持て余す男

脳幹 まこと

こんな自分には見合わない


1.


 子供の頃から、何にもやる気が出せなかった。

 何をしても楽しくないし、楽しみたいとも思わなかった。

 他の子が「面白い」と思っていることがそう感じられず、かといって自分で面白さを探求する気にもなれず。

 最初のうちは遊びに誘ってくれたりもしたが、つまらなさが顔に出たのだろう。早々に一人ぼっちになった。

 大人しいのでセンセイ受けは良かったが、成績表のコメント欄には「もっと積極的に」と常に書かれていた。

 夢がなかった。

 中身のないヤツだと言われた。

 両親は特段何もせず自分達の仕事に精を出していた。

 誰かに反抗した覚えは一度もない。そのまま成長した。

 高校・大学時代とパシリをやらされた。クズと悪名高いMさんは後払い・・・で色々なものを買いに向かわせた。

 お気に召さなければ殴られた。極辛MAXなる針のむしろみたいなやつも食わされた。ドブに頭から突っ込んだこともある。

 ツケは未だに払ってもらっていない。


 会社に入ってみると、沢山の仕事が降ってきた。

 他の皆は早々に切り上げて帰っている。お荷物・・・としては早く仕事が終わるよう努力の日々だ。

 まあ、別に早く終わったとして、やることなんてないのだが。

 いつも土日は仕事を消化しているのだが、今週はたまたま日曜が空いた。

 やることがないのでふらふらと街を歩いてみる。どこにも寄る気はない。ただ持て余した分を消化しているだけだ。

 普段の出勤で使う道から一本外れてみると、それなりに大きな橋があった。

 ぼーっと景色を眺めてみる。自分が間違っているのは分かっていても、どこが間違っているかまでは分かっていない。

 皆、何をそんなに慌てているのだろう。


「お疲れですね。仕事帰りですか?」


 声のする方を向いてみると、快活な笑みをはりつけた男性がいつの間にか傍にいる。

 何かのキャッチか詐欺師だろうか。


「まだ何にもしてないんですけどね」

「ほう、明らかに魂が入っていないように見えましたが」

「周りからもよく言われます。お前と一緒にいると暗くなるって」


 その言葉に悩みを嗅ぎ取ったのだろう。

 男性は人差し指を立てて提案した。


「よろしければ、場所を変えて詳しいお話でも」


2.


