第11話 ヘタレ男子、喰われそうになる。

 合歓と眞砂。

 どちらが紹介されたケモノっ娘――畜生の変化か、まだ確信が持てないでいた。

 ああ、もう。なんでこんなことで悩まなきゃいけないんだ。

 そもそもあの幼女神のせいだ。「内緒じゃ、楽しみにしておれ」って、全然楽しみになってない。おかげで変にミステリーじみてしまったじゃないか。

 そんなこと聞けば早いんだけど、なんか今さら聞きにくい。

 う~ん、冷静に考えればやっぱり眞砂なわけないよなあ。

 ケモノっ娘は合歓のほうだと思うんだけど。

 色々考えて、結局のところやっぱり直接聞いてみることにした。

 聞くといっても合歓のほうに。

 電話をかける。

「理人さんっ、あ、あの、電話してくれてうれしい。この前はほんとにごめんなさい。あたし、ついカッとなって。なんか、へ、変なこともしちゃったみたいで」

「こっちこそ、ごめん。デート中にほかの女子からのメールを見るなんて、失礼だった」

「そう……」

 あ、声のトーンが暗くなった。

 失態に気づく。

「理人さんは、あの女のひとが気になるの? まさか、もうつき合ってるの?」

「い、いや、そうじゃない。メールの相手はあいつじゃないし、スマホの画面もなぜか勝手に変わってたんだ。本当だ、信じてっ」

「信じていいの? 二股なんていやよ」

「それはない、断じてない。だっておれはキミに初めて会ったとき、一目惚れしたんだから」

 勢いで告白してしまった。

 息を飲む音が、かすかに伝わる。

「あ、ありが……と。でも……、その割には全然、誘いにノってくれないじゃない」

「わるい。どうもおれは遠回りが好きみたいなんだ。時間をかけて、ゆっくりと進んでいきたいんだ」

「う、うん」

 不承不承、といった声音だ。

 分かってくれた、のかな。

「なあ、それはそれとして、今日はちょっと聞きたいことがあって電話したんだよ」

「ええ、なんでも聞いて」

「あ、あの、馬鹿なこと聞くようだけど、合歓って『ねこみみ』とか生えてたり、する?」

「……」

 沈黙が降りる。

 ああ、まずい。おれ、馬鹿なこと聞いた。いや分かってたけど。

 でも聞かずにはおれなかったのだ。

 そうしなければ、心のもやもやが晴れない気がしたんだ。

「え? え? え、えっと、ええ、まあ、そうね、生えてるけど」

 時間をおいてやっと返ってきた返事。

 なんか微妙な反応だなあ。……って、あれっ!?

 今、彼女なんて言った?

「『ねこみみ』、生えてるのっ!?」

「生えてるわ。しっぽも。だ、だって、あなたがそういう女の子と会いたいって、願ったんでしょ?」

「願った……」たしかに願った。

「あたしが通ってる蘭生女子のすぐそばの公園で、あなたが神さまにお願いごとをしたから。だからあたしに話がまわって来たの」

 はぁとも、ほぉともつかない、息がもれた。

 そうか、そうだったのか。

 スマホを耳に当てた状態で、ずり落ちるようにして椅子の背にもたれる。

 やっと、やっとすっきりした。勇気を出して直接聞いてみて良かった。

「じゃあどうして今まで『ねこみみ』、見せてくれなかったの」

「だって、会うときはたいがいほかの人の目があるし……。あたしたちって結構、周りを警戒しているのよ。それに」

「それに?」

「正体を見せたら、理人さん、びっくりして逃げちゃうかも……。それが恐いの」

 そうなのか。そんなこと気にしてたんだ。

「それはない。絶対、ない」

「あたしたち、いわゆるお化けみたいなもんなのよ? 普通の人が見たら逃げ出すわ」

「おれは逃げないよ。きみも言ってたじゃないか。おれはそういうのが好きで神さまに願ったんだから。みみもしっぽも全部込みでケモノ系の女子が好きなんだ。願ったときは気晴らしのつもりだったけど、願い自体は本心だ」

「…………よかったぁ」

 流れ落ちるような、安堵の声。

 それは裏返せば、正体を見せるのが恐いというのが嘘ではないということだ。

 あまりこの件は突っつかないほうが、いいかもしれない。

 話題を変えよう。

「そうそう、この前のメール、実はその神さまからなんだ。心配してた。ひょっとしておれとのこと、相談とかした?」

「うん、思いっ切りした。だって、理人さん、つれないんだもん」

 つれない、ということはなかったと思う。彼女が言っているのはラブホに入らなかったことだろう。

「いや、だって会ったその日にってのはさ。そんな焦らなくてもいいじゃないか。そう言や、なんかすれ違いがあったみたいで、縁結びの神さま、あのタイミングで心配してきたよ。おまけにキミのこと、人間の女の子だと勘違いされて怒られちゃった」

「あら、なんでかしら」

「今さっきその子とは話したばっかりだ、嘘つくなーとか言ってた」

 ああ、それは、と合歓はつぶやいた。

「それは神さまだから、しょうがないわ。きっとあたしたちとは時間の感覚や常識がちがうのよ。神さまの『さっき』や『今』は、あたしたちと比べてかけ離れてるんだわ」

 ほほう、なるほど。神さま感覚。

 命に限りがある存在とは、そもそも時間の感じ方がまるで違う、ということなんだろうか。

 たしか生じてから五才くらいだって言ってたけど、もとは妖怪だって話だ。

 実際はウン百歳なのかも。

「ねえ、やっぱり、あたし、あなたと早く先に進みたい。特別な関係でないと、不安でたまらないの」

「本音を言うと、おれもリビドーが抑えられない。でも、それだけじゃ」

「だったら!!」

 合歓は突然、大声を出した。スマホを通して声が割れる。

「だったら、欲望どおりにしちゃえばいいじゃない! 何も躊躇することないわ! それであたしを先に安心させてよ!」

 大声でまくしてるが、切羽詰まっているようにも聞こえた。「そしたらそのときに、正体を見せるから」

 正体。その単語に反応してか、無意識にごくっと喉が鳴った。

 ああ、だめだ……。おれはなんてだめな男子なんだ。ほんと欲望が抑えられん……。

 合歓は話し続ける。

「多分、理人さんがしたいことって、普通のおつき合いのことでしょ。それこそ焦らなくてもいいじゃない。そんなこと、あとでも十分できるんだから」

 それは、そうだ。確かに。

 男女のつき合いは、えっちして終わるわけじゃない。

「そうだな、そう、合歓の言うとおりだ。じゃあ、約束する。今度は断ったりしない。理性は捨てる。もう、リビドー全解放する」

「本当っ!?」

 ああついに言っちまった。もうあとには引けない。

「その代わり、あとでテーマパークに遊びに行こう」

「うん、行く。理人さんと一緒なら、どこだって行くわ」

「海水浴も」

「うん」

「山でバーベキュー」

「うん、うん」

「泊まりがけで温泉とか」

「うん、もう、そんな話したら今から楽しみ」

 こうして話していると、彼女の心がこちらを向いているのが伝わってくるようだ。

 欲しいのは心。

 でもやっぱり体も、欲しい。

 つまりこれはまさかの、心と体同時ゲット?

