『優しく雨ぞ降りしきる』(KAC20245:お題【はなさないで】)
石束
花が瀬村異世界だより2024 その5 (KAC20245)
――いつ死んでも仕方ないと、毎日思いながら、ここまで生きて、きた。
◇◆◇
あの日、村人が体感した異変を、言葉にして説明することは難しい。
体感としては、長く続く地震だった。
だが、どこか異質というか、「何か」とてつもない異変が起きているような漠然とした不安を感じていた。
そのことを誰もが自覚してはいたのだ。しかし現状は倒壊する家や、地割れで寸断された道、堤防の決壊や崖の崩落といった目に見える事象への対応に追われ、あるいは混乱し、自分たちに起きた事の『正体』に気づくのが遅れた。
村民会館に集まった大人たちが、役場どころか、どことも連絡がとれなくなっていることに気づいたのは、夜が明けてから。
その日の昼までに、トンネルの向こうが見たこともない世界に変容し、村の周囲ですら地形が変貌しているとわかった。
誰もが途方に暮れた。事件の発生から二日目、村全体がある意味、自失の状態に陥ったのも無理もないことだった。
自らが所有する大型のSUVで慌ただしく村境を見て回り、村民会館が機能不全を起こしているのを確認した後、千波内蔵助は自宅に戻った。
この時点で、彼はある覚悟を決めていた。
村の首脳部が当てにならないのなら、自らが判断し行動するしかない。
彼にとって何よりも優先するべきはたった一人の『身内』である妹だ。備蓄も含めたガソリンが続く限り移動して、妹を現代医療が存在する場所へ連れて行かねばならない。
水も食料も医療用品も、他者に譲らず残らず車に積み込む。たとえそれが、周囲の目にどれほど恥知らず行為に映ろうが知ったことではない。そのそも、この家自体が病と戦う妹に少しでも良い環境をと、文字通り命がけで積み上げた財産のすべてを賭して、準備したのだ。
支度を整え、二階の病室へ上がると妹である千波まひろはサイドテーブルで書き物をしているところだった。
何を悠長な、と気が急くままに、内蔵助は自分が見てきた村の有様を伝え、「すぐに家を出る」と告げた。しかし、まひろは
「それはだめだよ」
と首を振った。
「トンネルの向こうがどうなってるかもわからない状態で村を離れても、遭難するだけだよ」
そういって、まひろは手元の紙片を内蔵助に見せた。
「うちにある薬や医療用品、水や食料の大雑把なリストをつくったの。これを見せて、足りないものがあったら供出すると、申し出るべきだと思う」
内蔵助は目を剥いた。
「馬鹿なこと言うな! 水や食い物ならともかく、薬はお前自身が絶対に必要だろうが! 俺は、赤の他人を助けるためにこの家を建てたんじゃないぞ! 」
「うん。わかってる……ありがとう」
「分かっているのなら、何故、被災者同士で薬まで譲るなんで話になるんだ! こんな非常時に体の弱いお前が、人の事まで気にする余裕などない! 他人が何と思おうが知ったことが! 誰がなんと言おうが、いや! 誰であろうとこの俺が文句はいわせん!」
「だから、だよ『千波まひろの兄はプロレスラーの千波内蔵助』だから。だからこそ、わたしたちは自分たちを優先してはいけないんだよ」
唐突に自分でも忘れかけていた自身の肩書が出てきて、内蔵助は言葉に詰まった。
「これが普通の自然災害なら、家族優先でもいいんだよ。待っていれば助けは来る。情報も手に入る。ここが日本なら、たぶん世界のどこよりもその手は届く。それまでは、避難所との付き合いも含めて、一人ひとりが自分の裁量で家族を守るべき。
個人の備蓄は自分の家族のためで、家族ができるだけ不自由なく、救援物資が届いてライフラインが復旧するまで耐えるだけの量を、各個人の責任で備えるべきものなんだから、他所の家の都合なんて、そもそも計算に入ってない」
でも、今回は違うでしょ。と、まひろは顎を引いて少し考えるように目を閉じた。
「どんな現象なのかわからないけれど、わたしたちは地理的に日本と分断されて、電気と水道が止まり、電話もインターネットも繋がらなくなった。一晩経っても、ヘリコプターも飛んでこない。いくらなんでもおかしい。ありえない――これはもう、わたしたちが知ってる自然災害じゃない」
まひろは言い切って、推測に一応のけじめを付ける。
「たぶん、状況としては、援軍の見込みのない、籠城戦みたいになると、覚悟したほうがいいとおもう」
予測としてもあまりに絶望的な認識だが、内蔵助は妹の言葉を否定できなかった。
