の中で音をたてている。カーディガンを握ったら、ドクドクと脈打つ振動が伝わるようだった。


「全然わかんない」


「真剣に言って良いですか」


「……どうぞ」


 あんまり真剣にこちらを見るものだから、こちらも緊張でおにぎりを握り潰してしまいそうだった。好きとか、そういえば面と向かって初めて言われたかも。付き合ってくださいとか恋人にしてくださいとかそんなのばっかりだったから。


 形が変わったおにぎりが温かくなってきた。変なところに意識がいくくらいには私もぎこちなくなっていて、目の前の新川は珍しくあーとかうーとか唸りながら頭をかいている。それでもセットは乱れない。ワックス何使ってるんだろ。つむじがパッと上に上がる。また、あの目だった。


「何が好きとか、どこが好きとか、正直言葉にできないんです。山本さんのこと、教育係として教えてもらってた時から気になって、なんていうか、もう全部好きで!」


「……うん」


「とりあえず、全部好きなんで付き合ってほしいんです!」


 お願いします、とまた勢いよく現れたつむじに、なんと言って良いやら迷って言葉が出ない。いつもうっとうしいくらい聞いている言葉なのに、どうしてこんなに心乱されるのだろうか。わからないけど、言葉を反芻するうち、はっと気付いて思わず笑ってしまった。


「……なんで笑ってるんですか」


「とりあえず、じゃん結局」


「……あ!」


 やべ、という顔が面白くて笑いが止まらない。こんなに笑うこと、家でならともかく会社でなんて初めてかも。エースのくせに、イケメンのくせに、自分でとりあえずじゃないって言ったくせに。教育係してた時も、こういうことたまにあったな、なんて、今更思い出した。


「違うんですそういうとりあえずじゃなくて!」


「はいはい」


「聞いてくださいよ……。もーなんでこうなるかな」


 肩を落とす姿はやはり柴犬。列を成す女性社員の気持ちはわからないけど、後輩をかわいいと思う気持ちはなんとなくわかったかもしれない。背を向けて歩き出そうとして、一度軽く振り返ったら目が合った。


「とりあえず、今日飲み行く?」


 えっ、の後の言葉がイエスかノーかを聞く前に、照れ臭くなって早足で食堂へ足を向けた。後ろから柔らかいクッションの敷かれた床を蹴る音が聞こえているので、今日はゆっくり帰り仕度をすることになりそうだ。





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