 それは自分にとって、分不相応に幸福なことだと思った。


 それから毎日、おれと合歓は電話やメールで何度も何度も話をした。

 まるで触り合って、お互いの気持ちを確かめ合うような、

 ペッティングにも似た会話だった。

 ……そんなエロいこと、したことないけど。例えるならそういう感じってこと。

 それは万一誰かに聞かれたら、穴掘って顔を埋めるよーな。

 そんくらい恥ずかしい内容だった。

 『約束の日』は、週が終わった日曜日。

 週末が近くなるにつれて、ボルテージは上がっていく。

 否が応でも、抑えられなくなっていく。

 どうやらそれは、彼女のほうも同じのようだった。


 一方で眞砂とはどうなったかと言うと。

 おれはあえて、あの女がからんでくるのを素っ気なく対応することにした。

 授業をサボって一緒にデートしたことなど忘れたかのように、普通に振る舞った。

 たまにメールや電話が来たが、返すことはなかった。

 そのうち学校の中でも外でも、あの女はおれに関わらなくなっていった。

 なんだかひどいことをしているような気がして、少しだけ鬱になる。

 けれど、これでいいんだと思う。

 だって、ケモノっ娘は合歓だとはっきり分かったんだから。

 人間の女子と親密になることは、最初に強く禁止されている。

 眞砂のことが気になり始めていたのは事実だけど、

 今ならまだ、引き返せる。


 そう自分に言い聞かせて、一週間が経とうとしていた。

 合歓との約束の日を明後日に控えた、週末の金曜日。

 その放課後のことだった。

 予期しないことが起こった。

 まだクラスメートたちが大勢残っているなかで、眞砂に声をかけられたのだ。

「ちょっと、顔かして」

 右を見る。左を見る。

 驚きと好奇の目、目、目。

 それもそうだろう。

 人気者の美人が、自分のような冴えない男子に話しかけているんだから。

 そう思って、しかしそれはさほどおかしいことではないことに気づく。

 眞砂は誰にでも分け隔てなく接する。

 おれに話しかけるだけで、こんなに注目を浴びるだろうか。

 不思議な気持ちを持てあまして、眞砂の顔を仰ぎ見る。

 その表情に、体が硬直した。思わず凝視してしまう。

 クラスのみんなが驚く理由が分かった。

 明るく、快活な、いつもの表情ではなかった。

 思い詰めたような、真面目な表情。

 それも憂いを含みつつ、頬をほんのり紅くして。

 そしてこっちを見つめる瞳は、しっとりと濡れている。

 明らかに……、

 明らかにそれは……今から告白でもしそうな……、いやでもまさか……。

 クラスの中が、ざわめき始めた。

 あちらこちらでささやきが重なり合い、それがどんどん大きくなる。

 ああ、まずい……。

 勘のいい奴は、今週の月曜に眞砂とおれが授業をサボったことと関連づけたかもしれない。

「ねえ、顔かしてってば」

 眞砂が、一歩前へ踏み出た。

 返事を促すかのように。

 うなずくしか、なかった。

 やられた、という思いが胸を占める。

 わざわざ周囲に見せたのは、こちらの逃げ場を無くすためか。

 同時にどこかほっとするような安堵感と、胸が高鳴るような高揚感があった。

 周りの喧噪を置き去りに、ふたりで校庭のベンチにまで赴く。

 眞砂はそこでは本題を切り出さなかった。

 ただ、もう一度別の場所で会いたい、とだけ伝えてきた。

 彼女の話す有様を見て、自分でもみっともないほどオタオタする。

 了解するしかなかった。

 夜に近い時間に、あらためてもう一度会う約束をする。

 待ち合わせは、駅前の広場。

 偶然にもそれは、この前、合歓と初めて会った場所だった。

 予想外の展開に、どうしていいか戸惑う。

 今日、眞砂とふたりっきりで会うことは、あの子とロリ神さまには内緒にしておいたほうがいいだろう。

 いや、絶対に知られるわけにはいかない。

 特にあの子――合歓。

 彼女は怒らせたら、何をするか分かったもんじゃない。

 今度怒らせてしまったら……。

 怒らせてしまったら、取り返しがつかないことが起きるんじゃないか。

 そんな予感がしてならない。


 ………………………………………


 ファーストフードで時間をつぶしがてら、放課後の校庭のベンチで受けた、眞砂の言葉を思い出していた。


『大事な話があるんだ。だから、その、ふたりっきりになれる所に行きたい。その、わ、分かる……よな。男女がふたりっきりに、なれる所だよ』


 本気なんだろうか。

 でも、今までと様子が違う。ふざけた感じがなかった。

 どうしておれなんかを。そんな疑問がぐるぐると頭のなかを廻る。


『いやなら、来なくてもいい。でも、……でも、できれば……』


 恥ずかしげに、言う。長い黒髪を手でくしけずりながら。

 その指には、銀色の指輪。

 髪の間に垣間見え、時おり、きら、と光る。

 それが、それこそが、彼女の想いを雄弁に語っているように思えた。

 本気か、本当に? 眞砂が? おれを? なんで?

 自分のほうこそ、どうだろう。

 正直なところ、この女、眞砂に惹かれつつあることを自覚していた。

 だからこそあの日のデート以降、冷たく接したんだ。

 そうでもなければ。

 そうでもなければ、あの子への想いがぶれて……しまうから。

 少し恐いところがあるけれど、合歓への想いは本物だと自負している。

 彼女もまた、本気でおれに接してくれている。裏切るようなことはできない。

 せっかく紹介してくれた金髪碧眼の幼女神さまにだって、申し訳ないし。

 ごめん、眞砂。

 約束の場所へは行こう。そして……。

 そして、強い意志できちんと断ろう。


 約束の時間より若干早く、駅前の待ち合わせ場所に着いた。

 夜も深くなっている。時計塔の差す時刻は、午後、九時。

 広場を抱え込む宵闇のなかに、オブジェを照らす灯りがぽつぽつと点在している。

 たくさんの仕事帰りの人たちが、駅から流れ出てくる。

 その間を縫うようにして歩んでいく。

 夜の暗さと、まばらにしかない明かりと、人いきれのせいで、

 自分の向かう先はよく見えなかった。

 もしくは。

 もしくは、これからすることを考えて、いたたまれない気持ちになっていたのだろうか。

 沈んで、落ち込んで、少しあさましい。

 決意はあるくせに、どこかぐらついたまま。

 そんな自分が、またこの上なく嫌になっていたのだろうか。

 自分の歩くその先を、おれははっきりと見てはいなかった。

 気がつけばすでに、そこにたどり着いていた。

 約束の場所、駅前広場にある、噴水前。

 そこで見たものは。

 噴水の縁石に、腰を下ろす美少女がひとり。

 こちらの視線を感じ取ってか、彼女はぱっと顔を上げた。

「あ、理人さん、はやいわね」

 途端、つう~っと氷を当てられたような感覚が、背中を走る。

「ど、どうしてキミが?」

 合歓がいた。

 立ち竦んでしまう。よろめきそうになり、なんとか踏みとどまる。

 彼女はおれのほうを見て目を三日月にすぼめ、にこやかに答えた。

「呼び出されたの。ほら、あの人。この前、理人さんの携帯の待ち受けに映ってた、あの背の高い、ハ虫類系の人に」

 それは眞砂のことか。

 ひどいな。おれもへびとか言ったけど。

「い、いつの間に知り合いに?」

「ううん、あっちが一方的にあたしのこと知ってただけ。あの人、あたしと連絡を取りたかったらしくて、友達に探させてたみたい。昨日、学校帰りにそっちの生徒に話しかけられて、それで連絡先を教え合ったの」

「そう」

 感づかれないよう、ゆっくりと生唾を飲み込んだ。

 これは、これは、まさか修羅場になるのか? おれを中心に?

