パッチ・ユー!!

白里りこ

Patch You!!


 わたしはこの世界の不具合バグみたいなもので、もう次の更新アップデート修正パッチが当てられちゃうらしい。


「今まで生きてておかしいと思わんかったん? 本当に? 一度も?」

 大量のプログラミング機器がとっ散らかった正六面体の灰色の部屋で、彼女はただ画面を見ながら高速でキーボードを叩いている。ぼさぼさの黒髪に野暮ったい黒縁眼鏡、ひょろりとした体躯にゆるっとした紫のジャージ姿で猫背だが、彼女はいわゆる神様というやつらしい。

 わたしもゆるっとしたトレーナーとジーンズという格好で、土足でこの部屋に召喚されたまま、所在ない気分で突っ立っている。


「あんたみたいな貧乏くさい無課金プレイヤーの女が、国内屈指の難関大学に入って優秀な成績を取り? 国家資格も余裕でゲットしつつ? アルバイトしてた塾で五教科担当を完璧にこなして生徒からも上司からも信頼が篤く? 心身共に健康で? 家族との関係も円満で? 所属しているバレーボールサークルでは優秀なセッターとして活躍し? 友達との仲も良好で? 優しくて善良な人格者で? 悪事に手を染めたこともなく? よく見たら顔つきも整ってる! んな完璧超人いるはずないっしょ。そんなんこっちは想定してないもん。何であんたみたいのが出てきちゃったワケ? 勝手に世界を荒らされたワイの身にもなれっての」

「あの」

「無自覚だろうけどね、あんたのそれ、不正チートだから。チート行為を運営が見逃してくれるのはライトノベルの中だけだから。現実じゃ、あんたみたいのをほっといたらワイが上から叱られる。やだもんそんな面倒なの。こっちでパッチ作って出す方がナンボかマシよ」


 何を言っているのかイマイチ掴めないが、この世界におけるわたしの在り方が今から何かしらの方法で変えられてしまうのか。聞いていて愉快な話とは言えない。

「えと……よく分かりませんが、わたし何か悪いことでもしましたか? だったら自分で直しますから、ヘンなことしないでください」

 神様はハアーッと長々しい溜息をついて、椅子ごと回してこちらを向き、ズビシッと私を指差した。


「悪事なんかしてないっつってんじゃん。ただワイには、この世界をシナリオ通りに滞りなく運営するっていう仕事があんの。その上であんたは目障りっていうか邪魔っていうか、まあワイ的には居ない方が好都合なの。シナリオ変えられたら困るもん。もうあんたを存在ごと消しちゃうって手もあるけど、そっちの方が修正箇所多くなってめんどくさいんだよね。だからあんたの能力値ステータスをちょっと弄ります。あんたはその内この世界に居場所とかなくなってくけど、まあ死にはしないからそこは安心してもろて」

 そう言われても安心できる要素はあんまり無かった。

「何がどう弄られるんです」

「んーまあ……」

 神様は一旦、目を閉じて考える素振りを見せた。

「あれよ、一番下方修正ナーフしやすいのは健康面だったから、それにした。そこ崩したらだいたいみんな人生のレールから転落すっから。あんたの住んでる環境じゃ、一度転落したらまず這い上がれんしな。人間、元気がなけりゃ何にもできませんってね。あとは……んー、ちょい待ち」


 神様はまたパソコンらしきものに向き合ってカタカタやり出した。

 社会復帰できないレベルの健康状態にさせられると宣告されたわたしは、ギュッと眉間に皺を寄せて神様を睨んだ。


「わたしを病気にして、何かが変わるんですか? そんなことよりどうにかすべき問題が、世界には山ほどあるじゃないですか。ロシアとかイスラエルとか」

「……うっさいなぁ」

 神様はこちらを向かずに、あからさまに苛ついた声を出した。

「あんたの持ってる勝手な基準で、ワイの仕事に文句つけんなよ。何を勘違いしてんのか知らんけど、ワイ、シナリオが世界平和だとかハッピーエンドだとか人類の繁栄だとか、んなこと一度も言っとらんぞ? もしそれを目指してんだったら、あんたの国に原子爆弾なんか落とさんわ」

