この手を離さないで

しょう

この手を離さない


 草千里一里の憑依

 ふわふわとしていた。まるで自分の体が自分の物でないように、薄皮一枚挟んだようにどこか遠いものに思えた。己の意思とは関係なく足は動き体を何処かへと運んでいく。

 いやまあ実際私の体は何者かに絶賛乗っ取られ中なのであるが。

 事の起こりは、ほんの少し前。

 目前に迫った締め切りから全力で眼をそらす為に、近所の広場で開催されていたフリーマーケットに足を伸ばした。

 古物商でも混じっていなければ、売っているのは基本不用品かハンドメイド品ばかりである。逆に言えば思いもよらぬ逸品とでも言うべきものが見つかるかもしれない。私も手作りのペンダントや古書店では法外な値段のついてしまう絶版本等が稀に見つかることもあるので、気がついたら覗くようにしていた。

 流石にその為だけに遠征するなんていうのは控えているのであるが。

 その日行ったのは骨董やアンティークが多くフリーマーケット=ガラクタ市と言うよりまさしく蚤の市と呼ぶべきものであった。

 いつものとは少し違った期待に胸を膨らませていたのであるが、石で出来た仮面や金継した壺やら黒と白のセットになった包丁やらどうにも面白味の欠けるものばかりだった。

 そんな時見つけたのがブローチである。蒼い大きな石の填まったシンプルながら丁寧な細工の施されていた。

 今思えば、決して小さくはない箱に無造作に放り込まれていたにも関わらず見つけられた事に疑問を覚えなくもない。特に今私がおかれている状況を鑑みれば、ちょっと不思議が過ぎた。

 何か光ったような気がしてそちらを見た瞬間に上に掛かっていた布が風に吹かれてブローチが露になるなど出来すぎである。

 その時の私は好みのデザインだと舞い上がっていて不審など抱いてもいなかったのであるが。

 兎に角、ブローチを買い身に付けてこの有り様である。

 ぼんやりと心にあるのは焦燥。悲痛。そして、ほんの少しの怒り。

 彷徨うように足は意識に従わず、けれどよく知る道を行く。

 なんとか抗おうとはしてみているのだけれど、一向に手応えがない。

 困ったものである。

 叫び出さずにいられるのは、そもそも出来ないのもあるけれど、なんとなく悪いようにはならない気がするから。

 根拠? ない。だから、なんとなくと言っているのである。

 足が止まった。

 視界は固定されている。視線の先には黒崎がいた。

 見覚えがある筈である。ここは黒崎と一緒によく歩く道だ。いても何らおかしくない。

 困惑の表情を浮かべる黒崎のもとへと体は駆け出していく。

 歓喜としか言えない感情が心の薄皮一枚隣で満ちていく。染みのような恐怖を残したまま私自身が感情に溺れる。

 若干引き気味の黒崎の手を取った。強く握る。離したくないと思うのは私なのか誰かなのか? だから、発した声は重なっている。

「「手を離さないで……」」

 すぐには答えは返ってこなかった。染みが大きくなる。離されるくらいなら彼を……。暗い願いが膨らんできて。

「ーーーーーーーーーーーー」

 その言葉に霧散した。

 私には聞こえなかったけれど、私の体を乗っ取っていた誰かには届いたらしい。なにかが抜けていく感覚があり、体に自由が戻る。顔を上げれば黒崎が意を決したような、真面目腐った顔をしていた。

 写真に納めたいと心から思ったのだが、流石に言い出しづらく叶わなかった。

 返答は私には届かなかったが強く握られた手のその温かさが私達の問いに対する答えのような気がした。

 ただ、その直後無言で頭に拳骨を落とされたのは流石に理不尽だと思うのである。



 黒崎棺による考察

 女がいた。白いワンピースに麦わら帽子、胸元に輝きを放つのは蒼いペンダント。どこのお嬢様かと思う装いの女が、草千里の奴に重なるように見えていた。

 女は俺を見つけると嬉しそうに駆けてくる。小さな手が俺の手を握った。力が篭る。微かに震えが伝わってくる。

「「離さないで……」」

 草千里の声に混じるように懇願が聞こえた。

 そのまま何処かへ行ってしまうように感じ握られた手を握り返していた。

 そして、答えを返すと女は微笑んで、そして消えた。ああ言うのを成仏したっていうのかね。初めて見たよ。

 なんて答えたか? 言えるかそんなもん。あれが本当に正解だったのか自信もねぇし、なにより随分とこっぱずかしい事を言わされたから、草千里に無言で拳骨落としたのも許される筈だ。

 後から調べた所によれば、草千里が不用意に身に付けたブローチは恋人と心中を図って生き残ってしまった女性のものだったらしい。なんでそんなものが蚤の市に出回っていたんだと思うが、後輩の編集者曰く良くありますよとの事。恐ろしい界隈だ。

 兎も角、あのブローチには何かがいた。

 長く使われた道具は付喪神になるのだと言う。必要とする年月は百年らしいが、強い思いを受け続けたなら年月など関係なく何かに変わることもあるのではないか。例えば強い後悔の念によって。

 あくまで想像でしかないが、女は恋人の手を離してしまったと信じていたのだろう。

 実際のところはわからない。恋人が残した遺書は、自分は許されないことをした。しかし彼女は必ず生かして返すからどうか許して上げて欲しいというような内容の謝罪であったらしい。恋人の方が意図して手放したのかもしれない。もしかしたら、それすら受け入れた上での後悔だったのかもしれない。

 今となっては想像する他にはなにもないことではあるが、ただ握られたあの手に憎しみなど欠片も感じなかったのは確かなことだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

この手を離さないで しょう @syou2022

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