 それは……かなり……まずい。どうやらまだ眞砂のほうは来てないみたいだが。

 おずおずと、聞いてみる。

「そ、それで、三人で話し合いする、と……?」

「まさか。あの人、さっきまでいたんだけど、帰ってもらったわ」

 一瞬、言われた言葉が理解できなかった。

 なに。なんて言ったんだ?

「きちんとふたりで話をしたら、わかってもらえたみたい。納得して帰ってくれた」

 え、え? 帰った? どういうことだ?

 学校では、そんな雰囲気じゃあなかったぞ。

 こっちの困惑などおかまいなしに、合歓は続ける。

「理人さんの浮気もの……。あたし、怒ってるから」

「い、いや、おれは」眞砂に断るつもりでここに……。

 しかし彼女はおれに続きを言わせなかった。

「ほんとう、怒ってるんだから。でも、あたしもいけないのかも。だってはっきり言ってなかったんだから。聞いて、理人さん」

 合歓は、すっくと立ち上がった。正面から見据えてくる。

 おれは言おうとした言葉を失い、吸い寄せられるように彼女の姿を眺めた。

 その瞳の、黒曜石のような輝き。

 ぷっくりとした唇は、赤い絵の具をぽたっと落としたよう。

 緊張しているのか呼吸が深く荒く、それにつれてふくよかな胸がまた大きく上下する。

 聞いて、と言われた。一体、何を言われるのだろう。

 まさか別れ話なんじゃないか? 一瞬、そんな気もした。

 が、どうもそんな様子ではないように思う。決して自惚れでなく。

 何か、強い決意のようなものを、彼女の全身からひしひしと感じる。

 合歓は表情をゆるませて、ふっと微笑んだ。

 すこしだけ、小首をかしげると、あごのラインで切り揃えられた黒髪が、揺れる。

 透き通った声が耳に届いてきた。

「あなたが好きです。あたしとセックスしてください。お願いします」

 多くの人が行き交う駅前で、彼女はとんでもないセリフを口にしたのだった。


 ………………………………………


 蘭生女子に通うにあたって、彼女は親元を離れてひとり暮らしをすることにしたらしい。

 兄弟姉妹が多く、基本、放任主義で育ってきたとのこと。

 彼女と同じく人外である親御さんがどんな職業かは知らないが、おそらくそれなりに裕福なのだと思われる。

 だって、到着したマンションは、高校生の自分が見ても明らかに立派で家賃も高そうだったから。

 借りてるのではなく、買い与えられている可能性だってある。

 その辺りはいちいち本人に確認したりしないけど。

 だいたいが、蘭生女子自体、私立のお嬢さま学校としてこの辺じゃあ有名なのだ。


 ――今夜はあたしの部屋で、のんびりまったり過ごしましょ。


 駅前での衝撃的告白。

 ぼおっとしてたらそのまま腕を引っ張られ、連れ去られるようにして駅から電車にイン。

 そして今に至る。

 合歓の住むマンションのエレベータに乗り込んで、これから彼女の部屋へ行くところ。

 それがどういう意味か。

 ……言わずもがな。

 ヤるよ。ヤりますとも。女の子にあそこまで言われちゃあね。

 約束の日は明後日だったけど、べつに数日の違いはどうでもいい。

 自分もその気でいたんだし。

 覚悟はできてる。断る理由がない。

 股間はすでにおテントさまだ。

 恥ずいので前屈み。

 ん、まあ、もうこの際そんなことバレてもいいんだけど。


 エレベータを降り、彼女の後ろをついてマンションの廊下を歩く。

 欲望が頭のなかでどんどん膨らんでいく。

 意識せず、はふはふと呼吸が乱れる。

 彼女に悟られないよう、妙な音がしないよう口をすぼめて息を吸い、吐く。

 胸の鼓動は速くなるよりも、むしろ一拍一拍が激しく打つようになる。

 ばぐん、ばぐんっと。心臓が跳ねる感触が、胸の内にある。

 がんばれ、と勇を鼓して歩みを進めていく。

 がんばれとはなんかおかしいけれど、だっておれはダメな男子なんだ。自分を励まさずに女子の部屋まで行けるものか。

 ましてや、ただ遊びに行くわけじゃないんだ。

 するんだ。ヤるんだ。

 彼女の希望に応えるんだ。

 それは自分にとっても、天にも昇るほどに嬉しいことのはずだ。

 正直なところ不安と表裏一体って気分だけども、それを乗り越えてこそ。

 これはおとなへの通過儀礼だ。

 大丈夫、自慢にならないけどリビドーは強いほう。

 いざそのときが来ればタガが外れて、勇気とか不安とかそんなもん、意味をなさない結果になるような気がする。

 襲うようにして彼女に想いのたけをぶつけそうだ。

 けどきっと、彼女はまさにそういう態度を期待しているのだと、おれはそう思う。

 これまでの積極的すぎる彼女の言動から、そう、思うのだ。

 合歓と出会ってから、実際の時間はさほど経っていない。

 でも、決して早急にことを進め、一足跳びにここまで来てしまったという感じは不思議としない。

 短い期間でも、時間の無駄を省いたという思いはなかった。


 ただ、唯一気になってることがあった。

 眞砂のことだ。

 なんとなく、あいつのことが頭の片隅に引っかかってた。

 引っかかって、離れない。

 なんで帰ったんだろう? こっちに何の連絡もなしに。

 そんなあっさりした性格じゃないと思うんだけど。

 ちょっと気になったので、

 合歓に気づかれないよう、こっそり眞砂にメールを送ってみた。

 ……返事は、ない。


「ここが、あたしのおうち。ようこそ、理人さん」

 はっとして、後ろ手でスマホを隠した。……危ね。

 合歓は両手を合わせて、申し訳なさそうに頼みこんだ。

「理人さん、悪いけんだけど十分ほど待ってくれないかしら。本当だったら明後日来てもらうつもりだったから、実はまだ片付いてなくて」

「うん、いいよ。待ってる」

「ありがと。ほんと、すぐ戻るから」

 ドアが閉まり、不意にまた開く。合歓が顔だけ出す。

「あ、あの……帰っちゃいやよ」

 そのとき、驚きのあまり、おれは思わずびくっと仰け反った。

 驚くに決まっている!!

 み、耳が!