「……」

 言われてみればその通りだが、そのシナリオに踊らされる人間としては果てしなく納得のいかない理屈である。

「まああんたには気の毒だけど、そーゆーことだから。生まれてきたのが間違いだったと思って諦めて。……お、出た出た。ほれ、こんな感じ」


 神様はスマホをタップするみたいに空中をトンッと叩いた。するとそこにホログラムみたいな長方形の映像が浮かび上がった。

 映像の端っこには白衣を着たわたしの姿が表示されていて、そこから矢印とかがいっぱい出ていて、日本語でつらつらと説明が記されている。


「見りゃ分かると思うけど、あんたが大学を卒業した後の話ね。今んとこ、仕事先でパワーハラスメントを受けて残業とかも山ほどやらされて、精神に異常を来し社会から離脱……ってのが無難かなーって。あんた、これまでに人間関係の揉め事そんなに巻き込まれてないから、その辺めちゃ脆いし。再就職するかどうかは任せるけど、今は一度壊れた脳とか精神を完全に修復できる時代じゃないからね、下手に頑張っても自滅するだけよ。ワイとしては自滅してくれて一向に構わんけどな」


 わたしは口をムムッと引き結んで彼女の話を聞いていたが、あまりの理不尽に、不平を漏らさずにはいられなかった。


「……わたしの研修先、どこもパワハラとか無さそうな感じだったのに」

「あのねえ」

 神様は呆れ返った表情を隠そうともしない。

「あんたみたいなラッキーガールには分からんのかも知れんけど、そもそも人間が集まるところには必ず闇があんの。パーフェクトにクリアでハッピーでピースフルな人間集団なんて存在せんから。もうそういう仕様だから、人間って」


 ターン、と神様はキーボードのエンターキーらしきものを小指で叩いた。


「はい、アプデ完了〜。せいぜい人生頑張って。あと、くれぐれもワイの邪魔だけはすんなよ。次何かやったらナーフじゃ済まさんからな。じゃ、これで話は終わりね。帰っていーよ。バイバーイ」


 神様が害虫でも追い払うような仕草で手を振ったのを最後に、わたしの視界は暗転した。


 ×××

 ×××

 ×××


 気づけばわたしは実家の自室のベッドで、布団にくるまって横になっていた。スマホを見れば、時間は十五時四十七分。


 またあの時の夢か、とわたしは小さく嘆息する。


 現状わたしの人生は、以前あの神様が言った通りになっていた。研修先の病院には恐ろしい性格の医師や看護師がたくさんいて、わたしはあっという間に追い詰められた。

 理性では違うと分かっていても、誰も彼もがわたしを嫌悪し非難し嘲笑しているような気がしてならなくなった。常に怯えて縮こまって過ごしている内に、とうとう限界が来てしまい、体にも異変が出るようになった。

 不意に涙が止まらなくなり、食欲がなくなり、不眠症になり、今や生活リズムがぐっちゃぐちゃである。


 研修医は当然続けられなかった。去年からは心療内科に通うようになって、鬱病と診断され、向精神薬を取っ替え引っ替え処方されている。わたしもある程度この分野の知識を持っているが、分かることといえば、回復しそうにないということだけだ。


 心療内科の医師が下す診断には様々あり、中でも鬱病は重めの部類に入る。そしてここまで損傷した精神は、まず完治しない。運が良ければ、寛解といって、ほぼ症状がなくなった状態にまで持って行けるが、そうなる保証も特にない。


「うー、苦しいよぅ」


 朝も昼も食事を摂っておらず薬も飲んでいないので、ひどい気分だ。食べたいとは微塵も思わなかったが薬だけは摂取せねばはらない。昨日の残り物を少量腹にぶちこんで薬を飲む。そして全て余さずトイレに吐いた。わたしは絨毯にうつ伏せになってもぞもぞと虫のように這いずりながら、体中を苛む痛みと苦しみに耐えた。


 再就職? とんでもない! 簡単なアルバイトもできず社会復帰すら果たせないのに、正規雇用なんて無理な話だ。ましてや医者になんかなれるか。


 神様はわたしを消さないと言ったけど、これでは社会からはほぼ消えたに等しい。居場所がないというのは、消滅に非常に近い状態である。どうしたらいいのだろう。


「うう〜」


 声を出さなければ、苦しさと戦えない。あるいは自傷とか。あれは死にたくてやるんじゃなくて、皮膚を切って血が出るのを見ると脳に色々とホルモンが分泌されて、心が安らぐからやるのだ。だから眠れない夜などにはつい、平穏を求めてやってしまう。


