ネバー・レットゴー!~主の命令と兄妹の戸惑い~

いいの すけこ

命令と絆

 カアア、と頭上を旋回するカラスが鳴いた。カラスの瞳が赤く輝くのは、魔力の証だ。足環はきっと従属の印。

「『闇夜の烏ナイトクロウ』、急降下!」

 その声に、カラスは地上の目標目掛けて高度を落とした。命令する声は子どものもの、カラスの降下地点にいる目標――攻撃対象も、また子どもだった。

「『黒い羊ブラックシープ』さん!」

 カラスの接近に、切羽詰まった声が上がる。カラスの標的にされた少女の頭上に鋭い爪が迫った、その時。

『可愛い巻き毛ちゃんの髪が乱れるだろうが』

 ばしん、とカラスを払い除ける黒い影が飛び込む。

 少女の波打つ金の髪がその勢いに舞ったけれど、鋭い爪がかかることはなかった。

『まあ俺も巻き毛ちゃんなんだけど』

 カラスの艶々した黒と違う、ほわほわとした黒いシルエット。短い足の先は蹄で、己を呼んだ主の丸い肩の上にやわらかに着地した。四足でなく、二足で。

 くるりと巻いた角に、黒雲を思わせる体毛。ぴこぴこ動く耳も顔も真っ黒で、ただ魔力の発動を示す青い光の紋様が浮かんでいた。

『魔術師ミリィ・リリーが使い魔、『黒い羊』。主の課題やら試験やら進級やらのために戦う者なり!』

 その体は、布地とガラスの目玉でできていた。

 魔術学園初等教育科四年生、ミリィ・リリーの使い魔は黒い羊――の、ぬいぐるみであった。

「『闇夜の烏』、再浮上して! 高く距離を取ったら、羽根の矢攻撃!」

 カラスの主、ミリィのクラスメイトである女生徒が追加の命令オーダーをかける。

 ミリィが命令するまでもなく、黒い羊のふわふわボディがぽよんと弾んだ。羽根のあるカラスにも追いつく高さを飛び上がって、フェルトの前足を振り上げる。

 スパァン! と小気味のいい音を立て、黒い羊はカラスを地上にはたき落とした。

 カラスが墜落すると同時に、黒い羊はミリィの目の前に着地する。

 ミリィの腰ほどの背丈があるぬいぐるみの使い魔と主は向かい合い、手を打ちあってぽふんと鳴らした。

「勝者、ミリィ・リリーとその使い魔、『黒い羊』」

 傍らで審判員を務めた女性教師が、ため息交じりに宣告した。


 ここは大陸随一の魔術教育機関、ヴェゼル魔術学園。

 魔術師の卵たちを質の高い教育で導き、幾人もの高名な魔術師を輩出したことで有名な学園は、こと使い魔を扱う教育においては熱心に力を注いでいた。

 それは学園の創始者が誰よりも強い使い魔を従えたためだとか、元々学園の前身が使い魔の研究機関であったからなどと、五百年分の学園史には記録されている。

 ともかくも大陸では魔術と、文化と生活にまで使い魔の存在が深く馴染んでいて、魔術教育を受ける際の必須とも言えた。

 故に、学園の学習要領には『使い魔ファミリエ決闘デュエル』の実施が随所に盛り込まれている。

 ふた月ほど前に進級試験として行われた使い魔の決闘。奇妙なえにしを繋いで主従契約を結んだ黒い羊とミリィは、試験を乗り越え、無事に初等教育科四年生の日々を送っている。

 今も授業でクラスメイトと使い魔を戦わせたばかりだ。

「勝者はミリィ、ですが……。成績をつけることはできませんよ」

 教師の冷たい目と。カラスをローブに包んで抱えた級友の、恨みがましい目つき。ミリィがすくんでいると、教師は一度クラスメイトの方を向き直った。

「あなたは使い魔によく指示を出せていましたね。まずはそこから、大事なことです。さあ、使い魔を手当てするか治癒魔法を施すかして、休ませてあげなさい」

 優しい声で言って、カラスの主を場外へ出した。

 試験などの特別な決闘の時は闘技場を使うが、普段の授業では観覧席も入場門もない運動場を使用する。そこに教師が魔術の光でサークルを描き、闘技場としていた。

 教師はサークルの光を消すとミリィと向き合った。今度は一転、硬い声で告げる。

「今まで授業では、いかに的確に己の使い魔に命令をするか、という事を教えてきた筈です。なぜ過程を無視するのです? 何一つ指示を出さず、使い魔の意志だけで戦わせるようなやり方は教えていませんよ」