「み、みみみみみ、耳っ! その耳!」

「あっ……、きゃっ」

 あわてて合歓は髪の上に手を添えて隠した。

 いや。もう、遅いって。

「理人さん、み、見た?」

「うん、見た。見たよ。ばっちりと」

 白い頬が、ほんのりと朱に染まっていく。

 あ、照れてるの、可愛い。合歓が照れるの、初めて見るかも。

「う、うれしくてつい、気がゆるんじゃった。ど、どうしよう」

「どうしようって、何がいけないんだ。だって、だって!」

 だって、きみは、夢にまで見た理想の女子。

 現実に存在する、非現実のケモノっ娘。

 感動で打ち震えるとは、このことだ。

「理人さんは、叫んだり、逃げたりしないのね……」

「そりゃあ、当然。自分で望んだことなんだから」

 合歓はしかし、自身なさげにうつむいてつぶやいた。

「それでも現実に目の前にすれば、素に戻ってしまうんじゃないの? 恐くなって、逃げだそうって思うんじゃ」

「思わないよっ」

「って、うきゃああっ!」

 失礼かと思ったけど、もぉー我慢できず。

 隠すように押さえつける彼女の手をどけて、

 頭のてっぺんにぴんっと立つ、その可愛らしいふたつの耳に触れてしまった。

 ふにふにといじる。

「く、くすぐったっ」

 思ったより薄くて、ふかふか。

 ねこみみ。

 ああ、紛れもなく本物のねこみみだあ。

 身をよじる彼女がおもしろい。もっとくすぐらせてみたくなる。

 耳の穴にひとさし指を、入れてみた。

「あっ、や、らめっ、そこ感じやすっ、んんんっ!」

「あ、ごめん、つい」

 いけない、興奮してつい、やりすぎた。

「り、理人さん、や、やめて、ここでは、ね?」

「ごめんごめん。感激のあまり」

「もう……。つ、続きはね、あとにしよ」

 名残惜しいけど、手を離してこくりとうなずいた。

 合歓は耳を撫でながら恥ずかしげに微笑んで、

「部屋のなかでは全部、まるはだかのあたし、見せたげる。だからその……期待しててね」

 そう答えて部屋の中へと入っていった。

 ばたん。またドアが閉まった。


 急に静かになったように感じた。夜気が音を包む。

 玄関ドアの前で、ポツネンと待つ。

 おれはひとり、感慨に耽っていた。

 ――願いは叶った。

 と言うか、すでに叶っていた。ありがとう、本当にありがとう、ロリ神さま(笑)。

 これは、望んでいた最高の形かも。

 まだ指に残る、耳の感触。人間のそれとは違う、肌触りのよい毛並み。柔らかな質感。

 触れられて恥じらう黒髪の美少女。

 現実味に欠ける感覚。

 でもこれは確かな現実。

 信じてなかったわけじゃないけど、ほんの一握り、疑惑があったことは否定しないけど。

 でもこれでようやっと、ケモノっ娘が実在することが納得できたのだ。

 喜びが実感として、心のなかにあらためて湧いてきた。

 そのとき、突然。

 ふうっと風が吹くように、その感慨をよぎるものがあった。


 ああ、なんかでも……ちょっと切ない……。


 喜びは喜びとしてある。なのに心の片隅に妙に引っかかるものがある。

 脳裏に瞬く、ひとりの女子の姿。

 背が高く、手足の長い、あけすけな美女さま。

 誰ともなく、小さくつぶやく。

 ……眞砂。

 この気持ちは、眞砂への未練だろうか。

 かぶりを振る。

 いや、それはない。そんなのは完全に気の迷いじゃないか。

 あいつとはほんの一日、一緒にいただけだ。

 ドアの外でひとり、身悶えし、頭を抱えそうになる。

 あああ、もうっ。

 なんか感動とか欲望とか不安とか恋心とか、いろいろぐちゃぐちゃだっ。

 わけ分かんなくなり、自分でも気持ちに収拾がつかなくなった。

 こういうとき、誰かと話ができれば。少しは落ち着けるだろうに。

 合歓が部屋に入ってもう十分はとうに過ぎた。なのにまだ出てくる気配はない。

 きっと女子の部屋の整理には時間がかかるんだと思う。

 まだかと外から急かすのもなんだし、かと言ってひとりで悠々と待ち続けられるほど自分の精神は安定していなかった。

 やっぱり誰かと話がしたい。切に思う。

 勝手だけど、誰かおれの愚痴やのろけや疑問を聞いてくれないだろうか。

 だ、だめ、だろうか。さすがにそんなの勝手すぎるだろうか。いやもう、自分を偽るまい。ぶっちゃけ誰かに言いたいだけ、聞いて欲しいだけだ。

 友達の顔が何人か思い出されるが、でもじゃあ誰と話す? そもそも、一体何を話せばいいのだ。

 こんな荒唐無稽で馬鹿馬鹿しい、非常識な話を。

 スマホを取り出し、手の平で弄ぶようにして眺める。

 話すなら、あの人(?)しかいないだろう。

 正直なところ話しかけにくい。今さらすぎる。とは言えほかにいるわけもなし。

 やっと踏ん切りがついて、電話をしてみることにした。あの幼女の姿の神さまに。

 コール三回で出た。開口一番、怒声が響いてきた。

「いつ連絡を寄越すかと待っておったぞ! またこっちから電話せねばならんのかと思うておったわ! きさま、聞けば二股かけとるようじゃなっ!?」

 いきなり怒られた。え、二股?

「人間のおなごと二人きりで出かけたそうじゃなぁ?」

 げっ! それはどこから聞いたんだ。

「人間のおなごとは関係を持つなと念押ししたはずじゃぞ。それで、今どういう状況になっておる? 場合によっちゃ許さんぞ」

 やば。話を聞いてもらうはずがお説教になりそう。

 なんとか話の流れを変えようと思って、しかしおれは何を思ったのか、なんと、

「い、今からその人間の女の子の家に上がるところ」

 じょ、冗談を言ってしまった……。

 絶句する息づかいがかすかに聞こえる。

 おれは本当にこの神さまを舐めてんのかもしれない。

 女児の姿と、無邪気にも思える尊大な口ぶりに、気安さみたいなものを感じてたのか。

 我ながら不遜な態度に、冷や汗が垂れた。

 さらなる怒りに身構えていると、予想に反して耳に当てたスマホから届いたのは、

 いかにもこどもらしい癇の高い涙声だった。

「い、いけしゃあしゃあと、ぬかしよるわっ。じゃあもう、祟っていいんじゃな? 小さな神だからといって小馬鹿にしおってぇ……。ぐすっ。もう、全力で祟っちゃるからなぁっ」

 あわあわと慌てる。恐いというより、申し訳ないという気持ち。

 唾を飲み込み、取り繕う。

「う、うそうそ。本当は紹介してくれたケモノっ娘の家に上がるところ」

「え? う、うそ?」

「そ、そう。うそ……」

「ほんとに?」

「ほ、ほんとに。ご、ごめんなさ」

「なんでそんなうそつくんじゃあああっ!! うわあああああっ!!」

 泣かれちゃった……。

 そのあと、ひとしきり駄々っ子みたいなお怒りの言葉を受けて、ようやく普通に会話ができるようになった。いい神さまで良かった……。神通力、恐いもんな……。エロデータ、暴露されたくないもんな……。

「じゃあ相手とはうまくいっとんのじゃな? 妾は安心していいんじゃな?」

「もちろん。二股なんてしてないよ。実を言えばちょっと気になる女子がいるんだけど、でもねこみみ女子についさっきすごいこと言われちゃったからね。男子としてはその気持ちにきちっと答えたい」

「むむ、少々聞き捨てならんが。ま、ええか。ならきちんとせいよ。きちんと、な。そもそもそれが本来のおぬしの望みであろう」

 その通りだ。合歓こそ理想の女子だ。

 もう迷いはない。淡い気持ちは振り切る。それでいい。それが……いい。

 まだドアは開かない。もう少し、ロリ神さまと話していよう。

 そうそう、ちょっと文句も言いたかったんだ。

「それにしても、ひどいって。なんで最初に顔と名前を教えてくれなかったんだよ」

「え? えと、ああ。うう……。そうじゃな、びっくりさせようと思うてな。ど、どうじゃ、美人だったじゃろ?」

「うん、たしかに」

 合歓は要望にかなう美少女だ。

「切れ長の目元なんて、妾から見てもうっとりするほど艶っぽいよな」

 ああ、そうだ。

 黒い宝石のような、大きな瞳。見つめると、吸い込まれるような錯覚を覚える。

「長い黒髪が自慢じゃと言っておった」

 きちっと整えられたボブカット。

 陽光を受けて、光の円環を反射する。

「背が高くて、スレンダーで、モデルみたいじゃろう、のう?」

 制服の上からでも分かる、釣り鐘型の大きなおっぱい。

 あ、これは個人的にはやや困るかも。でも、がんばってもむ。背丈的に、ちょうど触りやすい位置にあるし。

「おぬしの好きな、賢い系の女子じゃぞ? 帰国子女が良かったんじゃよな。アメリカから最近帰ってきた者がたまたま知り合いにいたんじゃ。運が良かったな」

 フランスでの語学留学から帰ってきた、帰国子女。

 偏差値の高い、お嬢さま学校の生徒。

「……」

「……?」

「おい、おぬし」言ったのは自分だった。

「いっ? い、いいい今、妾のこと、おぬしと呼んだか? 妾の言葉遣いを奪うでない。キャラが乱れるっ!」

「なんかどうにも内容に食い違いがある。紹介してくれたケモノの変化の女の子、はっきりと名前を教えてくれ」

「えっ、なに言って? 『まなご』っていうんじゃ。てか、知っとる……よな……。おい、本当に今どういう状況じゃっ。今どこにおるっ! いやな予感するぞよ。言うんじゃ、はよう言え!」

 ぴっ。電源ひと押し、会話をシャット。

 電話って便利だ。一方的な会話にはね。なんて考えてる場合じゃないっ!