 この日、絨毯にうずくまって頭を抱えたまま時をやり過ごしたわたしは、夕飯だけ何とか腹に詰め込んで薬を飲み込んで、さっさと風呂に入って布団にもぐった。でも、やっぱりあまりにも苦しくて暴れ出してしまったので、机の引き出しに隠してあるカッターをちょっぴり使って、傷口に当てたティッシュに染み込む赤色を見つめて、ようやく眠りについた。


 ×××

 ×××

 ×××


 ごちゃごちゃとモノが置かれた、灰色の四角い部屋。


「──ってワケ。分かった? てか、今まで生きてておかしいと思わんかったん? 本当に? 一度も?」


 あれっ、とわたしは瞬きした。この夢を見る時、これが夢だと気づくのは、必ず目覚めた後のことだった。だがわたしは今、明晰夢としてこれを見ている。


「あの」

 喋れる。あの日とは違うセリフを。

「おかしいのはあなたです。今すぐやめてください」


 わたしが言うと、一瞬、この夢の画面がフリーズしたみたいになった。次いで、動画のデータが重すぎるせいで発生するモザイクみたいなものが、あちこちにちらついた。しかしすぐに、「オル、ルァ、ラ、ララ、ラァーッ!」と声がして、神様がギクシャク動いたかと思うと、夢はまたスムーズに流れ出した。


「はあー。あんたってつくづくチート! バケモンレベルのラッキーガール! マジ害虫なんだけど」

 神様は吐き捨てた。

「これ、あんたのラッキーを計算に入れなかったワイの落ち度か? それにしたってひどすぎん?」

 わたしは怯まずに仁王立ちしたまま、神様に主張する。

「今すぐわたしの病気を治してください。あなたのせいでわたしの人生はめちゃくちゃなんです」

「ハア〜? ちょっと黙っててくんない? こちとら、記録ログ確認しねーと何が起きてんのかすら分からんのよ」


 神様は目の前の画面を指先でダーッとスクロールした。


「あーハイハイ、理解理解。ったくとんでもねーバグだよあんたは。つまりワイはきっちり仕事して、世界のアップデートを完了させたのね? んであんたを無事に転落させたと。したらば転落したあんたが未来からやってきて、部屋に侵入して、今のワイに干渉していると。しかも無自覚に。何ソレどーゆー裏ワザ? コワッ。意味不明〜。やめてくれはこっちのセリフだっつーの。何でワイばっかこんな目に……んん?」


 神様は画面に見入り、ニヤリと笑った。


「『次何かやったらナーフじゃ済まさんからな』、って言ったらしいじゃん、ワイ。はーやれやれ、せっかくあんた専用の修正パッチ作り終わったとこだってのに、どうやら今から作り直さないといかんらしいね」

「パッチとかナーフじゃなくて、元に戻して欲しいです」

「だめ〜。あんたの元の性能じゃチートに当たるからナーフしたんです〜。それでもバグが生じるってんなら、マジで消さなきゃいけなくなるでしょ。分かる?」

「でも、わたしには健康な生活を営む権利があります。わたしは当然の要求をしているだけです」

「うるっせえなー。そいつはあれだろ、ついこないだできた、あんたの国の憲法とかのハナシだろ? ワイには関係ないね。ワイはもっとデカい規模のモンを扱ってんだからさ。さてさて、どうしてやろうか」


 カタカタと高速で手を動かす神様に近寄ったわたしは、その腕を無理矢理掴んでキーボードから引き剥がそうとした。神様は動きを止めた──押しても引いても微動だにしない。


「オイ」

 低くて静かな、ドスの効いた声だった。

「人間ごときがワイの邪魔してんじゃねーよ」

「こっちこそ……っ、わたしの人生を、これ以上あなたの好きにはさせません」

「分を弁えろ。誰に向かってモノ言ってやがる。ワイ、指先一つで地球を吹き飛ばせるんだが?」

「そんなこと、どうせしないでしょう。シナリオにはないから」

「ワイはそんなことを秒でやっちゃえるくらいの力を与えられた高位存在だっつってんの。気安く触るな、無礼者。これはあんたがどうこうできる問題じゃない。あと、あまりワイを怒らせない方がいい。今すぐ離せ」