「それは、私の使い魔は、命令なんかしなくても戦える子だからです……」

 おずおず反論するミリィに、教師はまた一つため息を落とした。

 自分はこの人に、一度だって優しい声なんてかけてもらったことがあるだろうかなんて思う。

「もう授業時間が終わります。次の授業までに、もう少し考えて反省しておきなさい」


『俺が出しゃばったせいだな。悪かった、主人マスター

 手と手、ならぬ前足を繋ぎながら、黒い羊はミリィに謝った。

 教室へ引き上げる途中の廊下でのこと。

 生徒たちは使い魔を連れたままにしている者もいれば、引き下がらせた者もいる。大概、猫や鳥など日常でも目にする小動物を使い魔にしている場合は、傍に連れておくことが多い。狼や猪など気性の荒い獣、精霊や聖獣といった類の使い魔は、主の傍らに魔力で空間を作り出して姿を消す。言葉を持つ一部の使い魔たちが言うには、眠ったり休んだりしているらしい。

 黒い羊の外身はぬいぐるみで、連れ歩くには目立つ。まるでおもちゃを教室に持ち込んだみたいだ。

 けれどもはや、物珍しいぬいぐるみの使い魔のことは学内に知れ渡っているし。その中身はおいそれとからかったりできるような存在ではないことも、多くの生徒が承知している。

「シープさんのせいじゃないよ。だって良い使い魔は、主の先回りをして行動できるっていうじゃない」

 黒い羊ブラックシープでは長すぎるから、シープさん。見たままの安直な名づけをして、もうすこしカッコいい名前を付ければよかったと思う。けれど一度つけた名前は、そうそう変えられるものではないし。ぬいぐるみの中にいる魂の名前までは教えてもらっていない。

 進級試験迫る中、ねずみ一匹すら使役できなかったミリィの前に現れた彷徨える魂。ミリィの手作りぬいぐるみの中に入り込んだ魂は、どういうわけかミリィの魂と結びつき、主従契約を成立するに至った。

 その魂はワケありのお尋ね者の体から離れたものらしく、結果ミリィは学園で一段と浮く存在となってしまった。

 それでもいつもそばに信頼しうるパートナーがいる心強さの方が、疎外感を上回ったけれど。


「命令が少なければ少ないほど、優秀な使い魔なんだよ。実際、少しずつ主人の命令なしに動けるように使い魔を慣らしていくんだもの。中等科以上の先輩たちだって先生たちだって、使い魔への命令は最低限のことしかしなくなるんだから」

『そりゃあ確かに、そういうもんだな』

「でしょう? 四年生で習う課程を私がちょっと早く習得してて、すっ飛ばしちゃっただけだよ」

 黒い羊には出逢った頃こそ、一緒に眠ってとか勉強を見ていてとか、日常のお願いくらいしかできなかったけれど。それはミリィ自身も、主としての心構えができていなかったからで。

 進級試験である使い魔の決闘に参加して以来、黒い羊はミリィの前に立って戦ってくれるようになった。

「私とシープさんは、もうしっかりと意思疎通できてるから命令なんていらないの」

 ミリィはふふんと胸を張る。

 ろくに使い魔すら得られなかった、落ちこぼれミリィと呼ばれた自分が、こんなにも共鳴し合う魂と出逢えたこと。

 それはきっと、今までの屈辱を取り返すためだったのかもしれないとさえミリィは思う。

『まあ俺の中身は人間だから、意志疎通はしやすいわな。多くの魔術師は獣だの精霊だの、人と違う生き物と関係を築かなきゃいけないから、そこで苦労する』

「だから私も、使い魔契約は失敗ばかりだったんだけど。でもシープさんの中身が人間だからって、ズルしたわけじゃないもん」

『ズルしてるとは言ってねえよ。でもさっきのカラスの主人も、クラスの連中どもも、みんなよく頑張ってるんだなとは思うな』

 自分以外の誰かを褒める己の使い魔の言葉に、ミリィの胸が痛んだ。先ほどの教師の指導を思い出してしまう。

「私だって頑張ってるもん……」

『そりゃあわかってる』

 へにょりと顔を歪ませたミリィに、黒い羊は言った。

『とにかくこれから授業中は、俺はミリィの命令を待って動くことにするから』

「えっ、やだ!」 

 先ほどまでの自信が一気に喪失して、ミリィは声を上げた。

「いやだ、無理だよ。だって私は咄嗟の判断が下手くそだし、戦いのセンスはシープさん自身のものだもの。シープさんに見放されたら私絶対失敗するし、決闘だって勝てないよ!」