 急いで、と言うより、かなり焦って眞砂に電話をかけた。

 これは、一体、なんだ? どういうことなんだ?

 発信ボタンを押したのと、玄関ドアが開いたのは、ほぼ同時だった。

「理人さん、お待たせ~。あ、電話。ごめんなさい、もうちょっとだけ待ってて」

 開いたドアの隙間から、かすかに電話のコールとおぼしき音楽が。

 テレレレレテレレレ、デンデンデンデンデンデン……。

 ぱたんと三度ドアが閉まる。

 なんだ、このタイミングで……。まさかあれって……いや、そんな……。

 でも、あの着信音……なんか聞いたことがある気がする。

 電話はつながらず、ほどなく切れた。

 自分の想像に、膝ががくがくしだした。視界がぐにゃあと曲がる。

 切れた途端、スマホがぶーぶーバイブで震える。幼女神からの電話だ。

 脂汗が、だらりと顔から顎、首へと垂れる。

 さすが夏、外で待つのって暑い。……というのは強がり。

 なんだ、なんなんだ、何がどうなっている……。

 頭がホワイトアウトしかけ、

 立ち去るという、おそらく最も賢明な判断は生じず。

 そして今度こそ。間違いなく。

 おれを迎え入れるために、玄関ドアが開いた。

 それは例えるなら、獲物を喰うために広げられた、獣の大きな顎のように思えた。


 ………………………………………


 合歓はもはや正体を隠そうともしなかった。

 頭のてっぺんには縦にぴんっと立ったケモノの耳が。

 そして、スカートの裾からゆらゆらとはためく、箒のように膨らむしっぽが。

 迎え入れて、恥じらうように微笑む彼女。

 その口元には、糸切り歯。ではなく、鋭く尖った犬歯。

「上がって、上がって」

 手を取られ、引っ張られるようにして室内へと上がり込んだ。

 合歓が何気ない動作で、玄関のドアの鍵を閉める。

 かちゃり、という小さな金属音が、むやみに恐ろしく感じる。

 おれは平静を保つのに、精一杯だった。

 股間のイチモツも、しゅるしゅると萎んでしまっている。

 幅の広いフローリングの廊下を歩く際、妙な臭いが鼻をついた。

 くん、くん。んー、なんだろう、どこかで嗅いだ臭いだ。歯医者さんか、プールのような。

 きょろきょろ見回してみても、べつに変なところはない。廊下の両端にあるのは、日用品などを入れるためと思われる収納用の棚、洗面所と風呂場への出入口、あとはお手洗いの扉。それくらいだ。

 目を前へ戻して、人外の美少女を見直してみる。

 背中側から眺める合歓の姿は、一見、人間そっくりではある。

 けれども耳を始め、随所にこまかな違いがあった。

 おれの手を取る彼女の手、その指先におさまる爪はまるで矢じりのよう。噛みつくようにしておれの手の甲に爪立っている。

 黒髪ボブの上ににゅっと生えた、可愛らしい猫っぽい耳。後ろにいるこちらの様子を探るように、ときおりピクリと動く。

 白い毛羽立ったしっぽが、スカートの裾を大きく上へたくし上げて揺れ動く。

 ふりふり、ふりふり、右へ、左へと。

 そのたびごとに、太股はおろかお尻のラインまで垣間見えてしまい、目のやり場に困る。


 彼女の部屋に入った。

 乙女チックな花柄の壁紙、どこか外国の風景を写すカレンダー、きちんと整頓された勉強机に、慎ましやかに小さな花をつけた観葉植物。部屋のすみにはブランドもののバッグが無造作に放られている。

 そしてひとりで寝るにはやや大きすぎるベッド。そのベッドの下のスペースに整然と押し込まれた、プラスティック製の大型収納ケース。

 ぐるりと見渡すと左手には一軒家並みの立派なキッチンと真新しい冷蔵庫。右手には重厚感漂う黒いクローゼット。正面にはおそらくベランダに通じるガラス戸があるのだろうが、今は鮮やかな桜色のカーテンで閉ざされている。

 女の子の部屋に入ったのは初めて。ここは普通、なのかな。でも臭いがやっぱ変だ。これは、消毒の臭いか……。臭いを消している……?