異常な村境の様子も、村の外と連絡をとれず途方に暮れる村役たちの姿も、この目で確認してきたのだから。
「今一番に必要なのは、村の中で意思統一をして、仮にでもいいからはっきりとした命令系統を作ることだと思うけれど、どの人がどの役割をすればいいのかまでは、わたしじゃわからない。だけど」
「この村の人は、みんな一般の人だから。格闘家の兄さんが強く出たら、誰も逆らえない。そんな兄さんが『家族を優先する』っていいだしたら、きっとこの村はいっぺんにばらばらになると思う」
実のところ、内蔵助はまひろのこういう部分――意外に肝が座っていて、ことに及んで冷静沈着なところを「買っていた」
自由にならない体を抱えながら、それでも愚痴一つ言わず、不自由だからこそ、最適解を求めつづける。その忍耐強さには、兄としての身内びいきを差し引いても、一目おいていた。
だが、それでも身内ゆえに譲れない部分はある。
「しかし、薬はだめだ。外部と連絡が取れないのなら、尚の事、診療所に渡すことは賛成できんぞ」
「ごめん。それはポーズなんだよ。わたしが飲んでいる薬はほとんど私用に調剤されているから、診療所では役に立たないと思う。使えるのは、包帯や絆創膏、消毒液や保冷枕の予備くらいだもの。さらっとリストを見て薬は断られるとおもう」
「だったら、どうして目録に入れる?」
「まず、診療所の牧先生にわたしの薬の残量を報告して、その管理について指示に従うという意思表示……あとは覚悟かな。わたしたちは全面的に村の代表者の指揮下に入るという姿勢を示す。わたしにとって医薬品は生殺与奪の権利と同義だから。だからこそ、それを差し出して委ねる。そこまでしないと足りないの。わたしたちは、この村にとってはよそ者だから」
兄さん、とまひろは苦笑いを浮かべた。
「わたし、清廉でも、潔白でもないよ。人並みに、ズルいし卑怯……この村のことを、わたしたちが生き残るために利用するつもりなんだよ。わたしたち二人だったら多分すぐに限界が来るけれど、他の人の助けがあれば、これがたとえ籠城戦だって、もう少し粘れると思うから」
千波まひろは、ベットの上で不自由な体躯を支えながら、なお、言い切った。そのうえで、まっすぐ内蔵助をみた。
「わたしはね。こんな体だから、ずっと、どこで死んでもしょうがないって思いながら生きてきた」
そして、かすかに笑った。
「今までわたしが生きてこれたのは、お兄さんの御蔭だから。だから、兄さんが『一緒に死のう』って言ったら、一緒に死ぬよ?」
妹の言葉に内蔵助は表情を歪めた。耐えきれずに呻いた。
「まひろ、俺は……」
しかし、妹は兄の苦悶を遮る様に、首を振った。
「でも、もう少し二人で生きるなら、この村との協力は、どうしても必要だよ。人は『つながり』の中でしか生きていけない。私達二人が、生きていくためには、この村が必要なの」
「だから、これからはわたしのことを一番後回しにして。わたしもできる限り堪えてみる。だぶん、そこまで徹底しないと、村の一員として認めてもらえないと思う。だったら、やろうよ。できる限りの全部を」
――だってさ。
「ここまで、二人でさ。死ぬ気で、死ぬより大変なことを乗り越えてきたんじゃない。やっとここまで、たどり着いた。なのに、わたし、こんなワケのわからない状況で死ぬのなんて嫌だよ。こんなんじゃ何のために今まで、我慢して我慢して必死に生きてきたのかわからない。全部無駄になる――そんなの嫌だ! こんなことで死んでやるもんか!」
◇◆◇
彼女が、そんな話をしたのは、珍しく雨が降った日のこと。
あの、家庭訪問だか、住宅内覧会だかのような出会いから、少し経った頃だった。
少しぎこちない出会いをした二人であったが、初対面から波長があったのか、天気の悪い日はこうしてダラダラと一緒に過ごす仲になっていた。
とはいえ、それにしても。
今更何年も前の、この世界に来たばかりの頃の苦労話を聞かせて、
「他の人に言ってもいいよ」
とか一方的に言われても、始末に困る。
特に、今、八重樫キサラは、他人の家でしかも病人の私室であるにもかかわらず、まるで自分の部屋であるかのように大きな態度で、むちゃくちゃ高価そうなロッキングチェアにくつろいで、まったり古いSFを読んでいたのである。
作品世界に浸りきり、ちょうど、一番気に入りの雨のシーンに入ったところで、友人が昔語りをはじめたものだから、興が削がれること、この上なかった。