『見放すなんて言ってないだろ』

 どうしようもない不安が押し寄せて、ミリィは黒い羊の小さな手に縋りつく。

「いやだよ。私の手を離さないでよシープさん……」

 呆れたため息が、口のない羊から漏れたような気がした。

 


 ☆ ☆ ☆



 黒い羊から見放された――とミリィは認識している――時からしばらくは、座学と使い魔の訓練以外の実技が続いた。

 ミリィはその間、何度も黒い羊の説得を試みた。先生はミリィに特別厳しくするからただの意地悪だと思ったし、学習要領である『使い魔と十分な主従関係を築くこと』はクリアしているはずだ。

「シープさんは、人の命令に縛られるのなんて嫌でしょう?」

『反吐が出るほど嫌いだな』

「だったら」

『だが使い魔をまともに扱えない主人に仕えるのも御免だね』

 放課後の寮部屋で、羊のぬいぐるみはベッドに寝そべりながら答えた。窓際の学習机に着席しているミリィは、思わず本を投げつけたい衝動に駆られてしまう。

 ふてくされて視線を窓に移したその時、ふわりと青白い影が舞いこんだ。

「蝶……」

 思わず指を差し出したら、青白い蝶が指先に止まった。

 羽根の模様の合間、薄青の部分に、文字のようなものが書き込んである。

 研究用のマーキングだろうか、とまじまじ眺めて、ミリィは息を呑む。

『どうした?』

 異変に気付いた黒い羊が、ぴょんと机に飛び乗った。

『なんだこの蝶、羽根になんか書いてあるな。1800、西棟廊下……ジグ?」

 ミリィは机の置時計を確認した。あと十五分ほどで十八時になろうとしている。

 ミリィは勉強道具もそのままに、青いローブを羽織って部屋を飛び出した。

『あっ、おい!』

 黒い羊は慌ててその後を追う。短い脚ではミリィの駆け足には追い付けないから、蹄に魔力を溜めて思い切りジャンプした。ぽふんとミリィの肩に着地して、頭にしがみつく。

 ミリィは息を切らせながら、初等科校舎の西棟へと辿り着いた。西棟校舎一階の最西端にある、渡り廊下の前に立つ人影を見つける。

 息を整えるように飲み込んで、ミリィは言った。

「兄さん」


『にいさんだあ?』

 ミリィと同じ金の髪に緑の瞳。頼りない分穏やかな印象の妹と比べて、兄の方は厳しい雰囲気のある顔つきをしていた。角ばったレンズの銀縁眼鏡をかけているからかもしれない。中等教育科の指定色である、緑色のローブを纏っていた。

「ちゃんと来たな」

 初等科と中等科を繋ぐ渡り廊下で待ち構えていた兄は、感情の窺えない表情と声で言った。

「なにか、ごよう、なの」

 初等科の時間割で、放課後に設けられた自主学習の時間と、夕食の時間までの間に許された自由時間が大体十八時から十九時。中等科以上はもう少しタイトになるが、夕方のこの時間は概ねどの学生も時間が空いていた。そのあたりを見込んで呼び出しをかけてくるあたり、兄は本当に模範的な学生であるとミリィは思う。

「お前がおかしな使い魔を従属させてから、話す暇がなかったからな」

 ミリィの頭上で、黒い羊がぴくりと体を震わす。

「おかしく、ないもん」

「おかしいだろう、ぬいぐるみだぞ? 中に入っている魂だって、得体が知れない」

 ミリィは兄の言うことにいつも反論できない。年上だからという事を差し引いても、兄は頭も弁も回るから。考えも言葉もうまくまとめられない、伝えられないミリィはいつだって言い返せなかった。