 所在なげに無言で立ち竦んでいたら、背中を向けたまま彼女が聞いてきた。

「理人さん、ふるえてるの? あたしのこの姿、やっぱり恐い?」

 違う。

 恐いのは、姿ではない。

「そんなことないよ。むしろ、思い描いていた通りの理想像」

「ほんとっ!? うれしいっ!!」

 手をほどき、振り向きざま、がばっと抱きついてきた。

 胸におっぱいの柔らかい感触が、ぐにゅっと押しつけられる。どうやら体のスタイルは正体を見せても変わらないようだ。

 ねこが甘えるように、顔を擦りつけてくる。体温が、熱い。

 耳元に吹き付けられる、吐息。

 ぞくりとする。

 鼻にまで漂ってくる、むせかえるような匂い。それが女の子の匂いなのか、獣の臭いなのか、おれには分からない。ただそれは、強烈に脳髄をしびれさせる。

 さきほどから感じている恐怖はそのままに、再び欲望が鎌首をもたげる。

 理性が、飛びそうになる。

 恐怖心と、性欲は、案外相性がいいのかもしれない。

 歯を食いしばって、必死で欲望に耐える。

「合歓……、あの、な」

「理人さん、あたし、あなたに謝らなければいけないことがあるの」

「……聞く」

「あ、あたしの耳だけど、実は」

 耳……? 耳がどうした。

 そんなことより。

「実はね、これ、ねこの耳じゃなくて、狐の耳なの」

「…………」

「ごめんなさい。ずっと黙ってて。あたし、本当はねこの変化じゃなくて、狐の変化なの。だからこの耳は、『きつねみみ』なの」

「ああ、そう」

 別にどっちだっていいさ。ねこみみも、きつねみみも、どちらも魅力的だ。

 だからそんなのは、なんの問題にもならない。問題は別にある。

「謝ることって、それなのか」

「えっ」

 合歓は意外そうな顔をした。どうも、おれが恐怖と不安と、そして怒りを抑えているのが分からないらしい。

「眞砂になんかしただろ」

 口にした瞬間、自分の推測が当たっていたことを確信した。

 明らかに、合歓の表情が凍ったのだ。やっぱりか……。

「おれとの待ち合わせの前に、ふたりで何か話をしたって言ったよな? それでその後、どうなった?」

「あ、あう」

 体から離れ、挙動不審に狼狽する合歓。

 スマホを取り出して、眞砂に電話をかけてみた。

 わずかな間を置いて、すぐに持ち主を呼ぶ音楽が部屋の中に響いた。テレレレレテレレレ、デンデンデンデンデンデン。ついさっき玄関前で聞いたのと同じ曲だ。

 あいつの着信音。禿げ山の一夜。

 音はベッドの下の収納ケースから聞こえてくる。プラ板にさえぎられ、くぐもっている。

「携帯を取り上げたのか。だから何度連絡してもつながらなかったんだ」

「あ、ああ……。もう……電源切っとけばよかった……」

 合歓はとがった爪を軽く噛んで、眉根を寄せた。

 そんな彼女に苛立つと同時に、恐怖がさらに増した。

 眞砂は、無事だろうか。

 この子は怒ると恐いところがある。ひどいこと、されてなければいいが。

「何があったかちゃんと話してもらう。とりあえずあいつの携帯、代わりに返してもらうぞ」

「あっ、だ、だめっ!」

 止める暇もあらばこそ。おれはしゃがんでベッド下の収納ケースを引き出そうとした。

 な、なんだっ? すげぇ、重い。

 予想外にプラスティックの直方体は動かなかった。

 蓋の凹凸にかけた指が痛むほどに力をかけて、自分の体ごと後ろへ引っ張る。

 ごとっ。硬く重い音がした。


 ケースが一気に引き抜かれ、そして蓋が開かれ、――中身が露わになった。


 細面の、白い顔。折り曲げられた長い手足。

 体中に絡みつく、乱れた長い黒髪。

 長い睫毛に縁取られた切れ長の目は、虚ろに開いている。

 半開きの口からは、これも長い舌がびろ~んとだらしなく伸びていて……。


 ――かちんかちんと音がする。

 かちかちかちっ。

 かちかちかちかちかちかちかちかち……。

 自分の奥歯が音を立てている。小刻みにふるえて。

 ケースに触れていた指に、力が入らない。

 なんだ、なんだこれは、なんなんだっ。

「眞砂っ!!」

 彼女の着てる制服のスカートあたりから、

 空気を読まない場違いな着信音がずっと鳴り続けていた。


「なんだよ、これ……。こんな、こんなことって」

 合歓はまだ少し取り乱してはいたが、じきに開き直ったかのように説明しだした。

「だ、だって、話し合いしてても、このひと絶対に譲らないって、自分のほうに優先権があるって、全然話にならなくって。それで、つい、カッとなって」

「だからって、ここまですることないだろ……」

 勇気を振り絞って、眞砂の体に手を差し入れる。抱き抱え、ケースの中から持ち上げる。

 なんでこんなことになったのか分からない。

 合歓が何者かも分からない。

 けど、ひとつだけ確かなのは、自分のせいで眞砂が殺されたということだ。

 体はもう、冷たい。頭は手で支えなければ、がくんと項垂れてしまう。

 もう、抜け殻だった。

 いつの間にか泣いていた。声は出ずとも、涙がにじんできて、滴となって眞砂の体にぼたりと落ちた。じんわりと、涙で濡れた跡が、セーラー服に染みて広がる。

 眞砂とのやり取りを思い出さずにはいられなかった。

 粗野だけど、快活で。

 下品だけど、どこか純で。

 妙にうまが合った。一緒にいて楽しかった。

 自分でも不思議だ。おれはこんな高飛車なビッチ女子が好みだったのか。我ながら変な趣味だ。この女のことが好きだった。こうなって初めて、はっきりと心のなかで言葉にすることができた。

「ねえ、理人さん、そんなの横に置いといて、もう始めましょう?」

 後ろから合歓が抱きついてきた。首に腕をまわされる。

 それは冷酷な誘惑だった。

「あたしのほうを、選んでくれたんでしょ? ね、そうなんでしょ?」

「……ああ、そうだな」

「あたしはもう、我慢の限界。すぐにでも」

「でも、だめだ」

 抱きつく力がゆるんだ。吐息が、少しづつ首筋から耳の裏へと、動いていく。

「ど、う、し、て?」

 指が喉元に回ってきた。爪が立てられる。ほんの先っちょだけ、刺さって痛い。

「だめなものは、だめだ。きみのことは好きだけど、さすがにこれは、これだけはっ!」

 強く叫ぶが、合歓は抱きついたまま動こうとしない。

 さとすように、耳元で話す。熱い吐息とともに。

「あたしはもう、あなたに自分の正体を見せてしまった。あとはもう、結ばれるか、殺すか、ふたつにひとつよ。どっちがいいの? ねえ、お願いよ、気持ちいいほうを選んで。あたし、がんばってご奉仕するから、ね?」

 小さくかぶりを振った。「そういう問題じゃないんだ」

「そう……………………」

 後ろ向きでも分かった。殺気が急激に膨らんだのが。

 おれも、ここで殺されるのか。仕方ないなあ。これが人間の男子として、一線を越えた末路か。なんか納得いかないけどね。

 首にかかる爪に、明らかに力がこもった。おれは眞砂の亡骸を抱きしめ、目をつぶった。


 ぴんぽーん。


 間の抜けた音がこだました。

 こんなときに、玄関先に誰か来たようだ。首に刺さる爪からゆっくりと力が抜けていく。


 ぴんぽーん。ぴんぽ、ぴんぽ、ぴぽぴぽぴぽ、ぴんぽ~ん。


 だんだんだんっ! ドアを激しく叩く音。

 合歓がいぶかしがるように、廊下のほうを見やる。

 廊下越し、ドア越しに、甲高いこどもの声が聞こえてきた。

 聞き覚えのある声だった。

「おおいっ! 気になるから来てやったぞよっ。まったく、虚仮にしおって! 妾、これでも神さまの端くれじゃぞ。神通力を使えばおぬしらの居場所くらい、簡単に分かるんじゃからなあっ! っと、こらぁっ、早う開けんかあっ!!」 

 首をひねり、振り返って見上げると、合歓の顔からは血の気が失せていた。

 ドアを叩く音が途切れ、急に静かになる。と同時にまた遠い声が聞こえてくる。

「開けんのなら勝手に入らせてもらうぞ。ええな? ソレ、鍵開けの術ぅ~っと。んじゃ、おじゃましまーす」

 がちゃり。

 何かを捻る音。

 溜っていた空気が流れて動く。

 そして、何者かが室内へ入る気配。

「え、あ、わ、ど、どうしよ……」

 とことことこ、廊下にコミカルな足音を立てて歩き、

 現れたるは、ゴスロリを纏い腰にレイピアを差した、金髪碧眼の幼女神。

 おれ、合歓、眞砂の三者三様を眺めて、「おぅ」と短くうめいた。

「あああ、これは、何というか、凄いところに出くわしてもうた。ま、でも間一髪ってところじゃな」

 そう言って、うんうんと鷹揚にうなずく。

 合歓は大きく一息吐いて、観念した様子でゆっくりとおれの背中から体を剥がした。

 体が自由になり、おれは眞砂の体を掻き抱いたまま、膝をずって幼女神の足元に寄った。

「間一髪じゃねえよっ! 全然間に合ってねぇ。ま、眞砂が、眞砂が」

 幼女神さまはそんなおれを見て、にっと笑い、手をひらひらと振った。

「だーいじょうぶ、じゃ。あわてるな」

 びっ、と。

 かわいらしい小さな指先を、力なくぐったりと倒れる眞砂に向けて差す。

「おい、いつまでその格好でおる。さっさと起きよ」

 ……へ?

