第2話 昔話

「――と、いうわけさ」




「ふーん。なんだか気持ち悪いね」


「まあ、夢だからねえ。夢なんて大概そんなもんさ」


「へんな夢。でも、なんでそんな夢なんか覚えてるの? 夢なんて普通は朝起きたら忘れちゃうじゃん。しかもだいぶ昔の夢っぽいし」


「そうさねえ。なんでだろうかねえ」


 娘にそっくりな少年が不思議そうに、私の顔を覗き込む。口を尖らせて、早く終わらないかなと。

 そして、早く、かな、と。


 おやおや。

 まあ仕方ないねえ。

 これぐらいの年の子はいつだって現金なものだ。

 お祖父ちゃんも、自分のお祖父ちゃんに、しつこくおねだりしたもんさ。だから、あとであげるからもうちょっとだけ、お話につきあってくれると嬉しいねえ。

 久しぶりに孫が顔を見せたんだから。



「ねえねえ、お祖父ちゃん、ぼくも初めてワクチン打ってきたよ」


「おお、そうかい。えらいねえ」


「全然、大したことなかったよ。体育の先生からは翌日は熱が出るから、無理せずオンライン授業を受けるようにって言われたけど、熱も出なかったし、まーくんとサッカーしたかったし、学校に行っちゃったよ」


「おやおや、元気だねえ。でもね、あまり無理しちゃだめだよ。翌日は元気でも、その翌日に熱が出ることだってあるからね」


「ふーん、そうなんだ」


 おやおや、せっかくの忠告も退屈そうに明後日の方向を向いてるね。

 まあ、仕方ないか。

 大した額じゃないけど、先に渡しておくかね。


「どれどれ、テーブルの上の財布を取っておくれ。お祖父ちゃん、起き上がるのがしんどくてねえ」


 こちらのお願いに、「うん、わかった」と孫は目を輝かせて、きびきびした動きを見せた。


 茶色く傷んだ長財布から五千円札を抜き取り、

「お母さんには内緒だよ」


「もちろんだよ」


 おやおや。心の声が漏れているよ。


 一万円じゃないんだって。


 ぼくには伝えてなかったけど、お祖父ちゃんこう見えて、小さな声ぐらいなら聞こえるからねえ。


 伊達に何回も打ってないからねえ。


 まあ、仕方ないさね。

 これぐらいの子供なんて、みんな現金なものさ。

 金は天下の回りモノっていうけど、お金がなければ友達とも付き合えないからね。

 いやはや、冷たい世の中になったもんだよ。

 昔が懐かしいねえ。


「お祖父ちゃん、そういえば、このワクチンって何回やればいいのかな。正直、三か月ごととかメンドクサイよ」


「そうさねえ……。ぼくが変わるまでかねえ」


「お祖父ちゃんは何回やったの」




「120回かなあ」




「!? ほんとに? 多くない?」


「そんなことないよ。お隣の出誕でるたさんや雁馬がんまさんは200回はやってるはずだよ」


「ん? ごめん。でるた? がんま? それって人の名前なの?」


「ああ、そうか。今はあまりこういった名前はいないかね。お祖父ちゃんが子供の頃は、こういったキラキラした名前が流行ったのさ」


「ふーん、そうなんだ。まあ、変なのかかっこいいのかよくわからないや。でも、その人、すごい打ってるんだね。そんなに打たないと変わらないものなの?」



「ああ、そうだよ。ぼくのお母さんは300回で変化したから、お祖父ちゃんなんか可愛いものなんだよ」



「どひゃ~! そ、そんなのかかるの!?」

 


 変化って。



 ああ。そうさ。

 ぼくが思ってるより、人間が変化するっていうのは大変なんだよ。

 学校で先生から教わらなかったかい。

 原人から新人まで、人類が進化するまでに長く見積もって300万年ぐらいはかかったのさ。

 それに比べたら、今は便利な世の中になっただろう。



 出誕でるたさんも雁馬がんまさんも200回打って、やっと胸から口が現れたし、ぼくのお母さん、つまりお祖父ちゃんの娘は250回で両方の肩甲骨から腕が生えてきて、300回目でそれが羽に変わったからね。



 み~んな、こうやって新しい種族に生まれ変わっていくんだよ。


 全部、あのワクチンのおかげ。


 人類の夢が詰まってるのさ。


 ほら、聞こえるだろう。


 ぼくのお母さんが大空を飛び回る鳴き声が。

 彼女は羽が生えたけど、その代償として喉がやられてね。娘は常に血反吐を吐きながら喚いているんだよ。


 そうとも。


 命がけさ。



 生きるってことは、命をかけるってことなんだよ。



 ごめんごめん。

 なんだか、お説教ぽくなってしまったね。


 え?


 お祖父ちゃんかい?


 お祖父ちゃんは、見た目はそんなに変わらないから、ぼくもよくわからないかもしれないけど、実は既に耳は退化して全く聞こえないんだよ。


 その代わりといっちゃなんだけど、心臓の右房と左房に耳が生えてね。


 聴こえるようになったのさ。


 こころの声が。


 だから――ぼくが本当はお小遣いに一万円が欲しかったことは、ぜ~んぶお祖父ちゃんにばれているからねえ。



 ぼくが何に生まれ変わるのか、それだけが老後の楽しみだねえ。



 了



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多様性の翼 ―羽ばたき― 小林勤務 @kobayashikinmu

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