「……おかしくったって、いいもん」

 けれどこれだけは、譲れなかった。

「シープさんがおかしな使い魔だっていいもん! シープさんはクラスのどの子の使い魔よりも強くて、戦えて、勝てるんだから!」

「その勝ち方に問題があるって話だろう!」

 ぴしゃりと言い放たれて、ミリィは身を固くした。


「授業で先生の言うことを無視しているらしいな。使い魔に命令を出さず、好き勝手戦わせていると」

 それでこのタイミングで呼び出してきたのかと、合点がいった。

 教師が兄に告げ口したのか、噂が漏れ聞こえたのかは知らないが。なんて厄介なことに、とミリィは内心恨めしく思う。

『それは確かなことだな』

 黒い羊がミリィの肩からぴょいと飛び降りて、兄との間に立った。

 奇妙な使い魔に立ちふさがられ、兄の片眉が跳ね上がる。

『はじめまして、わが主の兄上殿よ』

「……中等教育科一年、ジグ・リリーだ」

 ジグは冷たい目で、黒い羊を見据えた。

「ミリィの邪魔をしている自覚はあるのか、怪しげな魂」

 ジグが言ったのと同時に、ローブの中からしゅるりと小さな影が躍り出た。左腕の上に、一匹の大蜥蜴が掴まっている。

 朱い鱗に、鋭い爪と牙。

『おお、兄ちゃんの使い魔はサラマンダーか』

 ぱか、と大きな口を開けて、サラマンダーは漂っていた蝶を捕食した。どうやらメッセンジャー兼ご飯だったようだ。

 ジグはサラマンダーの乗っていない右腕でタクトを構え、黒い羊に突き付けた。

「間抜けな羊、ミリィとの契約を解除しろ」

 黒い羊は瞬きひとつしない。ガラスの瞳だから、当然だけれど。

「だっ、だめ! シープさんは私の大事な使い魔なんだから!」

 叫びながら黒い羊の前に進み出ようとしたミリィを、ジグは冷たい視線だけで制止した。

「お前の子守りにはなっても、授業の役には立っていないだろう。素性も怪しいことこの上ないし、必要ない」

『ド正論だねえ、お兄ちゃん。でもなあ、契約の破棄はそんな簡単には……』


「……行け、『炎の鱗フレイムスケイル』」

 囁くように、命令を。

 命じられたサラマンダー・炎の鱗は、噛みつくような動作で大口を開けると炎を吐き出した。

『っと、あっち!』

「シープさん!」

 ミリィはただ黒羊の名を呼ぶ。

『名前を呼ぶだけじゃなくてだなあ、命令をよこせっつってんだ!』

 中等科に進むまで勉学に励んだジグは、すでに言葉少なに使い魔を操っている。けれどミリィはまだ修練が足りない。黒い羊が特殊な使い魔ゆえ、彼女の意志も命令も気にせず戦ってきたが、本当はそれでは駄目なのだ。