 この小さい神さま、何言って……。

 途端、おれの腕のなかで異変が起きた。

 触れている眞砂の素肌の部分が急にざらついた。目を凝らすと、うっすらと肌に鱗が透けて見える。

 びきっ。

 薄い紙を引き裂くような音がしたかと思うと、突然背中が盛り上がった。

 眞砂のうなじに、ぎざぎざの切れ目が縦に入っている。それはセーラー服の襟の下にまで続いていた。どうやら、さらにずっと下の方にまで切れ目は続いているようだ。

 見ている目の前で、びりりぃ~っと切れ目が裂けた。

 裂けた切れ目から鱗肌がめくれていく。

 茫然となりながらも、今この時に何が起きているのか、見当がついていた。

 これは……脱皮……。

 蛹から蝶が産まれるように、中からもう一人の眞砂がずるっと抜け出てきた。

 目をばちっと開くと、そこにはちゃんと命の光が宿っている。

 無傷なままの、白い肌。何も身にまとっていない、すっぱだか。

 安堵と、嬉しさで、胸がいっぱいになる。

 眞砂…………っ!

 彼女はまっ裸のまま、ずるり、ずるりと這い出てくる。腰のあたりで制服の襟元が引っかかり、もどかしそうに身悶えした。

 額に張り付いた長い髪を払い、おれのほうに視線を向ける。

 爬虫類独特の、縦に線の入った瞳。

「ちょっとぉ、ぼーっと見てないで手伝ってくんない?」

「お、おまえ……っ。し、死んだとばっかり」

 幼女神が首を横に振る。大儀そうに説明をくれた。

「そやつ、へびの化身なんじゃ。生命力は無尽蔵じゃぞ。ちっとやそっとじゃ死にはせん」

 なっ!? 眞砂がへびの化身っ?

 合歓がさも面白くなさそうに言ってきた。

「あ、あたし、べ、別に殺してなんかないわ。ちょっと首ひねって黙らせただけよ。だからそんなのほっといて始めましょって言ったのにぃ」

 首ひねったら死ぬって。いや、でも……。

 そうか、そうなのか。――ああ、よかった。

「よかった、眞砂、て、てっきり、もう二度と話せないかと」

 ほんのり赤く染まった頬で、照れたように眞砂は笑った。

「ああ、そりゃうれしい言葉だね。でも、あたしの今の姿見て、なんとも思わないの?」

「こんなの、どうってことない」

「まじで? だってさ、べろも二叉だし、瞳孔も縦長だし、この脱皮だって気持ち悪いなー、とか思わないの?」

「理人さんはね、そんなこと気にしない人なの」

「うるさい。あんたは黙ってな」


 ………………………………………


 眞砂の脱皮終了を待って、神さまを交えての四者会談となった。

「さて、合歓とやら。おぬしにはしてやられたわ。いったい、いつの間に、どうやってすり替わったのじゃ」

「あの小さなお社に、変な神さまがいるのは知ってたの。あたしはずっと、ありのままの自分を受け入れてくれる人間の男の子を探してたから、チェックは欠かさなかった。そしたら、これが出てて」

 合歓が自分のスマホを見せた。そこには、誰かのツイッターが載っている。


『久し振りに参拝客到来じゃ! ねこみみ萌え萌えの美少女が好みらしい。ちいと困ったが、まあ何とかなるじゃろ』


 眞砂、はあーっと溜め息。

 おれ、ジト目でロリ神さまを見る。

 ツイッターかあ。そういや、前にそんな話してたな。

 つぶやいちゃったんだ。

 そりゃ、ばれるだろ。

 てか、人の願いをツイッターで言っちゃうって、神さまとしてどうなの。

 まあでも、それはそれとして置いといて。

 どうやって情報を得たのかは分かった。だけどなんで、合歓はわざわざすり替わろうだなんて企んだんだろうか。

「だったら、そんときに神さまに言って立候補すれば良かったのに。そうすれば、こんなややこしい事態にはならずにすんだんだ」

 それに答えたのは幼女神だった。

「しょうがないのじゃよ。こやつは妾のコミュニティにいなかったんじゃから」

 驚いて目をみはり、合歓と幼女神さまの間に視線を行き来させた。

「えっ、そうなの? それならそれでコミュに入れば……」

「それは難しいな。畜生の変化はみな、警戒心が異常に強い。こやつらのように、人間社会に溶け込んでおるような連中は特にな。正体をばらすようなことは、相手が人間だろうが神だろうが同じ畜生の変化だろうが、よっぽどのことが無い限りありえんのよ」

 それを受けて、眞砂が話す。

「あたしの場合はさ、渡米する前からもう一族ぐるみでコミュニティに入ってたからね。最初っから出会い系に登録されてたってこと」

 出会い系って言うな。仮にも縁結びの神さま、だ。

「けどまだ分からないことがある。こやつらの待ち合わせ場所をどうやって知ったのじゃ?」

「あたし、鼻が利くから。ツイッターが載った日、こっそりお社のある公園まで行って、男の子の匂いを辿っていったの。それで、理人さんの家まで行って」

「げっ」

「どこかに出掛けるか、こっそりついてまわってたの。たぶん、週末か土日と踏んでたから」

「げげげっ」

 まじか。おれ、気づかないうちにつけ回されてたのか。

 合歓は自分を狐の変化って言ってた。ロリ神さまと以前話したとき、元のケモノの性質を受け継いでることがあるっていうことだったけど……。

「まあ、おぬし、そう引くでないわ。畜生の変化は基本、しつこい。言うならストーカー気質なんじゃ。そんくらい多めに見てやれ」

 ううう、狙った獲物は逃さないっていう感じ?

「あたしのほうは混乱したよ。なんだって待ち合わせの場所に、こいつが来ないのかって。先廻りして連れてかれてたんなら納得だわ。一応、偶然その日に会えたからラッキーだったけどさ」

 つまるところ結局、幼女神さまが紹介してくれたのは、眞砂だったわけだ。

 でもどっちもケモノの変化で、って、あれ?

 重大なことに気づく。金髪碧眼の幼女を、じろりとにらむ。

「なあ、神さまちゃん」

「なんで敬称のあとに、馴れ馴れしい語尾をつける」

「おれがお願いしたのって、『ねこみみ』の女の子だったよな」

「うむ、そうだったな」

「それがなんでへび女を紹介することになってんだ?」

 眞砂が「ははっ」と微苦笑して、髪をかき上げた。

「うっ、い、痛いとこ、つくのう。そ、それは、じゃな、妾はまだまだ力のない神でな、コミュニティのなかにケモノ耳の生えた者がおらんかったのじゃ……。でも久し振りの客なんで断るわけにもいかんのでな、それで、その……、か、代わりじゃっ!」

 逆ギレする神さま相手に、息を吸い込んで叫んだ。

「そこ、一っ番、大事なとこだろっ!」

「しょ、しょうがないじゃろぉ……。そ、そんなに怒るなよなぁ。ほかにリクエストを聞いて、条件が合いそうなやつを紹介しようと思ったんじゃ。あとは男女の仲ゆえ、多少の好みの違いは一緒に過ごした時間が解決してくれるものと」

 ぶつぶつ言って最後には尊厳もなく、しおしおと崩れ落ちた。

 ああもう、なんてこった。あきれてものが言えん。

 でも後半部分は当たってる気がする。確かに共有した時間は大事だ。だからこそふたりの女子に心惹かれた。

 いきなり、ふにっと二の腕に柔らかい弾力のある感触。

 もう確認せんでも分かるです。おっぱいです。

「理人さんの好みに近いのは、あたしのほうよ。それに、もうセックスするって約束したんだから。ね、理人さん」

 問われて思わず呼吸が乱れた。ジュースでも飲んでいたら吹くところだ。

 ロリ神さまが居住まいをただして、合歓の顔をじいっと見据えた。もう尊大な態度を取り戻しているようだ。立ち直りが早い。

「妾もそやつの一番の願いを叶えてやれんかった以上、文句を言う資格がない。じゃがこちらにも神としてのメンツってもんがある。合歓とやら、そちに譲る条件として、家族ごと妾のコミュニティに入ってもらうぞ」