「……なるほど。何に対してもやる気が起こらず、一種投げやりになっていると」


 一通りの話を聞いた男性はそう結論付けた。

 案内されたバーの店内にはひんやりとしたピアノの音楽が流れている。

 これまでもこれからも来る予定のなかった場所だ。


「私の見立てですと、あなたは学習性無力感、それも相当重度のものにさいなまれていると考えます」

「はあ」

「そのため息のような相槌を打つのも症状のひとつです」


 ぴしゃりととがめられた。ここに来てからずっとこうだ。帰りたくなる。

 バーのマスターに名前も知らないカクテル二杯を追加で注文し、彼は続けた。


「なぜあなたが何にも夢を抱けず、面白みを感じられないか。はっきり申しますと、それは成功体験の欠如によるものです」

「成功体験、ですか」

「人は多かれ少なかれ願うものです。本来であれば、子供の時点で願いが成就した経験をするはずなのです。それが自信であり、前向きさであり、将来の希望に繋がってゆく」


 しかし、と彼はわざとらしく肩をすくめる。


「あなたは周囲に恵まれなかったようだ。哀れ、希望の芽は摘み取られてしまい、強烈な重圧にさらされてしまったのです」

「そんなことはないと思うのですが」

「いいえ。認めてしまうべきです。そうでなければあなたはいつまでも前を向けない……」


 その後も、すれ違ったやり取りが延々と続く。

 いつまでも本題に入れないと思ったのか、男性は「そんなあなたに」と強引に話を切り出した。

 彼が手持ちのアタッシュケースを開けると、中には赤い和服人形が入っていた。

 見た限り相当な年月が経っているように見える。しかし長い黒髪にはつやがあり、凛とした表情にも尋常でない生気が感じられる。


「端的に言いましょう。これには膨大な霊力が込められています。契約すればあなたにとって大きな力になってくれます」

「はあ、きっとお高いのでしょう?」

「いいえ。お代は必要ありません」


 太っ腹だと言いたいところだが、下手に受け取ってメンテナンスするのも大変だろう。

 人に見合ったものを選ぶべきだ。


「いえ、結構です。大丈夫です」

「断言しますが、あなたはこの機会を逃すと、一生パッとしませんよ。ずっといてもいなくても変わらない存在のままです」

「ええ。何もしなくてもいいです」

「何もしないことで罪から逃れたいのでしょうが、何もしないことだって立派な選択なんですよ? 同じ選択なら何かしたほうが良いでしょう?」

「別にいいじゃないですか。何もしなくたって」

「そんな人生じゃ張り合いもありませんよ?」

「求めたこともありませんね」


 必死に要らないことをアピールし続けたのだが、ほぼ押しつけられるような形で人形を引き取ってしまった。

 まるで最初から要らないものを切り捨てたかったかのようだ。

 男性は去り際にこんなことを言い残した。


「その人形は凄まじいので、持っていることを誰にもはなさないでください。そして決して手放てばなさないでください」



3.


 持ち帰ってみたものの、見合ってなさを痛感しただけだった。

 人形は爪の先まで精密に作られている。材料は何か分からないが、肌の部分などはもっちりとした弾力を感じるほどだ。

 とりあえず埃などが積もらないようにショーケースを買わなくてはならない。

 ぼんやりと今後のことを考えていると、かすれた少女の声がした。

 声のする方向には人形しかいない。


「ネ……ガ……イ……」


 等間隔で「ネガイ」と繰り返している。

 願い。

 何か叶えてほしい願いでもあるのかと思ったのだが、一向に続きが発されない。

 どうしたものか。別に他にやることもないし、付き合ってみてもいいかもしれない。


「何か用でもあるの?」


 声が少しの間、止まった。

 その後、顔がうつむいた・・・・・


「ハ……ナ……シ……テ……」


 離して?

 そう思って近くにあったゴミ袋をどかしてみる。

 変わりなし。

 部屋中のものをすべて廊下に出してみる。

 変わりなし。

 自分が離れるってことなのかと思い、部屋の外に出てみた。


「ヒ……ド……イ……」


 何故か非難されてしまった。置いてきぼりはいけないらしい。

 だとすると放して? でもあのうさん臭い男性は「手放すな」と言っていた。

 どうにも釈然としない。


「オ……ハ……ナ……シ……」


 どうやら何か話してほしいらしい。

 どんな話をすると喜んでもらえるのだろう。

 仕方がないので片っ端から昔ばなしを読んで聞かせた。

 結局、それが良かったのか、押し黙ったまま終わった。


 月曜日は会社に出向くことになるが、いつものように出ようとしてこの世のものとは思えない視線を受けたので、人形を木箱に入れて、それを大きめのビジネスバッグに更に入れた。

 会社に一番早く来て、一番遅く帰るのがいつもの流れだったのだが、今日に限っては違っていた。

 一番早く来たのは間違いないが、仕事の量がグンと減っているような気がする。普段なら、どんどん周りの人から教育・・されてたのに。

 というのもあって、さっさと帰ることが出来た。何かぶつぶつと聞こえてくるのだが、声のする方を振り向くとピタッとやんだ。


 帰って木箱を開けてみると、人形の両腕が伸びてきた。

 小さなおててが頬にあたった。じわりと熱気がこもっている。


「ネ……ガ……イ……ハ……ナ……シ……テ……」


 こちらの願いを話してほしいらしい。

 といっても、これといった願いはない。

 人形の髪にゴミがついていたので取ってやる。


 明日以降も、事あるごとに願いを話してほしいと語りかけてきた。

 願いはないのだが、おそらくは心配してくれているのだろうと思った。

 やれることがどれだけあるかは分からないが、髪をかしたり、折り紙を一緒に折ったりと色々と手を打った。

 料理は流石に食べられなかったが、針を持って縫物ぬいものが出来るあたり、和服人形らしい。

 最初は途切れながら喋っていた彼女も流暢になっていった。


「ネガイ、ハナシテ、クレナイ」

「ないんだ。申し訳ない」

「コマッチャッタ」

「困ったろう。こんな持ち主ところに来てしまって。今ふさわしいところを探しているから」


 ノートPCが壊れた。


4.