彼女はロッキングチェアの上から面倒くさげに、まひろをながめやり、
「なんか、雑な白状」
と、ひどい感想を述べた。
雑とはなんだ、どうして、告白とか独白でなく、よりにもよって白状なのかと、千波まひろは思った。
相応に覚悟なり思いつめた心境での告白だった。八重樫キサラを親友と思えばこその、打ち明け話だったのに。
「雑でしょうが。『言ってもいいよ』って、『しゃべってもいいよ』てのと一緒だよ。誰彼構わず言っても良ければ、ハンバーガーをコーラで流し込みながら、後先考えずにポロっともらすような打ち明け方。そんなんで済む告白(笑)だったわけ? その雑さ加減。まひろらしくない。適当過ぎる」
ならば、何といえばよかったのか。
「そういう時は『話す』っていうんじゃない? 相手を想定してないから『言っていいよ』なんて言葉を選ぶ」
耳から入ってきた言葉を、千波まひろは頭の中で繰り返した。なるほど、ニュアンスが違うような気がした。何かしらの秘め事を覚悟とともに明かすなら、相手を選ばない、というよりも想定しない『言う』ではなく、誰かしら既知の人物をキサラの前に想定しうる『話す』が相応しいような気がする。
よいしょ、と声をかけて、キサラがロッキングチェアからベットへ、まひろの隣に腰かけなおした。
「アンタの、秘密なんだか告白だかなんだかを、さ。わたしが受け取ったとして、それを誰かに伝えるという事があるとしたら、わたしは『言う』じゃなくて『話す』よ。相手が理解するようにきちんと伝えるよ? それでもいい?」
構わない。それでよい。キサラが話を無駄に盛ったり捻じ曲げるとは毛頭おもわないが、きちんと伝えるのなら、正確に伝わるのならそれに越したことはない。それに、やはりニュアンスの違いは分かるが『言う』か『話す』かの違いは些細なことだと思うから。
「アンタ、わたしが話の論点をずらして誤魔化しているとおもってるでしょ? ――ちがうよ。誤魔化してるのはアンタの方」
キサラは体を入れ替えて、まひろを後ろから抱きしめた。彼女の髪から最近凝っているという、現地産香料を配合したシャンプーの香りがした。記憶にあるどの香りとも違っているが――強いて言えば、オレンジに似ている。
「じゃあさ、想像してご覧よ。今の話を、ずっと先の未来で、わたしが、成長して一人前になった健太に『話している』様子を、さ」
……え。
「今、アンタが言ったことを全部ぶちまける。全部計算ずくで裏で計略を巡らせて人の思考を誘導して、自分本位の身勝手で欠片の誠実も思いやりもなく、本当は自分と自分の兄貴が生きるために利用するのが目的で、その方便として村を存続させるべく、あの子のお母さんが苦しむのも承知の上で――」
「まって!」
まひろは、キサラの腕に手を添えた。
「お願い、いわないで」
「違うでしょ? 」
くっくっくと、のどを鳴らすような笑い声を立てながら、キサラはまひろの背後から回した腕に力を篭めた。
「ちゃんと、言いなよ。――お願いします。『はなさないで』って」
言葉の最後は少し籠って聞こえた。キサラはまひろの髪に顔を押し付けているようだった。
まひろは観念して、言った。
「お願いします。彼には、はなさないで、ください」
――ほう。とキサラがため息をついた。
熱い、微熱があるはずのまひろよりも、ずっと熱い彼女の吐息が首筋を撫でた。
「白状、したね?」
「……してない」
きっと、キサラにはわかっている。無駄な抵抗だとわかっている。
すでに語るにオチている。
だって想像してしまったのだ。
成長した、未来のその姿を。
まひろは弱弱しく、身をよじった。
「キサラ、はなして」
「はなさいよ。まひろが言ったんだよ。『はなさないで』って」
キサラは幽かに笑いながら、腕をほどかない。
まひろは、あきらめて肩から力を抜いた。
そのまま、背後のキサラに体を預けた。
「もう……なら、そのままでいいから。もうひとつ、頼みごとを聞いて」
「聞くよ」
キサラ、と、千波まひろは顔を上げて、しらじらと光る室内灯を見上げた。
「わたしの共犯者になって」
――いいよ。
まひろの肩に顔を押し付けながら発せられたその声は、音色としては聞き取りにくかったけれど、確かな響きとなって、彼女の心臓へ届いた。
『優しく雨ぞ降りしきる』(KAC20245:お題【はなさないで】) 石束 @ishizuka-yugo
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