 こくりとうなずく、合歓。

「いいわ。もう正体ばれてるし。ほかのみんなにはあたしから伝えとく」

「うむ。で、おぬし」

 今度はおれのほうを見据えた。偉そうだったり、生意気だったり、弱気になったり、ころころと態度が変わる。忙しい神さまだなあ。

「おぬしは、その娘でええんじゃな。恐い思いもしただろうし、ちょっとばかしつき合いにくいところもあるじゃろが、まあなんじゃな……それは異類婚のあるある話でまとめとけ」

「ほんっと適当な神さまだなあ……」

 溜め息まじりに答え、しかし肝心な質問は微妙にはぐらかす。

 それは腕をからめるこの子にも勘づかれて。

 すりすりとほおずりされ、首をぺろんっと舐められる。

「ね、合歓、ふはっ、くすぐったい」

「理人さんの気持ちが逃げないように、マーキング」

 顔がにやけてしまう。恐い子だけど、こんなにアタックされたら無下にできない。それに断るとあとがどうなることか。

 これが、人外の女子と恋愛するということか。

 ただ可愛くって萌えるというだけでなく、実在するケモノっ娘とのつき合いは、性欲と恐怖で裏打ちされている。

 さらに重要な点がもうひとつ。その想いは強く、本物だということ。

 視線を横にずらしていく。すると見えてくるのは、黒曜石のように漆黒に輝く、大きな瞳。

 間近で見るその瞳は潤んでいて、

 そこにははっきりと自分へ向けた心が籠められている。そんなように感じられた。

 もう一度、合歓はおれの二の腕に豊かな胸を押しつけた。

「あ、うふっ、か・ら・だ、反応してる。見込んだとおりの男の子だわ。あたしの正体見てもイける口ね」

 思春期男子、生理反応。仕方がありません。

 再度確信。恐怖とエロは案外、相性が良い。

「あたし、絶対にあなたのことっ、あうあっ、いたっ! ちょっと何すんの!」

 やおら突然、合歓の悲鳴が上がった。何かが彼女の頭をつかんでいる。

 白く、たおやかな、長い指。

 きつねみみごと、合歓の頭をわしづかみ。

 途中から完全に蚊帳の外にされていた眞砂が、合歓の頭に指をかけている。さながら牙を突き立てて、頭を呑むため咥えるように。

 そのまま、ぐい~っと後ろへ引っ張って、床に引き倒した。

 んきゃあっ、と可愛らしい悲鳴。

 頭から仰け反ってブリッジみたいな形になっても、合歓は組んだおれの腕から力を抜くことはない。

 おかげで妙な格好になってしまっている。

 修羅場イナバウワー。

「あたしは諦めたつもりはないよ。へびの性愛は執念深いと相場は決まってんだ」

 再びさっきの考えがぽこっと頭に浮かぶ。

 ケモノっ娘。畜生の変化。性欲と恐怖。想いは強く、本物。

「正体正体ってこっちだってねえ、鱗肌とか脱皮シーンとか……それに正体フルヌードまで見られてんだ。それでもこうやって話をしてくれる。こんな貴重な男子、逃す気はないからね」

 合歓の反った胸の上で、眞砂の縦に切れた瞳と目が合う。

 ぽっと熱が灯るように、彼女の白い頬が、うなじが、ほんのり赤く染まる。

「な、なあ……」

「ん……?」

「へびじゃあ、だめかもしんないけどさ。まだあたしにも、可能性ある?」

 考えるより先に、こくんとうなずいてしまった。

 えと……、これまずいかな。

 ロリ神さまが呆れた様子で、半眼を向けてくる。ジト目だ。

 押さえつけられたまま、合歓が声を上げた。

「理人さん、だめよっ。そんな女、信用できないわ。だって、まじないを理人さんにかけてたのよ! あのスマホの待ち受けのこと、思い出してみて!」

 まじない!? あっ、と思い当たる。

 そうだ、すっかり忘れてた。

「そいつはね、理人さんの目にまじないをかけて、見えるものを変えてたのよ! 蛇の眼の得意技だわ。きっと自分の写真を待ち受けに変えたこと、理人さんに分からないようにしてたのよっ。あたしとケンカさせるために、わざと! まじないを男女の間に持ち込むなんて、そんなのルール違反なんだからぁっ!」

 唖然。

 ロリ神さまと見合うと、困った顔を浮かべて、こめかみを押さえてうなった。

 ルール違反という彼女の指摘は、神さま的には合っているようだ。

「ちょお~っと、だまってな」

 そんなふたり(一柱と一匹?)にはお構いなく。

 つかんだ合歓の頭を床にぐりぐり押し付けつつ、眞砂はおれのほうを見つめて話し出す。

「あんたさ、あたしのために泣いてくれたじゃん。あれ、うれしかったよ」

「あ、ああ、うん」

 あの涙、自分としても意外だった。けど嘘なんかではない。眞砂に対する気持ちもまた嘘ではないのだ。

「あのままね、あんたの腕に抱かれていたかった。至福の時間ってやつ? この女のほうに気が向いちゃったみたいで悔しいけど、いつか必ず寝取ってやるからね」

 にこりと牙を見せて、力強く言い放った。

「チ○ポ洗って、待ってろよ」

 それは、合歓が駅前広場で口にしたセリフに負けず劣らず、インパクトのあるものだった。

 洗うの、首じゃないんだ……。

 眞砂らしいなあ。姿は変わっても、中身は全然変わってない。

「きいぃ~っ、そんなことさせないわよっ。今度こそあんたの息の根止めてやるわっ!」

 反っくり返ったままで合歓がじたばた。しっぽも、ばたばた。

 頭にはまだ、眞砂の指がしっかりとかかって押さえ込んでいる。

 物騒な言葉とは裏腹に、なんだかコミカル。

 返す刀で眞砂が答える。

「さっきはちょこぉ~っと油断しただけだ。今度はウサギみたいに丸呑みにしてやんよ」

「この女、むっかつくっ! やれるもんなら、やってみたら!?」

 ふふふ。

 ふふっ、ふはっ。

「あははっ」

 ああ、なんだろう、これって。複雑だけど、なんだか。

「良かったのう、おぬし。ふたりの美少女に取り合いじゃ。それってば、男の夢なんじゃろ?」

 そう、なんだかとっても…………幸せだ。

「にやにやしおって。気持ち悪いぞよ」

「そりゃあね。だって自分の人生で、こんなことって絶対起こりえないって思ってた。これってやっぱ、神さまのおかげかな? まだちょっと、このままでいたいなーって」

「ふんっ、まじで二股かける気か。男の風上にも置けんのう」

 だって、ふたりへの気持ちはもう変えられない。どっちとも選べない。

 金髪碧眼の、幼女の姿をした縁結びの神さま、ロリ神さまはそんなおれを見て、深い溜め息とともに恐ろしい忠告をくれた。

「まあ、せいぜいふたつに引き裂かれんよう、気をつけるんじゃな」

「あははっ、はいはい」

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畜生乙女とヘタレ男子 るかじま・いらみ @LUKAZIMAIRAMI

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