 いつもの通り出勤してみると、自席にMさんが座っていた。

 今日はお早いですね、と挨拶しようとしたところを、思いきりグーで殴られた。


「奴隷がいつまでも調子乗んな」


 いてっ。

 何が何だか分からないが、お怒りのご様子だ。

 尻餅をついているところに、何枚かの印刷用紙がばらまかれる。

 それは勤怠やタスク消化の状況をまとめた報告書だった。

 読んでみる限り、皆が教育を止めたときから全体評価が右肩下がりになっている。


「お前が俺達の仕事引き取らないせいで仕事が回らなくなってんの。分かる?」

「はあ」

「その【はあ】っつうのやめろや。聞いてるだけでムカつくから」

「それで何をするといいのですか」

「お前が率先して引き取れ。それで失敗したら全部の責任を背負え。それがお前のためだ。どうせ何もやる予定ないんだから良いよな?」

「良いですけど、それって前までと一緒じゃないですか。なんで一度止めたんですか?」


 Mさんは険しい顔をして押し黙った。

 よく分からない沈黙が流れていき、その間に別の人が入ってきた。

 Mさんはこちらを見ずに「とにかく、やっとけよ」とだけ伝え、彼の持ち場に戻っていった。


 仕事量はこれまで以上に増えたが、Mさんの言う通り、特にやることもなかったのは事実だった。

 徹夜しなくてはならない時も出てきた。流石にこたえるなと思ったが、その時は入院になるか、野垂れ死にだろう。どちらが出るかは運次第だ。

 彼らは早々に切り上げていったが、表情はどこか焦っているようだった。

 一人きりのオフィスの中で、それとなく見たネットニュースには、あの男性の顔写真と「詐欺の疑いで逮捕」という一文が書かれていた。



「オネガイハナシテ」


 金曜日の深夜。声が聞こえてきた。

 机には残り作業が山のように積もっている。

 そういえば……しばらくお話してなかったか。

 やっぱり別のところへ送ってあげるべきだと思った。あまりに不適切過ぎる。こんなのは本物だったら育児放棄ネグレクトだ。


「むかしむかしおじいさんとおばあさんが……」


 もう少しで休みになる。そうなったら、どこかの神社に持っていこう。

 手放してはならない、という言葉も詐欺師の嘘だろうから問題ないはず。

 そうであってほしい。

 自分はいい。だが、この子には迷惑をかけたくない。



――きっと、そんな願いを慈悲深い神様仏様が叶えてくれたのだろう。

 疲労困憊のまま自宅に戻ろうとしたところ、珍しくMさんに捕まった。

 どうやら今日は教育の感謝をする日とのことだ。

 後払いで散々酒やツマミを食べた流れで、部屋に上がりこまれた。


「たっかそーなのは、どーれーかなー」


 上機嫌のまま、品定めされる。

 大半のものはチャッチーだのダセーという評価だった。


「おめーさー、つーちょーとかカードとか持ってねえの?」


 どうせ使わねえだろ、と絡みはじめる。

 その時、Mさんの目があるモノを捉えた。


「あり? こんなんさっきまであったっけえ?」


 それは赤い和服人形だった。

 素人目で見てもオーラがひしひしと感じられる、逸品いっぴん


「まっ、これでいいわ」


 ひょいっとビニール袋に押し込んで、さっさと帰っていった。

 心から安堵した。これであの子も正しい持ち主のもとで暮らせる。

 滅多に感じたことのない心の解放を覚えつつ、テレビをつけてみる。


 土曜スペシャル

《持つものがすべて悲惨な末路を辿る悪魔の呪物! シャクジイ様の祟り》


5.


