飛ばない雛の恩返し

栗尾りお

開演30分前



 「はぁ……」



 これで何十回目だろうか。衣装を直す隣で深いため息が聞こえる。

 手には読み込まれてボロボロになった台本が。ため息をついたり、台本を確認したり。横目に映る親友は忙しい。



 「ヒロイン抜擢……最終演目……大トリ」



 「翼、諦めなって。くじ運だし。でも良かったじゃん。王子様役は翔君でしょ?」



 「それは……」



 横目に映る親友の顔が赤らむ。どうやら緊張より恥ずかしさが勝ったみたいだ。



 「片思い中の翔君と一緒に劇に出て? 練習を口実に2人っきりで教室に残って? いろいろ連絡取るようになって?」



 「けど、雛ちゃんが作ってくれた衣装、破られたじゃん!」



 「まあ予測はしてたしねー。すぐ直せるし。予備の衣装も作ってあるし」



 「予備⁈」



 「私、手芸部だし? それに翼のためだから」



 「……でもいいの?」



 「何が?」



 「雛ちゃんも翔君が好きなんでしょ?」



 作業がほぼ終わっていてよかった。もっと前に、聞かれていたら開演までに間に合わなかったかもしれないから。



 「……いや? イケメンは遠くから眺めるくらいがちょうどいいの! それに私みたいなゴリラじゃ釣り合わないじゃん! 『どこのサーカス団?(笑)』みたいな感じになるって」



 「雛ちゃん?」



 「ほい、修理完了! あ、そうだ! 他の衣装の確認もあるんだった! 私もう行くから!」


 多少強引に翼に衣装を押し付け教室を出る。後ろ手で閉めた扉はいつもよりうるさかった。



 逃げるようにトイレに入る。幸い誰もいなかった。

 鏡に写った私。体は大きく、目も鋭い。小柄で華奢クラスメイトたちとは違う。





 『裁縫やるんだ。その見た目で?』


 私の大切な趣味。入学早々、無理して仲良くなった人たちに打ち明けた反応がこれだった。


 今後の学校生活のためだ。我慢しないと。感情的になったら3年間後悔することになる。

 込み上げる感情を堪え、引きつった笑顔を浮かべる。互いに信用していない上っ面だけのコミュニケーション。目の前で繰り広げられるそんな世界が急に馬鹿らしく思えた。


 『でもさ、特技あるって凄いじゃん!』


 早くも澱みだした世界に、突如知らない声が割り込む。全員が一斉に声のする方を見ると、小柄な少女が立っていた。


 きっと天然なんだろう。すでに完成しつつあるグループの会話に、脈絡なく首を突っ込むなんてことは普通しない。

 それでも他人の目を気にすることなく、ニシシと笑う彼女が、誰よりも輝いて見えた。


 これが翼との出会いだった。





 自分の信じた行動をする。たとえ周囲からヤバいやつ認定されても。あの日、翼がいなかったら大切な趣味を手放していたはずだ。


 薄汚い世界から連れ出してくれた。似合わない趣味を肯定してくれた。私は私でいいんだと教えてくれた。こんな私の隣にいてくれた。



 だから今度は恩返しする番だ。



 親友と好きな人を取り合う漫画を読んだことがある。

 登場する2人のヒロインは最初は困惑していた。でも次第に本音をぶつけ合いつつ、互いに努力をして、本気で愛しい人を取り合う。その姿はどこか清々しかった。



 私の気持ちは翼にバレている。でも言葉にはしない。

 本音をぶつけ合わず、努力もせず、好きな人を取り合えず。


 現実はフィクションとは違う。だって、この物語のヒロインに私は選ばれていないのだから。



 スピーカーから劇の準備を促すアナウンスが聞こえた。私はしばらく動けなかった。

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飛ばない雛の恩返し 栗尾りお @kuriorio

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