「兄さん、だめ! やめて!」

「お前の意見は聞いてない」

 ジグの杖が、光を纏う。

 炎をよけて体勢を崩した黒い羊に、光が撃ち込まれた。

 操り人形が糸を引かれたように、不自然に黒い羊の体が跳ねる。

『……ああ?』 

「シープさん?」

 ふわふわの体に触れようとした、ミリィの手を。

 黒い羊は思いきり払いのけた。

「どうして……」

 離さないでって、言ったのに。

『精霊の光なんぞ、面白いもん仕込んでんじゃねーか』

「精霊を使い魔にしている友人がいてな、少し分けてもらった」

『精霊の連中は、精神を惑わす力を持った奴が多いか、ら、なあ』

 黒い羊は酒にでも酔ったように、あっちへふらふら、こっちへふらふらと千鳥足で歩き回る。

「お前の精神は錯乱状態にある。己の主が誰だかわからなくなっているし、己の魂の置き所すらあやふやだろう」

 ガラスの瞳で明後日の方向を見つめたまま、黒い羊はぽすんと音を立てて仰向けに倒れた。

「その魂をぬいぐるみから解き放ち、ミリィの元から消え去れ」

 黒い羊の魂と魔力を表す、青い光の紋様が消えかかっている。持ち上げようとした蹄は力なく、廊下の床を叩いた。

 このままでは、彼の魂はミリィの元から離れていってしまう。

「……離さないで」

 それは命令というより、願いだった。

「おねがいシープさん! 私の手を離さないで!!」

 願いを命令に変えて、叫ぶ。


『離さないでじゃねえ!!』

 刺繍一刺し分も口の造形がないぬいぐるみが、それでも叫んだ。

『命令ができる、ようになった、はいい成果だ。それはいい。それはいいが……なあ!!』

 黒い羊はまだ呂律がうまく回っていない。けれどガラスの瞳に、魔力の青い輝きが戻ってくる。

『離さないで、じゃなくて、お前が離すな! ミリィが俺の主人だ、ミリィが俺の魂と手綱を掴んで離すなってんだ!!』

 縋り付くのではなくて。

 その手を自分から掴んで、決して離すな。

『それから、自分自身の手綱も自分で掴んで離すなよ。誰にも握らせるな。たとえ教師だろうが兄貴だろうが掴ませるな』

 たとえ兄が、妹を想って害悪な使い魔と引き離そうとするのであっても。

『さあミリィ。命ずるなら、もうちょっとマシな命令をしてみな』

 離さないで、じゃなくて。

 私は私の大切なものを、離したりなんてするものか。

「……『黒い羊ブラックシープ』、とっとと立ちなさい!」

 ばつん、と何かが弾けるような音がして、黒い羊から光の欠片らしきものが飛び散った。

『いい命令だ、わが主よ』

 ゆらりと立ち上がり、使い魔は主の敵の前に立ちはだかる。


「『黒い羊』さん、天井近くまで跳んで!」

 あまりにも珍しい、激しい感情をたぎらせる妹の姿に、ジグは一瞬気をとられた。更に精霊の光を過信していたゆえ、完全に反応が遅れる。

「後ろ足に思いっきり魔力をため込んで、そのままサラマンダーちゃんの頭に思いっきり蹄落とし!!」

 黒い羊の後ろ右足が青い光を帯びる。羊の蹄が、炎の鱗の脳天を直撃した。

「フレイム!」

 きゅう、と細い鳴き声と小さな炎の名残のようなものを吐き出して、ジグの使い魔は腕から転げ落ちた。杖の光はすっかり潰え、どうやら一回限りのお裾分けだったらしい。

「兄さん」

 炎の鱗を抱きかかえるジグに、ミリィは真正面から向き合った。

「私は絶対、『黒い羊』さんの主人であり続けるよ」

 ジグは眼鏡の下の瞳を、悔しそうに細めた。

「……授業はちゃんと、先生の指導通りに取り組め」

『兄さんよ、今、ミリィはちゃんと命令できてただろ? いいか、ミリィ。確かに主人と使い魔の絆が深まれば、言葉以外の意志疎通方法をとったりするし、命令するまでもなく使い魔が自身の判断で動くことが増える。だがな、それは絶対じゃないんだ』

「さっきみたいに、使い魔が自我や判断力を失うこともあるしな。どんなに使い魔が優秀に育っても、信頼関係が強くなっても。それでも主人が使い魔をリードする、その前提は崩れないし、そのために主人は、まず自分が的確な指示を出せるよう鍛錬する。それを怠ってはならないんだ」

「……はい」

 二人の話に、ミリィは今度こそ心から頷いた。

 何があってもミリィは黒い羊の主人で、導かなければならないのだ。

『まあいけ好かない教師や兄貴の言うことを、聞きたくない気持ちはわからんでもないが? 正しい指導してもらうことや、忠告を受けることは、主導権を握られることとはまた別だ。自分は未熟だとわかったんなら、ありがたく学ばせてもらえ」

「いけ好かない?」

 黒い羊のガラスの瞳と、兄の自分と同じ色の瞳の間に火花が散ったのを、ミリィは見た気がする。

 いつもみたいにおろおろしていたら、ジグは小さくため息を吐いた。

「……夕食の時間に間に合わなくなる。帰る」

 ジグはミリィに背を向けて、中等科の校舎へと戻っていく。目を回したサラマンダーが、肩の上で伸びていた。

「あの、兄さん。困らせて、ごめんなさい」

 思わず手を伸ばしたら、遠ざかっていく足音が止まった。

「……ミリィが困ってないなら、とりあえずは、良い」

 一度も振り返らずに、兄の背中は渡り廊下の向こうへ消えていった。

「ねえシープさん。次の授業までに、私に決闘の戦略とか教えてね」

『とりあえずはめしだ、飯』

「シープさんは食べないでしょう」

 もうすぐ十九時の鐘が鳴る。

 ミリィは駆け足で、食堂へと急いだ。








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