 世の中には「シャクジイ様」と呼ばれている呪物があるらしい。

 いわゆる悪魔のような存在であり、超自然的な現象を引き起こすことが出来る。

 人間を始めとした高度な知能を持った生物の魂を食糧としており、分不相応な願いを願掛けさせ、その対価として魂をむさぼるとのことだ。

 歴史は古く、その始まりは平安時代からになるらしい。器を度々変えながら現在もなお存在している。

 そしてつい最近、安置されていたそれが寺院より盗まれ、市場に出回っているとの情報があった。


「それを目撃したら、直ぐに以下の番号に電話をしてください」


 先日見たテレビ番組の内容。

 その時は特に考えることもなく見終えたのだが、少し困った事態になってしまった。

 最近、社員が次々と謎の失踪をしている。それもMさんをはじめ、教育を施していた人達ばかり。



 最初の一人はMさんで、その時は他の人達から散々められた。


「お前がやったんだろ?」

「恨みに抱いたからって、やり方が卑怯なんだよ」

「どこにやったか吐けよ、それとも誰かに頼んで消したのか?」


 彼らの言っている意味がよく分からなかった。

 どうして色々と世話を焼いてくれる恩人にあだなす必要がある?


「なあ、いつも感じてたアレ・・、今はなくねえか?」

「そうだな、いっそボコっちまうか」

「ああ、これも教育だからな」


 いてっ、いてっ、いてっ。

 別に嫌ではなかった。

 彼らと違って胸を張れるような存在でもない。


 そう思っていたのに、今度は彼らが消えてしまった。

 これ以上は消えてほしくないと思っていたが、一人ずつ消えていった。

 心底怯えた顔をしながらこちらを見ていたのが最後だった。


 もう誰も教育をしなくなった。

 上司も会社を辞めたし、後輩もある日から出社しなくなった。

 社長は後々の迷惑を考えて、ということで希望退職者をつのった。


「君には迷惑をかけたくない。だから、な?」


 温情に従うことにした。これで職なしになった。

 今のところは後払いの退職金を待ちながら、なけなしの貯金で生活をしている。

  


――お昼のニュースです。本日未明頃、〇△株式会社・取締役社長のSさんが意識不明の状態でI県A市の雑木林に倒れているのが発見されました。Sさんは最寄りの病院に搬送されましたが――


「はあ」


 ため息を一つついて定食屋を後にする。

 これで財布はすっからかんだ。会社に連絡したところ、退職金の準備にひどく時間がかかっているらしい。

 明日からどうするか。アルバイトしながら就職活動。

 まあ、やっていけないことはない。別に何かを目指しているわけでもないし、何も要らない。

 誰も求めてないし、誰からも求められていない。

 そういう生き方が性に合っている。


 夕方まで何となくふらついて、帰ってみた自宅のカギは空いていて、それでも大したものはないとドアを開ける。


「ネ……ガ……イ……ネ……ガ……イ……」


 彼女は背を向けていた。

 久方ぶりの声だ。

 泣いているのか。

 迷子にでもなってしまったのか。


 彼女のかたわらには印刷用紙が山のように積まれている。

 誰が置いたのだろうと思いつつ眺めてみると、写っているのはMさんを始めとした消えた人達だった。

 みんなうつ伏せになっている。そして全員、頭が異様に変形している。加工でないなら、明らかに生きていないだろう。


「ミタサ……レナイ……」


 確かに、こんな自分では満たされないだろう。

 今度こそ彼女をちゃんとした人の元に送ってやらなければ。


「オネガイ」



 彼女は振り返る。


 可愛らしい、着物姿の小さなわらしだ。




「ハナサナイデ」















「……とりあえず、髪を梳かしたいからこっち来て」


「ワカッタ」

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