「お断りします」

「離せ」


 急に、わたしがジャージごと掴んでいる神様の腕が、熱したフライパンのように熱くなった。

「うあっ」

 わたしは反射的に手を離し、冷たい灰色の床に尻もちをついた。

「……」

 神様は無表情で画面に向き直り、再びキーボードを叩き始めた。わたしは体が凍りついたようになっていて動けない。

 そのまま、沈黙が続く。


「……ッハァ〜」

 どれだけ経ったろうか、神様はくたびれた様子で息を吐き、伸びをした。

「もうさ、めんどくさいから、元のパッチを一部流用して改良版のパッチ作ったよ。でも元のやつはデータ見る限り病状が軽すぎたっぽいし、単にあんた自身の性能を落とすだけじゃ足りないんよね。だからあんたには症状を直接付与した。症状が行き過ぎるように直接ブーストかけといた感じね。あと追加機能として運の良さも下げといたから、ひょっとするとこのパッチであんた死ぬかもしれんな。ま、そこは自力で頑張ってくれや。ワイも忙しいし、あんたの生死にまで構ってられん」

「な、何でそんなひどいことを!?」

「あーうるさいうるさい、小物が騒ぐな。これ以上文句言うならマジで消去するよ、あんたのこと。いーからとっとと帰りな」


 神様はまたわたしを追い払うように手を動かし、わたしは部屋から強制退去させられた……つまり、夢から覚めた。


 ×××

 ×××

 ×××


 ただ一つの思いだけが、わたしの足枷となって、わたしを進めなくさせている。


 ×××

 ×××

 ×××


 震えが止まらない。全身から冷や汗が出ている。


 目覚めた場所は眠りについた時と変わらず、実家の自室のベッド。なのに四方八方から他人の悪意のある視線が突き刺さっているように感じて、怖くて仕方がない。


 わたしは頭から毛布をかぶって身を守ろうとしたが、たくさんの人に見られている感覚は依然として消えないし、何ならわたしを糾弾する無数の声まで聞こえてくるようだった。


 やめてくれ。見ないで欲しい。わたしを責めないで欲しい。咎めないで欲しい。蔑まないで欲しい。


 ああそっか、わたしはここにいちゃいけないんだ。わたしは本当にこの世界のバグで、ほんとは存在しちゃいけないモノだったんだ。だからこんなにいじめられるし、社会に出ても何にも馴染めない。わたしは底辺の隅っこで転がったまま、踏まれたり蹴られたりされ続けるんだ。


 このまま何十年もやっていられるか。寿命が来るまで耐久するばかりの人生に、何の価値があるというのか。


 気づけばわたしは、机の引き出しに隠してあるもののことばかり考えていた。いつかそう遠くない日に、アレを本気で使う時が来るかもしれない。今は辛うじて、この傷だらけの手を伸ばさないでいられるが……いつまでもつだろう。

 喩えるなら今は、崖の縁にいて片足を前に踏み出そうとしている状態。奈落の底まであと一押し。どんなに小さなきっかけでも落っこちてしまいそうな、大ピンチ。いや、大チャンス?


 それでもわたしがそれ以上進まない理由はただ一つ、怒りの感情だった。

 神様に理不尽に虐げられていることへの怒り。あんなのの思い通りになっていることへの怒りだ。

 その気持ちが、わたしをこの世に繋ぎ止めている。


 別に、あの神様に復讐しようとは思わない。

 わたしが今この瞬間に自殺しようが、我慢して天寿を全うしようが、神様は何とも思わないだろうし。


 ただ、このまま運命シナリオにむざむざと潰されて終わってしまうのは、お断りだ。絶対に許せない。あまりにも癪だ。気に食わないことこの上ない。


 ねえ神様、あなた、自分の世界がわたしに曲げられると、とっても困るんでしょ?

 わたしもだよ。

 わたしの人生せかいを勝手に捻じ曲げられると困るんだ、すっごく。

 だからこうして怒っているの。

 わたしの人生はわたしが決めたい。誰かの意思で左右されたくなんかない。

 だからね、絶対に寛解して、穏やかに幸せに生きるんだ。


「……んがアアアアアッ!!」


 わたしは有らん限りのエネルギーを結集し、雄叫びを発して、己から毛布を剥ぎ取った。チクチクと恐怖に刺されながらも、しっかりと床を踏みしめて自室を出た。

 とりあえず、何か軽く口に入れて、それから薬を飲まなくては。何をするにも気分を落ち着かせてからでないと始まらない。


 ……いや……。

 やっぱりちょっと……ううん、だいぶ……。

 人生って……。


 わたしは誰もいない実家のダイニングで、床に膝をつき、頭を抱えて叫んだ。


「やだよおおおおおおおおお!!」






 おわり

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